私たちは「愛のミリオネア夫婦」です。
ミリオネアとは100万ドルの資産を持った億万長者のことですが、
年収でいえば夫婦で1000万円から3000万円程度ですかね。

妻は30代、夫は50代の年の差カップルです!


私たちの目標は「愛のミリオネア」を世界中に100万組作ることです。

今後ともよろしくお願いします。
チャンスがあったら、ぜひお会いしましょうね~~
  • 27Dec
  • 24Dec
    • 魂の声を聴く方法

      魂の声を聞くこと!スピリチュアル夫婦の旦那フミフミです。魂の声なのか、観念の声なのか、わからないことってありますよね。たとえば、「仕事を辞めたいなぁ」という思いが浮かんできたとき、この声は、魂の声でしょうか?それとも、単に甘えた心理から出てきただけの声でしょうか?甘えた心理から出てきた声だとしたら、この声に従うと、あまりいい人生を送ることはできませんよね。甘えた心理を持っていると、いつまでも成長せず、嫌なことがあるとすぐに逃げてしまうような、ダメダメ人間になってしまいますよね。ダメダメ人間のまま社会の荒波に出て行くと、すぐに沈没してしまいます。でも、「仕事を辞めたいなぁ」というのが魂の声だったらどうでしょうか?魂は集団無意識にもつながっていますし、宇宙の大きな愛にもつながっていますし、人類の過去の知性図書館ともつながっています。その魂が発した言葉は、あなたを幸せへと導いてくれるものです。まさに、神さまからのメッセージだといっても、過言ではありません。魂の声に従って仕事を辞めると、さらに大きな会社へ、さらに好条件で再就職できるかもしれませんし、起業して大成功するかもしれません。肝心なのは、そのメッセージが、魂の声なのか、観念の声なのかということです。その声を聞きわける方法は簡単です。その声に従った未来を想像して、ワクワクしたら、それは、「魂の声」です!ぜひ、やってみてね。

      13
      テーマ:
  • 30Nov
    • 小説、第15話、そもそも愛って何?

      これは、スピリチュアル夫婦が2人で考えた小説です。スピリチュアルに目覚めたキャリア女子が、「魂がやりたくないと言っているので」と会社を突然辞めてしまいます。瀬戸内海の蓮島で自分の転職について考えます。小さいころ、詩作に夢中だったことを思い出すのですが、、、■そもそも愛って何?朝食の用意は私の仕事だ。卵焼きと干物焼き、それに味噌汁、香の物をそえただけの質素な食事だ。前日の夕食の残りがあれば、それを出す。筑前煮やカレー、魚の煮物やお刺身など。食事が済んだら、掃除と洗濯。出産を控えた人やオリュウママを訪ねてくる人たちの宿泊する部屋が五つほどある。それに分娩室兼用の診察室。台所に食事をする居間のひと続きになった空間、さらには土間や庭まで一人で掃除するには大変な広さだった。三日前から私の補佐役ができた。東京からやってきた三十五歳の女性で、コーヒーショップの店長をやっていたという。過労で倒れて入院し、退院してもそのまま出勤せずに、スーパーバイザーからの連絡は無視して蓮島へ来たのだという。名前は君島ヨウコといった。「あんなところで働いてたら殺されちゃうよ。アルバイトのシフトがうまくいかなかったら店長が入るしかないわけで、そうなると店長は休みもなく朝と昼のラッシュをこなし、夜にも出勤。それを二〇〇日続けたからね。二〇〇も休まなかったら人間どうなると思う? もう死のうかっていう気になるよ」ヨウコはそんなことを笑いながら言う。男っぽい低音ボイスでハキハキとした物言いだった。毎日大きな声を出していて喉を潰したのだという。「ハスキーでいいでしょ」とヨウコは笑う。ヨウコは料理が上手だった。手際がよくて、私の半分の時間で二倍の料理が作れた。しかも、おいしい。オリュウママは玄米食なのだが、ヨウコはその玄米をおいしく炊く方法を知っていた。玄米は白米よりも水を吸収しにくいので、水に浸しておく時間を多めにとり、少し塩を入れる。玄米の洗い方も私とは全然違っていた。午前と午後に島の妊婦たちがやってくるのだが、その応対もヨウコは見事なものだった。コーヒーショップで店長をしていただけあって、客をあしらうのは得意のようだった。もちろん、掃除も洗濯も手伝ってくれる。私よりも数段手際がよく、私の仕事がなくなってしまうくらいだった。「ここでの仕事が天国に思えるよ。ブラック企業に勤めていたおかげだね。感謝しなきゃなぁ」ヨウコは低音ボイスで言った午後になると、私は散歩に出かけ、ブログネタを探す。島の人と話をしたり写真を撮ったりして過ごす。夕方、食事の前に帰ってきて、夕食の準備をするのだが、私のやることは食器を出すくらいだった。後片付けだけは率先してやった。このままオリュウママのところでお世話になるということも考えたが、オリュウママは「あんたは、もうすぐ東京へ帰るよ」と予言めいたことを言った。ああ、私は東京へ帰るのかと思った。たしかに、この島は私のいるべき場所じゃないという魂の声のようなものが聞こえていた。温暖な気候や海の景色は気に入っているが、やはり性に対する大らかな島の風習には馴染めないものがある。若々しい肉体を持った若者が子どもを作り、経験豊富なジジババが育てるという仕組みは理にかなっている。仕事もまだまだ不十分で家事もろくにできない生活力もない若者たちだけに子育てを押しつけるのは、よくよく考えると無茶な話だ。世間では「子どもを産んだ者が責任を持って育てなければいけない」というのが常識になっているが、子育てに高齢者が参加すれば、これほどいいことはない。子どもを作った若い男女が責任を放棄するわけではなかった。ジジババが子どもを育てているところへ、若い父も母も頻繁に会いにいくし、父親はお金を渡し母親は身の周りの世話をした。子どもが大きくなって母親が引き取るケースもあれば、若夫婦とジジババらが同居する大家族のケースもあった。親戚同士や友だち同士で同居するケースもあり、島全体が大きな家族のようだった。逆にそれを嫌って島を出て行く人もいるようだった。人と違ったことをすると、すぐ島中の噂になる。人の幸せを祈る文化があるせいか、イジメや村八分に発展することはないようだが、人の目を常に気にしなければいけないような生活は、どこか息苦しいものがあるのかもしれない。さらに、若者たちが、誰彼なしに性交を持ってしまうのは、いまの私には受け入れがたいものがあった。オリュウママは、「好きなだけセックスしていいが、相手の幸せを祈ることを忘れるな」という。それは、裏を返せば、相手の幸せを祈りさえすれば、誰とでもセックスしていいと言っているようなものだ。それが、愛というものなのだろうか? 愛のあるセックスと、愛のないセックスとがある。結婚していても、愛のないカップルはいる。結婚していなくても愛にあふれたカップルはいる。誰とでもセックスする関係に愛はあるのだろうか? そもそも、愛って何?私は、どうすればいいのだろう?いったん東京に帰って、アパートを引き払い、この蓮島で暮らそうか? それとも、再就職して東京で暮らすか? 実家に帰るという選択肢はない。東京で暮らすとしたら、私はどんな仕事をすればいいのか? 私の天職は何だろう?海沿いの道を歩いた。なだらかな坂道から瀬戸内海が見下ろせた。数々の無人島がぽっかりと浮かんでいる。島なみの景色にさみしいものを感じた。都会の喧騒や高層ビルの風景がなつかしいなと思った。その日、また、大物司会者が島にやってきた。マネージャーと二人だけのお忍びでの来島だった。船着場で二人を見かけたとき、都会の空気を感じて懐かしさを覚えた。帰りに酒屋へ寄ってみた。店番は母親がしていて、サーヤはいなかった。たぶん、大物司会者が宿泊する民宿に行ったのだろう。店番をしている母親はムッツリとした表情だ。お客はいるのだが、いつものように軽口を叩いてはいない。どこか、張り詰めた空気があった。どうしたことだろう?その日の夜、オリュウママのところへ、サーヤがやってきた。目に涙をためて「お腹の赤ちゃん、堕(お)ろせるか?」と言った。「ここは、助産院じゃ。堕ろすところじゃ、ありゃあせんぞ」オリュウママは険しい顔つきで言った。「でも、堕ろさにゃ、いけんて、オカンも言いよる」サーヤは涙声だ。「まだ三ヶ月を少し過ぎたころじゃけえ、ギリギリ中絶できる。尾道の病院に紹介状を書いてやろう」「お願いじゃ」サーヤは怒ったように言う。私とヨウコは、台所で夕食の支度をしていた。サーヤの声を聞いて、居間に顔を出したものの、サーヤとオリュウママの張り詰めた空気のなかに入っていけないものを感じて台所に引っ込み聞き耳を立てた。「お腹のやや子は、誰の子ね。あの芸能人の子か?」島ではもっぱらの噂だった。「違う!」「堕胎手術には父親のサインが必要やぞ。父親は島の男か?」「違う!」「じゃ、誰じゃ」「マネージャーの人」サーヤはポツリと言った。「本当に堕ろすんじゃね? おめえは、それでええんじゃの? 本当にええんじゃの?」オリュウママは、何度も念を押す。サーヤは何も言わず黙っていた。たぶん、泣いているのだろう。「本当はどうしたいんじゃ?」オリュウママは優しい声で言う。「本当は、本当は・・・」サーヤの嗚咽が聞こえてくる。ヨウコが台所から飛び出して、サーヤを抱きしめた。ヨウコはサーヤの髪をヨシヨシとなでた。サーヤは「オカンが、オカンが・・・」と言いながら泣いた。「オカンがどうしたん?」オリュウママは赤ん坊をあやすみたいにサーヤに言った。「オカンがすでにお金を受け取っとったん」「そうか、そうか、そりゃ、大変じゃったのう。この小さな胸を痛めてしもうてのう。おめえは、何も悪うないよ。悪うない、悪うない」オリュウママも、サーヤの頭をなでる。そのとき、私の頭に言葉が湧き出てきた。森の泉がコンコンと湧き出るように、サーヤへ捧げる言葉が私の口をついて出てきたのだ。「魂はやりたくないと言っています。お腹に宿った命を消してしまうのは嫌だと言っています。サーヤの魂は変化を求めています。新しい出会い、新しい世界、新しい生き方を求めています。周囲は変化を望みません。周囲は新しい命を消し去ろうとします。あなたはどちらを選んでも幸せになります。あなたは自由です。あなたはどちらを選んでもいいのです」私はいつしか目をつむって話している。まるで詩を朗読するように・・・。即興詩だ。サーヤは目に涙をためて、私を見つめています。オリュウママは優しく目を細めて私にウンウンとうなずきます。ヨウコは、私の手を取って、「なに、これ! メチャクチャ、感動してるんですけど!」と言った。

      58
      テーマ:
  • 26Nov
    • 小説、第14話、天職とは?

