2008-07-26 18:06:29

オートバイ二人乗りの旅 デンマーク・オーデンセ散策  水島 治・安子

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7月21日(月曜日)~22日(火曜日)

アンデルセンの生まれ故郷オーデンセを心行くまで見て周った二日間であった。

7月21日 月曜日 雨 オーデンセ散策。



 アンデルセンの生家を見つけて

  喜ぶ安子 いつも元気なり!

5時40分起床。外は激しい雨。昨夜キャンプ場の受付の配慮を貰って雨を避けられたYHに入って本当に良かった! 日記の記載。

7時30分から朝食。この間も雨が激しく降っていて、アンデルセンの生誕の家と少年時代をすごした家を見に行くことも出来ない。 日程的には厳しいが、もう一泊をすることにした。

10時を回っても雨なまず、仕方なく合羽を着て市内散策へ。アンデルセン博物館・生誕の家・2歳から14歳までの少年時代を過ごした家・そしてダウンタウンを散策。

博物館の中ではアンデルセン童話の劇(Andersen Paraden)が行われていた。雨の中皆真剣に取り組んでいた姿には感動であった。

インフォによって、インターネットカフェの位置を確認。そしてそこにいって日本語で打てるかトライさせてもらった。がしかし見ることは出来たが、日本語入力は出来なかった。

帰り際再度インフォによって明後日行くドイツとの国境近くのクルサ(Krusa)YHへ行く地図を貰いにいった。そうしたら日本人のお嬢さんがいて対応をしてくれた。こんなところに大和なでしこが働いているとは思わなかったのでビックリ! そして大変親切に応対頂き、YHの予約も取ってくれ、行く道順の地図をpcから打ち出してくれた。 感謝感激であった。 恭子さん 笑顔の素敵なかわいらしいお嬢さんであった。 それにしても、大和なでしこどこに行っても強く、すばらしい!

雨はその後も降りやまず雨の中での市内散策であった。



  大和なでしこ 恭子さん

   お世話になりました。 ありがとう!

雨のオーデンセ散策

どこに行っても

どのような状態でも

田舎のカアチャン強し!



クリスチャン・アンデルセンについて

1805年このオーデンセで生まれ、多感な少年時代をこの町ですごし、その後はコペンハーゲンに出て勉学に! しかし生涯独身を貫き、「旅こそわが人生」の言葉通り、

一箇所に落ち着くことは無く、北欧・ヨーロッパの各地を周り、1875年8月14日その生涯を終えた。

彼の残した作品としては、「赤い靴」「マッチ売りの少女」「人魚姫」「裸の王様」など、相当の数にのぼる。と博物館の案内に記載されていた。 

7月22日 火曜日 はれ オーデンセ散策 そして出発準備

5時起床。 過ぎに外を見た。晴れている。 延泊してよかった!

コーヒーを飲んで日記の記載。

7時パンにて朝食。

朝食後ダウンタウン散策へ。そして帰ってテーラーブルーの整備。

明日からまた雨になって走りづらくなったとしてもアムステルダム到着を遅らせることができない。このことを考え、状況によってはドイツ入りしてから、アウトバーンを一日700キロ近い走行をしても良いようにオイル交換・チェーンの張り調整・増締めなどいつもより、念入りに手入れを行った。

その後友へバイクの輸送と航空券の手配をお願いするため、(インフォで「オーデンセでは町のいたるところで無線ランの電波を出しているところがある」と聞いていたので)インターネットをすべく、pcをもって再度ダウンタウンに向った。しかし無線ランには繋がるのだがシグナルが弱く、AOLは繋がらなかった。仕方なくインターネットカフェにむかった。 pcに向ったが、言語はデンマーク語、さっぱりわからなかった。が、何とか友堀田さんにメールすることができた。良かった!

その後宿に帰ってpcのバックアップをして、明日のコースを頭に入れて休んだ。



2008-07-26 17:59:46

オートバイ二人乗りの旅 デンマーク・オーデンセへ  水島 治・安子

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7月19日(土曜日)~20日(日曜日)

