親子と言えども他人同士 | 考えすぎ

親子と言えども他人同士

「親なのに気づかなかった」

・・・我が子が抱えていた問題を知った時の、親の言葉だ。


それは、
本当にその親が自発的に思い、語った言葉なのだろうか。
ひょっとすると、
周囲の人々の心情を察して、
いわば、多少なりとも"周囲の目を気にしながら"語った言葉ではないのだろうか。


文化が違えば、基準も変わってくる。
例えば、
ある文化圏では"過保護"のほうが問題視され、
ある文化圏では"放任"のほうが問題視される。




我が子の変調に気づかない親に、責任がまったくない
とは思わない。
しかし、親子と言えども他人同士である。


何もかも気づくのが当然、と思うことのほうが不自然だろう。
いくら我が子のことでも、
あらゆるすべてを予測しようなど、根本的に無理がある。
わからないのが当然、と思うところから出発するのが妥当だろう。


基本的には、わからない。
けれども、単に「わからない」で終わらせるのではなく、
何とかして、そこを乗り越えてわかろうとする。わかろうとし続ける。
それが親の、子に対する眼差しなのだと思う。