      ■天職とは何か?ブログ読者が千人を超えた。記事は毎日更新している。そのたびに、「いいね」が三〇〇以上ついた。コメントも多い。とくにオリュウママの言葉を載せたときは、一〇〇以上のコメントがつく。『いまやってる仕事が天職だよ』というオリュウママの教えは、特に反響が多かった。小さいころは野球選手になりたいとか、Jリーガーになりたいとか、天真爛漫に夢を語るものだが、大人になるうちに、それが簡単に叶うものではないことに気づいてあきらめる。しかし、あきらめずに頑張る人が野球選手やJリーガーになる夢をつかむ。そういうのを多くの人が天職だと思っているが、少し違うのだとオリュウママはいう。野球選手やJリーガーになったとしても、引退したあとの人生があるのだ。野球選手やJリーガーになるという夢は叶えたかもしれないが、次の夢を見つけなければいけない。監督になるのか、コーチになるのか、それとも、スポーツバーのオーナーになるのか、さらなる夢に向かって歩んでいくはずだ。それは、凡人たちがいまやっている仕事にも言えることだ。就職活動は就職することが目標であり、就職できたということは、その目標を達成したことになる。つまり、夢を叶えているではないか。一つの夢を叶えたのなら、次の夢を見つけてそれに向かって歩みはじめればいい。それだけのことだ。悶々と悩んでいる暇はない。オリュウママの教えを聞いてから、私は詩作で生活できないかどうかを模索しはじめた。詩を書いて生活できるような世の中ではないが、オリュウママが言うには、「その詩にお金を支払いたくなるような魅力をつければいいじゃないか」ということだ。魅力とは何でもいいからプラスすること。そのプラスすることが多ければ多いほど魅力が増す。ミュージシャンだって、歌うだけだと魅力はないが、踊ったり、芝居したり、握手会をしたり、ファッションリーダーになったり、その他、趣味の世界のことだったり、英語が話せるとか、料理がうまいとか、さまざまなことをプラスして魅力的な存在になっていく。ビジネスも同じだ。私の場合は、詩というものに何かをプラスすればいいのだ。そのためには、いままでやってきた仕事が役に立つ。本を出版するときの編集作業や原稿執筆などをしてきた。学生時代には、アルバイトで居酒屋やカフェの仕事をしてきた。そうした経験をすべてプラスすれば、何かおもしろいビジネスが生まれるかもしれない。そう考えると、いまやっている仕事がすべて天職だと言えるのではないか?そんな記事を書いたのだ。この記事がいままでで最高の反響があった。『自分のやりたいことが何なのか、自分でもわからずにいました。でも、これでスッキリしました。ありがとうございます』『いままで夢をあきらめていましたが、いまやってる仕事が夢につながる準備なんだと思いました』『魅力を増やして、いまよりも魅力的な存在になります!』そんなコメントが二〇〇近く集まった。ただ、一人だけネガティブなコメントを記入する者がいた。ハンドルネームは「糞ネズミ」だった。また、こいつか、と思った。『ブラック企業に勤めていて、それが天職だと思えるわけねえだろ。ボケ! クソ!』さらに、糞ネズミさんは、直メッセージも送ってきた。久々の直メッセージだった。『お前の勤めていた会社で、ついに、自殺者が出たぞ』ブログには私の実名をカタカナ表記してある。「イロナシアメコ」。だから、オリュウママのファンだけでなく、私の知り合いも、ブログを読んでくれているはずだ。私の知り合いで、私が勤めていた会社がエディターズネットであることを知っていて、さらに、会社の内情を知っている人といえば、誰だろう?糞ネズミとは、いったい誰なのか?糞ネズミさんが、私の勤めていた会社で自殺者が出たという。いったい、誰が死んだの? 気になってしょうがなかったので、私は、昼休憩の時間を見計らって、望月のところへ電話した。「ああ、お前か、お前が辞めたあと、大変だったんだぞ。よくも、いけしゃあしゃあと電話なんかしてこられたな?」「それは、謝る」「いまは、蓮島でのんびりしてるんだってな。いい気なもんだよ、まったく!」望月の声には私への怒りがこもっていた。「何で、私が蓮島にいること知ってるの?」「ブログに書いてるじゃん」「読んでくれてるんだ」「たまにね」「それがね。昨日、私のブログに、変なコメントがあったの。私の勤めていた会社に自殺者が出たって。誰か死んじゃったの?」「ああ」「誰?」「吉岡さん」望月は声のトーンを落として言った。 吉岡さんといえば、入社一年目の女子だ。頑張り屋さんで、いつも明るく、残業していても笑顔を忘れない素敵な女子だ。私によくアドバイスを求めてきた。謙虚で求道心があった。それが、何で自殺なんか?「全部、お前のせいだよ。お前が突然辞めちゃうから、彼女にしわ寄せがいっちまって、かなりのオーバーワークだった」「でも・・・」私は次の言葉を飲み込んだ。それは会社の体制が悪いわけで、私に原因があるわけじゃないといいかけたが、望月の言う通り、私にも少しは責任があるかもしれない。もしも、私が辞めずに、仕事を続けていたら、吉岡さんの自殺は防げたかもしれないのだ。胸の奥がキュウンと苦しくなった。「ごめん。電話切るね私は電話を切って、浜辺へ行った。松林の木の根っこに腰かけて、海を眺めた。海は静かなさざ波だった。大小さまざまな島がぽっかりと浮かんでいる。いまにも動き出しそうな島々だった。急に悲しくなった。何で死んじゃうんだろう?オリュウママは「生も歓喜なら、死も歓喜じゃ」と言うが、やはり、人が死ぬということは、悲しみがともなうものだ。魂は常に自由を求めている。誰かに支配され自由を奪われるのなら、死を選ぶ。魂は、そういうふうにできているのかもしれない。お腹の大きくなったミチコが、砂浜をフラフラと歩いていた。頭のあったかいミチコは、歩き方も少しぎこちなかった。ミチコのうしろを三人の若い男が追いかけている。一人の男がミチコの腕をつかむ。他の二人は手を合わせてミチコに何かをお願いしている。首を横に振るミチコ。三人は、同時に、ミチコの前で座り込み、土下座した。首を横に振っていたミチコが、右手の人差し指を口に入れてしゃぶる。お姫様を案内するみたいに、ミチコの両手を左右の男が取り、一人がうやうやしく先導した。そして、松林に入っていく。私のとこから、ミチコの姿は隠れていて見えない。しかし、男たちの姿はよく見えた。男たちは、ズボンをずらして、いきり立ったイチモツをさらけ出す。ミチコのの指がそれをつかみ、シコシコと動かす。もう一つのイチモツは、どうやらミチコの口に入っているようだ。ことが終わると、三人の男は、ミチコをハグする。ありがとうと、何度も言っているようだ。ミチコの手にお金を持たせ、ヨシヨシと頭をなでる。「じゃあな」「何あったら、ワシらが力になるけえの」「困ったときには、ワシらに相談するんで!」三人の男たちは大声でミチコに手を振った。ミチコはニヤニヤ笑いながら三人の男を見送った。淫靡ないやらしい光景のはずなのに、なぜか爽やかなものを感じた。ミチコは蹂躙されたのか? 輪姦されたのか? 被害者は誰だ? ミチコは幸福に満ちあふれたような表情でこちらに歩いてくる。ミチコは頭があったかいからといってバカにされているわけではない。むしろ、その逆だ。ミチコは大切に扱われている。そして、ミチコも、島の若者たちに貢献している。若者たちが子どもを作り、子育て経験の豊富なジジババたちが育てるという、この島の風習が、どことなく素敵に思えてきた。前の会社の後輩が自殺したことなど、すっかり忘れていた。さざ波の海に、ポツリポツリと雨だれの波紋が広がった。穏やかな雨が降ってきた。松林のなかは雨に濡れない。やさしくて温かい夏の雨だ。「あなたが春の風のように微笑むならば、私は夏の雨となって訪れましょう」どこかで読んだ詩の一節が浮かんだ。ミチコがニヤニヤと私に笑いかけながら通りすぎて行った。先ほどの男たちの一人が傘を持って走ってきた。傘をさして、ミチコにかかげる。ミチコの大きな腹をやさしくさする。「大事にしんさいや」とでも言っているのだろうか。ミチコはうん、うん、とうなずいている。ミチコは男に守られながら歩き、私の視界から消えていった。私は穏やかな夏の雨のなかを濡れながら歩いて帰った。

      26
      テーマ:
  • 24Nov
    • 小説、第13話、私は何がしたいんだろう?

      ■私は何がやりたいんだろう?蓮島にやってきて一ヶ月。そろそろ自分の進むべき道を見つけなければいけないなぁと思った。いつまでもオリュウママにお世話になるわけにもいかない。私と同じように都会からやってきてオリュウママの家に転がり込んだ女性が二人いた。一人はまだ未成年で家出をしてきたらしく、一週間ほどいて母親が迎えにきた。もう一人は私と同じように衝動的に会社を辞めた女性だ。その女性は一週間を過ぎてもまだいるが、毎日、恋人とメールしているところをみると、おそらく、あと二、三日で帰っていくだろう。で、私はどうすればいいのだろう?「魂がやりたくないと言っているので」と言って会社を辞めてしまったものの、やりたいことが見つかったわけではない。ただ、逃げ出しただけだ。小さいころから、母親から「逃げちゃダメだ」とよく叱られた。ピアノのお稽古が嫌で嫌でしょうがなかった。母に殴られてもやる気は起こらなかった。母親がピアノの先生だから、逃げようにも逃げようがなかった。晩御飯を抜かされることもあった。裸で庭に出されることもあった。冬の寒いときに裸足で外へ出されたこともあった。私は母に愛されていないんだと思った。音楽よりも、詩を作ることのほうが好きだった。うまいか下手かわからない。たぶん、下手クソだったはず。いい詩と悪い詩の区別もわからないまま言葉をせっせとつむいでいた。高校生のとき、詩の賞に応募した。かすりもしなかった。自分には才能がないのだろうと思った。よしんば、詩人になれたとしても、詩を書いて生きていけるとは思えなかった。それでも、詩を書いているときは、幸福感に満たされた。母親に殴られたことも、それを父親がかばってくれなかったことも、弟が私をバカにしたことも、詩を書いているときは、忘れることができた。もし、できることなら、朝から晩まで、詩を書いて生きていけたら、こんなに幸せなことはないだろうと思った。高校には詩を書くような人はいなかった。大学へ行っても、詩を書く仲間は見つからなかった。インターネットで詩を書く人たちのコミュニティを見つけたことがあるが、オフ会に参加する気にはなれなかった。就職して、詩人のコミュニティに発言もせず、閲覧もしなくなり、いつしか、詩作さえしなくなった。就職活動で出版社を目指したのは、どこかで、詩や文学の近いところで働きたいという気持ちがあったからだ。出版社の就職試験はすべて落ちた。しかたなしに、編集プロダクションの求人を探して、エディターズネットに就職したのだ。私はいったい、何がしたいんだろう?オリュウママは「魂が一番喜ぶことを見つけて、それをすればええんじゃ」と言う。「自分の人生は、自分でシナリオを描いて生まれてきたのだ」とも言う。ピアノが弾けないからといって厳しく叱責する母親を私は選んで生まれてきたというのだ。では、なぜ、そんな母親を選んだのだろう? その理由がもっとも大事だ。前世では優しい母親の娘だったから、今世では厳しい母親に育てられることを経験しておきたかったのだろうか。それとも、母親に虐待されている人々を救うために、あえて、自分もそれを経験しようと考えたのだろうか?どれもシックリとこなかった。詩を書きたいという気持ちはいまでも、どこかにある。晩酌のときに、オリュウママに相談すると、「書けばええがの。いまなら、誰も止めはしないよ」と言う。「でも、詩を書いて生活するわけにはいかないですよね」「でも、蓮島に住んでるいまなら書けるじゃねえかぁ?」オリュウママは、そう言って笑う。たしかに、そうだ。私が詩を書くのを辞めろという人は誰もいない。止めてしまっているのは自分自身だ。しかし、自分の生きる道が見えない悶々とした状態で詩作などできない。言葉も衝動も何も浮かんでこないのだ。悶々とした私の心情を聞いて、オリュウママは、こんなふうにアドバイスしてくれた。「できないことに挑戦するとき、何度も失敗を繰り返すうちに人は多くのことを学び、スキルを身につけ、いつかはできるようになるじゃろ。あきらめたら、永遠にできないままじゃ。自転車に乗れない子どもが、乗れるようになるのと同じように、お金を儲けることも、生活することも、いままでできなかったことができるようになるということじゃろ。失敗を繰り返し、多くのことを学んで、人は、できないことができるようになるんじゃろ? それを成長と言うんじゃなぁかのう」「人を愛するということも同じですよね。うまく愛せなかったのが、愛せるようになる」都会からやってきた女性が横から話に入ってくる。「夢を叶えることも、生活することも同じじゃ。いままでできなかったことができるようになる。前世でできなかったことを今世でやろうとする。スキルを身につけて成長したいと魂は思っているし、前世でも経験できなかったことを経験してみたいと思っとるんじゃ」「私は、何も考えず、消去法で就職しました。そして、その会社がブラック企業だった。会社選びで失敗したなと思いましたし、学校でもっと勉強していれば、念願の出版社に就職できたのにと後悔しました」私は涙まじりに言った。「いや、それは違うぞ。その会社に就職したのも、あんたの魂はちゃんと承知のうえで選んどるんじゃ」「そうなんですか? 」「ブラック企業で学んだことや身につけたスキルは、絶対に将来役に立つし、実際、ブログを書いているのも、その会社で身につけたことじゃないのか? 島の人たちにインタビューしたり、ほうぼうに電話をかけたりするんは、なかなか普通の人にはできんことじゃぞ。少なくとも島の連中にはできん。あんたしかできんことじゃ」「たしかに、そうかもしれませんね。でも、ブログなんかやったって、何の役にも立ちませんけどね」「いやいや、会社に勤めていたのなら、お金儲けのやり方は学んだはずじゃ。それに、人間が力を合わせたら一人じゃできない仕事ができることを見てきたんじゃないか? お金をもらって学んだんじゃ。ありがたいことよのう。感謝せにゃ、いけんで」「でも、私にはこのスキルをお金にする力はないと思うんです」「力がないからあきらめるのか? そういう人生をいつまで続けるつもりじゃ? 力がないから、あきらめるんじゃなくて、力がないから勉強して、練習して、力をつけていくんじゃないんか?」いつしか、オリュウママは厳しい表情になっていた。「私も、すぐにあきらめて逃げてました」もう一人の都会からやってきた女性がぽつりと言った。「要は、あきらめて逃げるのか、あきらめずに挑戦するのか? 逃げると挑むでは、大違いじゃ。詩作では儲からないというのは、誰もが知っとる。だからあきらめて逃げるのではなく、アイデアを出して、工夫して儲かる道を探せばええじゃ。二十四時間、そのことをいっぱい、いっぱい考えてみ。必ず見つけるけぇ」「はい!」私は、正座し背筋を伸ばした。

      14
      テーマ:
  • 22Nov
    • 小説、第12話、死ぬのは悲しいことなのか?