スエーデン・ラップランドマルメからデンマーク・アンデルセンの生まれ故郷オーデンセへ。

7月19日 土曜日 晴れ 

マルメ・ブログのアップ完了。そしてデンマーク入りの準備

5時30分起床。昨夜2時に寝たので約3時間のすいみん。起きても頭が朦朧としていた。

7時朝食。久々の宿の食事、美味しかった。

午前中かかって昨夜作った原稿の見直しをしてそしてNHKへ送付、そしてプログのアップも完了した。

その後荷物の整理をして、コペンハーゲン入りの準備として地図の整理。

7月20日 日曜日 曇りのち雨夕方晴れ デンマーク入国、オーデンセ(Odense)へ



   スエーデンとデンマークにかかる

オーレスン大橋

5時起床。

朝食7時。いつもパンばかりの朝食、今日は豪華な料理が並んでいる。食べても食べなくても料金が一緒といわれていたので、このときとばかりにサラ2杯に料理を取って、さらに食べ終わった一つのさらにさらに卵料理を追加して食べた。ゲップが出るだけ食べてしまった。いつになっても貧乏根性直らない自分にあきれる!

マルメ、道路が入り組んでいて、一つ見落とすと全く違った方向に行くことになるので、いつもの巡航速度85キロを70キロに落として慎重に運転。

40キロくらい走ったところで、ここをテーラーブルー号で渡ることがデンマーク入りの目標の一つでもあった海峡にかかる橋が見えてきた「オーレスン大橋(Oresundsbron)」。早速路肩にテーラーブルー号をとめて写真を撮った。

撮り終わって橋を渡り始め、中ほどに来たらデンマーク領の表示があった。此れが国境であった。デンマーク入国8時31分であった。時差20分有りと出ていた。

橋をおりてまもなく海から吹く風が強くなり、荷物満載で二人乗りそして車体重量を入れて500キロ近くなるバイクが真っ直ぐに走れない状態へ。しかし南米のパタゴニアの強風のときの経験を生かし、車体を風向きにすこし倒して前進。パタゴニアと違うのは橋げたには欄干があって少々進路を外れたとしても海に落ちる心配が無かったので、パタゴニアのときと比べてそんなに緊張はしなかった。そして途中から海底へと道は続いていた。海底は4分の走行(約6キロ)

海底から上がってまもなく大粒の雨。とおり雨なのでそのうち晴れるだろうとも思い、また高速なので路肩に止めることも出来ず走り続けた。しかし雨は激しくなる一方。違反わかってはいたが、チョット失礼して、路肩にテーラーブルーを停めて完全な雨防護を施した。

朝出るときはコペンハーゲンに入り、キャンプ場泊まりとして市内を散策するつもりでいた。が、この雨では明日も晴れることはないだろうと思い急遽予定を変更。

コペンハーゲンを一周して、デンマーク入りのもう一つの目標であるアンデルセンが生まれ、少年時代を過ごした町オーデンセに向った。

13時丁度、友から教えてもらっていたにキャンプ場に入った。しかしキャンプ場は満杯。道路わきにわずかテントを張るところがあるが激しい雨で水溜りが出来ており、すぐにはテントを張るには厳しい。係りの人も気にしてくれ、この近くにユースホステルがあるので、そちらに行ってみては とアドバイスを貰った。

場所を聞き、地図を貰ってユースへ。ユースについたがユースは午前の勤務時間が終わって、次のレセプションが空くには4時と張り紙がして有り、レセプションはしまっていた。もう一軒ユースがあることを聞いてはいたがこの雨の中を走る気もなれず、レセプションの横の談話室で係りのひとが来るのを、日記を記載などして待った。

係りの人4時丁度に来て、“宿泊お願いで行きますか?”というと“OKですよ”と

4時20分チェックインをした。このときには雨は小降りになっていた。

その後日記を記載。そして貰ってきた地図を見たり、オーデンセの情報を見たりして過ごした。



 






ユースホステル到着




2008-07-19 16:03:11

オートバイ二人乗りの旅 ストックホルムからさらに南下開始 水島 治・安子

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  7月17日(木曜)~18日(金曜)

雨の走行であったが、走りに走って、デンマークの入り口の町マルモに入った。



7月17日 木曜日 晴れのち雨 グラナ(Granna)へ移動

キャンプ場からヨーク湖畔を望む



4時起床。起きると直に出発準備に入った。途中でテント前の岩の上でパンを牛乳につけての朝食。そして6時15分キャンプ場を後にした。

キャンプ場から30キロも走るともう人家らしきものも無く、風が強く晴れたり曇ったりした天気の中を一路南下。オデスホ(Odeshog)まで来たときに雨が少し当たってきた。

グラナがもうわずかというところまで来てしまって、地図にはあるはずのキャンプ場が無い。これで先に行ってガソリンが足らなくなり困ることもなりかねないと思い。表示にしたがってGSへ。そして給油をして、“このあたりにキャンプ場がありませんか?”と問うたところ、“GSから2.5キロもどったところにある” と教わった。

