2006年06月09日(金)

掲示板2006

テーマ:掲示板

『ダムの決壊』 で使っていた掲示板、レンタルだったんですが、
いつの間にか消えていました・・・。
どうやら掲示板サービス自体が廃止になったようです。


というわけで、今度はブログ内に作成しました。
少々見づらいかもしれませんが。


管理人まこっちゃに対する私信、足跡、その他なんでも。
お気軽にコメントください。
ただし、最低限のネチケット は守ってください。
よろしくお願いします。

コメント

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1 ■こんにちは

「哲学者たちのつぶやき」のささやんです。リンクを貼っていただいてありがとうございます。
事後報告なんですが、同じ哲学を扱っているサイトとして、こっちからも貼らせてもらいました
何か問題があれば言ってくださいね

2 ■>ささやんさん

ありがとうございます。

ささやんさんのサイトにある解説は、西洋哲学史をこれから学ぼうとする初学者には大変わかりやすいものだと思います。
更新、楽しみにしています。

またのお越しをお待ちしております。

3 ■こんばんは

また書き込ませてもらいました。
まこちゃさんのブログは楽しく読ませてもらっています。
今日書き込んだのは、ブログ名を「若者もイロイロ考えています。」に変更したのでそのお知らせで書き込みました。用件だけですみませんが、また遊びに来ますね。

4 ■>ささやんさん

ブログ名変更の件、了解しました。
ブックマークの表示、変えておきます。
いつもありがとうございます。

5 ■『ブロガーは思う』について

(http://ameblo.jp/bursted-dam/entry-10014414163.html)のコメント欄内容の続き

>この件については、次回からこっち~
掲示板の存在を知りませんでした。今後はこちらに書きます。記事と無関係な内容ですみません。

先のコメント時間を置いてみると自分でも少し神経質すぎたような気がします。今後の参考程度として解釈して下さい。

>現状では、僕から見て魅力(の中身はそれぞれですが)を感じるブログを集めさせていただいている、という程度です。

了解しました。ただ僕は自分のブログの記事の表示が迷惑をかける形になっていないか気になってしまう性格です。おかしい点に気づいたらまこっちゃさんに連絡しますのでお願いします。

6 ■>ぶらうざさん

やっぱり、『ブロガーは思う』に関する話し合い専用の場所を設けることにします。

もともとこの掲示板は、自分のサイトで借りていたレンタル掲示板が急に廃止になってしまったので、ブログを利用して作ったものなんです。
そもそもが掲示板ではないために、掲示板としては見づらいのが難点なんですけどね・・・。

だから、心置きなく疑問や提案などを書き込めるように、新たに作りますね。手軽に作れるのは、ブログのいいところです。

7 ■返信続き

回答1つめで終りだと勘違いして↑のコメントをしてしまいました。丁寧な回答ありがとうございます。

>キーワードが使われている記事を拾ってきて、そのカテゴリーに振り分ける
>キーワードによって収集した記事を、カテゴリーによらず無差別に最新順に~

機械的に上記のような過程があって、フォローをまこっちゃさんがなさるんですね。僕としては今後、表示が不適切なこと(もしくはこの記事は表示して欲しくないとか)があれば連絡する。過去記事はなるべく消さない。という形でいきたいと思います。

>ぶらうざさんは、とても丁寧に『ブロガーは思う』と向き合ってくださっている~

というか、ちょっと神経質になりすぎていた気もします。僕としては、体験していない試みだったので。まこっちゃさんのほうこそ、丁寧な回答感謝します。これからもなにかあれば、こちらの掲示板に書き込みたいと思うのでよろしくお願いします。

8 ■>ぶらうざさん

まだ、今のところは機械的な処理だけで、手を加えていません。しばらく様子を見ようと思っています。

9 ■「こころを強くする」


    失礼します。      
    
  「心・身を強くするメッセージ」
  
ご笑覧ください。        

     http://www4.ocn.ne.jp/~kokoro/
      
 (営利活動ではありません)  

10 ■>あだちさん

ご訪問頂きありがとうございます。

少し拝見しました。
このところあまり時間がとれないので、
また落ち着いた時に拝見するかもしれません。

逆に、僕に何かできることがあれば教えてください。

11 ■「前提」と「物事の捉え方」

ダムの決壊の「西洋哲学史」を拝見しました。

信号の例が非常にわかりやすかったです。
Aさんは「信号は赤だった」、Bさんは「青だった」と言う。
しかし、どちらかが嘘をついているわけではない。

それぞれの「前提」に従って、「絶対に正しいと言い切れること」を主張している・・・。


芥川龍之介の小説「藪の中」を思い出しました。
まこっちゃさんの主張とほぼ同じことがテーマになっていたので。
(ネットで検索すればあらすじが出てきます)


また「同感です」しか感想がなくてすみません(笑)

12 ■無題

字が細かくて判読できませんね。
「藪の中(やぶのなか)」です。

13 ■>くまっぺさん

『藪の中』、読んだことあります。
短編でしたよね。

確か、あの小説は、題名が示す通り、
「結局、真実は藪の中だ」
という所で終わっていた気がします。
でも、僕としては、
「そうは言っても、何もかもわからないのではなく、ある程度確信を持って正しいと言えてしまうことだってある」
と、どうしても思えるんです。

