2005-03-30 07:01:32
テーマ:アメリカの移民達
マニキュアの試験
前回の大喧嘩の後、彼らは完全に別れたしまった。その日以来、ベティはイサの家で寝泊りすることがなくなったので、当然わたしも気づいていたが、マニキュアの試験を1週間後に控えたわたしを考慮して、ベティもイサも敢えてその事をわたしには言わなかった。
マニキュアの試験は、カリフォルニアの州都、サクラメントで行われていた。地の利の悪いところで、バスで行こうと思ったら前日から近くのホテルに泊まらなければならず、イサが車で連れて行ってくれるという前々からの申し入れに甘えることにした。受験者はモデルを一人連れて行かなければいけないのだが、ベティ曰く「白人が見栄えがよく有利だ」という言葉を聞いたイサが、知り合いのロシア人移民の娘さんを紹介してくれた。
余談だが、イサの家のあるゴールデンゲートパークの下の方、リッチモンドの辺りにはなぜかロシア人移民がたくさん住んでいる。そういうこともあって、サンフランシスコでは珍しい、ロシア人のパンとケーキのお店があったり、キャビアやいくらを安価に売るお店もある。わたしは、よくロシア人のケーキを買っていた。中国人のケーキ屋が多いサンフランシスコで安価で美味しいヨーロッパテイストのケーキを食べたい時にお勧めである。
さて、試験当日、学校の指示通りに髪をしっかりとまとめて黒一色に身を包み、イサの運転でサクラメントへ向かった。サクラメントなんて、こんな事でもない限り行く必要のない町だったから、モデルの女の子も含めて皆初めての訪問である。ハイウェイを調子よく飛ばしながら、イサに「もうそろそろだよね。なんていう出口で降りるの?」と聞かれ、予めもらっておいた地図で出口を確認する。ところが、どう考えてももう出口のはずなのに地図に書いている名前の出口が見当たらない。。。で、とうとうサクラメントを通り過ぎそうになったのでいい加減な出口で降り、車を止めて皆でまじまじと地図を見た。アメリカでは全く運転しないわたしが地図を見ていたのが間違いで、この時初めて、アメリカのハイウェイの出口は上りと下りで名前が違うことを知ったのだった。わたしが目を皿にして探していた出口は反対側の出口だったのだ。というのも、もらった地図は逆方向からの人を想定していたようで、わたし達の降りるべき出口の名前は逆の方に比べて小さな文字で印刷されていた。
目的地を通りすぎ、10km以上も走ってしまい、どう考えても遅刻は免れない状況になってしまったが、急遽来た道を目的地へと引き返した。到着した時には既にテストに関する説明が始まっていたが、受験するのには問題なかったのでほっとした。
まずは実技試験で、お昼を挟んで筆記試験だった。
実技は、遅刻して来たこともあり緊張が増して出来映えが散々だった。まぁ、実技と筆記は別扱いでどちらかが合格すれば、次回は落ちた方だけを受け直せばいいからと、気持ちを入れ替え筆記試験へと挑んだ。筆記試験の会場入り口で試験管に日本人女性がいることに気づいたのだが、彼女はわたしのパスポートのビザを見ると、「期限切れじゃないの?!」と意地悪そうに上司に確認するためにわたしのパスポートを持って行った。わたしは、事前にパスポートに書いてある期限と実際の学生ビザの期限とは異なっていて、実際の方が優先されるのを知っていたから、しらけた表情で彼女の挙動を伺っていた。彼女は、問題ない事を上司に確認して、なんだか恨めしそうにわたしの机に無言でパスポートを戻した。
なぜだか分からないが、アメリカで公的な職についている日本人女性は日本人に意地悪であると思う。きっと、アメリカでの彼女達の生活が荒んでいるのだろうと思ったりした。
筆記も無事に終えて、1時間ほどの休憩の後、合否はその日のうちに分かる。近くのファミリーレストランでお茶をしながら、イサとモデルの子と「今回はきっと落ちてるよ」と話すと実技のできを知っている二人は「次があるよ」と慰めモードに入っていたが、結果は「合格」であった。うれしさのあまり、この時初めて、外人と飛び跳ねて、抱き合って喜んだ。イサはパレスチナ人、モデルの子はロシア人、そしてわたしは日本人。確認はしなかったけれど、自国でハグをする習慣のあるのはロシア人の子だけだと思う。合格の発表よりもこの事の方がインパクトのある思い出となった。
我が家のネットショップです。
http://www.vk-brazil.com/jp
もっといろいろと読みたいなぁと思った方のために「もくじ」作りました。