      ※これはスピリチュアル夫婦が二人で考えた小説です。スピリチュアルに目覚めたキャリア女子が、ブラック企業を「魂がやりたくないと言っているので」という理由で退社。そして、瀬戸内海の蓮島へやってくる。そこは、世にも不思議な島だった。夏の暑い日、蓮島の葬式がはじまった!■死ぬのは悲しいことか嬉しいことか?7月の暑い日に、ナオトのオジの祖父が亡くなった。白寿のお祝いをした日の夜に「ちょっと横になるけえ」と言って眠り、翌朝、ナオトのオジの七〇になる母親が起こしにいったときは心臓が止まっていたのだという。葬儀の手伝いでオリュウママと私は、ナオトのオジの家へ向かった。親戚やご近所さんや漁業組合の人たちが集まり、三日間、ドンチャン騒ぎをするらしい。大広間には黒と白の幕が張り巡らせてあった。家具類は納屋に運び出され、広々とした和室に長い座卓が並べてある。一〇〇人はゆうに入る広さはある。そこを老猫がゆっくりと歩いていた。近所のおなご衆が白いかっぽう着をきて、箒ではいたり、雑巾がけしたりしている。その間を子どもらがはしゃいで走り回る。子どもらは、葬式を鎮守さまのお祭りかなにかだと思っているのだろう。オリュウママと私は台所のお手伝いだった。もち米を炊き、赤飯を作った。鯛や平目や鮑など、高級な食材が台所にあふれていた。私は煮しめづくりを手伝った。ニンジンの皮むきをした。かっぽう着など、生まれてはじめてだった。「よう、似合うがぁオリュウママが笑って言った。サーヤの弟の酒屋が台所に顔をだす。酒樽を台車に乗せているようだ。「酒樽はどこに置きましょうか?」サーヤの弟が大きな声で言う。組み内のおかみさんが、「ちょっと待ってな」と言って、広間のほうへ消えて行った。しばらくして、羽織袴姿のナオトのオジがやってきた。「酒樽は、玄関のほうに回してくれや」ナオトのオジは、ダミ声で言った。海の上でいつも大声を出しているせいか、ナオトのオジのダミ声は台所じゅうに響き渡るほど大きかった。ナオトのオジは、背が高くて胸板の厚いがっしりとした体つきをしている。日焼けした顔は彫りが深く、外国人のような雰囲気があった。女心をくすぐるいい男ぶりだなと思った。ナオトのオジは、広間に戻る前に、オリュウママに向かって「オリュウママ、いつもキレイじゃのう。ワシと、一発どうじゃ?」と言う。「おめえとやったら、ワシのマンコが腐るわぃ」とオリュウママは笑いながら言った。弔問客が集まり出した。広間が騒々しくなる。「走らんの!」と子どもを叱るおかみさんの声が聞こえた。私は、かっぽう着を脱いで、受付に立つように言われた。受付に行列ができていた。弔問客らは、みな笑顔でウキウキしていた。いまにも踊り出しそうな雰囲気だった。ナオトのオジは玄関に立って、弔問客を出迎えている。友人らがやってくると、肩を抱いて「今夜は浴びるほど飲ますけえのう」と笑う。言われたほうも「おう! 受けて立つわぃ」とガッツポーズをする。そこには、葬式にありがちなしんみりとした空気はまったくなかった。若い僧侶がバイクに乗ってやってきた。ナオトのオジが出迎えて「なんなら、オヤジはこんのか?」と言う。「すんません。オヤジは、腰痛が再発したらしくて、朝から動けんのですわぁ」と若い僧侶が頭を下げる。「まあええわぃ。実質は、おめえが住職じゃけえのう」ナオトのオジは若い僧侶を広間へと案内した。しばらくして、読経がはじまる。初夏の青空に若い僧侶の経を読む声が、さざ波のように染み渡っていくようだった。「仏さんが出かけるよ」と、どこかのおかみさんの声が聞こえた。出棺である。家から火葬場まで親族の男衆が棺をかついで歩く。そのうしろを小鼓や神楽笛、ひちりき、鉦などの和楽器を持った連中が歩いた。ゆったりとしたメロディーだが、哀しみよりも、しみじみと湧き上がってくる喜びを表現するような音感だった。子どもらが鳴子を持ってカチカチと無造作に音を立てている。その鳴子の音が活気のあるたくましいエネルギーを感じさせる。ちょっとしたパレードだった。少し離れた場所から、そのパレードを例のスーツ姿の男たちがスマホで撮影していた。また来てる、と思った。いったい何が目的なんだろう?パレードが行ってしまうと、急に静かになった。台所に戻ると、おかみさんたちは休憩していた。オリュウママは、縁側に座ってタバコを吸っていた。「この島の葬式はやけに陽気なんですね」私はオリュウママの横に座って、青空を見上げた。「そうじゃ。死ぬのは悲しいことだって誰が決めたん? 人間が勝手に決めただけじゃ。すべてのものは変わる。諸行無常じゃがの。人間が死ぬんは、木から葉っぱが落ちるんと同じことよ」「魂はそうやって、何度も転生を繰り返す」「死んだように見えて、ホントは死んじゃおらん。魂はまた新しい肉体を得て生まれてくるがの」オリュウママは、プハーと鼻からタバコの煙を出す。「太陽が沈んで、また昇るのと同じ。人間が眠るのと同じってことですね」「そうじゃ。生も歓喜なら、死も歓喜じゃ」オリュウママは、タバコの吸殻をポケット灰皿のなかに入れる。「でも、人間は何のために生まれてくるんですか?」オリュウママが台所へ戻ろうとしているのを引き止めたくて、私は率直に質問した。オリュウママと話がしたかった。「目的は人それぞれじゃ。前世で平穏な何もない人生を送った人が、今世では波乱万丈の人生を送りたいと思うかもしれんし、また、同じように平穏な人生を送りたいと思うかもしれんじゃろ。前世で狼じゃった奴が今世ではじめて人間になったとしたら、まだ狼じゃったころの記憶が残っとるけえ、思わず人間を襲いよる」「獣が人間になることもあるんですか」「それはあるよ。何万回と輪廻転生するなかで、獣から人間へと成長していくんよ」「私は、どんな目的を持って生まれてきたんでしょうか?」「それはのう。自分の持って生まれた宿命をみればわかる。魂は、自分の宿命を自分で決めて生まれてくるけえの。次の人生では嫌な母親のもとに生まれて母と娘のバトルを経験してみたいと考えた魂があったりするんじゃ。それで、誰か、嫌な母親の役をしてくれる人、いませんか? と呼びかけて、あ、じゃ、私、その役やりましょうか? じゃ、お願いします。と配役が決まったら、オギャアと生まれるわけじゃ」 私は、自分の母親のことを考えてみた。いまでも私は母親のことが好きになれなかった。思い出すのは、小さいころピアノがうまく弾けずに殴られたことや罵声を浴びながら宿題をやったことなど、母親の嫌な顔ばかりだった。「私の母は、私の心を打ち砕くような人でした。だから、私は何をやるにしても自信が持てず、自己評価も低いまま大きくなりました。この親娘関係を自分で選んで生まれてきたとしたら、私は、何を目標にすればいいんでしょうか?」「それは、自分の魂に聞いてみればええ。母親に虐待を受けた子どもが大きくなって、同じように虐待を受けている人を支援する仕事をはじめるということもあるし、その経験を生かして小説家になった人もおる。母親を見返すという思いをエネルギーにしてお金儲けで成功することもできるし、同じような経験をした人と結婚することもできる。魂はそういう人生のシナリオを作ってこの世に生まれてくるんじゃ」「その人生のシナリオを見つけるにはどうすればいいんですか?」「魂は知っとるけえね。魂が一番喜ぶことをすればええんよ」そう言って、オリュウママは立ち上がり「さぁ! 葬式行列が戻ってくるでぇ」と言った。

      13
      テーマ:
  • 21Nov
    • 小説・第11、鬼神の匂いのする男たちは何者なのか?

      ■鬼神の匂いのする男たちは何者?サングラスの大物司会者と酒屋の娘サーヤができているという噂が流れた。サングラスの大物司会者が撮影後に島の民宿に泊まったのだが、夜にサーヤが入っていったのを見た者がいるのだ。小一時間して、サーヤが泣きながら出てきたという。マサルが私に教えてくれた。マサルは私から拒絶されたことへの屈託がまったくないようで、私のことをジロジロ眺めながら「べっぴんさんじゃ」と言う。「実は、一週間前にも、あのテレビの人が島に来とるんじゃ。そのとき、サーヤとできてたんじゃないかとワシは睨んどるんじゃけどのう」マサルはサーヤの噂話を嬉しそうに話す。山の頂上の奇岩に腰かけてレモン畑を見下ろす。島と島の間を小さな漁船がゆっくりとすべっていく。トンビがピーヒョロヒョロと鳴きながら山の斜面を飛び降りたかと思うと上昇気流に乗って舞い上がった。「事実を確認もせずに言いふらすのはよくないわよ」「言いふらしてもええがの。おめでたいことなんじゃけぇ」「おめでたいこと?」「そうじゃ。男と女がスケベなことするんは、奇蹟なんじゃってオリュウママが言うとった。この広い世界で出会うことも奇蹟じゃが、男と女がつながることも奇蹟じゃ。あの世とこの世がつながって、あの世の魂がおなごの子宮に入るんじゃっていうぞ」「秘め事はそっとしておいて欲しいものよ。そういうのが、わずらわしくて島を出ていく人もいるんじゃないの?」「スケベなことは神聖な儀式じゃ。恥ずかしいことがあるもんか。神棚に饅頭をお供えするのと同じようなもんじゃ。誰と誰が神さまにお供えしたんかいうて噂しとるんじゃ」マサルはポケットからレモンを取り出して皮ごとかじった。「クゥゥゥゥ、酸っぱ!」と言って、顔をくしゃくしゃにしながら目をつむる。「ワシ、仕事に戻るけぇ」マサルはあぜ道を駆け下りて行った。私は、ブログ記事のネタを探してにぎやかな光山寺の参道に行ってみた。サーヤが店番をしているはずの酒屋をのぞいてみたが、サーヤはいなかった。サーヤの代わりに母親が店番をしていた。サーヤはどこへ行ったのかを母親に尋ねようとしてやめた。噂話に自分が関心を持っていると思われるのも嫌だし、噂のせいで母親も嫌な思いをしているはずだと思ったからだ。ところが、店番をしている母親は、客らしき女性と大きな声でサーヤのことを話していた。「私はね。産めばいいって言ってるのよ。だって、減るもんじゃなし、増えることなんじゃけぇ。おめでたいことじゃが」「そうじゃねぇ」という会話が聞こえて来た。サーヤは妊娠しているのかと思った。でも、一つ、疑問が残る。母親も公認で産んでいいと言っているのに、なぜ、サーヤは民宿から泣きながら出てきたのか?父親がサングラスの大物司会者だということも、まだ、確かなことではなかった。たぶん、そうした不確かなことが噂になるのだろう。噂とは、そういうものだ。参道にはレストランやら、居酒屋やら、スナックやら、雑貨屋などがあり、ちょっとした商店街だった。平日でも、地元の子どもや大人らが歩いている。そこに、見慣れないスーツ姿の男たちがいた。初夏の温かい日だというのに、涼しい顔をしてスーツを着ている。一人は、薬屋の看板のところから、酒屋のなかを監視していた。そのうしろに二人のスーツ男が酒屋をみていた。サーヤに用事があるのだろうか? 三人ともサングラスをかけていて、顔の表情が見えなかった。すぐに思い浮かんだのは、サングラスの大物司会者の関係者が雇った探偵たちがサーヤのことを嗅ぎまわっているのだろうということだ。しかし、探偵だったら、もっと目立たないようにするのではないだろうか。これだとサーヤの酒屋を監視してますよと島中にアピールしているようなものだ。その後、スーツ姿の三人は乳飲み子を背負っているジジババや漁港で働く女たちや若い女たちの写真を撮っていた。とくに妊娠している女の写真は何枚も撮っていた。どうやら、サーヤが目的ではないようだった。もし、サーヤが目的ではないとすると、彼らの目的はいったいなんだろう?私は目を閉じて、あの男たちの氣のエネルギーを感じてみようと思った。男たちに意識を集中させる。すると、「鬼神」という言葉が浮かんできた。そのあとに、嫌な匂いが鼻をついた。目をつむったまま、むっと顔をしかめる。満員電車で加齢臭オヤジの顔が近づいてきて臭い息が私の鼻を直撃したような不快感だった。あの男たちは、いったい何者なんだ?夜、最終便の船でスーツ男たちは尾道へ帰って行った。オリュウママの家へ帰り、鬼神の匂いのことを話した。「それは、お前さんが都会から連れてきた鬼神たちじゃろ」とオリュウママは湯のみに冷酒を注ぎながら言った。「私が?」まったく身に覚えのないことだった。「確かなことはワシもわからんが、原因を作ったのは、間違いなくあんたじゃ」「え? どういうことですか?」「どういうことじゃろうのう」オリュウママは、グイッと冷酒をあおった。乳飲み子たちのいないオリュウママの家は静かだった。親戚の老婆が乳飲み子を引き取っていた。ジジババが中心になって子どもを育て、母親は時々会いにいって母乳を与える。父親は、お金やら食べ物やらを時々会いに来て与える。この島に、私が鬼神たちを連れて来たのだとしたら、そういう島の文化が壊されるかもしれないと思った。この島の文化が良いか悪いかはわからないが、子どもが多くて活気のある島になっていることは確かだ。ジジババに育てられた子どもたちは、礼儀正しく挨拶のできる子どもに育っていく。そして、人の幸せを祈る、愛情深い大人になっていくのだ。もしも、私がこの島で子どもを産んだら、誰かが育ててくれるだろうか? 「私が何をしたというのでしょう?」「さあ、のう」オリュウママはしげしげと私の顔を見つめて酒を飲んだ。

