2005-03-30 07:01:32
テーマ:アメリカの移民達

マニキュアの試験

前回の大喧嘩の後、彼らは完全に別れたしまった。その日以来、ベティはイサの家で寝泊りすることがなくなったので、当然わたしも気づいていたが、マニキュアの試験を1週間後に控えたわたしを考慮して、ベティもイサも敢えてその事をわたしには言わなかった。

マニキュアの試験は、カリフォルニアの州都、サクラメントで行われていた。地の利の悪いところで、バスで行こうと思ったら前日から近くのホテルに泊まらなければならず、イサが車で連れて行ってくれるという前々からの申し入れに甘えることにした。受験者はモデルを一人連れて行かなければいけないのだが、ベティ曰く「白人が見栄えがよく有利だ」という言葉を聞いたイサが、知り合いのロシア人移民の娘さんを紹介してくれた。

余談だが、イサの家のあるゴールデンゲートパークの下の方、リッチモンドの辺りにはなぜかロシア人移民がたくさん住んでいる。そういうこともあって、サンフランシスコでは珍しい、ロシア人のパンとケーキのお店があったり、キャビアやいくらを安価に売るお店もある。わたしは、よくロシア人のケーキを買っていた。中国人のケーキ屋が多いサンフランシスコで安価で美味しいヨーロッパテイストのケーキを食べたい時にお勧めである。

さて、試験当日、学校の指示通りに髪をしっかりとまとめて黒一色に身を包み、イサの運転でサクラメントへ向かった。サクラメントなんて、こんな事でもない限り行く必要のない町だったから、モデルの女の子も含めて皆初めての訪問である。ハイウェイを調子よく飛ばしながら、イサに「もうそろそろだよね。なんていう出口で降りるの?」と聞かれ、予めもらっておいた地図で出口を確認する。ところが、どう考えてももう出口のはずなのに地図に書いている名前の出口が見当たらない。。。で、とうとうサクラメントを通り過ぎそうになったのでいい加減な出口で降り、車を止めて皆でまじまじと地図を見た。アメリカでは全く運転しないわたしが地図を見ていたのが間違いで、この時初めて、アメリカのハイウェイの出口は上りと下りで名前が違うことを知ったのだった。わたしが目を皿にして探していた出口は反対側の出口だったのだ。というのも、もらった地図は逆方向からの人を想定していたようで、わたし達の降りるべき出口の名前は逆の方に比べて小さな文字で印刷されていた。

目的地を通りすぎ、10km以上も走ってしまい、どう考えても遅刻は免れない状況になってしまったが、急遽来た道を目的地へと引き返した。到着した時には既にテストに関する説明が始まっていたが、受験するのには問題なかったのでほっとした。

まずは実技試験で、お昼を挟んで筆記試験だった。

実技は、遅刻して来たこともあり緊張が増して出来映えが散々だった。まぁ、実技と筆記は別扱いでどちらかが合格すれば、次回は落ちた方だけを受け直せばいいからと、気持ちを入れ替え筆記試験へと挑んだ。筆記試験の会場入り口で試験管に日本人女性がいることに気づいたのだが、彼女はわたしのパスポートのビザを見ると、「期限切れじゃないの?!」と意地悪そうに上司に確認するためにわたしのパスポートを持って行った。わたしは、事前にパスポートに書いてある期限と実際の学生ビザの期限とは異なっていて、実際の方が優先されるのを知っていたから、しらけた表情で彼女の挙動を伺っていた。彼女は、問題ない事を上司に確認して、なんだか恨めしそうにわたしの机に無言でパスポートを戻した。

なぜだか分からないが、アメリカで公的な職についている日本人女性は日本人に意地悪であると思う。きっと、アメリカでの彼女達の生活が荒んでいるのだろうと思ったりした。

筆記も無事に終えて、1時間ほどの休憩の後、合否はその日のうちに分かる。近くのファミリーレストランでお茶をしながら、イサとモデルの子と「今回はきっと落ちてるよ」と話すと実技のできを知っている二人は「次があるよ」と慰めモードに入っていたが、結果は「合格」であった。うれしさのあまり、この時初めて、外人と飛び跳ねて、抱き合って喜んだ。イサはパレスチナ人、モデルの子はロシア人、そしてわたしは日本人。確認はしなかったけれど、自国でハグをする習慣のあるのはロシア人の子だけだと思う。合格の発表よりもこの事の方がインパクトのある思い出となった。

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2005-03-26 10:56:42
テーマ:アメリカの移民達