本当は「すべては藪の中」のはずなのに、
そう思えること自体が、僕は不思議でたまりません。
本当に心の底から「すべては藪の中」だと思っていたら、
こんなふうに返信することだってしませんよ。
言っても伝わってるかどうか、さっぱりわからないのだとしたらそもそも返信なんてしません。

なぜだかわからないけど、「伝わるだろう」という思いがあり、
相手からの反応を確認して「伝わった」と思える自分がいる。
真実が藪の中だとすれば、なおさら、
そのことが不思議で、また面白いんです。僕にとっては。

14 ■「藪の中」は

1つの殺人事件が、複数の証言者から語られますよね?
そして全部食い違う。
誰も嘘はついていない。

これは、
まこっちゃさんの言葉を借りれば、
「前提」の違いが、「物事の捉え方」に多様性を与えている、
ということだと解釈しました。

「真実は無い」と言いますが、
それは「前提に普遍性がない」ということだと思います。
その意味で、
ダムの決壊の「西洋哲学史」の内容と通じるものを感じました。



「真実が無いなら、この『伝わってる実感』は何だ?」とおっしゃりますが、

私は、
「前提が違うか同じか」って二元論ではないと思います。
共有部分と個別部分があるはずです。

かなりの普遍性を持つ「前提」によって、
人を殺すのは悪いことだという「捉え方」がされていますよね?
けれど、その「前提」を共有しない人もいる。

だから
私にとって
伝わったり伝わらなかったりっていうのは、
何の不思議もありません。

15 ■>くまっぺさん

僕は、「真実が無い」とも言っていません。
あるかないか、わからない。
でも強烈な「ある」という実感があるんです。

前提が違うか同じか、っていうのは二元論だとは思いません。
どちらかというと、むしろ多元論です。
・・・というか、二元論にしても、多元論にしても、そのアプローチを成り立たせる一定の前提の上に成り立っています。
だから、前提次第でどうとでもなるような気がします。

前提のうち、どの部分がどの程度「共有」されていて、
どの部分がどの程度「人によって違う」のか、
どうやって誰が判定するのか、ということがやはり僕にとっては不思議です。
自分が判定すれば済むんですが、それだと「その時の自分からの見方」でしかなくなってしまいます。
実際、それしかないのだろうと思いますが、
だとすると、それが間違っている可能性もあるわけです。
現に、「あの時の自分は間違っていた」と後から思うことは多々あります。

そんなにフラフラした意識を持ちながらも、言葉で意思を伝え合える、
ということが、やはり僕は不思議なんです。
「不思議」と言っても、それが難しいことだと思っているわけではなくて、
そんな難しそうなことを気づいたらやってのけてしまっている自分が理解できない、
といった感じです。

16 ■>あるかないかわからない

まこっちゃさんの認識の仕方は、
・ある
・ない
・あるかないかわからない
の3択なんですね。

私は
・ある
・ない
の2択でした。
「ある」と感じないものは「ない」と思ってます。


>あるかないかわからないけど、あるという実感・・・

不思議ですよね。
私だったら「縁」でしょうか…
実体がなくて、あるかないかわからないのに、「ある」と強烈に実感してます。
…って、あれ?
私にも、「あるかないかわからない」って認識の仕方があるかも知れません(笑)

グダグダな返答で本当に申し訳ないです。


「真実は無い」という表現も、
私は、
「1つの対象に対する認識の仕方は1通りではありえない」という意味で使っていました。

まぎらわしくてすみません。


また改めて考えてみます。

17 ■>夕凪さん

そうですね。
僕の場合、「ある」「ない」に限らず、
「そのどれなのかがわからない」
という意識が多かれ少なかれ必ずと言っていいくらい入ってきます。

例えば、今こうして話していても、
「そういう意識が必ずと言っていいくらい入ってくる、と言ったが実際に本当にそうだろうか」
という疑問が内心くすぶっています。

自分の中でそういう細かい葛藤や矛盾、自己批判の種が多すぎて、
最終的に何の発言もアクションも出せないまま時間だけが過ぎる、
・・・なんて時期も、だいぶ昔ですが、けっこう長く続いていたこともあります。

「僕は考えすぎなんじゃないか」
ということも、しょっちゅう思ってました。
でも、いちいち「これは考えすぎじゃないか」と言っていたらきりがないから、
いっそタイトルにしてしまえ、・・・ということで始めたのがこのブログです。

というわけで、話がグダグダになることにかけては、
相手が余程のつわものでない限り、負けない自信があります。

あと真実についてですが、
「1つの対象に対する認識の仕方は1通りではありえない」
ということを指して、「真実は無い」と表現する場合も充分あると思います。
ただ、僕の場合は、こう思ってしまいます。
「1つの対象に対する認識の仕方は1通りではありえない」という認識もまた1つの認識でありうる以上、
必ずしも「1つの対象に対する認識の仕方は1通りではありえない」とは限らない、と。

ほとんどの人が、屁理屈だ、と言うでしょうけどね。
僕も、実生活において利害が絡んでくれば、生きるために「屁理屈だ」と言って片付けるかもしれません。
でもそれは、あくまでも生きるための手段として言うのであって、
本心からそう思うわけではありません。

そんなこんなです。

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