こんにちは! 本村穂蓉です。

このプログは、

スピリチュアルに関して、勝手、気ままに思いっきり書いています。


γ(▽´ )ツヾ( `▽)ゞ


ベルこのブログは、スピの存在が、書き記したモノを、
人である、ボクが、その後、編集してUPしています。ポスト



++++++++++++++++++++++++++++++++




『 頑張るのだよ♪。。。と、伝えなさい。 』



・・・・・と、スピのメモにあるもので、




誰に?

何を?



・・・という気持ちのままに、メモ書きを編集していますが、

でもまぁ、、、スピが、そのようにメモに残しているので、

誰かに、何かを届けるのでしょうね。、、今回の、この記事。。♪

・・というコトで、書いていきますねっ”



ダウン




あのね・・・

自分を、褒め殺すくらいに、褒めなさい。。




あのね・・・

葛藤なんて、捨てちゃいなさい。




あのね・・・

制限している感情を、すなおに、表現しなさい。




そして・・・・

「 頑張るのだよ♪ 」




・・・・・と、スピのメモ書きにあったりして。。

なんのことだかは、わかりませんは、

きっと、、誰かに、何かに、、届くのでしょうね♪



。。。と、そんな今回のブログでした。(*^▽^*)







今回の記事が、誰かの元に届き、

なにかしらの、キッカケになると嬉しいです♪。

最後まで、お読みいただきまして、ありがとうございました。

あなたに、心から感謝の気持ちを込めて。。。







赤い糸と、自分の意図と。

テーマ:

こんにちは! 本村穂蓉です。

このプログは、

スピリチュアルに関して、勝手、気ままに思いっきり書いています。


γ(▽´ )ツヾ( `▽)ゞ


ベルこのブログは、スピの存在が、書き記したモノを、
人である、ボクが、その後、編集してUPしています。ポスト



++++++++++++++++++++++++++++++++




『 赤い糸と、自分の意図と。 』




時折、夢を見ます。

それは、現実的だったり、、、そうじゃなかったり。。

いろんな夢を、たくさん見ます。

そして、その夢を、「 夢解き 」したり。。♪




あるとき、

閻魔様の足元で、寝ている夢を見ました。

大きな、大きな、青色の足の側で、ボクは寝ていて、

閻魔様の頭に足を向けるようなカタチで、横になっていました。

ふと・・・目が覚めるて、身体を起して見ると、

遠くに閻魔様が、仰向けで寝ていました♪

ま、、、なんというか、

お側に居てもよいのだ。。。。と、思ったりして。。

なんだか、その状況に、「 許可 」をいただいたような気がしました。





この ブログは、「 スピ 」の感覚のままに記したメモを、

人としてのボクが、編集しているのですが、

まずは、上記に書いた、「 閻魔さま 」のコトを書くに至ったようで、

そして、これからは、なぜだかに、


『 赤い糸 』と、『 自分の意図 』


・・・について記されているので、

それを編集しながらに書いていこうと思います♪





スピ曰く、「 アカ 」とは、

元来、あるエネルギーのコトを言うらしく、

それは、「 御縁 」というジャンルでのエネルギーなのだとか。

そして、その「 アカ 」は、川の流れのように、

自然の状態において、すべて、自然と繋がるらしい。。。。。




川は、源流があり、

そして、幾重にも、支流となり、

最後には、海という共通のゴールに繋がる流れ。

その、川のように、

「 アカ 」は、支流として、分かれ道となることもあるけれど、

最後は、その「 アカ 」の行き着く先で、また、再会を果たす。

・・・そんな雰囲気の、お話しらしい。





その「 アカ 」の流れのままにいることができれば、

そのように、自然と分かれ、自然と、再び繋がるのだけれど、

人という存在は、なぜだかに、自分の『 意図 』を持って、それを、いじる。

そうなると、本来の「 アカ 」の流れとはズレが生じて、

本来の、行き着く場所には行き着かないらしい。





どうやら・・・・・

「 御縁 」に関しては、

自分の意図ではなく、自然の流れに委ねるのが良いようです。。

そかそか・・・と、ボクは妙に納得したり。。。しています。。(笑)




