武蔵一宮 氷川神社宮司 東角井様よりご案内賜り、
勅使参向のもとに執り行われました例祭に参列いたしました。
Photo(報道許可) : Makoto Kagawa(武楽座/駕川 慎)
畏くも明治天皇は、明治元年京都から東京に都を遷され同年十月十七日に氷川神社に勅書をお下しになり「神を崇び祭を厳かに行うのは政教の基本であるが中世以降綱紀の振るわないのは祭祀の実が挙がらないからである。今、東京に新しく都を定め親しく政をとるに当たり先ず祭祀を厳修して祭政一致の実を挙げようと思う」と仰出されて氷川神社に行幸御親祭遊ばされて武蔵国の鎮守として年々奉幣使を遣し永例とする旨宣せられ以後8月1日の御例祭には勅使を参向せしめられ『東遊(あずまあそび)』の御奉納をいただいて今日に至っているとのことです。
東遊は元は東国地方の風俗舞であったのを宇多天皇の寛平元年10月賀茂の臨時祭に初めて神事舞として用いられてから諸社の祭典に奏せられる様になった本邦特殊の歌舞の1つであります。
起源は安閑天皇の御代駿河有渡の浜今の三保の松原に天女が天降って舞った姿を模したものと伝えられています。
舞人の装束は桐竹の立木、雉子、根笹などの模様のある青摺袍(あおずりのほう)、小忌衣(おみごろも)を着用し太刀を佩き巻纓冠(けんえいのかん)を用います。舞は駿河舞と求子舞の2つに分かれ夫々の歌詞に合わ数人の歌人、篳篥、高麗笛、和琴とによって演奏されますが、舞人は駿河歌の1段の中頃から進み、2段から舞い始め終わって一旦退下します。
続いて求子歌の音取が奏されます。これを別称「かたおろし」と言い、この間に舞人は跪いて袍の右肩をぬぎ、また参進し、求子舞を舞います。とてもゆったりとした時間の中で、優雅な空間と感動、神ながら上代の面影を味わいました。