ベティの虚言癖

ベティは、イサに対してかなり我が侭放題だった。

イサの家に移って間もなく、3人で車で出掛けたときのこと、イサの携帯電話に仕事がらみの電話が入ってきた。結構大切な電話だったようで車を路肩にとめて会話するイサ。わたしは密かに内容を聞いていると、どうやらあるお客の払った高額のチェックの支払いが落ちないらしかった。イサの表情はかなりきつくなり電話の相手と早口に対策を練っていた。

大丈夫なんだろうかとわたしは後部座席で小さくなっていたが、助手席に座っていたベティは、そんなイサの会話に気も留めず、ラジオをいじり回して、お気に入りのステーションを見つけてラジオのボリュームをいっきに上げた。ラジオの音で電話が聞こえ辛くなったのか、イサの声が大きくなる。そして電話を切った後、いきなりイサがベティに向かって

「人が重要な仕事の電話をしている時に、君はそんなにラジオが聞きたいのか!?」

とどなった。わたしは、思った通りの展開に小さくなったままの状態でいたが、ベティの反応は意外なものだった。

「わたしが何をしたっていうのよ!人のことを急にどなるなんて失礼だわ!謝ってよ!」

車内は今にも爆発しそうな重い雰囲気が充満して、ベティは「謝って!」を連発。どうなることかと息をひそめて二人のやり取りを見ていたわたしに気を遣って、とうとうイサは、「どなって済まない」と小さな声で言った。

これが、わたしが目撃した最初の喧嘩だった。そして、わたしがイサの家に寝泊りするようになっても、小さな喧嘩は頻繁にあり、たいていはベティの我が侭が原因となっていた。

そして、とうとうトドメの大喧嘩が起きてしまった。

その日、イサは数日来の風邪と疲れでダウンしてしまい、夕方からベッドで眠っていた。わたしは居間の方でおとなしく勉強していた。9時を回った頃にけたたましく電話が鳴った。寝室の方でイサが応えている感じから相手はベティだと分かった。少し話してからイサはすぐに電話を切った。と、すぐにまた電話が。またもや相手はベティだった。今回はごちゃごちゃと何かを言い争っていたが、イサは最後には怒って電話を切ったのが分かった。そして、パジャマ姿で顔色の悪いイサがわたしに怒りを剥き出しに話して来た。

「今、ベティから電話があったんだけど、彼女は病気で寝ている僕に今すぐピザ屋に迎えに来いって言うんだ。僕の車は彼女の弟に貸してるから、弟に迎えに来てもらえばいいだろうって言ったら、リムジンで来いだと。もう彼女の我が侭にはついて行けないよ。だいたい、今回寄りを戻す時にもこれが最後だって言ったんだ。結局、また同じだったよ。」

そして、聞かなければよかったが、つい、口が滑って余計な事を聞いてしまった。

「でも、あなた達、婚約してるんじゃないの?」

イサは、寝耳に水といった感じで

「誰がそんなこと言ったんだ!?」

とほんとにびっくりして聞き返した。わたしもこの時点ではっとした。けれど、しょうがないから彼女が「婚約指輪」を見せてくれた事を話した。イサは嘲るように笑いながら、「あれは単なる誕生プレゼントだった」といい、続けて「彼女とは結婚はできないよ」とつぶやいた。そして、そのまま沈黙して寝室に戻って行った。

どうやらベティには「虚言癖」があるように思えた。そう思うといろいろと彼女のついた嘘が浮かび上がってきた。

イサの家に移って間もなく、彼女はわたしに「もうすぐ結婚するのよ」といった。「おめでとう」というわたしに、「でも、わたしはイサとは結婚出来ないの。彼には母国に子供がたくさんいて彼らを引きとってわたしが育てるなんて考えられないわ」と続けた。けれど、後にイサとの会話の中でイサは奥さんと別れる時に彼の経営していた生地屋を奥さんにあげて、今も養育費を送金しており、パレスチナではかなりいい生活をしているということだったし、奥さんが面倒をきちんとみているようだった。

また、美容学校で度々ベティがイサのことをわたしに話した中で、イサはあんまりお金がないからベティがかなりお金を出しているとも言っていた。そういう事も踏まえて、マニキュアの日本人の先生は「別れた方がいい」と助言していたのだ。しかし、実際のイサの仕事ぶりを見て、間違いなくベティに頼らなければならないような状況どころかかなり良い収入を得ており、ベティの方がいろいろと面倒をみてもらっているのが分かった。

