今回は小学校中学校でのいじめによる自殺問題について5分間で考えてみたいと思います。まず、いじめをする人は悪いということは当たり前で、ここで強調して言う必要はないと思います。


私は、今強く感じるのは、今の子どもは昔に比べていじめに対して抵抗力が弱くなっているのではないでしょうか?私が子どものころは平気でたくさんの子どもで一人の子どもをいじめていました。まず誰かが、いじめられている女の子の机にたっちします。そして、他の人にタッチをするのです。そんな遊びをずいぶんとしていました。またそのいじめに対して先生から厳しく言われた記憶はありません。


昔はいじめに対してそれほど先生がうるさくなかったのかもしれません。


でもいじめられた子どもは飛び降り自殺をしたのかというと、そんなことはありません。頑張って学校にきていました・・・っとここで時間が来てしました。時間内で言いたいことを書くのは難しいです。


何か最近のニュースを見ると、みんなから悪口を言われたから飛び降りたというニュースを見かけます。私には

「え?悪口を言われただけで飛び降りたの?」

と、少し不思議な感じがします。


いじめのひどさを10段階で表すと、昔はいじめのひどさがたとえ8や9であっても自殺はしなかったと思います。でも今の子どもは、いじめのひどさがたったの1であってもすぐに自殺するような子どもがいます。どうしてこのように、すぐに自殺してしまうのでしょうか?


改めていいますが、いじめている人が一番悪いです。でも悪いと言っていじめがなくなるわけではありません。大人の世界ではいじめなど日常茶飯事です。誰も助けてくれません。自分で解決するしかないのです。


悪口を言われたから自殺した。最近の子どもはとても心が弱くなっているのではないでしょうか?ではなぜ心が弱くなってしまったのでしょうか?


ニュースでは学校の対応が悪いとかなんとかいっていますが、そんなことよりどうして今の子どもは心が弱くなってしまったのか?その根本を考える必要があると思います。


今回はうまく文章をまとめることができませんでした。これからも文章書き方トレーニングをして、しっかりとした文章が書けるよう頑張ります。
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みなさんご存知でしたか?2006年6月に消防法が改正され、火災警報装置の設置が義務化されていたのです。これは企業だけでなく、私たち一般の住宅もです。はっきり行って私はぜんぜん知りませんでした。


今日の広告の中に、住宅用火災警報装置の設置が義務化になりました。そこで、一度、○月○日○時にお伺いさせていただきます。というチラシが入っていたのです。


私はてっきり悪徳商法の類だと思いネットで『住宅用火災警報 義務化』で検索してみました。すると確かに義務化に関する情報が載っていたのです。ぜんぜん一般の国民に知らせていないのに、どうして勝手に国が義務化を決めるのでしょう?非常に不満です。

「え?私の家は火災警報装置をつけていないけど、何もいわれないけど。」

ハイ!今はまだ言われません。この法律は成20年6月1日~平成23年6月1日の間で猶予期間が設けられているのです。その後に設置が義務化されるわけです。あ、時間がきました。5分は本当に早いですね。


なんか猶予期間を設けたり、わざとこの法律ができたことを知らせないようにして、私たち市民の反発をそらしているように見えます。そして猶予期間のあたりになったら、いきなり

「はい、すでに猶予期間です。みなさん、ちゃんと住宅用警報装置をつけましょう!」

とマスコミを利用して国民全体に知らせるような気がします。


なぜ住宅用警報装置をつけなければいけないのか?その理由は、最近の住宅での火災が増えているとのことです。だから大切な命を守るために、住宅用火災警報装置をつけるとのことです。


でもそれって変ではないですか?住宅用火災でなくなっているのは、主に子どもや老人です。さらに住宅で火災が起きているから、全ての住宅で火災警報装置をつけなければいけないと決めるのは押し付けのような気がします。


こんなものが世間で通るなら、子どもの殺人事件が起きているから、警報装置を義務化、学校に不審者が出てくるから、警備員の義務化、夜間の犯罪が多いから、夜で歩くのは禁止など、むちゃくちゃなことになります。やはり家事で死んでも、それは自己責任のような気がします。もしも家事で死ぬのが嫌で、警報装置で防げると思うなら、みんなわざわざ国が強要しなくても買います。最近では子どもの多くが警報装置を持っていますよね。自然と必要ならか各家庭で勝手に買うはずです。国からの強要は余計なお世話以外の何者でもありません。