早速教えられたグラナのセンチュウムに入っていった。

キャンプ場に行く前に道路わきに小さな「宿有ります」の看板が見えたので寄ってみた。

一人200クローナとのことであった。雨も激しくなってきていたことも有り、直に入ることに! 13時25分チェックインした。

荷物を解いて、テーラーブルーの点検。そしてその後周りを散策。

ヨータ湖畔のすばらしくきれいな町であった。



    キャンプ場脇の民家前にて

7月18日 金曜日 雨 夕方から晴れ デンマークへの入り口の町マルモへ移動

5時起床。昨日は寝てから一度もトイレに起きなかった。こんなことは今まで経験の無いこと。疲れていたのかな~

雲行き思わしくなかったが、出発することにして直に準備を始めた。6時YHを後にした。走り出して直に雨が降り出し、マルモにつくまでやむことは無かった。

今日はマルモの手前のキャンプ場を目指したが、高速サイドではキャンプ場の標識が無く、これはキャンプ場を探すのに苦労するだろうな~と思ったので、途中にある宿の表示があるところは結構寄ってみて、値段とインターネットが出来るかの確認をしてマルモに向った。

そしてマルモ手前のGSで貰った地図にシェルが経営するレストハウス・スキャンディック(Scandic)によった。しかし満員とのことであった。まいったな~と思って、他の宿の紹介をお願いしたら“OK”とのこと。

早速、予約をしてもらい、マルモ郊外のスキャンディックに向った。

マルモ結構道がわかりにくく結構探すに苦労した。このためチェックインは15時を回っていた。

雨は、チェックイン後まもなく小降りとなり、買い物に出かけたときには雨は上がっていた。

直に荷物を解いて、今夜の夕食の買いに行った。が、親切な人がスパーに乗せて言ってあげるからと車に乗せてくれた。がしかし車で20分くらい走ったところ、これではかえるに帰られない。参ったな~と思って、行き交う車を何台も停めて、“宿まで送ってもらえないか”とお願いしたが、宿の位置がわからない人だとか、赤ちゃんを病院に連れて行く途中の人だとかで、上手く行かず困ってしまった。しかしこのままではタクシーが来てくれるところでもないので、めげずにまた行き交う車を停めて、何度もお願いをした。

親切な人がいた! 子どもを乗せた黒人のような人。 感謝 感激であった。

宿に帰って、このままでは今夜の夕食もたべられないのでまた歩いて近くのGSへ。パンを買って帰ってきた。

夕食後インターネットを出来るように段取りして、そして日記を記載して休んだ。

2008-07-19 15:55:05

オートバイ二人乗りの旅  ストックホルムにて 水島 治・安子

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 7月14日(月曜日)~16日(水曜日)


氷点下の極北から9日間で真夏のストックホルムまで来た。

それにしても暑い!

 ストックホルム、ダウンタウン・オールドタウン・島巡りなどを行い、 

そして日本大使館へシェンゲン条約を守らなかったときの処罰等について聞きに行った。

 オランダ出発時にシェンゲン条約を守ることを前提として、今回の旅の第一義としてきた北欧中心に周る。そして旅をしている間に何か方法が見つかれば、オランダに入った後イギリスに渡り、再度ヨーロッパを走ろうかとも心の隅に想ってもいた。しかし

  大使館の意見を聞き、条約上からみた我々の滞在許容期限となる8月12日に完全にヨーロッパを離れることを再度決意した。

これに伴って当初ストックホルムの滞在を6日にしていたが、これからの工程を考えて、途中で何か突発が起きても8月12日ヨーロッパを離れられるように、3日に短縮して南下することにした。



シティーホール前からダウンタウンを望む

7月14日 月曜日 晴れ ストックホルムへ

  キャンプ場満杯 

  道路わきのテントを! 

どこでも変わらない陽気さ、

何も考えていないというのは幸せなり!



