2010年02月02日(火)

言いたくても言えない

テーマ:論理と心理/頭と身体

「言わない」ということを自ら選んだわけじゃなく、
例えば骨折した人が歩きたくても歩けないように、言いたくても言えない時がある。


「言わないのだから自己責任だ」と責められても、
例えば骨折した人が歩けずにじっとしているように、何も言えずに黙っている時がある。
また別の時には、
例えば骨折した人がそのまま無理に歩こうとするように、本心とかけ離れた言葉を吐いてしまう。




骨折と違うのは、その状態が“目に見えない”こと。
小さな骨のヒビでさえ、レントゲン写真を見ればひと目でわかるのに、
“言えない”心理状態とその苦しみは、相当大きくならない限り、当人ですら自覚できないことが多い。


さらに厄介なことに、骨折と違って、心理状態については簡単に嘘がつける。
骨折なら調べれば一目瞭然だから、嘘で「骨折した」とはなかなか言いにくい。
でも心理状態については、
殺人犯の精神鑑定でさえ結果が分かれることもあるくらいだから、
嘘かどうかを見分けることは非常に難しいのが現実。



・・・だからといって、もちろん、すべてが嘘だというわけじゃない。
でも、嘘かもしれない。
本人だって、けっこう自分を疑っている。
「自分は自分をごまかしているんじゃないか」って。


「言わないのだから自己責任だ」
というのは、ある一定の社会的ルールの上では、すごく“正しい”し、公平な判断だと思う。
でも、それは、
“すべての人が思ったことを言える”ことを前提として成り立つ判断なんだ。
その前提が崩れた途端、
「言わないのだから自己責任だ」という判断は、極めて不公平なものになる。




見分けることはもとより、自覚することすら難しい。
けれども、
言いたくても言えない時だって、確かにあるんだ。
僕は、そう思っている。

コメント

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1 ■無題

人が言いたくても言えない事を、まこっちゃが代わりに言ってあげることは出来るでしょう。

でもしないんではないでしょうか

答えは、本人の為にならないから。


以上の言葉は理屈で


相手の事を、自分以上に、心配し、仮に思い込みであれ、一生懸命になってくれた時には、その相手は、必ず変わるのです。


それは科学的な法則で、こころにも当てはまります

相手を変えようと思うなら、自分以上に、相手の事を思った時は、科学的に考えるのと同じ事で、その相手は始めて変わるのです

ですから実践としては、しゃべれないであろう人を見つけたなら、自分の事を放っておいても、協力してあげる

道を訪ねたい様子の方がおられたら、自分の事は放っておいて、何処へ行きたいかを聞き、自分が分からなければ、人に聞いてあげる、全く自分が困った時と同じように、そのような気持ちになって聞いてあげる、その事が出来れば、こころは科学的ですから、必ず、あなたを手本をして、次回からは、聞けるようになるのです

そうでないなら、してあげる行為に、微塵の、人の為といった感情があるから、相手は変わらない、
本当に自分の事のように、思ってしたなら,相手の方には、あなたが、他ではなくなり、自分で次回からは聞くようにしなければならないように、こころが働こうとするのです

こころを勉強すると、完全に科学的で、感情で行動を行うことはなくなります

だってこころは、科学的なのですから


尚、一例として書きましたが、いろいろ、具体的に

実践してみることで、こころは科学なのだと、確認できます

ですが、時間差はありますので、あまり結果にとらわれすぎないことも必要です

生きとし生けるものが幸せでありますように

2 ■Re:言いたくても言えない

>才木広之さん

AさんがBさんに言いたくても言えないことを、僕がAさんに代わってBさんに言うことは、
本人のためにならないかもしれません(それも、状況にもよると思いますが)。
でも、AさんがBさんに言いたくても言えないことを、僕がAさんに代わってAさんに「言えないよね」と言うことは、
本人のためにならないのかもしれませんが、バンバン言ってます。
思い込みかもしれませんが、それが本人のためにならないとは僕は感じていません。

あと、「道を訪ねたい様子の方がおられたら」では遅いような気がします。
本当に助けが必要な人は、SOSも発信できず、助けが必要な様子さえ示すことができない人ではないかと僕は(勝手に)思っています。

勝手に、というのは謙遜ではなくて、本当に勝手にです。
だから、「もし僕だったらこの時こう感じるけど態度には出せないかもしれない」という状況の人を見かけた時に、
「もし思い過ごしだったらそれで良し」というつもりで言葉をかけることにしています。

見当はずれだったら、「は?」という反応が返ってきますが、
それならそれで、「ああ、違ったんだ、良かった」と思いながら、
「ごめん、勘違いしたかもしれない」
と詫びれば済みます。

