2017-07-06 23:21:52

時空の旅人

テーマ:宇宙

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今日は木曜日で昼間は筋トレに行ってきました。今日も新記録樹立でベンチプレスで120kgを挙げる事ができました。60歳になっても筋肉はますます発達するものだなと改めて思いました。ここまで来ると、やはりもっと歳をとっても筋トレでありえない80歳、ありえない90歳にできればなりたいものです。まあこれから歳とともにチャレンジするものができて嬉しいです。毎日の生活の励みになりますね。

 

身体はやればやるほど結果で答えてくれますが、心もそれなりにトレーニングを続けていくとそれなりの結果が出るものです。本当に最近の話なのですが、私は一つ大きく分かった事があります。分かったというより実感したと言った方が良いと思います。

 

私が実感した事を言葉で伝えるのは大変難しいのですが、今日はなかなか人に理解されないであろう事を前提に、私自身の記録の意味も含めてちょっと難しい話しをします。

 

前にもブログに書きましたが、私はほぼ毎日ほど除霊というものをしています。健康の問題とか、生活の問題とか、色々な問題を抱えて私のところへ人々が来ます。まあ殆どは心身の健康の問題です。そしてその中には、とてもじゃないけれども生理学的な原因でこのような症状が起こっているのでは無いと思える人が居られます。私はそういう人達に無料で除霊をして差し上げるのです。

 

霊障が原因であれば、その場ですぐにその人が抱えている問題が解消します。多くの場合は痛みという症状です。痛みが除霊をした瞬間に無くなるのです。中には何十年も抱えてきた痛みが無くなることもあります。最初は私もその結果を見て内心驚きました。それを何年も毎日やっていると、結果を見るたびに一般に霊と言われる存在というか、次元があるのは間違いないと思うようになりました。これは天動説の世の中で地動説をはじめて唱えたガリレオの気分になります。

 

世の中一般では「嘘~!胡散臭い」という反応になるのは重々分かっていますが、どうしてもあるものはあるし、居るものは居るのです。それをほぼ毎日目の前で9年間見てくると、私の中ではそれが当たり前のことになります。霊という言葉が悪いのかも知れません。散々マスコミで面白おかしく、また怖さなどが誇張されて世の中に番組として流していますから、変なイメージが定着していると思います。

 

私は目の前で起こる現象を客観的に見た上で、私たちが肉体的に死んでも心は残るのは間違いないと思います。心というのは実態はありませんが、心が私たちが生きているその源泉となっているのは間違いないです。心には脳科学で明らかになる部分以上のものがあります。単に脳神経細胞の電気信号と脳内物質の化学反応だけでは説明がつかないのが心だと思います。

 

心というのは何らかのエネルギー体であると私は考えています。それは量子物理学で取り上げているエネルギーみたいなものか、まだ解明されていない暗黒エネルギーのような未知のエネルギーであろうと思います。肉体という物質的なものが死を迎えても、精神の根源となっている心のエネルギー体は「個」として存在し続けるのです。

 

そうでなければ、私が除霊で見ている目の前で起こる現実の説明がつきません。私がお祓いをして、私に祓われている何かが存在しているのです。それが心のエネルギー体であると思うのです。私は霊という言葉を使うのが嫌なので、「心のエネルギー体」と呼んでいます。

 

私たちの心のエネルギーはもっと太古からこの宇宙か、または違う次元の宇宙に存在し続けています。そして私たちの「個」としての心のエネルギーは様々な時間や空間の中で存在し続けてきたのです。その様々な時間や空間を一般的には前世とか現世、この世とかあの世と呼んでいます。私達の心のエネルギーは、その時々において異なる時間と空間、つまり「時空」に身体という実体を得て生命体として存在して来たのです。

 

でも身体という物理的な実体はエントロピーの法則にしたがって時間と共に劣化して死を迎えます。しかし実体の無い心にはエントロピーの法則は通用しません。実態の無いものに劣化や死は存在しないのです。身体という実体が無くなっても、心のエネルギーはそこからまた違う時空に移っていきます。それが目の前で起こる現象を客観的に見た上での私の生命観というか世界観です。私という存在は突き詰めればこの「心のエネルギー体」なのですね。