5時起床。安子はもうおきて出発準備をしていた。すばらしい天気。さあ~今日はいよいよストックホルム入り。

宿の主人からストックホルムは今シーズンでキャンプ場も満杯でテントを張るのも駄目かもしれないとアドバイスを貰ったことも有り、先ずはストックホルムに入ってユースホステルを当たってみようかと思い、ダウンタウンを目指した。

ストックホルム車の多さに東京並み。荷物満載・二人乗りでのダウンタウン入り、相当緊張し2回も立ちゴケをしてしまった。

6件のユース周りをした。しかしどこも満杯で6日間の宿泊をOKしてくれるところは無かった。

これ以上他の宿を当たっても駄目だと思い、友から教えてもらっていたキャンプ場に向った。

しかしこのキャンプ場もフルでテントを張るのも駄目であるといわれてしまった。キャンプ場の近くにもう一つのキャンプ場があることを友から聞いていたことを思い出し、そちらに行ってみた。

テントOKとのこと。良かった!テントで過ごすことにした。良い場所を探してテントを張って荷物を解いたら、3時を過ぎていた。

6時過ぎ、地下鉄の駅のスパーに買い物へ。安子が夕食を用意している間に激しく雨が降り出し、炊事場で晴れるのを待って、小雨になったところで夕食をとった。

19時直にテント内で日記の記載。外は強い風と激しい雨が続いていた。

7月15日 火曜日 晴れ ストックホルムダウンタウンを散策



  子どもと一緒に水遊びを!

子どもの母親から子どもと一緒に

お目玉を食らった。

6時過ぎに起床。昨夜は雨が激しく降ったのも知らずに寝ていた。テント前の岩場でパンを牛乳にひたしての朝食。その後、安子は洗濯。俺は子どもとの遊び!

8時過ぎ歩いて地下鉄まで行き、6日いることを考え、回数券を買って、地下鉄に乗ってストックホルムのダウンタウンへ。

メーラン湖畔に優雅な姿を写す、市庁舎を見、オールドタウン・ガムラスタンを散策して周った。ベルツェリー公園には桜の木が沢山植えてあった。

その後キャンプ中の周りを2時間近く散策して、夕食をとった。



  オールドタウン・ガムラスタン





7月16日 晴れ ダウンタウン・島巡り 

そして日本大使館訪問へ 

       駅前の広場にて



5時起床。コーヒーを沸かしてのみ、写真のバックアップと日記の記載。

非常に寒い朝であった。

7時パンにて朝食。8時キャンプ場を後にして地下鉄でストックホルムへ。そして歩いて日本大使館に向った。日本大使館、英国の大使館の横にあった。

“シェンゲン条約について教えて欲しい”というと、係官、“解りました”といって、型どおりの応答をされた。此れでは駄目だと思い。“日本人の方をお願いできませんか?”というと“私も日本人ですと”  

失礼をお詫びして、シェンゲン条約の適用範囲と、違反した場合に具体的にどのような処罰になるのか? を率直に問うた。

いままでの具体的事例、そして新たに調べてくれたことを領事と共に懇切丁寧に教えていただいた。

1時間半くらいの時間であったが自分の欲しい情報ももらえ、実情もわかった。

丁重にお礼を言ってそこを辞した。 真実の話は 心を打つ。 

いままでも一応、シェンゲン条約を守ることを前提としての工程での行動

でもあった。が、心のどこかで最終的には

シェンゲン条約を守らなくても何とかなるのでは? そう思ってもいた。

  でも、そんな自分に恥じると同時に、

8月12日ヨーロッパを離れることを再度肝に命じた。

その後駅前の本屋でデンマークとコペンハーゲンの地図を買い、駅のまん前の広場で駅を見ながらホットドックにて昼食をとった。その後地下鉄のり、ガムラスタンに行きノーベル博物館をみて、キャンプ場にもどった。

シェンゲン条約の期間内にヨーロッパを離れることを肝に命じた今、ストックホルムに長居していても仕方がない! 3日繰り上げて明日たつことにして準備に入った。

キャンプ場の支払い、給油OK 出発準備を完了してテントにもぐった。

2008-07-19 15:46:35

オートバイ二人乗りの旅 ウメオから南下開始 水島 治・安子

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 7月10日(木曜)~7月13日(日曜日) 

ウメオからボスニア湾沿いに南下開始した。

710日 木曜日 晴れ ウメオ(Umea)の町散策

       ウメオの中心街

530分起床。昨夜と一変、雲ひとつ無い快晴。ユックリコーヒーを飲んで日記の記載。 安子は高いびき。どこに行っても気楽な安子!! 本当に田舎の母ちゃん強し!

朝食後ブログのアップ。午前中一杯かかってしまった。

午後から町を散策。そしてその後最初に行こうかと思っていた5星のキャンプ場を見に行った。

子供達の遊技場があり、沢山の人が来ていた。ダウンタウンの静けさに比べると活気が感じられた。

その後出発準備。この頃になってようやく日がさして暖かくなってきた。明日晴れるといいのだが!