いったい何が彼女にこうしたすぐにばれるような嘘をつかせたのだろう?彼女に友達がいないのもこれが原因なのだと改めて思った。

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2005-03-26 09:57:16
テーマ:アメリカの移民達

イスラム教徒 イサ

一度ベティの職場であるピザ屋に遊びに行って以来、ベティは用もないのにピザ屋からイサの家に電話をかけてきては「AKIKOと話したいっていう人がいるの」といって、ブラジミール(主人)に電話をかわった。彼は流暢な英語でなんだか冗談を言ったりしきりに「今度ナイトクラブに一緒に行こう」と言っていたが、当時のわたしは、電話での英語の聞きとりが苦手で、何を言ってるのかちんぷんかんぷんですっかり困りはてた。彼女は、どうにもこうにも彼とわたしとをくっつけたいと思っているようだった。

ベティがどうしてこれほどまでにお節介を焼いたのか?これは、わたしのためなんかではなく、自分のためであった。

当時のわたしは、マニキュアの試験を控えて、イサの家に篭りきりで勉強していることが多かった。そして、その頃、少しからだの具合を悪くしたイサが、家で過ごす時間が多くなっていたのだ。彼女は、わたしとイサが変な関係にならないようにわたしにボーイフレンドをあてがおうと必死だったのだ。その事は、わたしも感づいていたし、イサも分かっていた。とはいえ、わたしは日本に帰る秒読み段階で誰かと付き合う気など全くなかった。ただ、アメリカに来て、日が沈んでから出掛けた経験がほとんどなかったから、ナイトクラブくらいには行ってみたい気もしていた。

イサは、敬虔なイスラム教徒で毎日シャワーを浴びた後には必ずお祈りを捧げていた。全く違う文化に触れる事は興味深く、また、彼は親切で下手なわたしの英語も忍耐強く理解してくれようとしたし、教えてもくれた。彼は8年前に奥さんと離婚して子供達を残してアメリカに渡って来たらしい。来た当初は英語もままならなかったらしいが、若い白人のアメリカ人女性と結婚して現在はグリーンカードを持っていた。当時奥さんは二十歳で、元気いっぱいでやさしい性格の女性だったようだ。けれど、当時の彼はアメリカに来たばっかりでまだまだ真面目なイスラム教徒。アメリカのジョークや風習に慣れておらず結局破局を迎えたとか。そして、前の奥さんを思い出しつつ、「現在彼女は27歳。もしも今会っていたらお互いもっと理解し合えたのに。。。」と少し悲しそうだった。

イサの家を初めて訪問した時にすっかり跡形もなく枯れ果ててしまった花壇や家の中の埃をかぶったかわいい小物を見た時に、「ベティにこんな趣味があったのかな?」と思ったが、それは、随分昔のイサの奥さんの残照だった。

イサは、わたしから家賃をもらうこともなく、一緒にスーパーマーケットなんかに行くとわたしの物まで強引に払いつつ「君には今収入がないんだから日本に帰った時のためにとっておきなよ」と真顔で言った。ベティも同じ事をよく言った。わたしはそんな彼らのお言葉に甘えて、少しでも恩返しにと家の掃除や洗い物などまめにやるようにしていた。というのも、ベティが一切そういう事に気がきかない性格だったからだ。

けれど、穏やかな共同生活もそう長くは続かなかった。

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2005-03-23 08:32:32
テーマ:アメリカの移民達

イサの家に移る

長かったようであっという間の約二ヵ月半のマニキュアのコースを卒業する日に、ベティはわざわざ花束を持ってわたしをお祝いに来てくれた。お世話になった先生方に挨拶をして、校長先生に終了証を頂き、国家試験の申し込みの手続きを済ませ、親しかった生徒達にさよならを言って学校を後にした。

そして、車で来ていたベティがわたしを乗せて、さっそくイサの家の下見へと向かった。

イサの家は、ゴールデンゲートパークの下の方に位置した海岸にほど近いところにあるおもちゃのような小さな一戸建ての家だった。イサは仕事で出掛けていたが、室内の広さは、1LDKくらいで、わたしが使える予定のソファーベッドを見せてくれ、「とても広いとは言えないが、少しの間わたしが居候できるくらいのスペースは確保できそう」だと判断して、彼らの勧めにありがたく従う事にした。

