晩秋の午後の川原。
山間を流れる一級河川、由良川は日本海へそそぐ
北近畿で最大の川だ。
分水嶺は和知町の針葉樹林の深い山。
源流は小さな小さな斜面の湧き水ではないか。
その道路に併走する由良川の中流域で
昼食をしながら、物思いしていた。
あそこで釣りをしている老人のように、
ルアーをのばしていたいなあ。
このままずっと。
紅葉はすでに半分は枯れ、時折吹く風に
落とされそうな脆弱さでゆれている。
落ちる瞬間は見たくない。
落ちそうな枯葉の今が、晩秋の美しさを
映しているのだ。
改めてそう思った。
前月、空想の釣り人をテーマにしたコピーを
書いた。
タイトルを、バーチャルフィッシング?
にした。
恐らく、まだどのメディアにも存在しない
僕の造語だった。
だから語尾に?をつけた。
現実に存在する晩秋の小さな川のほとりで小説を開き、
物語に登場する鱒釣りを自分にダブらせる。
そんな1人の男の姿を書いた。
音楽が似合うとすれば、
RUSHのRibendellか
TreicyChapmanのFastCar だろう。
フィッシャーの横顔のシャドーは
ニビ色で、チャコールのロマンスを奏でる。
コピーはたんたんと、しかし忠実に自己の思いを
綴るように流れる。
大人の女性が読むと、きっと男の刹那に
薄笑いを浮かべるだろう。
それは、こんな文章だ。
<><><><><><><><><><><>
小説の中でクリークの鱒を釣った。
由良川に、釣り糸を垂れる人を時々見かける。獲物より、そこで過ごす時間に幸福を見出す人が多いと聞く。素敵な秋の午後。川原でデッキチェアに座り空想のルアーを垂れる。無数に広がるクリークにニジマスを追う。リチャード・ブローティガンの小説「アメリカの鱒釣り」を読むのは実に20年ぶりだ。新潮文庫、翻訳者は女性だ。原文に沿って、精細な日本語に置き換えられていた。鱒釣りを通した、当時のアメリカの寒村の原風景がテンペラ画のように描かれている。小説の後尾に登場するマヨネーズの章はとても切ない。焼いた鱒にマヨは合うが、過ぎて行く秋のように儚い。というような文脈がある。川面に17時の斜光、小説と同時に釣りは終わった。
<><><><><><><><><>>><>
不思議なもので、今日の川原で物思いの最中に
この文章を思い出していた。
ワード数は400字に限られているので、
いい足りない部分と、改めて書き直したい
文脈が現れ、そして消えた。
今の時点ではもう、思い出せない。
それにしても秋はこの月で終わる。
あと19日と数時間。
体内時計はあい変わらず狂っている。
冬を迎える気など、まだ起こらない。
師走という言葉が加齢を意識させるからだ。
ごめんなさい。
青い春を生きている人には、失礼でした。
冬は赤、緑、白のトリコロールでないと
つまらないもの、ネ。
山間を流れる一級河川、由良川は日本海へそそぐ
北近畿で最大の川だ。
分水嶺は和知町の針葉樹林の深い山。
源流は小さな小さな斜面の湧き水ではないか。
その道路に併走する由良川の中流域で
昼食をしながら、物思いしていた。
あそこで釣りをしている老人のように、
ルアーをのばしていたいなあ。
このままずっと。
紅葉はすでに半分は枯れ、時折吹く風に
落とされそうな脆弱さでゆれている。
落ちる瞬間は見たくない。
落ちそうな枯葉の今が、晩秋の美しさを
映しているのだ。
改めてそう思った。
前月、空想の釣り人をテーマにしたコピーを
書いた。
タイトルを、バーチャルフィッシング?
にした。
恐らく、まだどのメディアにも存在しない
僕の造語だった。
だから語尾に?をつけた。
現実に存在する晩秋の小さな川のほとりで小説を開き、
物語に登場する鱒釣りを自分にダブらせる。
そんな1人の男の姿を書いた。
音楽が似合うとすれば、
RUSHのRibendellか
TreicyChapmanのFastCar だろう。
フィッシャーの横顔のシャドーは
ニビ色で、チャコールのロマンスを奏でる。
コピーはたんたんと、しかし忠実に自己の思いを
綴るように流れる。
大人の女性が読むと、きっと男の刹那に
薄笑いを浮かべるだろう。
それは、こんな文章だ。
<><><><><><><><><><><>
小説の中でクリークの鱒を釣った。
由良川に、釣り糸を垂れる人を時々見かける。獲物より、そこで過ごす時間に幸福を見出す人が多いと聞く。素敵な秋の午後。川原でデッキチェアに座り空想のルアーを垂れる。無数に広がるクリークにニジマスを追う。リチャード・ブローティガンの小説「アメリカの鱒釣り」を読むのは実に20年ぶりだ。新潮文庫、翻訳者は女性だ。原文に沿って、精細な日本語に置き換えられていた。鱒釣りを通した、当時のアメリカの寒村の原風景がテンペラ画のように描かれている。小説の後尾に登場するマヨネーズの章はとても切ない。焼いた鱒にマヨは合うが、過ぎて行く秋のように儚い。というような文脈がある。川面に17時の斜光、小説と同時に釣りは終わった。
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不思議なもので、今日の川原で物思いの最中に
この文章を思い出していた。
ワード数は400字に限られているので、
いい足りない部分と、改めて書き直したい
文脈が現れ、そして消えた。
今の時点ではもう、思い出せない。
それにしても秋はこの月で終わる。
あと19日と数時間。
体内時計はあい変わらず狂っている。
冬を迎える気など、まだ起こらない。
師走という言葉が加齢を意識させるからだ。
ごめんなさい。
青い春を生きている人には、失礼でした。
冬は赤、緑、白のトリコロールでないと
つまらないもの、ネ。