          かわいい!

711日 金曜日 大雨 ハマンガルへ(Hamanger)へ移動

     キャンプ場を後に!



430分起床。外を見る。雨模様の空。しかし出発することにして準備を始めた。606分宿を後にした。

走り出してまもなく雨が降り出した。

そして10分も走ったところで、工事の表示が有り、「迂回しなさい」と出ていた。朝早いこともあって誰一人いなく、仕方なく小さな道に入った。

70キロ走ったところでようやくルート4に入った。道路工事があって70キロも迂回したのははじめてであった。しかし手書きではあるがキチンと曲がり角には表示が出ていて、この国の生真面目さがわかったようにも思えた。

この間で雨が強くなり始め、ルート4に入ったときには本降りに! 直に道路わきのまだ開いていないGSによって、簡易の合羽を完全防水の合羽に変えた。走り出してまもなく大雨。ゴアの手袋では要が足さない激しい雨。手袋をはめていたのでは、アクセル・クラッチの操作がしにくくなったのでとっての走行。 手の感覚がなくなる、寒さであった。

1535分、小さなハマンガルのキャンプ場に入った。

このキャンプ場に入るまで4箇所のキャンプ場に入った。しかし一箇所をのいてみんな込んでいて、キャビンはもとよりテントも張るスペースさえない有様。仕方なく、看板も無く、受付が一人しかいなく、安全にも少々の不安があったが、この雨では野宿もままならないので、仕方なく30キロもどってこのキャンプ場に入った。

70キロの迂回と、30キロ先迄行ってまた戻ってきたこともあり、久々の500キロを超える走行となった。でも体調はすこぶる快調。田舎の母ちゃんも元気。

7月13日 日曜日 雨のち晴れ スエーデン一の学園の町ウプサラへ。



  175年かけて作られた

北欧一の大聖堂

4時30分安子に起された。いつに無く安子が早く起きていた。

日曜日は、早くでてもGSがあいていない。のんびり準備をして干からびたパンで朝食をとって、雨対策を完全にして、6時キャンプ場を後にした。

一気に150キロくらい走って、ウプサラ手前30キロになった。町に入る前に現在位置を確信したいと思ってGSに寄って確認した。しかし自分が思っているところとは全く違い、ウプサラを離れる位置にあった。

何故こんなことに?と思って、道を聞いた人に自分の持っている地図を見せたところ、“この地図は古いです。今は街を迂回するバイバスが出来ています。そして貴方はこのバイパス上にいるのです” といわれた。

「今まで地図を持たず、インフォメーションによっては無料の地図貰って対応していたために起きたことではある」とも思った。がしかし、この地図はれっきとしたスエーデンが公認しているインフォメーションから貰ったものなのに!

教わった道を通ってセンチュウムに入るところに来た。が一旦感が狂うとおかしくなって! また現在位置がよくわからなくなってしまった。仕方が無いので路肩に停めて、人の来るのを待った。

ライダーが通りかかった。“キャンプ場に行きたいのですが、どういったらいいですか?”というと、

“ここからこの地図で行くのは難しい。自分がフォローする” からと!

先導されてキャンプ場へ。  感謝 感激であった!

フロントに行って“テントを張らして欲しいです”というと“キャンピングカードを持っていないので550クローナです」とあった(日本円にて約9400円)。こんなに高くては駄目だと思い。ユースホステルに行くことにした。

13時22分チェックイン。お風呂もあって部屋もきれい。600クローナもして、贅沢だとは思った。が、、、

荷物を解いてその後、北欧一といわれる大聖堂・ウプサラ大学などを訪れた。二人の日本の学生にもあった。二人とも目が輝いていた! いままで人の少ない町しか通ってこ“なくなんとなくさびしい国だとな~”と感じていたが、この町にきて少しは救われるような気持ちがした。

4時宿に戻って、日記の記載。



     ウプサラ・ダウンタウン風景

ウプサラについて

1477年の創立されたウプサラ大学を中心として栄えてきた町。

またウプサラを支えてきたのは、16世紀にウプサラ城を築いた国王グサタフ・ヴァーサを初めとするとき権力者達。宗教者たちはキリスト教世界の一大拠点として、北欧最大の聖堂を建てた。政治は宗教と密接に結びつつ大学も町も発展していった。と記載されていた。