済みます、というか、逆にそういう調子だから、
僕は“空気が読めない奴”だと見られるのかもしれません(笑)。

また、この話は、
科学的であるかどうかということとは次元が違うような気がします。
科学的な法則に当てはまるからごはんを食べるわけでも、人を好きになるわけでも笑うわけでもありません。
もちろん、どれも科学的にある程度説明されていますが、
仮に完全に説明され尽くされたとしても、
「科学的に言える」ということを動機としてそれらをすることは(僕の実感としては)あり得ない気がします。

なぜあり得ないか、ということをすぐに論理的には説明できませんが、
あるいは論理的に説明できることなのかもわかりませんが、
ともあれ、科学的かどうかということとは関係ない気がするんです。

3 ■無題

そうですね、科学的に知っていても知っていなくとも

りんごが木から離れれば、下向きに追っていくことは誰しも知っていることです

ただ科学的に知っているか、知っていないかの違いで

こころにも法則が有るといったことは、事実です

私も、まだほとんど、知っていませんが、有る事はあります

自分の事を、客観的に見れば、最低でも、自分の行動というものは、論理的に成り立っています

どんどん知れば、楽になる事と思います

例えば、怒りは、自分に怒っているわけで、他に有るわけではないと、分かります。


生きとし生けるものが幸せでありますように

4 ■無題

すきという感情も

自分に対する、執着から怒ります

自分が、と言って、他とは区別し、特別扱いするといったようなことです


客観的に見れば、生きとし生けるものの一部分にすぎないのですが

ですから私にとっては、まこっちゃも、その他も、自分も何の変わりも無く、生きとし生けるもの、
ただそれだけの事です

生きとし生けるものが幸せでありますように

5 ■無題

訂正

怒り➝起こり


ただそこに自分の役割があって、それで名前を付けて、区別しているだけにすぎません

自分の体に臓器やらまた細胞やら、いろいろと名前を付けて、区別しますが

体と言ってしまえば、それまでの事です

その体といったのが、生きとし生けるものと、私は定義しているのです

そういったこころということです

生きとし生けるものが幸せでありますように

6 ■言いたくても言えない

言いたくても言えないという状況、自分はあまり思いつきません。

もしも言いたいことが言えないのならば、言わないことがベターな選択肢な状況ならわかりますが。(空気を読む的な意味で)

骨折して痛くても、命の危険が迫れば無理してでも歩くか、もしくは這ってでも動くでしょう。
それで怪我が悪化したとしても、最悪の状況は回避できるのですから。

それをしないのは甘えではありませんか?


まこっちゃさんの意図しない答えならすいません。

7 ■Re:言いたくても言えない

>才木広之さん

なんと言いますか、
才木さんは、話をとても単純化されようとしているように感じます。
「才木さんの書かれる文章を見て、『まこっちゃ』はそのように感じるのだ」
と、そのままご理解頂ければ幸いです。
つまり、
僕の“感じ方”が正しいはずだ、とか、そういうことは思っていません。

で、僕は、
物事そんなに単純じゃないと思っています。
(僕が、物事を単純に理解できるだけの素直な心を持ち合わせていないせいかもしれませんが。)
少なくとも今の僕は、
変に単純に物事を割り切ることは、したくありません。

なぜだかわかりますか。
「物事を割り切る」ことによって、「割り切られてしまった事」が、まるで初めから存在しなかったかのように無視されてしまうからです。
雑な喩えで言えば、
幼い子が必死になって何か(正義とか)を訴えているのに、親が「わかったから、早く寝なさい」と受け流すような場合のことです。
親が間違っているとは思いません。
現実に子を寝かせることは、わが子を社会に巣立たせるために必要なことだとも思います。
でも、子は「置いてけぼり」された気持ちになるんじゃないかと思う、
というか、僕がそうだったんですね。

子にはそういう経験もさせなくてはいけない、
とまで言われてしまえば返す言葉もありませんが、
僕としては、一方的にそういう思いをさせることは間違っている、と思うわけです。

だから、せっかくのお言葉ですが、
僕は小さいことにもこれからも執着し続けようと思います。
それも大事だと思うんです。もちろん良い面ばかりではありませんし、
むしろ害が大きいかもしれませんが、
僕は、そのように生きたいのです。

8 ■Re:言いたくても言えない

>alter-nakaさん

「甘え」とは違う次元で、
言いたくても言えない状況があります。
極端な例かもしれませんが、「かなしばり」などもその一つです。

自らの意思ではどうにもならないことは、
肉体だけでなく、精神についてもあります。
そもそも肉体と精神とは、そんなにきれいに切り離されないと思うんです。
手を失っても、その「無いはずの手」が痛むことがある(幻視など)といいます。

あと、
僕の意図と違うことを言ってもらえるのは、大変参考になりますし、ありがたいことです。
謝られてしまうのは、僕が「意図しないコメントをしないで欲しい」オーラを出してしまっているからなのかな、
と反省させられました。
だから、これからもどんどんコメントください。
いつもありがとうございます。

