研修医として初めて赴任した、静岡県立こども病院。上司である脳外科医ご夫婦の下、飛車、角、歩の、歩として忙しい毎日を過ごしていた日々。K先生と出会い、スキューバーダイビングをするようになったのは、そんな忙しい最中だった。


K先生とは、ふとしたきっかけから、毎年のようにダイビング・グルメ旅行に行く仲となり、はたまた、ボランティアの方では、後に、ダ・カーポさんご夫婦とお出会いするきっかけとなったご縁。(この不思議なご縁についても後日書いてみますね。)


K先生は横浜出身の泌尿器科医当時、静岡県立こども病院の泌尿器科は、K先生所属の医局でも人気が無く、一時的な約束で、いわば左遷されて来ていた。横浜からは西の最果ての病院。


僕も、こども病院が自分の希望だったが、みんなからは左遷といわれて赴任してきたのが静岡県立こども病院で、神戸からは、東の最果ての病院。


人の縁とは不思議なもので、神戸と横浜、遠く離れた医局に所属し、科も違うのに、一生の付き合いの友人になるのだから。


最初は、K先生から声をかけて来た。「一緒に海外へスキューバーダイビングに行きませんか?」という、突拍子も無い話だった。


当時は、夜の9時、10時まで仕事するのは当たり前で、12時を廻ることも多かった忙しい小児脳外科研修医生活。右足には、ふらふらでの帰り道に、歩道から足を踏み外して骨折し、巻かれたギブスが。また、夏休みはあるものの、僕にはスキューバーダイビングのライセンスも無かっので、他に当たってみるよう勧めた。


ところが、何回かお断りしても、執拗に誘ってくる。


なぜ、そんなに僕を誘うのか、理由を尋ねてよくわかった。それというのは・・・・。


K先生が以前勤めていた病院の、スキューバー仲間内で企画した、海外スキューバーダイビングの旅行。手を上げたのが、男性2人、女性4人。ここまでは、良くあるケース。


ところが、予定を組んで航空券と宿泊先も手配したところで、K先生の友人の男性が行けなくなってしまった。すると、男性1人、女性4人のハーレム状態。これはさすがに辛い。


話を聞いて何とかしてあげたいとと思ったが、僕の周りにはダイビングをする友人はいなかった。僕がライセンスを取って行ってあげるしかないかなあ。


とりあえずライセンス取得にトライてみましょうということで、右足第5中足骨骨折のギブスが外れた7月初旬からダイビングスクールに通い始めた。


夕方、病棟の処置が一通り終わった頃、夕食の時間をダイビングの講習会にあて、終わってまた病院に帰ってカルテ整理。少しでも時間を見つけては講習に通う日々。


土日も使って、ポケットベルを持ちながら講習をこなし、何とかライセンス取得も、あと海洋講習を残すのみとなった。


最後の海洋講習は、8月24日日曜日。出発予定日は、二日後の8月26日。


しかしその日、三保の松原で知られる海岸は、南沖を北上する台風の影響(だったか?)で、波が高く、荒れていた。


3人の講習予定者のうち、2人は講習をキャンセル。しかし、僕にはこの日しか残されていない!それは、インストラクターも知っていた。


やったことにしてくれないかなーってちょっぴり思ったが、今思い返しても、まじめなインストラクター二人。


二人で相談の上、両脇を抱えられながら海の中へ!「手を離したら死にますよ!」うそでしょ!


おいおい、ほんとにやるの!と言ってる間に、ずるずると渦巻く波の中へ。視界はゼロ。


海を楽しむどころではなかった。命がけの、いわば「決死のダイブ」。僕の最初の海ダイビングは、かき混ぜられた味噌スープの中といった感覚だった。


二日後、紙切れで作られたダイビングの仮免許証を手に、K先生らとともに成田を飛び立ち、目的地ヤップ島を目指した。つづく)


今日の写真、「オニイトマキエイ(マンタレイ)」

オニイトマキエイ

  

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