      9
      テーマ:
  • 20Nov
    • 小説・第10話・神さまの島にて、、、

      これは、スピリチュアル夫婦が、二人で考えて書いた小説です。スピリチュアルに目覚めたキャリア女子が、「魂がやりたくないんで」という理由でブラック企業を辞め、瀬戸内海に浮かぶ神さまに守られた島へやってきます。しかし、この島はちょっと変わっていました。■神さまの島にて私はブログをはじめた。スマホで蓮島のことを書いてアップした。ブログのタイトルは「神さまの島にて」。たった一日で読者登録が二〇〇人を超えた。全国にいるオリュウママのファンが見つけてくれたらしい。コメント欄に「オリュウママ、元気そうですね」とか、「オリュウママに会いたい」とか、オリュウママへのメッセージばかりだった。オリュウママもノリノリで、写真を撮るときピースサインまでしてくれた。「魂が一番喜ぶことを見つけて、それをしなさい」「子どもは島の宝。みんなで育てる」「相手の幸せを祈りなさい」など、オリュウママの言葉を記事に盛り込むと「いいね」が一〇〇以上ついた。カヨコさんが自分の子どもに母乳をあげにきたこと、その子をカヨコさんの親戚のお婆さんが引き取りにきたこと、大きくなった子どもが母親と一緒に暮らしたいといえば暮らすこと、それがこの島の風習だということを記事にした。「浜遊び」という島の若者たちの行事も記事にした。浜辺に酒やツマミを持ち寄って若い男女が酒盛りをするのだ。寒くなると漁師小屋に集まり、一斗缶の焚き火を囲んで酒盛りする。気の合う男女はその場でまぐわう。ゴムはつけない。そもそも、この島にはそんなもの、売ってない。子どもができたらオリュウママが取り上げ、どこかのジジババが育てる。この島のジジババは元気だ。レモン畑や食品加工場や飲食店などで働いている。乳飲み子を背負っているジジババも、よく見かける。働く子どももよく見かける。学校が終わると、大人たちにまじって仕事をしている。嫌々やっているのではなく、目を輝かせてやっている。一人前に扱われるのが嬉しいようだ。平日はガラガラの光山寺だが、土日になると観光客が殺到する。大きな池全体が蓮の葉でおおわれていて、大輪の花が咲いていた。蓮の花を撮影する人や、ぼんやり眺める人、スマホで記念撮影する人たちが池の周りに集まっていた。私も蓮の花を撮影してブログにアップした。蓮島には、カラオケ屋もなければおしゃれなバーもない。最先端のバーチャルリアリティのプレイランドもないし、高級ブランド服のショップもない。高級バックや服を見せびらかすような場所もない。都会の暮らしに憧れた若者はこの島を捨てて出ていく。高校は尾道や福山、三原へと出ていく。大学へ進む人は都会へ行く。高校を卒業して約半数が島に戻るようだ。若者たちが島から流出するのは寂しいことだが、夢や目標を持って若い人たちが頑張ることを否定するわけにはいかないだろう。オリュウママは「若者たちをこの島に縛りつけることはできんじゃろう。魂は常に自由を求めるけえね」と言う。場所には力があり、その力が磁石のように人間を引き寄せ集める。そして蓮島には、人を引き寄せる磁力があるので、蓮島の人口は変わらないのだという。「場所の磁力を上げるためには、そこに住む人たちが人の幸せを祈り、その場所を愛であふれさせること。そうすれば聖人が集まり善神がやってくるけんね」このオリュウママの言葉をブログに掲載した。すると「オリュウママ、最高です。ありがとうございます」とか「人の幸せを祈ります」とか「感謝です」といったコメントがついた。しかし「そんなキレイごと、クソだよ!」というコメントがあり、私の心を暗くした。アカウント名は「糞ネズミ」とあった。ネット上には、こうしたネガティブな言葉で ブログを荒らす輩がいるものだ。気にしなくていい。だが、ついつい気になってしかたかなかった。「ウチの会社は、人の悪口と怨みばかり。だから、悪人が集まり、鬼神がやってくるってことか、ふざけんな!」糞ネズミさんから、そんな直メッセージがやってきた。返事をするべきか、無視するべきか? 悩んだすえ「もしかしてブラック企業にお勤めですか?」というメッセージを送った。それに対する返事は来なかった。平日の午後、テレビでおなじみの大物司会者が蓮島にやって来た。全国各地をブラブラ歩きするという番組の収録だった。サングラスをかけた大物司会者は、船着場から光山寺までの道のりをブラブラと歩きながら、土産物屋のミチヨバアバや、酒屋の娘のサーヤらと談笑した。ゲストやアシスタント、カメラクルーなど総勢一〇名ほどのテレビ関係者らに、地元の若者や子どもたちがキャッキャと騒ぎながらついて歩いた。レモン農家のマサルが頻繁にオリュウママの家へやってきた。畑仕事を終えた夕方になると、酒やらつまみやらを持ってくる。そして遠慮なしに私の顔をジロジロと見つめるのだ。目当ては私らしい。土日になると、悩める女子たちがオリュウママを求めて日本全国からやってくる。なかには、一泊する人もいて、そのなかに若い美女がいると、マサルは目を輝かせてその女子を見つめる。要は、女なら誰でもいい、盛りのついた猫のような男なのだ。でも、気持ちのいいほどキビキビと働く。「マサル、空いた皿を下げて洗っておいで」「このべっぴんさんを船着場まで車で送っておいで」「ナオトのオジのところへ行って、何か魚をもらっておいで」とオリュウママの命令を嬉々として引き受けた。マサルは盛りのついた好青年だった。蓮島で生まれた者はみな、誰が自分の父親か知らない。マサルも自分の父親が誰なのかを知らずに大きくなった。兄弟三人と母親とで暮らしている。父親らしき男も一緒に住んでいるが、すぐに出ていき、また、新しい父親がやってくる。一番長く住んでいた父親は三年だった。マサルはそのことを何とも思っていない。この島では普通のことだ。「島の男たちは、みんな父親みたいに接してくれるけえね。誰がワシの父親かって、一人に絞り込むよりも、みんな父親じゃと思うほうが楽しいし、得じゃが。正月にはみんなお年玉くれよるけえね」マサルはそう言って笑う。島の者たちはどこかでみんなつながっていた。結縁関係のある親戚だったり、母親が性交渉を持った関係だったり。所帯を持つ男女もいるが、籍を入れないことが多い。所帯を持って一年もすれば夫も妻も他の人と性交渉を持ってしまい、父親が誰かわからない子どもを産む。喧嘩して別れる夫婦もあるが、そのまま仲良くする夫婦もある。ただ「相手の幸せを祈る」という文化だけは根づいているようだ。マサルは食事するとき手を合わせて「この恵みを与えてくれたすべての人の幸せを祈ります」と感謝の言葉を言ってから箸を動かす。神社やお地蔵さんを見つけると必ずマサルは手を合わせて誰かの幸せを祈る。私が一緒いると「アメコさんが幸せになりますように」と手を合わせる。神社やお地蔵さんに手を合わせている人をいたるところで見かける。ジジババや若者、子どもたちも、ちゃんと自転車を降りて手を合わせている。もちろん、素通りする人もいるが、大半の島人は「人の幸せを祈る」ことが日常のなかに溶け込んでいるようだった。オリュウママも、訪れた人には、必ず「人の幸せを祈りんさい」と教えている。「スケベなことは、いくらやってもええけど、相手の幸せを祈りんさい」この島が愛にあふれているのは、そのおかげなんだろうなと思った。結婚してもしなくてもいい。結婚したとしても、夫婦は自由に恋愛する。そして、子どもができたら産む。子育てはジジババが中心に取り組み、父親も母親も自由に会うし自由に子どもを可愛がる。結婚も出産も、都会では考えられないほどハードルが低い。それでも、大した争いも起こらず人びとがイキイキと生活できているのは、「人の幸せを祈る」という文化があるからだろう。私も島の人を真似て、神社で祈ってみた。手を合わせたとき、いったい、誰の幸せを祈ればいいのかと困惑した。誰だ? 誰でもいい。いま世話している乳飲み子の幸せを祈るか? それともオリュウママの幸せを祈るか? 亡くなった父親か? 弟か? 私のことを厳しく叱ってばかりの母親か?母親の顔を思い浮かべたとき、涙がこみ上げてきた。ふと、そのとき、後ろに人の気配がした。振り返るとマサルが笑顔で立っていた。そして、私をしっかりと抱きしめ、唇を重ねた。一瞬戸惑い、拒否したが、マサルの温かい氣エネルギーに包まれ、私はそれを受け入れた。マサルは私の乳房をまさぐる。ヤシロの階段に腰かけて、マサルは私を自分の膝の上に乗せた。後ろから私の乳房を鷲づかみにする。私の首すじから耳たぶにかけてマサルの熱い吐息がかかる。「好きじゃ、好きじゃ。この日を夢見とった」マサルは興奮気味に言った。マサルの指が私の体の下の方へと伸びていく。マサルの指は、スカートの下に迷い込んだ小虫のように、チョロチョロとよく動き、恥ずかしい部分へと侵入してきた。私の割れ目からは愛液があふれていた。一人で慰めたことは何度もあるが、いままでこれほど濡れたことはなかった。マサルが私のパンティをずらすとき、チョコっと尻を浮かせてあげた。するりとパンティはお尻をすり抜けていく。そして、マサルのいきり立った硬いものが私のなかへ入ってきた。不思議なことに痛みは感じなかった。処女膜の破れる音はしなかった。女の喜びも快感もなかった。セックスって、こんなものなのかと思った。ことが終わったあと、マサルは私をギュウッと抱きしめて「べっぴんさんの幸せを祈るけえね」と耳元で囁いた。

      15
      テーマ:
  • 17Nov
    • 小説・第9話、この子の父親は誰?