9 ■無題

失礼します
「大きくなったら分かる」といった返答は、私もたびたび受けてきました。

が、しっかりとした返答であると思いますよ

今すぐに分かることばかりではないのです、分かろう、分かろうとして、結局分からなくなってしまうのです。思考の渦に巻き込まれたら、絶対にありのままに物事が見えなくなります

なにかをまこっちゃさんは、なくされたことがありますか、なくしものをした時、あれやこれや、考えて見つかることもありますが、あきらめたときに見つかることも多いのです。

結局思考の渦にあまりにも入ってしまうと見えなくなり、その思考の渦をあきらめて、その時にぱっと無くしたもののありかを思い出すといった例が分かりやすい、たとえです

私も、仕事で行き詰った時には、徹底的に、真剣に他の仕事に打ち込んでみるのです、そうするとぱっといまどうすることが最善かと事実が見えることが多いです

「大きくなったら分かる」:という返事は、その方にとっては大変しっかりとした応えではないでしょうか、あなたが成長すれば分かると太鼓判を押されているのですから。そうでなく心配で有れば、徹底的に洗脳という形で教え込んだでしょう、もちろん正しいことをですが。

ただ私たちの場合は、理屈っぽいことは、その当時、親は百も承知です。ですから、分からない事もあるのだよ、っと自分で、しるしかないと、親は思っていたんではないですか

生きとし生けるものが幸せでありますように

10 ■無題

もう少し書かせてください

徳川埋蔵金、って有るかないか分かっていない徳川家の埋蔵金です

おじいさんは、若いころから熱中して、探してましたが、ついにあきらめました

その息子が今度は探そうとするのですが、

その時おじいさんは、息子になにが言えますか

自分の経験では、ここにあると思っては、掘って

見て無く、また次にここにあるはずと思って、掘っ

ては、またなく、その繰り返しでついにおじいさん

になってしまいました

そのこれから掘ろうと決意した息子には、何も言

える言葉はないでしょう

生きとし生けるものが幸せでありますように

11 ■Re:言いたくても言えない

>才木広之さん

すみません。
二つコメントを頂きましたが、二つ目のほうの埋蔵金の喩えで何をおっしゃりたいのかが、
今ひとつわかりませんでした。

仕方がないので一つ目のほうにだけ返信させて頂きます。

「今すぐに分かることばかりではない」
というご指摘は、たぶん、僕のスタンスの最大の欠点を言い当てておられると思います。
会社で新入社員に何かを教える時もそうですが、
僕は、そのものずばりを説明し尽くそうとし過ぎるきらいがあります。
「やらせてみて、体得させる」
ということが、僕の思考回路には欠如しているんだろうなあ、と思います。

幸い会社には、「習うより慣れろ」式で指導する人がたくさんいらっしゃるので、
それについてはその方たちがやってくれるだろうと思いつつ、
僕は僕なりにできる関わり方をしているつもりなんですが。

と、一応、反省もするんですが、
やはり譲れない部分もあります。

例えば、医者の説明責任です。
医者がどんなに「正しい」ことを言っていても、
医者がどんなに「正しい」説明をしていても、
それが患者にとって納得し難いものであるなら、
僕は、“医者のほうが間違っている”と考えます。

「この方法を使えば命を救えることがわかっている」
としても、そのことを患者に説明できないうちに、
その方法を強引に押し進めることは、
僕は、間違っていると思うんです。

さらに極論ですが、
たとえ説明そのものが「正しさ」を欠いていても、
患者がその説明に納得して、
最終的に晴れて患者と医者双方にとって納得のいく結果が出せたのなら、
それは、少なくとも両者の間の関係だけで見れば完全に正しかったことになる、
と僕は思います。

意思疎通を偏重しすぎているのは、やはり僕の性格がその傾向に偏っているからかもしれません。
・・・一応、その自覚も無いわけではないんですけどね。

12 ■無題



まったくの正論だと思います。納得されないなら、たとえお医者様でも、なにもできません

たとえ、「お医者様に任せると」おっしゃられても、説明はするべきです

患者さんが分からないままに、「お医者様に任せる」ということも無責任なことですが、お医者様は、あくまで患者さまに説明するべきです。

お医者様のお話をお聞きして、それでも分からなくて「お医者様にお任せします」ということなら、仕方がありません

納得までいかなくとも、それがお医者様の信用につながることと思います。

生きとし生けるものが幸せでありますように

13 ■Re:言いたくても言えない

>才木広之さん

そうですよね。
いかに言葉での伝達に限度があるとはいえ、専門職であり詳しいのは患者よりも医者のほうですから、
治療の技術を駆使するのみでなく、その内容について納得してもらえるまで説明できる技術も、
医者の側に強く要求されるのだと思う次第です。

でも、そうやって真摯に向き合っている医者ほど、
逆に無神経な患者からの責め苦に、一方的に苛まれていたりしそうですが・・・。
他人の人生と命を預かる仕事ですから、真剣に患者と向き合って医療現場を支えていらっしゃる医者は、
本当に素晴らしいし、本当に有難い存在だと思います。

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