火災は不注意によるものです。どの家でも起こるわけではありません。日頃から注意している家庭で住宅用火災警報装置は不要です。また若い夫婦カップルなら火災が起きてから逃げ遅れるということもないでしょう。


法律では寝室や台所に住宅用火災警報装置の設置義務化が書かれていますが、警報装置は一個当たり5000円以上です。4人家族なら台所と寝室を合せて5ついるので、2万5千円以上必要です。はっきり言ってバカらしいです!何とかならないでしょうか?私は嫌でも住宅用火災警報装置を買うつもりはありません。

まぁうっとしい業者がこれから増えるかもしれませんが、

「もうすでにすけましたので、必要ありません。」

この一言でOKでしょう。


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お久しぶりです。今日は高校の履修単位問題について5分間で考えていきたいと思います。おっとすでに30秒経過がんばります。


この問題で、学校側は

「卒業できなくなるのではないか」

「受験勉強があるのにどうしてくれるの」

「もっと幅広い教科を勉強したかった」

などいろいろな文句を言われていますが本当に学校が悪いのでしょうか?


また教育委員会は

「さまざまな高校で履修単位がたらないことは知りませんでした」

といっていますが履修単位が足りていないことぐらいは知っていたはずです。


今はまだ名前がのぼっていませんが、私も進学校に行っていたのでたとえば芸術に関する授業は2時間で単位がもらえたり、変な部分はありました。


保護者や多くの生徒が学校を非難の対象にしていますが、そうではないと思います。もしも学習指導要領が定める70単位程度をとらなければいけないそうですが、その通りに授業をして、はたして子どもたちは、ちゃんと授業をうけるでしょうか?


小学生ならちゃんと素直に授業をうけるでしょうが、高校生は違います。自分の頭でこの勉強は何のための勉強しているの?と自分自身で、必要かどうか考えることができます。あ、時間がきました。もう少しとばして書いていきます。


受験に関係のない歴史の勉強をするとします。○○の国の王様はだれだれ、1680年にはこんな事件が起きた。受験に関係があるからという理由で勉強する学生はいたとしても、受験に関係ないのに、つまらない先生の話を50分も聞くことができるでしょうか?こんなことを素直に勉強できるでしょうか?

「私は僕は、素直に聞くことができるよ!」

という人もいるでしょう。そういう人に対して、少しきついかもしれませんが

「みんなはえらいね!というかもしれませんが、私から見たらちょっとお馬鹿で不器用ですね。」

と思ってしまいます。


受験に関係のない、またつまらない世界史をなんのために勉強するんですか?ただ覚えていくだけですよ。なんで私は世界史の勉強をしているんだろう?この勉強をすることで何の意味があるのだろう?何か他にできることはないのか?

自分の頭で自分について、まわりのことについてしっかりと考えてもらいたいと思います。


普通であれば受験に関係のないつまらない授業を受ける人は少ないです。するとどうなるか・・・頭の賢い学校でも、授業によっては、あれてくるはずです。先生の話を聞く生徒はほとんどいません。クラスで2人から5人ぐらいでしょう。素直な生徒と、推薦入学を狙っている生徒ぐらいです。授業があれてくるはずです。


そのことを学校側もわかっているからこそ、受験に関係のない科目は極力やっていないのです。そこへ、どこの政治家かわからないが圧力をかけてきた。非常に迷惑な話です。今までどおり見て見ぬふりでよかったのではないか。


さて、今回の高校の履修問題どこが悪いのかというと、私は今の受験制度が悪いと思います。高校生も馬鹿ではありません。関係のないことを勉強したくはないのです。学習指導要領を守らなければいけないのであれば、それをちゃんと大学の受験に取り入れるべきです。


それが無理なのであれば、やはり今まで通り受験に必要な分だけ授業をすればいいと思います。受験に関係のない授業をしても子どもたちは話を聞きません。授業が荒れるのはわかりきっていることです。