そして、数日後には簡単な荷物と共にイサの家の居候に収まった。

わたしが移って来た当初に彼らが言っていた通り、彼らはほとんど家に居る事はなかった。イサは、リムジンの運転手を探しているらしかったがなかなか好人物を見つけることができないと言って、自分で送迎や観光のサービスに追われていたし、ベティはピザ屋のウェイトレスと会計の仕事で昼過ぎから夜遅くまで働いていた。

わたしは、試験の日が約1ヶ月後と決まり、一発で通らないと日本に帰る日程が予定通りにいかないから、暇さえあれば家の中で問題集を解いていた。わたしがほとんど出掛けないのを見て、ある日、ベティがノースビーチにある彼女の働くピザ屋に遊びにこないかと誘った。

イサの家に移って以来、ほとんど外出をしていなかったので、気分転換に遊びに行ったピザ屋は、意外にもサンフランシスコにたくさんの支店を持つ本店だった。3時前後のもっとも空いている時間帯に遊びに来たわたしを満面の笑顔で大歓迎のベティは、その場に居合せたマネージャーの小柄の男性にわたしを紹介した。これまでの付き合いで感じたのだが、ベティにはあまり友人がいないらしく、わたしを知合いに紹介する時ほんとにうれしそうにしている。

マネージャーの男性は、挨拶するなり「君もここで働きなよ」と言ってくれたが、「わたし、学生ビザしかないから働けないの」というと、不思議そうな表情をされた。後から思うと、このピザ屋で働く半分以上の人達が不法就労者だったようで、無知だった自分がおかしくなった。そして、ジュースを勧めたりピザを勧めたりしている彼に向かってベティが「彼は結婚してるのに手が早いから気を付けてね」と笑いながら言った。

お客が誰もいない時間帯で、デリバリーの男性達が少しずつ少しずつ戻って来た。みんな見かけない顔のわたしを見つけて少しずつ寄って来て、「何人だ?」「誰の友達?」と気さくに話し掛け、男同士冗談を言い合って笑っている顔が中国系だったりラテン系だったり白人系だったりと様々で「あ~、アメリカにいるんだな」としみじみと感じていた。段々、話しの内容がエスカレートして下ネタになってきたのを機にベティに助け出されて外に出た。

ベティは「すぐ近くにある二号店で夕方からはウェートレスをするの」と二人で歩いていった。すると、さっき紹介してもらったマネージャーが背の高い男性と話しをしていて、わたしの顔を見つけるなり

「あ、彼は現在恋人募集中だから」

と笑いながら一緒に居た男性を紹介した。紹介された男性は、恥ずかしそうに「何言ってるんだ」とマネージャーに言いつつ名前を述べ握手の手を差し出した。

実は、彼がいまの旦那さんである。(笑)
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2005-03-18 23:31:57
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ベティの彼

ベティが卒業してからしばらく経ったある日、わたし宛に学校の公衆電話へ電話がかかってきた。セルラー(携帯電話)がまだそんなに普及していなかった当時、学校のトイレの横にある公衆電話は、若いアメリカ人の女の子達の溜まり場となっていた。普段、まったく話したこともない若いくてかわいらしいアメリカ人の女の子が「AKIKOあなた宛に電話よ」といって来た。電話にもびっくりしたが、彼女がわたしの名前を知っていることにもびっくりした。

電話に出てみると、相手はベティだった。彼女は「わたしの彼がAKIKOに会いたがってるの。今夜一緒に食事できないかな」と言った。わたしは「???」と一瞬と惑ったが、彼女の意図を察して、いろいろと世話を焼いてくれた彼女の作戦に乗ってあげることにした。

だいたい、ベティの彼氏の友達がわたしに会ってみたいというのなら話は分かるが、「ベティの彼氏」がわたしに会いたい理由があるわけがない。彼女は恐らくまた、彼と別れて寄りを戻す口実にわたしを使ったのだとピンと来た。彼氏にはきっと、「AKIKOがあなたに会ってみたい」とでも言ったことが想像できた。

5時に学校を出てから、彼女達が車で迎えに来てくれるのを学校のビルの前で待った。少しして、彼の運転でベティが賑やかにやって来た。路駐ができないエリアだったので、わたしは直ぐに車に乗り込み、後姿のベティの彼に挨拶した。車の中での簡単な会話の中でも、彼の陽気で人のいい人柄が伺えて、「重いムードだったらどうしよう」と心配していたわたしは安心した。