      ※これはスピリチュアル夫婦で考えた小説です。スピリチュアルに目覚めたキャリア女子が、ブラック企業を辞め、向かった先は、瀬戸内海に浮かぶ神さまの島、「蓮島」この島は、普通とはちょっと違う世界だった。■この子の父親は誰?スマホで、蓮島の求人情報を検索してみた。レモンや小魚の食品加工工場の仕事や、観光客相手の飲食店、釣り宿の仕事などがあった。経済的に豊かな島のようだ。この島に永住するという選択肢もあるなと思った。こちらでの就職を決めて、東京のアパートを引き払い、こちらに引っ越そうかと本気で考えてみた。ただ、それが、オリュウママの言う「魂が一番喜ぶこと」なのかどうか、私にはわからなかった。いや、工場で働くことも、飲食店や釣り宿で働くことも、たぶん、私の魂が喜ぶことではないだろう。三日目の夜、九時ごろだ。泣き叫びながら男がオリュウママの家にやってきた。「カヨコ! カヨコ!」と、まるで北朝鮮の将軍さまが亡くなったときの平壌市民みたいな泣きようだった。奥さんが急死して泣いているのかと思ったが、そうではなかった。「どうした、ケンタロウ」オリュウママは、我が子のように、ヨシヨシと背中をさする。ケンタロウは、二〇代後半だろうか、小麦色の肌には艶があり、若々しい輝きがあった。「カヨさんが、今夜っていうから行ってみたら、ナオトのオジとまぐわとったんじゃ」「ヨシヨシ、ようわかった。ま、酒でも飲んで、落ち着きんさい」オリュウママは、そう言って、ケンタロウをハグする。ケンタロウは、「カヨコ! カヨコ!」と叫ぶのだが、その声はしだいに小さくなっていった。「アメコさんや、台所に一升瓶があるけぇ。湯のみを三つと持ってきてくれんね?」「はい」私は、言われた通り、一升瓶と湯のみを持ってきた。「ケンタロウ、ワシらも付き合うけぇ。一緒に飲もうじゃ」「うん」ケンタロウは、ヒクヒクとしゃくりあげながらコクリとうなずいた。オリュウママは、ケンタロウの湯のみに、冷酒をそそぐ。「まずは、一気に飲みんさい」オリュウママにそう言われ、ケンタロウは一気に酒をあおった。「おお、見事じゃ! ケンタロウは男ん子じゃのう!」オリュウママがそう褒めると、ケンタロウは、上機嫌になる。オリュウママは、台所へ行き、蛸の丸干しを持ってくる。それを調理バサミで小さく切り、ケンタロウに「ほれ」と渡す。オリュウママの家には乳飲み子の男女がいるのだが、女の子のほうが起きたみたいだ。「ビャン、ビャアン」という小さな声が聞こえた。私は奥の部屋へいき、オシメを仕替え、乳飲み子を抱いて居間に戻った。ケンタロウは、さっきまで泣き叫んでいたのが嘘みたいに笑っていた。私は乳飲み子をオリュウママに預け、台所へ行って粉ミルクを作り哺乳瓶に入れて戻った。ケンタロウは泣いていた。「カヨコ! カヨコ!」と叫ぶ。さっきまで笑っていたのに、どうしたというのか?私は乳飲み子にミルクを与えながら、オリュウママの話を聞いた。オリュウママが言うには、カヨコという女性がいて、若い男たちの憧れのマドンナになっているというのだ。年は四〇だが、色白でグラマーで色気ムンムンで、三〇前後に見えるとのこと。さらに、経験豊富なので、布団のなかでいろんなテクニックを使って男たちをメロメロにするのだ。「カヨコの魅力に取り憑かれてこの島に住み着いた観光客もいるんじゃけぇ」ケンタロウは、オリュウママの言葉を聞くと一層大きな声で泣く。「ワシはカヨコに嫌われてしもうたんじゃ。やっと今夜できると思うたのに、ナオトのオジとかち合うてしもうた。ワシぁ、もう、終わりじゃ」「まあ、まあ、飲みんさい」オリュウママは、ケンタロウに酒をつぎ「あんたも、飲みんさい」と私にも酒をついだ。乳飲み子はいつの間にか眠っていた。私は乳飲み子を腕から下ろし、湯のみを持って酒を受けた。一口含んでみると、口のなかに甘い香りが広がる。喉から胸にかけて熱いものが降りていくのが感じられた。「ケンタロウや。ワシが、何度も言うとるじゃろうが」「うん」「スケベなことはいくらやってもええ。子どももいっぱい作ればええ。じゃけど、相手の幸せを祈ることは、絶対に忘れちゃいけんで」「忘れとらんけぇ」「いんやあ、おめえは、忘れとる!」「なしてじゃ」「おめえがおなごにモテんのは、そこじゃ。自分のことしか考えとらんじゃねえか。ナオトのオジとカヨコがまぐわっとるとこ見て、ムカついたんじゃろ?」「おうよ」「なんで、ムカついたんじゃ? カヨコを自分のものにしたいからじゃねえか? 自分だけのものにして、誰にもやりたくないと思ったんじゃねえか?」「おなごを自分のものにするために結婚ちゅう制度があるんじゃねえんか?」「おめえはカヨコと結婚したんか?」「まだ籍は入れとらんけど、ワシが結婚しようと言うたら、カヨコはええよ、て言うたど」「そういうことで、カヨコを縛りつけようと考えるおめえの性根がおめえを苦しめとるんじゃ。それがわからんのか?」「わからん!」ケンタロウは拳を目にこすりつけて涙をぬぐう。「ナオトのオジも、カヨコも自由じゃ。誰とスケベなことしてもええがの。子どもができたら島の宝じゃ。みんなで力を合わせて育てる。そこの乳飲み子もカヨコの子じゃ」「この子がか?」ケンタロウはしげしげと乳飲み子を見下ろす。「ええか? 人の幸せを祈るんで! カヨコが幸せになるんが一番じゃろ。カヨコは早くに両親を亡くしてずっと一人で生きてきたんじゃ。いまじゃ、子どもが四人いて、この子で五人目じゃ」オリュウママはそう言って私の横の乳飲み子に視線を向ける。「カヨコやこの子らが幸せに生きていくことを祈ってやりんさい。そうすりゃ、ケンタロウも幸せになるがの」「この子の父親は誰なんじゃ?」ケンタロウはオリュウママにつかみかかりそうな勢いで言った。「父親が誰かなんて、誰にもわからん。カヨコもわからんというとる」「そりゃ、どういうことじゃ?」「カヨコは毎晩違う男とやっとるけんのう。カヨコにもわからんのよ」「そういう女のことを世間じゃ淫乱っていうんじゃねえんか?」「この島じゃ、聖母というんじゃ!」「なんじゃ、そりゃ!」「ただ一つ言えるのは、母親はカヨコじゃちゅうことだけじゃ」「そんなことでええんか?」「何か問題でもあるか?」「そんなんで、子どもは納得するもんか?」「おめえは、どうじゃ? おめえの父親は、大阪に出ていったきり、帰ってこんがの。おめえの小さいころは、島のジジババらで世話したんじゃがの。おめえに漁師の仕事を教えて、自分の船が持てるようにしたんは、ナオトのオジじゃろうが。ナオトのオジは、おめえのオカンともやっとるし、カヨコとも、ミチコとも、サーヤともできとるど。そんなもん、島の男たちは、誰とでもやるし、女たちも誰とでもやる。なんか、問題でもあるか?」「ある!」「何の問題がある?」「愛のあるスケベじゃないがの?」「ナオトのオジには、愛がないというんか?」「ない!」「じゃあ、おめえにはあるんか?」「ある!」「相手の幸せをを祈ることもせず、自分の所有物にしようと考えることが愛なんか?」「それが、愛じゃ!」「そんなん、愛と違うど!」「違うかい!」ケンタロウは、湯のみをドンと畳に叩きつけて立ち上がった。「もう、知らん!」と言ってケンタロウは外へ出て行った。

      13
      テーマ:
  • 16Nov
    • ストレスを100分の1に軽減する方法

      ほとんどの病気も悩みも、ストレスからきます。実際、原因不明の病気で医者にかかると、お医者さまは、「おそらくストレスが原因でしょう」といいます。夫婦喧嘩もそうです。多くはストレスが原因です。夫が浮気してるかもしれないと考えると、そのストレスが原因で、奥さんは夜も眠れなくなり、イライラして、怒りに支配され、呼吸は乱れ、血圧も上がる。自律神経がおかしくなり、精神か肉体がいずれ崩れていくわけです。しかし、そうしたストレスは、どこからくるのでしょうか?夫が浮気をしたことがストレスを生むのでしょうか?では、この抽象画を見てください。これはジャクソン・ポロックの絵です。ニューヨークのオークションで、224億円で落札されています。これは漫画みたいですが、れっきとした芸術作品です。ロイ・リキテンシュタインの作品で、170億円で落札されています。このスカート柄みたいな絵は、ピエト・モンドリアンの作品で、50億円。いまでは、100億は下らないでしょう!こうした芸術作品は、見る人の解釈でいかようにも価値が生まれます。要は、解釈なんです。単なる落書きだと思うと、1円の価値もありません。新しい歴史を拓いた革命的な芸術だと解釈すれば、何億円という価値が創造されるわけです。人生も同じです。すべては解釈です。夫の浮気をどう解釈するか、ブラック企業に勤めていることをどう解釈するか、愛のない両親に育てられたことをどう解釈するか、その解釈が、ストレスを発生させたり、喜びと成長を促したりします。つまり、ストレスとは、出来事が起こすのではなく、その人の解釈が起こすのです。ストレスを感じて精神や肉体を病気させるかどうかは、あなたが、出来事に対して、どんな解釈を選択するかなのです。

      9
      テーマ:
  • 13Nov
    • 小説、第8話・ここは神さまの島なのか?

      ※これは、スピリチュアル夫婦が2人で考えた小説です。スピリチュアルに目覚めた30代キャリア女子が、ブラック企業を辞めてしまう。そして、カリスマチャネラーの住む瀬戸内海の島へとやってくる。だが、その島は、キャリア女子が、いままで住んでいた世界とは、まったく違っていた。■ここは神の島なの?高速艇が速度を落とし桟橋に着いた。船の舳先からロープが投げられ、それを桟橋側の男が杭に巻きつける。子どもらが、わぁいと寄ってくる。男の子が二人に女の子が三人、ひと組は手をつないでいる。「お前ら、危ないけぇ、あっち、行っとれ!」桟橋側の男が子どもらに言い、一人の男の子頭に手を当ててくしゃくしゃにする。「戦国王のカード、買うけぇ、お金」と男のが手を差し出す。男は「しょうがないのう」と言って、小銭を渡す。なんだ、父親なのか、と思った。ところが、その男の子は、高速艇から降りてきた男客からも、馴れ馴れしくお金をもらっていた。男たちの年齢は同じくらいで、どちらもその男の子の父親だとしても不思議ではない。まさか、二人が父親なわけがない。どちらかが父親で、一方は叔父さんかなにかだろう。見ると、他の子どもらも、高速艇から降りてきた男客たちから、お小遣いをもらっていた。男たちは、快く金を与え、まるで自分が父親であるかのように頭を撫でたり、頰を両手で包んだりして慈しんだ。ほんの微妙な感覚だが、奇妙な光景だなと思った。私はキャリーバッグを転がして船着場の待合室に入った。切符の自動販売機と小さな土産物売り場、そして二〇人ほどが座れるベンチがあり、その隅の飲料用の自動販売機に小銭を入れて天然水を買った。天然水を飲みながら、私は、スマホのグーグルマップを開いてオリュウママの家の場所を確認した。歩くのには遠そうだった。レンタルサイクルでも頼むかなと思った。車は走っていたが、タクシーはなさそうだった。それほど大きな島ではない。人口は千人にも満たない島だ。漁業と農業と観光で成り立っていた。蛸の丸干しとレモンがこの島の名産だ。明治期にレモンが日本へやってくる前、この島はセトタチバナで有名だった。古事記の時代からタチバナ(橘)は、不老不死や永遠の命の象徴として重宝されたのだが、酸味が強いことから食用には適さなかった。ところが、江戸時代にこの島に知恵者がいて、古今和歌集に、こんな歌があるのを見つけた。「五月待つ花橘の香をかげば昔の人の袖の香ぞする」そこで、セトタチバナを香料として売り出すことにした。これが上方や江戸でバカ売れした。さらに、当時最先端だったガラスで小瓶を作り、そこにセトタチバナの原液を詰めて調味料として売り出した。セトタチバナの酸味が天ぷらや焼き物にかけるとおいしくなるという評判がたちバカ売れとなった。お酒に二、三滴垂らすと風味が増す。当時はまだビタミンという栄養素は発見されていないのでセトタチバナに豊富に含まれるビタミンCの存在はわからなかった。だが、壊血病に苦しみ死者も多くだしていた遠洋に出かける船乗りたちは、セトタチバナの調味料がいかに命を守るかを知っていた。タチバナのおかげで、この島は豊かになった。儲けたお金で、知恵者はそれまで誰も見たこともないような庭園を作った。この島の一番高い山をまるごと改造し、そこにこの世の極楽浄土を出現してみせた。いまでいえば、ディズニーランドだ。そのときの庭園が光山寺として残っていて、その寺がこの島の唯一の観光資源だった。近年では、マリンスポーツのウィンドウサーフィンと魚釣りの客がこの島を訪れてお金を落としてくれる。セトタチバナの栽培は、レモンに代わっていた。セトタチバナよりもビタミンCは豊富で栽培しやすいレモンは安価に提供できる。レモンを使った加工食品も売れている。この島には、加工食品工場もある。蓮島のことはインターネット情報をチェックしていた。この島での働く口は、案外あるかもしれない、と思った。この島は神さまに守られている。神さまに仕える龍神や雷神たちも、この島を守るために、さまざまな形で支援の手を差し伸べているのだろう。尾道で船に乗るときは、海風のなかにどことなく重い氣を感じた。しかし、この島の風は軽く温かい氣が流れているようだった。この氣をしばらく感じていたいと思った。スマホをポケットにしまい待合所を出た。半分残った天然水のペットボトルを左手でブラブラと降りながら、右手でキャリーバックを引っ張った。坂道をあがると、小さな公園があり、そこに東屋がある。東屋の先に、レンタルサイクルの看板があった。坂道の途中で振り返って、瀬戸内海を見下ろした。名前も知らない無人島がいくつかぽっかりと海に浮かんでいる。いまにも動き出しそうな島々だった。深呼吸をした。おいしい空気を胸いっぱいに吸い込んで、両手を広げてみた。気持ちよかった。時間は午後三時、曇り空だが、雨は降りそうにない。しばらく、このあたりを散歩するのも、悪くないなぁと思った。ふと、背中で人の気配がした。さっきから東屋に座っていた人影が、こちらにやってくる。振り返るとそこにオリュウママが立っていた。「さっきの、船で着いたはずやのに、なかなかここを通らんけん、どないしたんかと思いましたで」小柄で瘦せぎすのオリュウママは、首の筋を立ててケケケっと笑った。「オリュウママ、なんで?」「あんたが、ここへ来るっていうのは、前からわかってましたで。あんたの魂とワシの魂はつながってるって言ったじゃろ」「それで、待っていてくれたんですか?」「そうや」「びっくりです」「仕事辞めてきたんじゃろ? ゆっくりしたらええ。もしも、ここが気に入ったら、この島に住んだらええが。ちょうどワシも助手が欲しいなと思うとったんじゃ」そのとき、子どもらの一団が自転車で走って来た。通り過ぎようとしたとき、一人の男の子が「あ、オリュウママだ」といって自転車を降りた。そして、「オリュウママさま、こんにちは」とうやうやしくお辞儀をする。他の子どもらも自転車を降りてオリュウママに向かって「オリュウママさま、こんにちは」とお辞儀をして、また自転車に乗って走り去った。「いい子どもらじゃろ?」「はい」「あの子らも、あの子らを作った親らも、ぜんぶワシが取り上げたけんね。ワシのことを母親よりも、父親よりも、神さまみたいに尊敬しよるんよ。何かあったら、ワシのところへきよる」「すごいですね」子どもらが走り去った方向へオリュウママが歩き出したので、私もついて歩いた。「魂の声に従って生きとったら、自然とそうなるんよ。あんたも、魂の声に導かれてここへ来たんじゃろ?」「はい」「先のことは考えずに、まずは、いまと楽しみんさい」オリュウママは、そう言って、ケケケっと笑った。「それにしても、この島は、子どもが多いですよね。いま、日本は少子高齢化で、限界集落が増加し、維持できない村がいっぱいあるっていうのに、蓮島は、子どもが多くて活気に満ちています。正直、老人しかいない過疎の島をイメージはしていました。この島にいったい何があるんでしょう?」私は、蓮島について感じた疑問をオリュウママにぶつけてみた。すると、オリュウママは、こう言った。「この島は、神さまに守られとるけんね」そこへ軽トラックが走ってきた。その軽トラックをオリュウママが、手をあげて止める。「マサルや、ワシらも、ちょこっと乗せてくれんかね?」マサルと呼ばれた青年は、日に焼けた童顔でニッコリ笑い、作業帽のツバをつまんで位置を直した。「そっちの、べっぴんさんは、どこの人かいね?」「手を出しちゃいけんで、この人は、東京から来られた、偉い人なんじゃけぇね」「偉い人なん?」「チンポ、こすりつけたら、罰が当たるで」「嘘こくなやぁ。チンポ、こすりつけて罰が当たるんじゃったら、この島の男はみんな当たっとるがの」「この人は、特別なんじゃ」「はあ、特別なオマンコ、拝んでみたいのう」「まあ、待っときんさい。時期が来たら、拝ましたるけぇ」「ホンマか?」「ホンマじゃ」オリュウママは目をつむって、うんうんと首を縦に振る。私の操が話題になっていることはわかるが、なぜか不快ではなかった。いままで、これほどまであからさまにセックスの話をするのを聞いたことがなかった。もしも会社でこんな話をしたらセクハラで訴えられるだろう。軽トラックの荷台には、レモンの入ったカゴが山盛りになっていて、農具の上に腰かけている男女がペコリと頭を下げた。中学生くらいの幼い顔つきの男女が、手を握ってハグし合っていた。オリュウママと私は、荷台にのぼり、中学生くらいの男女の隣に座った。それでも、中学生くらいの男女は抱き合うことをやめようとしなかった。私らは何も悪いことしてませんよ、とでも言いたげな堂々とした顔つきで女の子が私と視線を合わせてきた。私はスッと視線を外した。私はオリュウママに目をもって「これは、どういうこと?」と尋ねた。オリュウママは、穏やかな目で答えた。その目は「神さまが守ってくれとる島じゃけん」とでも言っているようだった。この島はいったいどうなっているのだろう? これは神さまの島なのだろうか?オリュウママの家の前で軽トラックが止まる。中学生くらいの男女は、あいかわらず抱き合っている。見つめあってキスをする。私は見てはいけないものを見ないようにするのだが、どうしても視界の端に入ってしまう。「降りるよ」オリュウママが私の肩をつつく。「ええ」私は中学生くらいの男女に気を取られていた自分に気づいて我に返る。オリュウママは軽トラックの荷台から降りて、運転手にお礼を言う。「マサル、スケベなことはいくらやってもええけど、相手の幸せをちゃんと祈るんやで。そうせんと、生まれた子が、あんたを殺しにくるけんね」「おお、わかっとるがの」マサルは、へへへと頭をかき「ほんじゃ、べっぴんさん、またな」と私に向かって手を振り、軽トラックを発進させた。「ここがワシのウチじゃ。遠慮せんと、何日でも、好きなだけ泊まっていったらええ。そのつもりで、来たんじゃろ?」「ええ、まあ」オリュウママは、ガラガラと玄関の戸を開けて「ただいま」と言った。そして、私のほうに振り返って、「でも、家事手伝いは、やってもらうで」と言い、目に力を入れて私を見た。「もちろんです」「うん」奥の部屋から「おかえりなさい」という女の声が聞こえた。「どうじゃ? おっぱい出るようになったか?」「ええ」オリュウママが奥の部屋の襖を開けると、二〇代のぽっちゃりとした妊婦が乳飲み子におっぱいをあげていた。その横に、もう一人、乳飲み子が眠っている。少し離れたところに一歳前後の子どもがほふく前進しながら黒い大きな柱を目指していた。ん? この妊婦は、三人の赤ちゃんの母親なのか? 人間が一年の間に二人の赤ちゃんが産めるわけがない。おっぱいをあげてる赤ちゃんが、この妊婦の子どもで、あとは預かっているだけかもしれない。そんなことを思ってしまった。オリュウママは、妊婦の顎をつまんで、首を動かし右と左の頬を検分した。そして、妊婦の乳房を触ってみる。「うん。大丈夫なようだね」オリュウママは、土間に立っている私に向かって「この妊婦はミチコ」そしてミチコに向かって「このべっぴんさんは、雨子さんじゃ」と二人を紹介してくれた。「よろしく」ミチコはおっぱいを吸っている乳飲み子を抱いたまま、私に向かって頭を下げた。どこか、焦点の合わない視線だった。ニヤニヤしていて、頭のあったかい人なのかなぁと思った。そこへ、小学校一年生くらいの男の子が入ってきた。「オカ〜ン、おばあちゃんが呼んどる!」元気のいい大きな声だった。「あらまぁ、なんじゃろ?」とフワフワした声で言いながら、ミチコは、小学校一年生くらいの男の子と一緒に出て行った。さっきまでおっぱいを飲んでいた乳飲み子は毛布の上で手足をうううんと伸ばしていた。赤ん坊はすべて、ミチコさんの子どもじゃなかったんだと思った。「風呂でも入るか? ちょっと用意してくるけぇ。子どもら、みといてくれ」オリュウママは、薄暗い廊下の奥へと消えて行った。その日の夜、老婆がハイハイのできる一歳前後の子どもを引き取りにきた。老婆はお礼にと言って大きなヒラメを置いていった。オリュウママは、そのヒラメを刺身にしてくれた。骨は油でカリカリに揚げてせんべいにした。私が風呂からあがると、それらが食卓に並んでいて、オリュウママは、先に冷酒を飲んでいた。二人の赤ん坊は、幸せそうに眠っていた。私は、こうしてオリュウママの家にお世話になることになった。オリュウママから、赤ん坊のオシメの替え方や、あやし方などを教わった。私の最初の仕事は、この二人の赤ん坊のお世話なんだなと思った。ただ、いつまでも、オリュウママのお世話になるわけにもいかないだろう。「好きなだけいていいんだよ」とオリュウママは言うが、いつまでも甘えているわけにはいかない。自分のことは自分でなんとかしなきゃいけないし、今後の生きる道を見つけなければいけないのだ。オリュウママは「自分の魂が一番喜ぶことを見つけて、それをすればいい」と言う。朝晩の瞑想で「魂が一番喜ぶことはなにか?」と尋ねるのだが、魂の声は聞こえなかった。瞑想時に浮かんでくるイメージは、アルゼンチンタンゴの激しいダンスを私が踊っている姿だった。長身でハンサムなラテン系男の脚と私の脚がからみつき、私のワギナを刺激する。胸と胸が強くぶつかり汗と汗が交わる。なんとエロチックなんだろう。私は、瞑想しながら、そんな陶酔感に浸るのだった。