大聖堂;1260年から建築が始められ、完成するまで175年も費やされた。北欧で最大の教会。

ウプサラ大学。

スエーデンでなおも古い総合大学。大聖堂の直に市に大学本部(Universeteshuset)があった。

2008-07-10 16:13:26

オートバイ二人乗りの旅 ボスニア湾に面した町 ウメオへ 水島 治・安子

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79日 水曜日 曇りのち雨 ストールマンからウメオ(Umea)に移動



430分起床。外はどんよりしていた。

6時宿を後にした。

道は平坦でほぼアップダウンも無く、だいぶ南に下がったためか山には雪も無くなり、針葉樹の林と緑なす山が湖面に映えるところ道を一路ウメオ目指した。

そして途中で写真を撮り、のんびりした走行。そして8時ごろ、LyckseleのGSへ。ここでコーヒーを飲んで給油後直に出発。

ウメオ手前50キロのところで雨に! 雲行きから此れは止まないだろうと思って、途中のGSで簡易の合羽を完全な合羽に替えてウメオへむかった。

今日もキャンプ場ですごそうと思っていた。が、雨ますます激しくなってきたことも有り、途中で泊まり先を変更。バックパッカーにすることにした。途中のGSによって町の地図を貰い、位置を教えてもらって、YMCA1210分頃に到着。しかし鍵がかかっていて戸が開かない。参ったな~と思ってあたりを見回すと入り口が3箇所ある。そして一番右のドアーを押したら開いた! 2回にあがったところにレセプションがあった。しかしレセプション昼食の時間だといって、1時からの受付と出ていた。

昼食をとって待っていると1時きっかりに受けつけの人がもどってきた。

雨も降っているし、インターネットが使えるかというと “ランコードを使って使えます”とのこと

もともとの2日を予定していたので、直にお願いをして130分チェックインを果した。

その後夕食の買い物を近くのスーパーに言って行い、インフォによってストックホルムの情報を仕入れて宿に戻った。

その後、日記の整理。写真の取り込みを行った。





2008-07-10 16:03:55

オートバイ二人乗りの旅 スエーデン入国 ターナビへ 水島 治・安子

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78日 火曜日 快晴 スエーデン入国 

そしてスキーの天才、インゲマル・ステンマルクの家へ



330分に目を覚ましたが、安子高いびきで寝ているので、また休んだ。そして5時起床。外は快晴。夜太陽が燦燦と輝いているのにも慣れてきてはいるがやはり夜は暗いほうが良く寝れる。

直に出発準備。今日はかって憧れを持って敬愛していたスキーの天才インゲマル・ステンマルクの家に行こうと思っている日。 

630分心弾ませて、キャンプ場を後にした。そしてキャンプ場から一気にノールウエーとスエーデンの国境沿いに横たわる山脈を駆け上がり、740分国境横を通過した。

山脈をあがったところは針葉樹が生い茂り、雪を残した山と両脇に山を写した湖面、それに道の両脇に可憐な黄色紫の花とのマッチングがすばらしく、フィヨルドでは味わえない風情であった。

スキーの天才ステンマルクの生まれ育った環境を見たくてこの道を選んでのスエーデン入りであったが、過って友から聞いた村の名前だけで行き着けるか? 不安を抱えての走行でもあった。

910分小さな村ターナビ(Tarnaby)に到着。村は全部をいれても30~40軒くらいしかない小さな村であった。しかし村の中央にはインフォがあった。

バイクでしかも日本から来たということにいたく感激して、家の住所と所在地教えてくれた。そして写真を頂いた。

教えられた道を行ってステンマルクの一軒前のうちで偶然家を訪ねたことも有り、全く苦労することなく、天才ステンマルクの家にたどり着いた。「スラローム通 9番地 ステンマルク」、940分であった。

湖を望む、高台の上の小さな家であった。眼下には湖が広がり、少しあがったところに小さなスキー場があった。インフォで、派手さを好まない人であるとも聞いていたので、家にも寄らず、周りを見て、写真を撮っただけにしてセンチュームにもどった。そして2人しかいない小さなバンクで300ユーロを両替して、この町を後にした。

1時すぎ今日の泊まりを予定しているストーイエン(Stotumsn)のキャンプ場に到着した。しかし安いキャビンが空いていなく、キャンプ場から1キロ先のバックパッカーに宿をとることにした。チェックイン1325分。

夕食はストックホルムから来たというチャリダーから貰ったインスタントと近くのスーパーで買ってきたスープ等であった。久しぶりに食べ応えがある食事であった。

夕食後日記の整理。そして9時過ぎに休んだ。

インゲマル・ステンマルク



ワールドカップ通算85勝。競技種目の先鋭化がさらに進んだ今となってもこの記録は破られていないと思う(?)。
ステンマルクの生まれ故郷ターナビ。片田舎の町であった。何でこのようなところでこの偉大な天才が生まれたのか?