彼女達の行きつけのイタリア料理のお店に入って席に着き、改めて向かい合って自己紹介をした。彼の名前は「イサ」といった。アラビアの言葉では「神」に当たる意味なのだとベティが間髪入れずに説明した。イサは170cmくらいの細身で優しい面立ちの中年の男性で、リムジンを所有しており送迎や観光案内の仕事をしていると言った。彼の英語には中東方面のアクセントがところどころにあったが、アメリカに来て8年というだけあって言葉には困ることはなさそうだったし、次から次へとジョークを飛ばしていた。

ベティは何のかんの言ってもイサのことが大好きなのが彼女の仕草やしゃべり方でよく分かった。すると、まるで本題にでも入るように彼女がイサに問い掛けた。

「AKIKOはね、学校を卒業した後ダウンタウンに移ってくるんだけど、場所が決まらなくて困ってるの。あなたの家に私達と一緒に住めないかしら?」

確かに、そんなことをベティに話して、ベティが彼女のアパートに滞在してもいいといってくれたが、一度お泊りした彼女のアパートは、彼女と弟で手一杯という感じだったから、わたしは短期滞在型のホテルでも見つけようと思っていたのだ。ベティは、わたしをイサの家に滞在させるのを口実に自分も元の鞘に納まろうという作戦を考えていたらしい。

すると、イサは、なんでもないことのように「日本に帰るまでのたった2ヶ月くらいなんでもないから、広い家ではないけどいつでもおいで」と言ってくれたが、ベティのアパートのことがあったし、イサとベティのプライベートが守られるくらいの広さがあるのか不安だったわたしは、「一度訪問してから決めてもいい?」と尋ねて、後日イサの家を訪問することになった。

その日、帰りの遅くなったわたしを彼らはバークレーの先の先にあるわたしのアパートまで送ってくれたのだが、あまりの遠さにびっくりして、少しでも早くイサの家に移ってくることを勧めた。

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2005-03-18 22:34:26
テーマ:アメリカの移民達

ベティの家族

わたしがマニキュアコースに入学して数週間経った頃に、ベティは全ての時間数を消化して卒業した。とはいっても、卒業によってマニキュアの州の資格試験を受けれる資格を得た段階で、約1ヵ月後に試験を受けることになったらしい。

彼女にはパレスチナ人の婚約者がいて半同棲生活をしていると言っていたが、よく喧嘩しては別れ、仲直りしては喧嘩してを繰り返していた。その度に、わたしや週1でやってくる日本人の先生に愚痴ったり相談したりしていたが、彼のくれたという婚約指輪や彼の写真なんかを見せる時の彼女は幸せそうだった。

彼女はダウンタウンにある16㎡くらいの小さなアパートにカレッジに通う弟と中学生くらいの弟の3人で暮らしていたが、一番下の弟はフロリダに住む父の所と彼女の所を行ったり来たりしているようだった。

そんなある日、彼女の父親がサンフランシスコを訪問してるから食事を一緒にしないかと誘われ、わたし達はシンプルなベトナム料理のお店に入った。うれしそうに「わたしの日本人の友達よ」と彼女の父にわたしを紹介する彼女だったが、少し話した後は彼女はほとんど父と口をきかなかった。口をきかないという以上に、父親を無視しているようにも見えてわたしの方が気を遣ったりした。そして、食事の後の支払いもわたしが自分の分は払うと言っているのも聞かずにさっさと事務的に全員の分を支払った。そんな娘の様子を彼女の弟達と一緒に当然のように気に掛けないベティの父親。その時に、「自分の父だったら決して娘に払わせないだろうな」と思ったりした。というのも、ベティの父がわたしに自己紹介する時に自分の名刺を渡しながら結構儲けてるようなことを言ったからだ。

お店を出たところで、彼女の父と二人の弟達とは別れた。彼女はこれから仕事に出かけるといってわたしと一緒に歩き始めた。ベティは、少し怒りながら自分の父親は彼女の母と離婚して、現在フロリダで裕福なベトナム人女性と結婚して新しい妻の援助で楽な生活をしているが、カレッジに行っている弟の学費はおろか昔からベティへは全くなんの援助もしてくれないと愚痴った。

ベティは、5年前、二十歳くらいでサンフランシスコにやって来てから、誰の力も借りずアイスクリーム屋に始まり、カフェのウェートレスと、少しずつ少しずつ自給のいい仕事に就いていったようだった。アメリカに来た当初、彼女は英語がしゃべれたわけではなかったが5年後にはすっかりアメリカ人に近い発音で流暢な英語をしゃべっていた。美容学校にいた他の移民のベトナム人がベトナム語のなまりが取れてないのに比べると群を抜いていた。それだけでも、彼女がいかにベトナム人コミュニティーから離脱した生活をしていて、自力でアメリカに溶け込んで行ったかが分かったが、そのためにはしっかりとした強い意志がないとなかなかムリなことなのはわたしにも分かった。