http://brazil-fashion.ameblo.jp/entry-e0005d86539ead88838216049b9c389e.html
マニキュアの試験は、カリフォルニアの州都、サクラメントで行われていた。地の利の悪いところで、バスで行こうと思ったら前日から近くのホテルに泊まらなければならず、イサが車で連れて行ってくれるという前々からの申し入れに甘えることにした。受験者はモデルを一人連れて行かなければいけないのだが、ベティ曰く「白人が見栄えがよく有利だ」という言葉を聞いたイサが、知り合いのロシア人移民の娘さんを紹介してくれた。
余談だが、イサの家のあるゴールデンゲートパークの下の方、リッチモンドの辺りにはなぜかロシア人移民がたくさん住んでいる。そういうこともあって、サンフランシスコでは珍しい、ロシア人のパンとケーキのお店があったり、キャビアやいくらを安価に売るお店もある。わたしは、よくロシア人のケーキを買っていた。中国人のケーキ屋が多いサンフランシスコで安価で美味しいヨーロッパテイストのケーキを食べたい時にお勧めである。
さて、試験当日、学校の指示通りに髪をしっかりとまとめて黒一色に身を包み、イサの運転でサクラメントへ向かった。サクラメントなんて、こんな事でもない限り行く必要のない町だったから、モデルの女の子も含めて皆初めての訪問である。ハイウェイを調子よく飛ばしながら、イサに「もうそろそろだよね。なんていう出口で降りるの?」と聞かれ、予めもらっておいた地図で出口を確認する。ところが、どう考えてももう出口のはずなのに地図に書いている名前の出口が見当たらない。。。で、とうとうサクラメントを通り過ぎそうになったのでいい加減な出口で降り、車を止めて皆でまじまじと地図を見た。アメリカでは全く運転しないわたしが地図を見ていたのが間違いで、この時初めて、アメリカのハイウェイの出口は上りと下りで名前が違うことを知ったのだった。わたしが目を皿にして探していた出口は反対側の出口だったのだ。というのも、もらった地図は逆方向からの人を想定していたようで、わたし達の降りるべき出口の名前は逆の方に比べて小さな文字で印刷されていた。
目的地を通りすぎ、10km以上も走ってしまい、どう考えても遅刻は免れない状況になってしまったが、急遽来た道を目的地へと引き返した。到着した時には既にテストに関する説明が始まっていたが、受験するのには問題なかったのでほっとした。
まずは実技試験で、お昼を挟んで筆記試験だった。
実技は、遅刻して来たこともあり緊張が増して出来映えが散々だった。まぁ、実技と筆記は別扱いでどちらかが合格すれば、次回は落ちた方だけを受け直せばいいからと、気持ちを入れ替え筆記試験へと挑んだ。筆記試験の会場入り口で試験管に日本人女性がいることに気づいたのだが、彼女はわたしのパスポートのビザを見ると、「期限切れじゃないの?!」と意地悪そうに上司に確認するためにわたしのパスポートを持って行った。わたしは、事前にパスポートに書いてある期限と実際の学生ビザの期限とは異なっていて、実際の方が優先されるのを知っていたから、しらけた表情で彼女の挙動を伺っていた。彼女は、問題ない事を上司に確認して、なんだか恨めしそうにわたしの机に無言でパスポートを戻した。
なぜだか分からないが、アメリカで公的な職についている日本人女性は日本人に意地悪であると思う。きっと、アメリカでの彼女達の生活が荒んでいるのだろうと思ったりした。
筆記も無事に終えて、1時間ほどの休憩の後、合否はその日のうちに分かる。近くのファミリーレストランでお茶をしながら、イサとモデルの子と「今回はきっと落ちてるよ」と話すと実技のできを知っている二人は「次があるよ」と慰めモードに入っていたが、結果は「合格」であった。うれしさのあまり、この時初めて、外人と飛び跳ねて、抱き合って喜んだ。イサはパレスチナ人、モデルの子はロシア人、そしてわたしは日本人。確認はしなかったけれど、自国でハグをする習慣のあるのはロシア人の子だけだと思う。合格の発表よりもこの事の方がインパクトのある思い出となった。
我が家のネットショップです。
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もっといろいろと読みたいなぁと思った方のために「もくじ」作りました。
http://brazil-fashion.ameblo.jp/entry-e0005d86539ead88838216049b9c389e.html