 

それぞれの人はそれぞれのエネルギー体として太古から存在していると思います。今私たちが現実と呼んでいる今現在のこの時空で、私達は人間として生きています。他の人もみんな同じです。そして肉体の物理的な死と共に、この時空から離れて、また違う時空に旅立つのですね。

 

新しい時空で身体という実体を得て生まれる前に、私達のそれまでの記憶は消去されます。しかし中にはほんの少数記憶を消去されないで産まれてくる子も居ます。そういう実話は世界中にあります。チベットのダライラマもそうでしょう。そういうことを測定できないから胡散臭いで片付けてしまうと生命の何たるかが見えてきません。

 

だから死というのは終わりではなくて、心のエネルギーの次の時空への旅立ちなのですね。老いるというのは次の時空への旅立ちの準備なのです。病を得るのも旅立ちの準備の一環です。そのようにして私達の心のエネルギーは太古の昔から今まで時空から時空へ旅してきたのです。そしてこれからも新たな時空への旅は続きます。

 

目の前で起こる現実を見て、このように私という存在に私が気付いた時に、私から生老病死の四苦は無くなっていきました。この一生だけで自分という存在が終わるとなれば、生老病死は現実的な苦しみです。それからは逃れられないということになるのですが、私という心のエネルギー体が違う時空に旅立つのだと思えば、死は一つの通過点というか、新しい時空への旅の始まりなのですね。

 

ただ次があるからといって、今生きているこの世の現実をおろそかにしてはなりません。いい加減に生きれば、いい加減に生きた心のエネルギー体として存在し続けなければなりません。人を傷つければ、人を傷つけた心のエネルギー体として違う時空で存在し続けるのです。これはたまらん話です。だからこそ今この瞬間瞬間を自分のベストで生きなければならないのです。ベストで生きればベストで生きた心のエネルギー体としてまた違う時空で存在し続けます。

 

私達の本来の姿は、時空から時空に旅する「時空の旅人」なのですね。他の人もそれぞれが時空の旅人です。同じように時空を旅しているのです。そのように思った時、その人はこの事実に気付いていないだろうけれども、同じ時空を旅している仲間なのだという気持ちが沸いてきて、人を恨む心も無くなっていきました。ただ殆どの人が自分の心のエネルギー体としての本来の存在に気付いていないだけなのです。嫌いと思う人でも、その人なりに本来の姿は一人時空を旅する「心のエネルギー体」なのだと思うと逆に親近感が湧いてきます。

 

お金や財産や社会的地位などは自分の死と共に何の意味も持たなくなります。家族ともお別れです。もちろん違う時空にそれらを持ってはいけません。この世の一生で人生全て終わりとなると、生きている間にいい思いをしたいから、そういうものを得ようとするでしょう。中には人を蹴落としてもそういうものを得ようとする人も出てきます。

 

でも「時空の旅人」という私達の本来の姿に気がつくと、この世のものは自分の身体も含めて、全て借り物であるというお釈迦様の説かれた事がよく分かります。今の段階で人にこの私の話を何とか認めてもらおうとは思いません。ガリレオの地動説のようにいつか誰かが証明してくれるでしょう。でも共鳴してくれる人が居ればそれこそ幸いです。私は時空の旅人として、これからもこの世でたった一人でも私のベストを尽くしますね。それで私の一生は充分です。

 

合掌

 

仏光

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コメント

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2 ■Re:納得。

>たましょうさん

天動説が地動説に変わったように、いつかみんな分かりますよ。

合掌
仏光

1 ■納得。

仏光さんの時の時空を魂が移動するというお話は本当に納得します。いつかこのことが普通に人々にわかる時が来るのかどうかはわかりませんがそんなことはどうでもいいというかなるようになる、ですね。

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