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2005-03-17 04:19:31
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ロシア人講師 ポリーナ

わたしの通っていた美容学校に限らず、こうした小さな専門学校の講師は少しでも給料のいい所へとコロコロと職を変わるようだった。わたしが入学するちょっと前に入ったと思われる、一番下っ端の先生がロシア人のポリーナだった。

彼女は、小柄で冷たい感じの美人だったが、笑うとすきっ歯で愛嬌があった。彼女は、ヘアの講師でもあったが移民してきた当初は、マニキュアリストとして長らく働いていたらしく、スカルプの腕は相当なもので週1の日本人の先生がいない時のマニキュアコースの責任者だった。とはいえ、数回スカルプのやり方を見せてくれただけで、通常は、いろいろな雑用に追われていてマニキュアのクラスの面倒を見る暇はほとんどなかった。

美容学校の学費には、当面学校で必要な道具や材料も含まれていたが、もらえるはずのリストの半分を入学当初にもらって随分経ってもポリーナは全然残りをくれる気配がなかった。ベトナム人のベティも同じだったらしく、わたしに「毎日必ず、品物が来たかどうか聞かないとくれないから注意した方がいいよ」と言った。で、まるでストーカーのように毎日毎日同じ質問を繰り返して、なんとか全部の備品が揃った時には、コースも後半に入っていた。

わたしの後に入ってきた二人の日本人生徒は、全く違ったタイプで、一人はなんだか心ここにあらずといった感じで、あんまり学校に来なかった。もう一人の子は、語学学校に2年ほど行った後の入学だけあって、なかなか上手に英語をしゃべる子だったので、相変わらず英語の下手なわたしにとってはとても心強い存在となった。

彼女は、生活費を稼ぐために夜は学校の近所にある日本人向けのバーで働いていたが、クリスマスが近いある日のこと、ポリーナがニヤニヤしながら彼女に話し掛けて来た。

「あなた、近くの○○○っていうバーで働いてるのよね。時給はいい?」

わたしは、運悪くお客が入ってその場を離れたが、サービスが終わってから日本人の子に話を聞くと、なんとポリーナはクリスマス前にいろいろとお金が必要で、彼女の働いているバーに紹介してもらえないかといったそうな。。。

まぁ、お堅い学校とはいえない美容学校の講師ではあるが、生徒と先生が並んでバーで働くなんて考えられないと、彼女は紹介するのをやんわりとお断りしたらしい。が、懲りないポリーナはバーのママに直接話をしに行って、これまた、「美容学校とはいえ、ご近所の学校の先生は雇えない」とはっきりと断られたらしい。

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2005-03-14 11:15:34
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ロシア人との戦い

マニキュアの単位を稼ぐためには、よりたくさんのマニキュアのサービスをする必要があったが、周りにいるヘアの生徒は常にウェルカムだったので特別に相手に困る必要はなかった。だいたい、向こうの方から、「マニキュアをして欲しいんだけど」と言って来た。

そして、学校にも慣れて来た頃にある事に気が付いた。

アメリカ人の生徒は必ず、「Do you have time to give manicure for me?(時間があったらマニキュアしてもらえないかな)」とか「Could you give me manicure?(もし良かったらマニキュアしてもらえる)」という風に謙虚な聞き方をして来た。なので、快く引き受けれた。ところが、ロシア人は「Do you wanna give me manicure?(わたしにマニキュアしたい)」と、何か挑戦的というかずーずーしい言い方をした。これが、決まった相手なら「変なヤツ」で済むが、みんながみんなこの聞き方をして来る。

たいてい、母国語が英語でない人のしゃべる英語は、母国語を訳して使う場合が多い。だから、日本人の話す英語やポルトガル語は謙虚というか、相手を気遣った言い回しの人が多い。ブラジルで、普段の会話の途中に席を立つ必要がある場合、「話の途中で大変申し訳ないですが。。。」という人はわたしの知っている限り、日系人でない人にはあまりお目にかかれない。

