真実に勝るものはない | 仏光さんの心の相談室

真実に勝るものはない

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昨日はそれほど仕事が忙しくなかったので、ゆっくりと昼休みに泳ぐ事ができました。まあゆっくりと言っても、1000mを30分で泳いでいるのには変わりがないので、気分的にゆっくりと泳げたということです。今日も朝早く起きたのでブログを書いています。ホトトギスやコジュケイが鳴いていて、他には雨だれの音と風の音しか聞こえない静かな朝なので気分がゆっくりしますね。

 

私は自分のことだけを考えるならば、このまま死ぬ前の日まで仕事と修行を続けていけば、まあ自分の人生は平穏無事に終わるだろうなと思っています。自分の気持ちの中で「もう自分のことはいいな」と思うのです。これ以上社会的に「自分がこうなりたい」とか「こうしてやれ」などと思うこともないのです。

 

若い頃からアメリカに渡って、世界中を旅して回って、仕事もアメリカの上場企業でビジネスマンとして行くところまで行って、独立して始めた仕事もまあまあ安定して、苦しい時もいっぱいあったけれども、あとは淡々と自分ができることを毎日続けていくだけで幸せです。だからもう自分のことはもういいのですね。ただ困っている人を何とかして差し上げるのが仕事なので、私に縁のある人が良くなって貰いたいと思うのです。

 

人生でやりたい事は大体全てやったし、もう物で欲しい物も無いし、名誉名声なども要らないし、淡々と今のまま心穏やかに人生の時間が過ぎて行ったら良いだけなので、もう自分のことはいいのですね。後は心の修行を共にする人と切磋琢磨しながら幸せを感じて暮らしていければそれで良いのです。私自身はいいのですが、何の前触れもなく急に災難みたいな事も社会生活では起こります。

 

先日も以前一緒に修業をしていた先輩に当たる人から、いきなり中傷するような手紙が来て、ちょっと嫌な気持ちになりました。こんな手紙がいきなり来るなど本当にびっくりです。でもそこは冷静に対処して問題にはなりませんでした。まあ可哀想なのは私ではなくてその人ですね。

 

このようにこちらは何も悪いことはしていなくても災難は降りかかります。しかしそこはお釈迦様は「真実によって虚言の人に勝てる」と言っておられる通りでした。身に覚えのないことで疑われたり、中傷されたりする時も人生にはありますが、真実は真実です。やはり真実に勝るものはないのですね。

 

私は自分自身を振り返ってみると、私の本にも書いたように、まあ若い頃は社会的地位やお金があってもろくな人間ではなかったし、禅を始めてからも色々失敗はあったし、まだまだ欲にもまみれていたし、自分の過去を人から指摘されても「はあ、どうもすみませんでした。」と謝るしかありません。諸行無常、人もどんどん変わるものです。世の中では人の過去を穿り返して「こいつは実はこういう奴だったのですよ」と非難したりしますが、本当はあまり意味のないことですね。

 

もしその人が社会的な名誉や名声を求めているのならば、過去は大切かもしれませんが、そんなものを求めていなければ、過去などもう存在していないのです。「私はろくな人間ではありませんでした」と自分から宣言しておけばよいのですね。もし何かあっても後は冷静に対処すれば良いだけです。

 

自分自身を振り返ると、人のことをあまり悪く思ってはいけないなと思います。その人も今はそうだけれども、自分で気付いて将来変わるかもしれません。こんなろくでもなかった私が、まあ毎日人様のお役に立って幸せを感じて過ごしているのですから人は変わるものなのです。

 

災い転じて福となるではありませんが、今回の災難のような手紙で、私も色々気付けて良かったと思います。また昔お世話になった老師の気持ちも分かって良かったです。お釈迦様が言うように「人が何をしているのかを見るのではなく、自分が何をしているかを見よ」ですね。真理や真実とは尊いものだなと改めて実感しました。

 

合掌

 

仏光

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