やはり天才のひとりである、トマス・アルバ・エジソンの残した言葉。
「天才とは、99パーセントのパースピレーション(汗=努力)と、1パーセントのインスピレーションによってなる。」ステンマルクにぴったりな言葉にも思えた。



ステンマルクの家

2008-07-10 16:00:24

オートバイ二人乗りの旅 モイラノ(Mo i Rana)散策 水島 治・安子

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77日 月曜日 晴天 プログをアップしてモイラノのダウンタウンを散策



430分起床。久しぶりに羽毛のシュラフを使って寝たこともあり良く寝ることが出来た。そとは無風の全くの快晴、すばらしくよい天気。ノールドカップをでてからほぼ天気が続いている。出発時は北欧へ行くのは少し早いかもしれないとも思ったが、北極圏は今が一番よい季節かもしれない。

コーヒーを飲んで日記の整理。

昼食後プログのアップ。14時過ぎまでかかってしまった。疲れちゃった。

その後町を散策。そしてインフォへ。

インフォでは此れから行くスエーデンの情報収集と“ヴァイキング”について等教わったりした。

そして夕食のおかずを買って帰って、その後はpcのバックアップなどをして過ごした。

その後は出発準備をして10時過ぎに横になった。



“ヴァイキング”(学んだこと)

800年から1000年ごろに、デンマーク・ノールウエー・スエーデンを拠点とし、ヨーロッパから北米まで、広範囲にわたって遠征を繰り返し侵略していった集団のこと。

そしてヨーロッパの人々は彼らのことを「ノルマン(北方の人)」と呼び恐れた。

“ヴァイキング”という呼び名については、いろいろの説があるがVIK(入江)ING(人)を組み合わせたのが有力とのことであった。

“ヴァイキング”は高い造船技術と戦闘力を兼ね備え戦士であり、船は全長30メートル以上で30~40人程度が一度に乗り込み、それが50~70艘での集団で敵を襲い、向うところ敵無しであった。

“ヴァイキング”の侵攻ルートは、東西南北におよび。北ルートはイギリス・アイスランドや北米へと向った。

南ルートはドイル・フランスまで侵攻が及び、西はスペインまで達した。東はロシア、または中東まで侵攻していったとのことであった。

しかし年月が過ぎるにしたがって他国に定住する人たちが増え、遠征先から帰ってくることが無くなり“バイキング”の時代が終焉を迎えたとのことであった。

2008-07-07 20:55:15

オートバイ二人乗りの旅 北極圏脱出(66度33分 N) 水島 治・安子

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75日~76日 フィヨルド沿いの道を一路南下、

6日、910分北極圏( The Arctic Circle)到着。

北極圏15日間の滞在であった。



The Arctic Circle 到着 


                     

                            喜ぶ安子!!

75日 土曜日 曇りのち晴れ Fuuskeへ移動

430分起床。直に出発準備。今日はフェリーをのらなければならない。出発を6時と決めていたので、のんびりとパッキングをしてそして朝食をとって、6時宿を後にした。

フェリー乗り場まで手持ちの地図では65キロとなっていたが、70キロ過ぎてもつかず、U時のカーブとトンネルの連続。少々あせってしまったが85キロ過ぎの730分にようやくフェリー乗り場に到着した。

少ない車の乗船であった。我々が乗り込んだのが最後で、スタンドを立てている間にフェリーは動き出した。約30分の乗船であった。

以後はフェリーに乗る前と同じような地形の道をひたすら走り、寒かったが、心配の種であったタイヤの交換も終わったことも有り、バイキングの末裔が住むところを見たり、写真に撮ったりしてFauskeのキャンプ場に入った。

730分ごろから夕食、そして明日からのコースの検証をして10時過ぎに横になった。




バイキングの末裔が住むという村

76日 日曜日 晴れ 北極圏を抜けた(北極圏滞在15日間)。

5時起床。昨夜12時ごろから激しい雨が降っていたので、今日は出発を見合わせないといけないかとも思って起きた。が、少し雲はかかっていたが大丈夫。7時キャンプ場を後にした。その頃には雨も完全に上がっていた。

910分、The Arctic Circleの表示があるドライブインに到着。北極圏脱出!

