最近、新聞や、ニュースで

「子供」を「子ども」と表記するようになった。

学生時代、「教育概論」の授業で理由を学んだ。

今日の「戯言」はそんなお話。



供するという言葉は差別用語で、

「お供(おとも)=付き従える」という意味がある

「子ども」も一人の人間なのだから

付き従えるのは表現的に間違っている。



どうやら、そんな理由らしい。

本当にそうなのだろうか?

先生に、脊髄反射で反論した。



違いますよソレ。子供には責任能力が無いですよ?

一人の人間であっても、「自由に対する責任」を取れない以上

それは、「管理が必要な存在」なんじゃないですか?

だったら、付き従えなければならないってのは自然です。



育児に対する責任逃れに思えますが?

「付き従えない親」が居るからこそ、

シツケが甘くなり、学級崩壊の要因の一つになるし、

世間で、「教えるべきことを教えれない」親をよく目にします



俺は、子供が居ません、でも、12歳年下の弟のシツケ担当でした。

きっちりと付き従え、それなりに教育したつもりです。

「親(俺)の言うことを聞かない子ども」ではなく

「親(俺)の言うことを聞き入れ、収捨選択のできる子供」に育てたつもりです。



ソレこそが、「親の責任」であり「子供」と表記する理由です。

仮に「弟が悪さをしたら責任を取るのは俺」だし、

ウチの子に限ってなんて、「妄言」はするつもりありません。

それは、「責任逃れ」だと思いますし。



こんな様なことを言い放ちました。

クラス中が賛同しました。

先生は見事に沈黙しました。

皆さんはどう思われますか?


~以下次号~