「幸せな人生」が目標じゃない
テーマ:「まこっちゃ」の目標人生の枠内で考えてもしょうがない。
その人生は、いつか終わりを迎えてしまうのだから。
人生が豊かでも、貧しくても、不幸でも幸せでも、
「最期に無に帰す」という点では、誰もが平等だ。
人生を苦しみぬいた人にとって唯一の救いは、死が必ず訪れるということ。
だから、人生の枠があるからこそ(何かに)耐えられる、
・・・という見方も、確かにあるだろう。
でも、僕が言いたいのは、そういうことじゃない。
仮に自分の人生が幸せだとしても、その幸せが人生の枠内のものならば空しいだけだ、
と僕は言いたいのだ。
いつか終わることがわかっている幸せのためになんて、どうしても本当に真剣にはなれない。
「人生を超えた何か」が無いわけにはいかない。
だからこそ、在りもしないような真理や真実さえも追い求めてしまう。
それが、(ある意味では)人間の悲しい性なんじゃないか、とも思う。
僕は、死ぬことが怖い。
でも、だからこそ、
「じゃあ僕が生まれてきたこの世界は何なのか」
ということを納得しないわけにはいかないし、
「僕の人生は何なのか」
ということを、自分の腑に落ちるように理解したいのだ。
それらを納得し理解するために与えられたのが、
この限りある人生なのだと思っている。
だから、人生そのものを豊かにしたり幸せにするだけでは、
何の意味も感じられない。
・・・僕の場合は、ね。







1 ■無題
まこっちゃ、僕はね、こう思うんだ。
こころがあるよね。なんとなく、こうして頭を使ったり、体を動かす原動力、そのことを、僕はこころと呼んでいるんだ
例えば、朝、目が覚めて、起きなければと、言って頭は働いているのだけれど、起きれないとき
それは、こころが頭は動かしているのだけれど、体を動かす、エネルギーが上手に作動しない、それはね、やっぱり頭が、ずるくてね、動かない方が楽だぞと体に命令を送らない訳、頭はすごくずるがしこいから、体のせいのように思わせているのだけれど、本当はね、頭が、動かない方が楽だぞっとやってる訳なんです。そこは、こころを強くして、思考を止めた瞬間に、ぱっと動けば動けるのです
少しこころのことを説明しました
まこっちゃ、それでね、そのこころが、この体から抜けだしたらどうなるんだい
もう体に関係なく、こころは自由なんだよ
頭の上の方に、こころが抜け出して、自分の体を見ている
空っぽの自分を見ている。
そうするとね、誰に誹謗中傷されようが、何があろうがもう関係ないよね、その抜け出したこころは自由なんだ
だけどもね、せっかくこころだけになって、自由になったのに、物に執着してたらどうなるんだい
また自分の体に戻りたくなるんじゃないかい
それとも、ちょうど妊婦さんなんかいて、こころが宿ってない人間の種なんかがあったら入りたくなったりするんじゃないかい
せっかく、体は、機能停止しても、こころが同じように機能停止しなかったらどうするんだい、
この人生でやるべきことは一つ、死ぬ時までに、全ての執着を捨てることです
執着がダメなのです、例えばゲームをするだろう
百円入れてするゲームをしてもいいんだよ。
けどその百円が終わったら、あーこれでもうゲームをしなくてもいい自由だ、となればよいのです
もう百円したいなと思えば、それが執着です
死ぬときに、あーこれで自由になれると確実に思えるようにすることが、この人生で行うべきことです
まだ死にたくないと思えば、何かに執着があるのです。
生きとし生けるものが幸せでありますように