前回はここまででした。

「人間は幸せになるために命を与えられている。」

その幸せになる具体的解説が天理教の教えである。

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天理教の教えは煮詰めて行けば一つになります。

「人間はお互いに助け合って陽気ぐらしをしましょう。」ってことです。

もう少し具体的に書けばこうなります。

「人間は幸せ(陽気ぐらし)になるために(親神様から創造され)命を(貸し)与えられている。」

本来は極めてシンプルな教えですが、「(前生)いんねん」、「とく」と言う教えが話を複雑にさせ、教える人、教会によってはビビらせ信仰になっていきます。

「信仰しないと悪いことがおこるよ。」
「教会(親)に逆らうと悪いことがおこるよ。」とビビらせたがる人が天理教内部に存在致します。

ハッキリ申しておきます。

天理教の内側にいようが、天理教の関係ない側にいようが、神様の御守護に何の隔たりもございません。

善きことをすれば、善き人生が訪れ、悪しきことをすれば、悪しき人生が訪れます。

天理教の教えは善きこと、悪しきことの具体的解説であって、御守護そのものをいただけるかは否か、結局はその人次第でございます。