      23
      テーマ:
  • 12Nov
    • 小説・第7話 2千年前のハスが何を語るのか?

      これは、スピリチュアル夫婦が2人で考えた小説です。スピリチュアルに目覚めたキャリア女子が、「魂がやりたくないと言っているので」と言って、ブラック企業を辞めてしまいます。魂の声に従って会社を辞めてみたものの、生活はどうするのか?将来の不安がでてくるのでした〜〜■二千年前のハスが何を語るのか?再就職先を探す気になれなかった。正社員の道はほぼないだろう。契約社員にしても、フリーライターにしても、アポイントを取って、面接に行き、そこで嫌な空気を感じてしまう。心地よい氣を感じる会社は皆無だった。いままで、三〇社以上も面接に行ったが、なかった。魂が感じた嫌な氣を無視して仕事につくことはできる。しかし、それでは決して幸せにはなれない。魂は、幸せになるためのナビゲーションシステムを内蔵しているのだ。ナビの指示を無視すると、道に迷い、目的地へはいつまでたってもたどり着けないのだ。六月のよく晴れた日だった。昨日は一日中、雨が降った。雨上がりの晴れた日は、爽やかな光が降り注いでいた。母親からこんなメールが届いていた。「お父さんが亡くなって、財産分与をしなきゃいけないんだけど、実家や土地はいずれマナブのものになるんだから、あなたには、お金を渡そうと思うんだけど、それでいいでしょ」なるほど、父親が死ぬと財産がもらえるのか、と思った。これでしばらく、働かなくてもいいんだ、という考えが浮かんだが、すぐに、でも、いつまでもブラブラしているわけにはいかない、すぐにでも次の仕事を見つけなきゃ、という考えが浮かび、前の考えを打ち消してしまった。「ふう。やれやれ」声にだしてため息をついた。一人の部屋を眺めた。殺風景なワンルームだ。足つきマットレスが部屋の大半を占めている。テレビや本棚の周囲には、貼り紙やら、ぬいぐるみやら、チラシやらが乱雑な氣を発散している。私は、チラシや貼り紙などの乱雑なものを捨てて、部屋をスッキリさせた。ベッドに寝転がって、氣の流れを感じることに意識を集中させてみた。うん、爽やかだ、と思った。自転車に乗って、多摩川の土手をのんびりと走った。どこかの大学の駅伝部の一群が私を追い越して行った。早いなぁ、と思った。府中郷土の森公園のベンチに座った。自動販売機で水を買って飲んだ。そろそろ、大賀蓮が咲く季節だなと思った。この公園には、大賀一郎の銅像と、大賀蓮の咲く池がある。大賀蓮というのは、二千年以上も前の古代蓮のことだ。一九五一年に千葉の落合遺跡で古代蓮のタネが発見された。それを植物学者で蓮の権威である大賀博士が、府中の自宅で発芽育成に成功したのだ。そのことは、海外メディアでも取り上げられた。週刊誌『ライフ』では、「世界最古の花。生命の復活」という見出しがついた。大賀博士の銅像をはじめて見たときは、なんか小さいなぁという印象しかなかった。大賀蓮は他の蓮と変わらぬようだが、「世界最古の花」かと思うと特別な花に見えてくるから不思議だ。人間の視覚は与えられた情報や先入観で認識が大きく変わるらしい。大賀蓮は、花をつけていたが、まだ開いてはいなかった。大きなお盆のような葉が、池に浮かんでいて、その上をモンシロチョウがヒラヒラと飛んでいた。わずかな風が吹いて、私の鼻先をくすぐった。私は、こらえきれずに小さくクシャミをする。モンシロチョウの羽根が起こした風がここまでやってきたのかと思ったが、まさか、そんなことはあるはずがないと思った。蓮の花は、水が汚なけれ汚ないほど、キレイな花を咲かせる。そして、花と実が同時にできる珍しい植物だ。たしか、そんなことをテーマにした映画があったなぁと、ぼんやり思った。歌手のティナ・ターナーの半生を映画化したものだったはず。タイトルはなんだったけ?あの映画のなかにこんな言葉があった。「愛は、傷だらけ!」「蓮の花は、泥が深ければ深いほど美しく咲く!」なぜ、ティナ・ターナーの半生に蓮の花が出てくるのかわからなかった。映画のなかでも、たしか、蓮の花は出てこないし、蓮池も出てこなかった。ティナ・ターナーが蓮を好きだというセリフもなかったはず。だから、よけいに蓮の花が気になった。蓮の花にどんな意味があるんだろうと思って調べてみたら、府中の大賀蓮にたどり着いたというわけだ。風が吹いた。モンシロチョウが起こしたようなわずかなそよ風だった。そのとき、ふと、メッセージが降りてきた。魂の声だと思った。「蓮島へ行け!」蓮島といえば、オリュウママが住んでいる瀬戸内海の島だ。蓮の花が言っているようだった。「蓮島へ行け」というインスピレーションが浮かんだとき、即座にオリュウママに会いたいと思った。オリュウママは、半年前に取材したチャネラーだ。チャネラーといっても、オリュウママは、死んだ人の声が聞こえたり、宇宙人と交信したりするチャネラーではない。オリュウママは、生きているすべての人の魂と交信できる能力を持っていた。だから、オリュウママはスマホを持っていなかった。自宅電話もなかった。「すべての魂はつながっているんやんか。電話など必要ないんちゃう」オリュウママは関西弁なのか、広島弁なのかわからないような方言で言った。オリュウママにどうやって連絡すればいいのか?半年前に取材したときは、大阪のカウンセラー学校が主催するセミナーの講師として東京へやってきたのだ。そのカウンセラー学校は、オリュウママの知名度を利用して、多くの入学者を獲得し、東京校をオープンさせた。エディターズネットは、パンフレットやホームページ、PR誌の制作を請け負った。担当が私だった。オリュウママは、お笑い芸人のような陽気なおばちゃんだった。有名なチャネラーだから、周囲を圧倒するようなオーラとカリスマ性を持っているのかと思ったが、威厳などはまったくなかった。人懐っこくて、近寄りやすく、つい油断してため口をききそうになるほどだった。オリュウママは、蓮島の漁師の娘として生まれ、蓮島で育った。中学生のとき友人の出産に立ち会い、助産師になる道へ進んだ。そのころから、生まれてくる赤ちゃんの魂の声が聞こえるようになった。「ボク、前の人生では、貧乏だったから、今度は金持ちの人生を送ってみたい」「私は、前の人生で泳ぎ方を習ったの。今度の人生では、もっと泳ぎを極めてみたい」「前世では権力者だった。人を許せなくて、人を信用できなくて、殺戮を繰り返した。今世では、人を許し、人を信用することを学びたい」そんな声が聞こえるのだという。人はそれぞれ、人生の目的を持って生まれてくる。その目的を達成するために必要な環境を選んで生まれてくる。親や国、地域など、魂が選んで生まれてくるのだ。人を許すことを学ぶために生まれてきた子どもは、とうてい許すことのできないようなことをする親を選ぶ。子どもを虐待したり、捨てたりする親だ。その親の魂も、生まれる前に「誰かボクを虐待してくれる人、いないかなぁ?」と子どもの魂が呼びかけているのに、「はい。私が、その役をひきうけるよ」と言って手をあげた魂なのだ。「ありがとう。君のおかげで、ボクは人を許すことを学べるよ」と堅い約束をしてこの世にやってきたのだ。オリュウママは、そんなことをセミナーで話していた。オリュウママは、助産師になり、蓮島で何千人もの子どもをとりあげた。オリュウママの診療所兼自宅の裏山に、「龍が岩」という龍の形をした奇岩がある。それで、いつしか、島の人たちは「オリュウママ」と言うようになった。オリュウママは独身で、自分の子どもはいない。しかし、とりあげた子どもたちが、「マンマ! マンマ!」とやってくるのだ。子どもたちにオリュウママは、何のために生まれてきたのか、人生の目的を思い出すように導くのだった。そうだ! 人生の目的だ!オリュウママに会うと、私が何のために生まれてきたのかがわかるような気がした。オリュウママに会いに行こう!スマホのなかに、カウンセリング学校の窓口だった人のケータイ番号が入っている。さっそく電話してみた。ケータイを耳にあて、蓮池に視線を向ける。閉じていたはずの大賀蓮の花が開いていた。ピンク色から白にグラデーションになった大輪の花が、見事に咲き、そのうえをモンシロチョウがヒラヒラと舞っていた。「あ、もしもし、エディターズネットの色無ですが」「ああ、ご無沙汰でんがな。どない、してはりました?」豪快な声が聞こえてきた。「オリュウママと連絡を取りたいのですが」「オリュウママでっか。あの人と連絡取ろう思ったら、手紙を書くか、蓮島へ行かなあきまへんねや。今日び、電話も持たん人がおるってな、不便なんでっけど、それが、またオリュウママの魅力なんですわ。そやから、みなはん、珍しがって、オリュウママのところに全国から集まってきよる。素晴らしい戦略でんな。ま、オリュウママは、戦略とは思ってないやろけど」「そうなんですか」「オリュウママに、なんぞ、御用でっか? 」「いえ、別に、何でもないんですけど、個人的にお会いしたいなぁと思いまして」「そうでっか。手紙でも、書いたらよろしい」「はい。そうします」私はそう言って電話を切った。手紙を送るよりも、会いに行こうと思った。私は自転車にまたがり、猛スピードでアパートに帰った。そして荷造りした。居ても立っても居られない気がした。明日の朝の新幹線で蓮島へ行こう。広島の福山で新幹線を乗り換え、尾道へ行き、そこから船で一時間の道のりだ。日帰りにはならない気がした。何日間か、滞在することになるだろう。そんな予感がした。蓮島には釣り客や海水浴客が泊まるような民宿が数軒あったはずだ。空室がなかったら野宿でもいい。インターネットで民宿の予約をしようかと思ったが辞めた。なるようになるさ、というインスピレーションが浮かんだからだ。

