増える

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「財産が増えていくのと同じ比率で、その人の死への恐怖は増大していく」(ヘミングウェイ)

 

なるほどな・・うまいこと言うなあ。

でも、きっとそうなんだろうな。想像するだけだが。

 

ぼくの場合、閲覧数は限りなくゼロに近い。なので、広告収入は全くない、つうか、収入とかは全然期待していませんので。

ふふふ(自分で書いて自分で読んで、ひとりわらい) 

 

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円朝ルネッサンス

テーマ:

落語は「お笑い」だけではない。
隅田川馬石円朝ルネッサンスを引っ張って行く。
そういう時代が来ようとしている。
馬石が、円朝の人情噺、怪談噺をメジャーにしていくんだ。

 

 

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緊張

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「緊張なき一枚の作品も描くな」

                  M.S. 

そう言った人がいたけど

一方で たとえば もりかずさんなんかは

緊張もなく 何があっても どんな眼にあったって

ただ 静かに生きて 蟲を見て 蟲の様に生きて 描いて 逝った

そんなふうに思えるんだけど

 

たぶん

どっちが正しいとかじゃないんだ

それぞれが 蟻は蟻のように ガマガエルは蝦蟇ガエルのように

とりあえず 今日は 今は生きていて だから 生きている

それぞれのやりかたで

いいんだ。 

 

mpaka wa mstari

テーマ:

mpaka wa mstari , スワヒリ語で「境界線」を意味する。

言語がないと、意思の疎通ができない、と人は言う。

 

mpaka wa mstari 、と言っても、大部分の人には通じない。

それは、言語が、意思の疎通の邪魔をしているから。

 

でも、言語を使わないことで、より雄弁に心の中を伝える方法がある。

ひとつは、美術だ。彫刻、絵画。

このような表現手段にとって、言葉は邪魔なものだ、と、ぼくは思っている。

 

もうひとつの方法は、音楽、正確には、器楽曲。

これは、楽器で演奏する音楽で、これに歌詞が加えられると、音楽は濁ってしまう。

だから、歌というものは、かなりやっかいな、面倒くさいもので、だから、ここでは触れない。

 

言葉のある表現と、言葉を使わない表現との間に、眼には見えないけれど、明確な境界線が横たわる。

 

ぼくの場合、自分の心を覗きこむときには、

いつでも、絵画を見るか、器楽曲を聴くことになる。

言葉の無い表現、それが、ぼくにさしのべられる、安らぎ、導き、癒し、などの救いの手だ。救いは、いつも無言でやってくる。

(このブログを始めてから、初めて、素直な日記が書けた気がするw)

 

沈黙

テーマ:

「人生で最も感動的な瞬間、わたしたちは言葉を失う」

「音楽と沈黙は良いパートナーだ。
なぜなら、音楽は沈黙によって作られ、
沈黙は、音楽に満ちている」       マルセル・マルソー

手紙

テーマ:

生きていれば、時には、出会いがある。
一人の人に出会う。一匹の蟲に、一羽の鳥に、樹に、花に出会う。

新しいページをめくって、そのとき、
もしあなたの眼が、耳が、まだ生き生きとしているなら、

あなたは、それが新しいページであることに気が付くだろう。

そして、そこで、初めて聞く音楽、初めて見る絵、
あるいは誰も知らなかった言葉に出会うことができる。

もし、あなたの眼が濁っていたら、耳がふさがっていたら、
そして、それを受け取るはずの、あなたの心が開かれていなかったら、
いまそこにある新しいページは、あなたには見えない。
見えるのは、みんなの、無数の背中だけ。

ある朝、ページをめくる。
すると、次のページがない。なにもない。

そのとき、あなたははじめて、じぶんが死んでいたことに気が付く。

自伝

テーマ:

「過去は、自分で置いたと思った場所には、けっしてない。」と言ったアメリカ女優がいましたが、名言だと思います。
自分という人間は、結局、自分自身には見えないんじゃないか、と最近は思います。

ぼくという人間の定義は、ぼくが逝ったあとで、生前のぼくを見ていた、知っていた人たちの持ち物になるんじゃないでしょうか? ORE