話がそれてしまったが、わたしの通っていた美容学校のロシア人講師をはじめ、ロシア人生徒の使う英語は、どこか不快感を与えるものだった。前にも書いたように、美容師の資格を取る場合、一緒にマニキュアかエステの資格が取れるからヘアの生徒もどちらかを選択して勉強するのだが、より簡単ということでマニキュアを取る生徒が多かった。そして、ロシア人の生徒はやたらとマニキュアの道具や消耗品を「貸して」といってやって来た。最初の頃は貸してやったりしたが、消耗品を「貸して」といって借りても絶対返すことはない。この問題は、以前からマニキュアの生徒とロシア人生徒との間で問題になっていたようで、週に一度来る日本人の先生に、「はっきりと貸せないって言わないと癖になるからだめよ」と釘を押された。

何よりも呆れたのは、ロシア人のヘアの先生までもが「学校の備品のアセトン(マニキュア落とし)は弱いから、あなた達のを貸して」とやってきたことだ。わたし達が「ごめんなさい、貸せないの」というと、「わたしは先生よ!(キーーーー)」となって怒った。それにもめげず、「あなた、わたし達の先生じゃないでしょ。わたし達の先生はポリーナよ。」というと、これまたロシア人講師のポリーナに文句を言っていたが、ポリーナは、わたし達が「わたし達の先生はポリーナよ」といったのがうれしかったらしく、怒りまくってる講師をなだめわたし達に向かって苦笑するのだった。

※これは、わたしの個人的な経験であって、ロシア人全般を批判するものではありません。

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2005-03-13 12:15:01
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ロシア人 マリーナ

美容学校に慣れて来ると、マニキュアの生徒がわたししかいないのをいい事に、午後は数時間学校を抜け出してはサンフランシスコのダウンタウンでウィンドウショッピングを楽しんだりしていた。けれど、入学して数週間が経った頃、立て続けにマニキュアの生徒が入学して来た。ヘアやエステティシャンはコースの中でジュニアとシニアに分かれていたから、入学日も決まっていたが、マニキュアは入りたい人がいたらいつでも入学可能だった。

最初に入って来たのは、日本人の20代の女の子で、NYでも美容学校に通っていたと言っていた。次にロシア人の30代の女性。で、そのちょっと後にもう一人20代の日本人の女の子が入学。

この頃のわたしは、すでに、たいていのことはできるようになっていたので、ベティと一緒に彼女達に教えるように先生にお願いされた。まぁ、日本人の二人は、日本語で説明できるからなんの問題もなかったが、ロシア人女性のマリーナは、ほとんど英語がしゃべれなかったのでてこずったものだ。

この学校に入学して、だんだん他の生徒のことが分かるようになると、たくさんのロシア人がいることが判明した。10代もいれば、40代くらいのおばさんもいたりした。おばさんに関しては、他のロシア人とロシア語でしゃべっているからすぐにロシア人だと分かったが、若者達はロシア生まれでもロシア人同士あんまりしゃべらないし、しゃべる時も英語でしゃべっていたから当初ロシア人とは気づかなかった。

そして、ひとつ気づいたのだが、この学校に来ていたロシア人女性の容姿は2タイプに大きく分かれるようだった。一つは、ブロンドにブルーとかグリーンとかグレーの瞳でお人形のようなタイプ。もう一つはエリツィン大統領を女にしたタイプ。性格もお人形タイプは明るくってみなに愛されてる感じがするが、エリツィンタイプは地味で人前では口数が少ない。

マリーナは、一つ目の金髪に青い目のお人形タイプだった。天真爛漫な感じで、いつも無口なロシア人のおばさんまで彼女に話し掛けていた。彼女は、アメリカが年に一度公募するグリーンカードの抽選に当たってアメリカにやってきたといっていた。わたしも英語をしゃべれないが、彼女はわたし以上に単語を知らない割にはよく話した。片言の英語ながらしゃべれないもの同士でも彼女の言いたい事はよく分かった。

彼女の話によると、知合いでもたくさんのロシア人が抽選で当たってアメリカのグリーンカードをもらったそうだ。恐らく、ソ連が崩壊した後にアメリカはロシア人の受け入れの枠を大幅に増やしたのだろう。そして、彼女はおもむろに写真を見せてくれた。1枚目は、自分の旦那様の写真で写真と一緒に大きな石の入ったゴールドの指輪を見せつつ。旦那様のプレゼントだとうれしそうに話した。ほかにも色々と旦那様のプレゼントをわたしに披露しつつ、写真の後方に写っている車を「トヨタだ。一番いい車だ。」と満面の笑顔。物が不足しているロシアからの移民は、車を買うなら日本の車という人が多い。きっと、ロシアに住んでいたら想像も出来ないような品々に囲まれて幸せなんだろうと手に取るように分かった。