      13
      テーマ:
  • 11Nov
    • 小説第6話•亡くなった父からのギフトとは?

      ■一人暮らしか実家に戻るか?「実家で暮らしたい」と、母になかな言い出せないまま、父の葬儀が終わった。切り出すタイミングがなかった。告別式の朝、実家で食事したときとか、火葬場で二人がけのソファに母と一緒に座ったりしたとき、切り出すタイミングとしてはよかったのかもしれないが、どうしても言い出せなかった。正直、迷っていた。この母親と一緒に暮らすのかと思うと、胸が苦しくなった。この胸の苦しみは、魂が、「実家に戻るのはやめておけ」と言っているのかもしれない。府中のアパートで一人暮らしを続けるのがいいのかもしれないが、このまま仕事が見つからなかったらどうするのかという、漠然とした不安があった。どうする?どうすればいい?スピリチュアルに目覚めたからといって、そういう迷いがなくなるわけではなかった。朝、私は客間の布団から抜け出して、父のお骨に線香をたむけた。父の遺影が笑っている。若いころの写真だ。どこかの旅行先で撮った写真を引き伸ばしたものだから、かなりぼやけていた。「お父さん、どうすればいい?」心のなかで父に尋ねてみた。「心配するな」という言葉が浮かんできた。心配するなということは、「心配せず実家に戻って来い」ということなのか、それとも「お金のことは心配せず、一人暮らしを続けろ」ということなのか、どちらなんだろう?ふと、朝食を私が作ろう、というアイデアが浮かんだ。私は客間の布団をたたんで押入れにしまった。パジャマを脱ぎ、服を着替えてキッチンに入った。お米をとぎ、炊飯器をセットした。冷蔵庫のなかに、卵と豆腐、味噌、キャベツがあった。味噌汁をつくり、豆腐を小さく切って入れた。キャベツを千切りにし、目玉焼きの皿に盛った。母と弟と私の3人分の食事を用意した。ご飯が炊けたとき、母が起きてきた。「あら、あなたが朝食、用意するのって、生まれてはじめてのことじゃない?」と嫌味を言い、新聞を取りに玄関へ行った。母が新聞を持ってきて、テーブルに座ったとき、弟が起きてきた。「え? これ、姉ちゃんが作ったの? 大丈夫か?」弟は、テーブルに座るなり、テレビのスイッチを入れた。私は、ご飯をよそって母と弟のもとへ運んだ。弟は、さっそく目玉焼きを食べる。母は、味噌汁を口に運ぶ。「まあ、まあね」母は言って、新聞に目を落とした。私は自分のご飯をよそってテーブルに座った。そのとき、弟が、こんなことを言った。「これって、実家に戻りたいっていうアピール?」弟の言葉に母が新聞から目をあげる。そして鋭い視線を私に向ける。私は母の視線を受け止めて「違うわよ」と言った。「でも、次の就職先が見つからないんじゃ。一人暮らしもできないだろ?」「え? どういうこと?」母が割り込んできた。「姉ちゃん、会社辞めちゃったんだよ。魂が辞めろって言ったから」弟はそう言い、笑った。母は私を咎めるような視線を向けて、「魂が辞めろって言った? 嘘でしょ?」と言って、私をまっすぐに見た。私は黙って、お椀を持ち上げ、味噌汁を飲んだ。「どうせ、会社が嫌になって辞めたんでしょ? 情けない! 三九にもなって、結婚もできず、仕事も投げ出して、あなたって人は、どうしようもない!」母は吐き捨てるように言った。私は何も答えずに黙々と目玉焼きを食べた。心のなかは晴れやかだった。これで腹は決まった。実家には戻らない。府中のアパートで一人暮らしをしよう! 母も弟も未熟な魂だ。愛のレベルはマイナス五くらいだろうか。ここで腹を立ててもしょうがない。私は、落ち着いて「これ食べたら、帰るから」と静かに言った。一分一秒でも、ここにいたくなかった。私は、ご飯に手をつけず茶碗をさげた。目玉焼きも残した。味噌汁だけ飲んで食事を終えた。帰る前に父のデスクに座ってみた。縁側の端に机を置いて、その狭いスペースを父は書斎にしていた。英語教師だったせいか、教育関係の本が並んでいる。父のスマートフォンがデスクの上で、自分の存在をアピールしていた。何か、気になった。何だろう。スマホには、それを肌身離さず持っていた人の記憶が残っている。スマホから温かい氣が流れてくるのを感じた。父の魂が私の魂に話しかけているような気がした。充電はまだ残量があった。指が触れると明るくなる。メールボックスを開けると、未送信のまま下書きファイルに入ったものがたくさんあった。宛先は、すべて私だった。「元気でやってるか? たまには、実家に顔を出しなさい」「お父さんは、いつも、雨子のことを思ってるよ。仕事、大変なんじゃないか?」「雨子は、お父さんの自慢の娘だよ。自信を持ってやりなさい!」そんな心温まる父のメッセージだった。私は、一度も、そんなメールをもらったことがなかった。父は、何度も、何度も、娘への思いを書き続け、そのたびに、送らずにいたのである。メール文を読んでいるうちに、涙がこみ上げてきた。父の愛を感じた。小さいころ、ピアノがうまく弾けず、母に殴られたとき、父は、優しく抱きしめてくれた。父は、決して叱らなかった。私が悪いとも、母が悪いとも言わなかった。そんな父の存在があったから、私は生きてこれたのかもしれない。父のことを思うと、涙があふれてきた。

      5
      テーマ:
  • 07Nov
    • 小説、第5話、スピリチュアルに目覚めたキャリア女子

      ■なぜ母親に言い出せないのか?※これは、私たち、スピリチュアル夫婦が、一緒に考えた小説です。スピリチュアルに目覚めたキャリア女子が、ブラック企業を辞めて、どうやって生きるのか?彼女の人生はどうなるのか?仕事を辞めたこと、次の仕事は決まっていないこと、実家で暮らしたいこと。そんなことを母親になかなか切り出せなかった。「やっぱり、あなたはダメね」と自分を否定されるのが怖かった。実家に戻ってくるのも、おそらく反対されるだろう。「三九にもなって結婚していない娘なんて、恥ずかしくてしょうがないわよ。この町じゃ生きていけないわよ」そんなふうに言われるに決まっている。そして、弟と比較されるのだ。弟は中学で英語の先生をしている。三つ年下の可愛い数学教師と婚約していた。名前は絵里と言った。軽い拒食症で骨と皮みたいなほっそりとした体つきをしていた。その細身の体が、黒い喪服に包まれると妖艶な匂いをかもしだすのだ。通夜振る舞いのとき。「絵里さん、これ、お願い」母は、ビールの空き瓶やら、空いた皿やらを、絵里さんに運ばせた。そんなひ弱な体でウチの嫁が務まるわけがない、とでもいうような態度だった。「お母さん、絵里は、まだ、ウチの嫁じゃないんだから」と弟が助け舟を出すが、母は、おかまいなく絵里さんをこき使う。「マナブさん。私なら大丈夫よ」絵里さんは、悲しげな笑みを浮かべて空き皿を盆にのせて厨房へ下がる。母親に自分のことを切り出すチャンスはなかった。葬儀が全部終わってから言うしかないだろう。しかし、自分のなかに、一人暮らしを続けるという選択肢が残っていることも確かだった。母親や弟たちと一緒に実家で暮らすというのは、少し気が滅入る。魂は常に束縛に反抗するようものだ。実家で暮らすということは、自由ではなくなることを意味していた。お金のために自由を犠牲にできるだろうか?たしかに、実家で暮らせば家賃も食費もかからない。失業しても気楽に生きていけるし、次の仕事を探すにしても焦ることはなくなる。いいことだらけだ。しかし、自由さは、ある程度制限される。そもそも嫌な人たちと四六時中一緒にいることになる。血がつながっている家族だが、あの母親は嫌いだ。小さいころから弟と比較され、勉強もお稽古ごとも、すべて私よりもできた弟が、私には疎ましい存在だった。あの二人と一緒に暮らすことをイメージしただけで、息苦しくなる。弟の婚約者の絵里さんは未知数だ。まだ、どんな人間なのかわからない。拒食症になるくらいだから何か大きな闇を抱えているのかもしれない。父が突然死してしまったので、当分、結婚式はあげられないが、年が明けたら一緒に住むという話をしていた。私は通夜振る舞いの二階の部屋から一階に降りた。告別式の式場には、祭壇が飾られ、仏花があふれていt。花につけられた名前札の文字を一つ一つ見て回る。線香の匂いが充満していた。薄暗い部屋に、祭壇のところだけ明かりがついている。父の遺体が入った棺桶が不気味に光って見えた。父の魂はすでに、ここにはいない。水が空気に変わるように、形を変えてどこかをさまよっているはずだ。私は棺桶の小窓を開けて父の死に顔を眺めた。白く化粧がしてあった。いまにも起き出してきそうだった。死は、決して悲しいことではない。悲しいとか、悲しくないとか、それは人間が勝手に決めたことであって、創造主は人間の肉体や物質など、すべてのものを変化するように作っただけだ。その変化を悲しいととらえるか、喜びととらえるか、それだけだ。お父さんが死んだんだなぁ、と思った。冷静に落ち着いた気持ちでそう思った。通夜の客が帰り、母も家へ帰っていった。絵里さんも、帰っていった。弟が葬儀場に泊まって線香の番をすることになった。私は、どうしたものか困惑した。実家に帰って、母と二人きりになるのは気が重かった。告別式を明日に控えたときに、私が仕事を辞めたこととか、実家に戻ってくることなどを切り出すにもどうかと思った。タイミングが悪い。弟は、布団を敷いた横の座テーブルでビールを飲んでいた。アタリメを口にくわえて「姉ちゃんも、どう? 一杯やろうよ」と誘ってくれた。「姉ちゃん、雰囲気、変わったよね」「そう?」私はグラスを両手で持って、弟のビールを受けた。「スッキリしてるよ。どこか晴れ晴れとしてるしね。もしかして、会社、辞めた?」「どうして?」「前々から、残業が多くて体がもたないって言ってたから」「うん。図星よ」「次の会社、決まってるの?」「私、もう、三九だからね。なかなか・・・」「どうすんの?」弟は、ビールを飲み干して、また、グラスに注いだ。私のグラスにもビールを入れる。私は、そこで、「しばらく実家で暮らそうと思ってる」とは、言えなかった。弟は嫌な顔をするだろうと思ったからだ。婚約者の絵里さんがやってくるわけだし、今後は子どもも生まれるだろう。そこに小姑の私がいると、絵里さんの負担が大きくなる。「で、何で辞めちゃったの?」「魂が辞めろって言うから」弟は、ブッとビールを吹き出した。「嘘だろ」弟は私の顔をマジマジと見つめる。「お姉ちゃん、やっぱ、変わったわ・・・オレ、もう、寝る」弟は、そう言って、布団に潜り込んだ。私も、そこに布団を敷いて寝た。

      21
      テーマ:
  • 03Nov
    • ウチのヨメもボクもヒプノセラピストです!

