勉強というのは本当に無駄がない。

高校までは、興味のない分野も単位を取るために黙って席に座って授業を受けないといけないが、そういう授業でも得ることの方が多い。

「世の中にはこんなにつまらない授業があるのか?」という気付きになる。
あまりに退屈で眠くなるのを防ぐために、クラスを見回せば、私にとって無駄で退屈な授業を目を輝かせて楽しそうに受けているクラスメイトが数人いる。

「こういう授業が好きな人っているのだなぁ。変人っているのだな。」とって思ったのをよく覚えている。

そういうことから、
「世の中にはいろんな人がいるのだな。」と納得したし、
「無駄な人っていないのだな。」とも思った。

そういう私は、音楽の授業が本当に大事だったし楽しかった。
将来音楽の勉強をしたかったので、たまにしかない音楽の授業は大事に真剣に受けていた。
しかし、他のクラスメイトにとっては、音楽の授業は、次の授業の内職をする時間であり、ほっと一息つく時間であり、授業としてはほとんど無視をする時間だったと思う。

そういう中で、変に真面目に授業を聴く私の存在は、
「石原さんって変わってるなぁ?」という評価だった。
「石原さん、音楽の授業に英語の単語覚えたらいいのでは?また赤点とったら大変でしょう?」と、本気で心配してくれる友人もいた。

とてもありがたかったけど、そういうわけにはいかない。
音楽の方面に進学することは周りには秘密にしていたので、余計に心配されたと思う。

その高校の音楽教師は、私が住んでいた田舎では珍しく、私学の音大を卒業した人で、その人の元で音楽を学んだ人は、東京芸大や武蔵野音大など人数こそ少なかったけど、音楽大学の合格者を出していた。

私はこの先生に、個人的にピアノや声楽、コールユーブンゲン、楽典などを教わっていた。
お月謝は安かったし、とても教え方もよかった。

そういう先生の高校の音楽の授業をサボって内職など絶対にできないし、したくもない。

その先生の授業を直接聴いて、「レッスンを受けさせてほしい。」と、お願いをするためには、進学校に合格するしかなかった。

音楽の先生からは、効率よく学ぶやり方も教わった。
「赤点なんて気にしていたらきりがない。勉強がどんなにできてもピアノができないと音大には受からない。」と指導を受けた。

「とにかく、部活動はしない。
早く家に帰ってピアノとヴァイオリンを練習すること。
近所迷惑になるから夜の9時までしか練習できないわよ!
その後に勉強をするのよ。」

それをやっていたら、当然勉強など無理。
10時から勉強したとして、風呂や夕食の時間もあるから、2時間できるかどうか?
仕方ないので、理数系はバッサリ捨てて、国語と英語だけやるようにした。
しかし英語は、全く歯が立たなかった。
覚えることが多すぎ。
文法も単語も全部中途半端になってしまった。

でもね、そういう無茶苦茶な勉強法でも私の人生には役に立った。
大学には音楽方面で入学できたし、自分の欠点や限界もよくわかったので、
その後の人生本当に特をしている。

相場も似たようなものだと思う。
「どういうやり方がいいのでしょうか?」
「相場ってどうやって勉強したらいいのかわからない。」

そういうときは、自分の受験勉強の時や、一生懸命頑張ったことをどうやっていたかを思いだしたらいいのです。

そのやり方に似た方法は必ずあるものです。
変わったことをしないで、自分の正攻法に合わせていけばいいのですよ、きっとね。