12時過ぎまでのんびり過ごした。

その後は、針葉樹が多くなり道端には黄色 紫の可憐な花が現れるようになった尾根を走り、2時すぎに入江の小さな村モイラナ(Mo i Rana)に入った。

そして直にキャンプ場へ。 無線ランが出来るとのことで、明日プログアップでもしようかと思い、泊まりを2日とした。

北極圏を抜けたとはいえ、12時直になっても。まだ太陽がさんさんと輝き、子どもが外で遊んでおり、日本の真昼となんら変わらずであった。





2008-07-07 20:51:00

オートバイ二人乗りの旅 ナルビックへ タイヤ交換完了! 水島 治・安子

テーマ:ブログ

73日~7月4日 

フィヨルド沿いの道を一路南下、ナルビックに入った。

極北の村ではモーターサイクルの店などないと思っていた。が 有った! 

しかも何年もレーサーのメカをやっていた人が里帰りして最近開いたお店。

”このタイヤではこれから走るのは無理”ですよと言って、

先客が予約でとってあった一本しかないタイヤを我々に融通してくれ、

交換してくれた。


本当にありがとう! 感謝 感謝でした。


タイヤの磨耗を激しくした最大の要因は、

過激で無理な走行をしたことに尽きる。

シェンゲン条約の厳格な運用がなされるという情報を聞き、

我々が北欧・ヨーロッパにいれる期間は3ヶ月。


812日にはシェンゲン条約国以外に出なければならない。

此れを気にして、少々過激で無理な走行をしたことにある。 

大反省をした2日間でも有った。

心配してくれた友にも感謝! 感謝!!

73日 小雨 コース変更・ナルビックへ移動



5時起床。昨夜はカーテンをして寝たので良く休めた。外は小雨。

朝食後7時キャンプ場を後にした。

先ずはモーターサイクルのお店を探すのが一番、走り出して直に途中のインフォにより、検索をお願いした。“モーターサイクルのお店はこの極北では有りませんよ”と言っていたが、何度もお願いすると検索をしてくれた。 有りますよ 一軒ですが!との答え。 そして我々が進む方向の村。

名前と住所を教えてもらって、そしてタイヤ交換が出来る前提でYHの予約をしてもらって、また走り出した。

1130分ごろナルビックに入って直にインフォへ。

モーターサイクルの位置を教えてもらい、予約した宿の位置も教えてもらって直にモーターサイクルショップへ向かった。

有った! 

タイヤの状況を見てもらったところ“これではこれからの道を進むには無理です”との答え。しかしタイヤの手持ちが有りません とも言われた。

“しかしそれでは困るでしょう”と言って、先客が予約でとってあった一本しかないタイヤを我々に融通してくれた。

そそて作業は4時から行いますので、再度来てください。との嬉しい返答を頂いた。

甘えさせていただくことにして4時再来訪を約してお店を後にしてYHへ向かった。

宿はお店からわずか数キロのところであった。

ついたときは誰もいなくて、この宿に泊まれれるのかな? とも思ったが直に受付の人があらわれ、7人部屋を割り当ててくれた。

320分宿を後にして再度モーターサイクルショップへ。

多くのライダーが来訪していた。4時きっかりに作業に入ってくれた。タイヤを交換するばかりでなく、ホイルバランスをとってくれ、心配なところを全てチェックしてくれた。感謝 感激であった。

5時宿に戻った。

YH炊事場が有って、久しぶりの安子の料理。美味しかった!



74日 金曜日 晴れ タイヤ交換後の調子を見たりしてのんびりすごした。

4時起床。安子・そして同室の皆、高いびき。食堂に行ってコーヒーを飲んで日記を記載。

8時朝食。その後心配の無くなったこともあり、街へ散策。

インフォに行って、フィヨルドなどについて教えて貰ったりして過ごした。

のんびりした一日であった。

フィヨルドについて:

ノールウエー語。「内陸部へ深く入り込んだ湾」という意味を持つとあった。更に氷河による侵食で作られたU字、V字型の谷に海水が侵入して形成された入江。

フィヨルドは氷河の産物。約100万年前北欧は厚さ1000メートルを越える氷河に覆われていた。氷河は動きながらその重みで河床を削り、深い谷を作り上げてきた。やがて氷河期が終わると、掘り下げられた部分に海水が入り込み、現在見られるような入江が作られた。 とのことであった。

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