      ウチのヨメもボクもヒプノセラピストなんですよね。ヒプノって、まだまだ日本じゃ、マイナーで、「なに、それ?」って、知らない人が、多いんですよね。ヒプノって、ホントにスゴイ、セラピーなんで、ボクら夫婦で、広めていこうと、思ってます!!もし、よかったら、ヒプノセラピーのこと、学んでみてね。

      21
      テーマ:
  • 31Oct
  • 30Oct
    • ハロインナイト

      ボクの愛する、お嫁さん、愛のエネルギーがあふれています。画像にそれが、あらわれていますでしょうか。写真は、撮る人が、どれだけ被写体を愛しているか、それが、ポイントになると思いますが、いかがでしょうか?

    • 結局、2人でスマホ

      今日は、ボクの誕生日ということで、特別に、横浜の高級ホテルに泊まったんですが、結局、2人とも、スマホでブログ更新してます。もっと、やることあるだろう!って感じですが、、、、夫婦って、こんなもんですよね。

    • 小説、第4話・父親が死ぬことは悲しいことなのか?

      ■父親が死ぬことは悲しいことなのか?※これは小説です。スピリチュアル夫婦が一緒に考えながら書いています。これはスピリチュアルに目覚めた1人のキャリア女子の話である。彼女の唯一の武器は、魂の声が聞こえるということだけだった。母親から電話がくるなんて何年ぶりだろう。五年前に祖母が亡くなったとき以来だ。一時間ほどあれこれ話したが、いまでも覚えている母親のセリフがある。「おばあちゃん、やっと死んでくれた」実家には、祖母と母と父と弟の四人で暮らしていた。祖母と母は長年の確執があり、何かあるともめていた。祖母も母もどちらも気が強くて言い出したら一歩も引かない。祖母が「隣の人が私の鉢植えを盗んだ。取り返しに行ってくれ」と言い張り、母は「隣の人が盗むわけがない。取り返したいのなら、自分で行け」と言い返す。「冷たい嫁だ! 年寄りを邪魔物扱いする!」と祖母が近所で言いふらすものだから、母親のほうも頭に血が上って祖母をなじるようになった。しばらくして、祖母が認知症になり寝たきりの生活をするようになった。高校の音楽教師をしていた母は、仕事を辞めて、祖母の介護をするようになった。そのときも祖母に厳しくあたった。祖母が下着を脱げないで難儀をしていても、「自分のことは、自分でヤンなさいよ!」と手伝おうとしなかった。食事をこぼすと、「こぼしちゃダメでしょ! 自分で片付けなさい!」と激しく責めた。そんな母親からの、五年振りの電話が、父親の死を知らせるものだった。母親の声は冷静だった。「学校で突然倒れて、救急車で運ばれているときに息を引き取ったんだって。突然死ね」まるで人ごとのような冷静さだった。私も冷静に「あ、そう」と答えた。父親は高校の英語教師だ。熱血教師でもなければエリート教師でもない。スポーツクラブの顧問をやっているわけでもなかった。学校の仕事で強烈なストレスを感じていたのだろうか? それとも、家庭のなかでのストレスか?頑健といえるほど体は丈夫なほうではないが、かといって虚弱体質なわけでもない。ただ、コーヒーが好きで一日に何枚も飲んでいた。「身内に不幸があったんだから、会社休めるでしょ。喪服を持って帰ってらっしゃい」「わかった」私の実家は埼玉・川越のさらに先にあった。母屋と離れと蔵のある古い屋敷だった。田んぼや山も所有していたみたいだが、父親の代に売り払っていた。私は、会社を辞めたことは、母親に報告せずに電話を切った。京王線に乗り、府中・分倍河原のアパートに戻った。一週間くらい実家に泊まることになるだろうから、そのぶんの下着や服を化粧道具などをキャリーバッグに詰め込んだ。喪服も入れて、部屋を出た。電車に乗って新宿へ行き、そこで乗り換える。父親が亡くなったことに対する感傷は何もなかった。ああ、死んだんだなと認識しただけだ。そもそも魂はまた肉体を得て生まれてくるのだ。父親の魂もすでにどこかで生まれているかもしれない。そう考えると、死は、肉体がなくなるだけで魂が無になったわけではない。氷が水になり、気体になるのと同じだ、形が変わっただけだ。気体になったものは、またどこかで水になり、氷になる。そのときエネルギーもまた形を変えただけで、その総量は変わらない。エネルギー保存の法則だ。魂が新しい肉体を得るために死ぬのであれば、死は再生を意味している。一度リセットして、新しい人生をはじめられる。そして、新しい経験もできる。むしろ死は喜ばしいことではないか。電車のなかでそんなことを考えていると、ふと、あるアイデアが浮かんだ。しばらく、実家で暮らすというのはどうだろう?このまま就職が決まらず、フリーライターという道もないとなると、どうやって生きていけばいいのか?実家で暮らせば、家賃も食費もいらない。貯金の額からすると猶予期間は一年だったが、実家暮らしなら、それが三年になるかもしれない。部屋はある。祖母が亡くなって母親は駅前のピアノ教室で子供たちにピアノを教えているそうだし、弟も中学の英語教師をしている。そこへ、私が帰ってきて、掃除、洗濯、食事の用意などをするといえば助かるはず。ただ、それを、あの母親が許すかどうかだ。私は、あの母親に厳しく躾けられた。三歳からピアノをスパルタで教わった。うまくできないと頭を殴られた。泣いても許してもらえなかった。「音楽の先生の娘がピアノも弾けないなんて、恥ずかしいでしょ!」と言われた。母親の口癖は「そんなの常識でしょ!」だった。中学のときバレンタインチョコを家で手作りしていたのを母親に見つかって叱られたことがある。「学校の成績が悪いくせに、色気づいてるんじゃないわよ!」「中学生の本分は勉強。そんなの常識でしょ!」高校生になって胸が大きくなり、女の色気が出てきたとき、母親から、こんなふうに釘を刺された。「男と変な関係になったら絶対にダメだからね。まだ子どもを育てられる歳じゃないでしょ」この言葉が、私の胸に突き刺さった。とくに「まだ子どもを育てられる歳じゃない」という考え方は、セックスに対する強烈なブレーキになっただけでなく、結婚や恋愛にもブレーキになった。まるで呪いのような言葉だ。二〇になっても、三〇になっても、まだ子どもを育てられる歳じゃないと思った。経済的にも苦しいし、精神的にも子どもを育てる自信はない。性的エネルギーを発散させて突っ走る気にはなれなかった。交際した男は二人ほどいた。男は私の体を求めてこなかったし、私も求めようとは思わなかった。結婚に関しても「まだ、結婚できる歳じゃない」と思った。どちらからも連絡しなくなり、私の恋愛は二回とも自然に消滅した。だから、私は三九歳で処女だった。処女であることを恥ずかしいと思ったことはないが、ことさらに告知する必要もないと思った。早く処女を捨ててしまいたいという気持ちもなかった。性欲もさほど湧いてこなかった。どこかで私はセックスを汚らわしいものだと思っている。いつからそう思うようになったのかはわからない。おそらく、母親からセックスを忌み嫌うことを学んだのだろう。体のその部分の名称を口にすることは絶対にダメ。セックスのことを考えるだけでも汚らわしい。男の体に触るなんてもってのほか。男の隣に座ったら拳二個ぶんは離れなければいけない。私はそう思っていた。しかし、スピリチュアルに目覚めたいま、それが間違いだったことがよくわかる。経験はないが、きっとセックスは素晴らしいものなのだろう。セックスに対する好奇心は自然なことだし、健全な体を持った若者なら誰もがやってみたいと思うはず。それは決して汚らわしいことではないし、むしろ生命を生み出す神聖な行為だ。なぜセックスが汚らわしいものだということになってしまったのだろう?私は魂に質問してみた。私の魂は、あの世とつながっていて、先人たちの知恵と知識を引き出すことができる。だから、魂に質問すると、必ずベストな答えが返ってくる。家庭というものが、社会のコミュニティと分離されたことが一番の原因だ。その昔、子どもは社会の宝だとしてコミュニティ全体で育てていた。子育ての経験豊富な年長者が子どもを育てて、若者たちは子どもを作った。年長者が子どもを育てたほうがうまくいく。まだ精神的にも子どもな若者が子どもを育てるには無理があある。その点、コミュニティ全体で子どもを育てるという仕組みはうまく機能していた。ところが、コミュニティが崩壊し、家庭が社会から分離すると、子どもを作った者に子育ての責任を負わせるようになった。その結果、子育てが難しくなった。そこから「子どもを育てられる歳になるまで、セックスしちゃダメ」という考え方が生まれた。その考え方が、セックス自体を汚らわしいものにしてしまったのだ。セックスだけでなく、恋愛にもマイナスの考え方を植えつけるようになった。恋愛に溺れて学業をおろそかにするとか、仕事が手につかなくなるとか、恋愛のマイナス面ばかりを強調する考えも出てきた。だから、母が私にセックスは汚らわしいものだと思い込ませたのは、母が悪いわけではない。母も社会全体の集団無意識のなかで「セックスは汚らわしい」という考えに毒されてしまっていたのだ。考えというものは、自分で考え出したように見えて、実は両親や兄弟や社会全体の文化や宗教などの集団無意識によって出来上がっているものなのだ。そう考えると、父親が死んだことが悲しいというのも、集団無意識がつくりあげたものかもしれない。悲しみは喪失感からやってくる。何かを失ったとき人は悲しむ。ペットの犬が亡くなったとき人は悲しむ。冷蔵庫にとっておいたプリンがなくなっていたときも人は悲しむ。悲しみはごく自然な感情だ。悲しんでいけないことはないし、悲しいときは悲しめばいい。だが、悲しみには怒りが内包している。勝手にプリンを食べてしまった犯人に怒り、ペットの犬を連れていってしまった神さまに怒る。悲しみが深いほど怒りも強くなる。それがエスカレートすると人を傷つけ、ときには殺すことになる。だから、悲しみも怒りも危険な感情だとして多くの親たちは禁止する。「悲しんでいいんだよ。怒っていいんだよ」と親に言われて育った子どもは、大人になって悲しいときや怒りが湧いてきたときに健全な感情だと思いうまく表に出すことができる。だから、早めに処理することができる。ところが、「いつまでも悲しんでたら周りに心配かけるよ。やめなさい」「怒りは表に出しちゃダメ。仕返しが一〇倍になって返ってくるよ」と悲しみや怒りを禁止されて育った子どもは、いつまでもその感情を解放できずに内側に溜め込んでしまう。溜め込んでしまった悲しみや怒りが、精神を蝕み肉体や人間性を破壊する。悲しみも怒りも自然な感情だし、湧き起こってきたとしても何も恥ずべきことではないし、いけないことは何もない。しかし「ネガティブな感情は持ってはいけない」という考え方が、よくない結果を生むのはそういう理由からだ。小学校のとき、可愛がっていた猫が死んだ。そのとき母は「いつまでも泣いてはいけません。サッサと勉強しなさい」と私に教えた。父が死んだことで、私のなかに悲しみの感情は湧き上がってこなかった。小さいころから母に叱られながら悲しみの感情を抑圧してきたからかもしれないと思った。あの母親に「仕事を辞めてしまったので、実家に住ませて欲しい」と言ったら、何と言われるだろうか? 考えただけでも胸が苦しくなった。

      4
      テーマ:

プロフィール

結婚&夢全部叶える@愛のミリオネア夫婦!

お住まいの地域:
東京都
自己紹介:
東京・西新宿にオフィスを構えるヒプノセラピスト夫婦です。2人ともヒプノセラピーの資格を持っています。...

続きを見る >

読者になる

「愛のミリオネア」を目指しましょう!
お金持ちになっても、愛する人と楽しい人生を送っていなかったら幸せとはいえません。
逆に、ベストパートナーと楽しく暮らしていたら、ラブパワーがみなぎって、お金も引き寄せられます。


Ameba人気のブログ

Amebaトピックス

    ブログをはじめる

    たくさんの芸能人・有名人が
    書いているAmebaブログを
    無料で簡単にはじめることができます。

    公式トップブロガーへ応募

    多くの方にご紹介したいブログを
    執筆する方を「公式トップブロガー」
    として認定しております。

    芸能人・有名人ブログを開設

    Amebaブログでは、芸能人・有名人ブログを
    ご希望される著名人の方/事務所様を
    随時募集しております。