今回は、そんな、お話でした。(〃∇〃)。。







今回の記事が、誰かの元に届き、

なにかしらの、キッカケになると嬉しいです♪。

最後まで、お読みいただきまして、ありがとうございました。

あなたに、心から感謝の気持ちを込めて。。。









こんにちは! 本村穂蓉です。

このプログは、

スピリチュアルに関して、勝手、気ままに思いっきり書いています。


γ(▽´ )ツヾ( `▽)ゞ


ベルこのブログは、スピの存在が、書き記したモノを、
人である、ボクが、その後、編集してUPしています。ポスト



++++++++++++++++++++++++++++++++




『 それぞれが、今を生きている♪ 』





音譜カラオケぼ~くらは、みんな~、生きている~、
生きているから楽しいんだ~音譜カラオケ



・・・そんな唄がありますねっ”

今回は、その、お話です。





かなり前のコトになります。

スピリチュルの感覚を意識的にコントロールしよう・・・・と、

そんな風に、心に決めた時、

ある、「 苦しみ 」の感覚に出逢いました。

それまでは、無意識のままに、

スピリチュアルの感覚を感じながらに生きてきていて、

人との触れあいの中で起きる出来事を、


「 しょうがいない・・・・ 」



・・・というような、あきらめ、、として受け止めていました。

だから、あきらめ以上の感情はソコにはないから、

無気力という感覚に近いような、捉え方をしていたので、

感情自体が、人との触れ合いのなかでは、ほぼ、ありませんでした。

今に、思うと、ある種「 防衛 」のような感じだったのだとおもいます。




そして、数年前の、東日本大震災後、

スピリチュアルいう感覚を自分自身の中で、意識的に活用していこう!、、と、

考え初め、行動に移しはじめました。

それは、感覚に届く、「 活用しなさい 」という声に従っての行動でした。

だけど、

体の一部の「 皮膚 」のように、標準装備していた、霊的感覚を、

意識的に感じるということは、とても、苦しみを伴う行為でした。





あるとき、混み合う電車の中で、

その車内にいる、すべての人の想念が飛んできたときがありました。

こころの準備がないままに届いてくる、それら・・・・・。

それは、まるで、ラジオのチャンネルが少しずれたままに、

たくさんの、ノイズが、耳に届いている・・・・そんな感覚でした。

同時に、いままで、どうして?、こんな状況に反応しなかったのか?

