「生まれてこなければ本当は良かったの?」とは中谷美紀 with 坂本龍一名義で1997年にCD化された曲「砂の果実」のワンフレーズ。

 

その中谷美紀さんが嫌われ松子役で主演した映画が2006年「嫌われ松子の一生」である。

この「嫌われ松子の一生」にて川辺にあるガチクソオンボロアパートの壁に「生まれてすみません」と中谷美紀さんは書きなぐっている。

9年の時を経て「生まれてこなければ本当は良かったの?」の答えを出したわけではないだろうが、キャスティングする時に「砂の果実」は影響したのだろうか?

 

 

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映画「嫌われ松子の一生」の前年の2005年には中谷美紀さんは映画「電車男」にてヒロイン・エルメス役をやっている。

イメージが180度正反対の役である。

 

 

 

 

 

「その瞬間、人生が終わったと思いました」という中谷美紀さんのナレーションが何回も入るくらい、松子は不幸の連続を送る。

文学的センスのない私には原作者の意図はよく分からないが、とにかく松子は不幸で最後はガチクソボロアパートで周りから「嫌われ松子」と呼ばれながら「生まれてすみません」と書きなぐっている。

とは言え松子は「その瞬間、人生が終わったと思いました」とナレーションが入った時点で人生が終わるわけではない。

映画の冒頭で描かれているが松子は殺害されて死亡する。

ガチクソオンボロアパートにて1人で過ごしていた50代で殺害される。

つまり意図しない死に方をしている。

人生はそんなものだ。

 

「もうダメだ」とか「死んだほうがいい」と思っても死「ね」ないものなのだ。

他方別に「死を意識」しなくとも死ぬときはあっさり死んでしまう。

不条理なものだ。

「生きたくても生きることができなかった人もいるんだ。だからあなたはその人の分までしっかり生きなさい」とは反論が難しい正論だが「そんなのしらねーよ」とも言えてしまう。

「それがオレ(私)に何の関係があるんだよ!」と。

 

人間はなかなか死「ね」ないが、意図せずにあっという間に死んでしまうこともある。

ただそれだけの存在なのだから。

 

こんなことを(世間では不謹慎と非難を受けるだろうことを)ぼんやりと意識したのはこの映画「嫌われ松子の一生」が公開された数年後の2000代後半だ。

それはいとこ(母の弟の息子)がなんの前触れもなく、亡くなった時だ。

朝起きてこないので不審に思ったら布団で死んでいたそうだ。

病気持ちでもない30代前半。

 

松子は最後は意図せずに殺されるがそれまでは壮絶な人生を送ってきた。

それは「愛」を求める姿のように見える。

激しい「愛」を求めている。

確かに気持ち悪いくらいだ。

しかし

 

松子が求めている愛は「恋愛」の形をとっているが、「恋愛」なのだろうか?

 

とも思う。

男狂いとも見える。

しかしそこにはどこか自分の幼少期の「愛」が影響しているようにも見える。

となるとむしろ「家族愛」に近いものだったのではないか?

 

松子の晩年は川辺のガチクソボロアパートはゴミ部屋と化している。

そのゴミ溜まり部屋に松子は「ただいま」と言って入ってきても「おかえり」と言ってくれる人は誰もいない

ただ普通に「おかえり」と言ってくれる人を求めていただけなのかもしれない。

激しい恋愛人生を送っているように見える松子も求めていたのは結構シンプルなあっさりとしたものだった、と。

松子の部屋には2000年代前半の時代にはちぐはぐな「光GENJI」のポスターが貼ってある。

勿論光GENJIは生前の松子に「おかえり」とは言ってくれなかった。

 

(上の写真は・・・関係ないか・・・では写真を貼り直し)

 

 

偉そうに「愛」を論じてますが私は彼女・嫁なしの37歳おじさんです(笑)

 

記事は以上です。

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