今年卒業の学生と違い、今の学生さんは大変だと思いますが、社会にでればこんな不合理なことはたくさんあるので社会勉強だと思って乗り切ってください。乗り切れないって・・・いや本当にご苦労様です。

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久しぶりの更新です。別に死んでいたわけではありません。書きたくなったときに書いていくので、こちらのブログはたま~に来ていただければうれしいです。マイペースな管理人ですいません。


さて今日は幸せについて5分間で書いていきます。このテーマ非常に難しいテーマですが興味がありました。


幸せとはその生まれや育ちによっても感じ方が違うと思います。食べ物もろくに食べれないような国では、毎日おなかいっぱい食べることを願って、もし食べることができるなら、ものすごい幸せを感じるのだと思います。


ただし、日本で食べ物をいっぱい食べられるだけで幸せ!と感じている人は少ないと思いと思います。では何があれば幸せなのでしょうか?


大切な家族が普通に生活できたら幸せ、今よりお金持ちになったら幸せ、彼氏彼女ができたら幸せ、健康で長生きできたら幸せ、しんどい仕事をやめることができたら幸せ、今よりもっとモテたら幸せ・・・


う~ん、幸せとは何なんでしょう。私はおそらく彼女とデートをしているとき、ダンスをしているときが幸せなのだと思いますが、いまいち誰かに

「おまえは幸せか?」

と聞かれたら、

「イエス!!」

とはっきり答えられないような気がします。


何か・・・あ、時間がきました。相変わらず5分で文章を書くのは難しいです。


結局、幸せかどうかというのは、本人の問題なんですよね。おいしいものを食べてそれが、幸せなのであれば幸せですし、大好きな彼女といることが幸せだと感じたら、それが幸せなんですよね。


私はその幸せという感性がもしかしたら低いかもしれません。もっと幸せになりたいと思います。みなさんにとって幸せとは何ですか?幸せになるためにはどうすればいいのでしょうか?ご教授いただければと思います。


ちなみに、なにもかもに幸せを感じていては人間成長しないのでは?とも考えています。現状に不満があるからこそ、人間はそれを変えるために頑張るのです。なにもかもに満足するのもいかがなものか?と思います。


もう一つ追加で、北朝鮮が核実験をしたそうですね。今しがた知りました。いろいろわけのわからないことを書きましたが、平和であること、それさえ守られればいろいろと考えることができるので幸せなのかもしれません。

40数年ぶりに天皇家に男の子が生まれましたね。名前はひさひと様とつけられました。漢字が変換ではなかなかでてこない名前ですね。男の子が生まれたということで、生まれた当日はスペシャル番組だらけ。めでたい!めでたい!の喜びの声一色でつつまれました。


さて何がめでたいのか冷静になって考えてみました。え~何がめでたいんだろう・・・私は天皇とかにはあまり関心がないので、よくわかりませんが、将来の天皇になる予定の子どもが生まれたからめでたいのでしょうか?もしかしたら、将来愛子様が天皇にならないですむことがめでたいのでしょうか?なにやら天皇家で男の子が生まれないからといって女の子でも天皇になれるよう皇室典範なるものの法律を改正しようという話がありましたが、どこ行く風・・・もうこれから何十年も話し合いはなくなるでしょう。


さて何がめでたいの?という話になりましたが、私には本当にわかりません。生まれてきた悠仁(ひさひと)さまは本当にめでたいのでしょうか?自分に置き換えてください。将来サッカー選手になりたくても、なれません。画家になりたくても・・・あ時間がきました。


今回は自分の言いたいことを好き勝手に言っているので、止まらずにどんどん文章を書くことができました。もう少し続きを書きます。生まれてきた悠仁(ひさひと)さまにとって、画家になりたくてもなれません。普通の大学生のように合コンをしたりすることもできません。自分の好きなことなんてほとんどできません。確かに食べることに困ることはありませんが。私たちの税金が毎年数百万円支払われるわけですから。何か決められた人生にむなしさを感じざるを得ません。


生まれた瞬間に、死ぬまでの人生設計を決められている悠仁(ひさひと)さまは本当にめでたいのでしょうか?喜ばれるべきことなのでしょうか?皇室の方はいつもにこにこ、幸せそうな顔をしています。でも本当は・・・本人にしかわかりません。