2枚目の写真には、ティーンネイジャーのかわいらしい女の子とマリーナが並んで写っていたから、「妹?」と聞くと「娘だ」という。年齢は16歳。で、マリーナの年を聞くと32歳。つまり、16歳の時の子供!ちょっとびっくりしたが、どうやらロシアでは早婚は珍しくないようだった。けれど、若気の至りでの結婚はあんまりうまく行かないらしく離婚も多いとの事。現在の旦那様は、マリーナよりも先にグリーンカードが当たって、アメリカで生活するようになりロシアでは大金に当たるお金を稼ぎ、里帰りしては幼馴染の憧れの的だったマリーナに色々とプレゼントを贈って、マリーナがグリーンカードがあたったのを機に結婚したようだった。

それにしても、彼女はよくしゃべる割に人の英語は全く理解できなかった。よく、アメリカに半年いたら英語の夢をみるなんて聞いたりしたが、わたしは英語の夢なんか全然見たことがなかった。けれど、ある日、とうとう英語の夢を見た。夢の中でわたしがマリーナに英語で必死に何かを伝えるけれど、彼女は全く理解出来ない。そして、何度も何度も同じ事を英語でいうわたし。。。わたしが想像していた英語の夢とはかけ離れた現実だった。

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2005-03-12 11:15:12
テーマ:アメリカの移民達

チャイニーズ系ピーター

マニキュアのコースを取った初日にベティが最初に紹介してくれた生徒は、マニキュアのスペースのすぐ隣にステーションを持つピーターというベトナム系とチャイニーズ系のミックスの男性だった。彼は、アメリカ生まれのアメリカ育ちだから当然流暢な英語をしゃべる。

いや、流暢な英語をしゃべるのを「当然」と言えない場合も多々あるのがサンフランシスコだったりもするから、当然とは言えないかもしれない。というのも、アメリカ合衆国は移民達に「2カ国語」教育を推奨している。もともと移民の集まりの国だから、母国語も英語と共に勉強しようというものだ。そういう訳で、サンフランシスコのように合衆国で最も中国人移民を擁する町では、チャイナタウン周辺に「中国語」を主に使用する学校が多数存在する。もしも、親が移民の場合は、家庭内でももちろん中国語を話すから、アメリカ生まれのアメリカ育ちでもかなり怪しい発音のチャイニーズ系のアメリカ人が存在する事になる。

ピーターが移民後何代目なのかは不明だったが、チャイナタウンに住んでいる割には、すっかりアメリカ人だった。当時のわたしは、まだまだ英語をうまく聞き取れないししゃべれなかったから、ピーターの名前を聞いた時も「フィラー???」変わった名前だと思った。で、「フィラー」と呼んでいたのだが、ある日、発音のはっきりしている白人の女の子が彼を「ピーター」と読んでるのを聞いて、「フィラー」ではなく「ピーター」だったかと可笑しくなったものである。

日本でも、若い子達特有のなまりとかがあるように、もちろん、アメリカにもその傾向がある。だから、わたしにとっては若ければ若いほど何を言っているのか分からなかったものである。やはり年配者の方がはっきりとした教科書のような発音でしゃべってくれるので理解しやすかった。

ベティが午前中だけで帰るので、入学したばかりのわたしの面倒をみるようにピーターに頼んでくれ、わたしの最初の練習代も彼が引き受けてくれた。ピーターは小柄で痩せていて、愛想はないもののどこか人懐っこさがある上に面倒見がいいことからシニアのクラスでもみんなに好かれているようであった。ちゃんと学校に来ないこともあって、シニアの中の古株でもあったから、色んな事を知っているし技術のことはたいていみんな彼に聞いていた。また、顧客もたくさんいるようで、ピーターを指名して予約する客も多かった。

お客がわさわさ来るわけではないから、単位を稼ぐために生徒同士の施術も多かったが、腕のいいピーターは人気者で他の生徒のヘアを扱っている時なんかラップを口ずさみながら下半身で踊っているピーターは、まさしくアメリカ人だなという印象を受けたものだ。

後日、わたしはエステティシャンのコースも取ったのだが、マッサージの練習代をピーターにお願いしてTシャツを脱ぐように言うと、男らしくばばっとTシャツを脱いだピーターの背中には、なんとまさに日本風の古典的な龍が背中半分に彫られていて、一瞬おののいたが、ここはアメリカ、みんなファッションでタトゥーを入れてるから「かっこいいね」というと、ちょっと照れるピーターだった。

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