・・・とも考えました。

気がつかなかったわけではなくて、「 普通 」のコトだったから・・・

普段、空気を吸いながらに過ごしている感覚に近いから・・・

だから、ボク自身、感じていなかった事象でした。




なので・・・・、その時は、数え切れない想念の音が、

頭の中に、グシャグシャになって届いてくることに、

気持ち悪くなってしまって・・・・

でもね、、車内の人達の、お顔の表情を見たときに、

その気もち悪さが、瞬間になくなりました。

ひとり、ひとりの、お顔の奥にある本質に出逢った、、そんな感触が届きました。

つまるところ、ボクが感じたのは・・・・



『 みんな、懸命に生きている姿なんだ・・・・・ 』



。。。。って、強く感じたんです。

それは、いままでにない感情でした。





その時に、車内の方々の、お顔を見たときの感情、

いまでも、鮮明に、覚えています。



☆目が鋭く、睨みつけるようなまなざしの人。

☆車窓から見える外の景色を、ボーッと見ている人。

☆うなだれて眠っている人。

☆悲しそうな、顔をしている人。



ほかにも、たくさんの表情を見ました。

それは、自分の目を通して、

テレビカメラが、360度、ぐるり・・・・と、映し出しながらに、

その映像を、ボクの脳裏に焼付けるみたいな感覚でした。

その時から、

さまざまな事象に対して、「 あきらめ 」という、風景の映像としての感覚ではなく、


「 それぞれが、懸命に生きている姿 」


・・という風に受け止めるコトが自然とできるようになりました。




その時期くらいから、

他者様の、さまざまな姿が、とても尊く感じられるようになりました。

この情報化社会といわれる時代において、

直接的に触れ合うことがなくても、

その人の、動向を、ネット上で感じるコトができるようになるなかで、

それらの動向に対して、『 ジャッジ 』するコトなく、

ただ・・・懸命に、今を生きている姿。。

・・・・として、見つめ、感じるコトができるようになりました。




それは・・・・

例えば、霊的感覚で感じた時に、

その人が、「 その人の道ではない道を歩んでいたとしても 」

それはそれで、その人の、懸命に生きている姿・・・なのだと感じるコトが、

できるようになった・・・・という意味です。

ただ、霊的感覚を通していないボク自身の時には、

やはり、その光景を見ながらに、せつなく、かなしく、、なったりもします。

でも、そんな小さな視点ではなく、


大きな視野で見つめるコトが、ボク自身にとっても大切なコトなのだ・・・と、

イマでは、そんな風に思いながらに過ごしています。






『 それぞれが、今を生きている♪ 』



イマに想うに、、

人間の頭脳では、とても理解できないくらいの「 プログラム 」の中で、

ボク達は生きているように思います。

だから、理解が到達できない事象も、たくさんあるのだと思います。

でも、そんな状況の中でも、

ひとつ言えるコトは、



人は、生まれてから死に至るまで、それぞれが懸命に生きている。



・・というコトなのだと思います。

その視点を持ちながら、イマにある、周囲の風景を、

チョイと、、見てみてください。

さまざまな姿の、懸命に生きる・・・。姿、、、。。

・・・・に、きっと出逢うと思いますから。。。(*^▽^*)







今回の記事が、誰かの元に届き、

なにかしらの、キッカケになると嬉しいです♪。

最後まで、お読みいただきまして、ありがとうございました。

あなたに、心から感謝の気持ちを込めて。。。










こんにちは! 本村穂蓉です。

このプログは、

スピリチュアルに関して、勝手きままに思いっきり書いています。


γ(▽´ )ツヾ( `▽)ゞ


ベルこのブログは、スピの存在が、書き記したモノを、
人である、ボクが、その後、編集してUPしています。ポスト



++++++++++++++++++++++++++++++++




人と人の触れあいについて。





人であるからには、イマの世の中にて、

人との触れあいを避けて過ごすことは難しく、

ならば、人との触れあいを好んで過ごすことができれば・・・

・・・・との想いから動いていたとしても、

人であるからには、気持ちの変動もあるわけで・・・・

・・・・なかなかに。。。





「 こころ 」とは、コロコロ~、、、動くモノだからに、

「 ココロ 」と呼ぶのであったりする説もあり、

それすらも定かではないにしても、

とにかく、一定の状態を保つことは不可能に近いのが、

「 こころ 」というものらしい。




その、「 こころ 」が、

一定の状態でないというのであれば、

それは、「 不安定 」という言葉で表すことができて、

「 不安定 」なればこそに、

人と人との触れあいに於いては、

「 不確かな 」事象が発生もしてきたりする。





元来、人は、嫌われたくて生きている人は、

相対的に少ないらしく、

ならば、好いてもらえるように行動してしかるべきではあるけれど、

それも、「 相手 」あってのコトでもあるから、

その「 相手 」の気持ちに「 同化 」するくらいに、

感じるコトができないのであれば、

それは、「 嫌われる要素 」となりうるわけで・・・・。





そのままに、時間を経過し、嫌われるという要素を、蓄積し、

気づいた時には、「 嫌われる存在 」となるに至った時。。。

それは、その蓄積した時間に、

だれかしらの・・・人を傷つけてきたという意味となりうるわけで、

そのコトを知らないままに過ごし、

しかも、継続して、同じ行為を繰り返しているとなると、

それは、その人の「 罪 」となり、

自身に降りかかってくる「 種 」の植え付けとなる。





自身に耳傾け・・・・

己の姿を、そのままに映す鏡を手に入れよ。。。





・・・イマに、スピは、そう伝えクル。







今回の記事が、誰かの元に届き、

なにかしらの、キッカケになると嬉しいです♪。

最後まで、お読みいただきまして、ありがとうございました。

あなたに、心から感謝の気持ちを込めて。。。








こんにちは! 本村穂蓉です。

このプログは、

スピリチュアルに関して、勝手きままに思いっきり書いています。


γ(▽´ )ツヾ( `▽)ゞ



++++++++++++++++++++++++++++++++




争いのない、社会を目指すということについて。



・・・と、今回は、このテーマで書いていきますね。





争いのない世界・・・・・

・・・・その世界を創るというコトは、

とても、高尚であり、すばらしきチャレンジだと思います。




いま、ボクは、美容学校2校にて、週に一度程度の割合で、

「 運営管理 」の講義を担当させていただいています。

その講義は、

美容室の、経営者、もしくは、店長など、経営幹部の方に向けての講義内容。




そこでは、


「 争わない為に・・・・ 」


・・・というテーマも含めて、講義をさせていただいています。

競争というのは、資本主義社会において、

社会を活性化するために必要不可欠な要素なのかもしれません。

でも、その価値観は、

最終的に、争いとなる要素ともなりうる・・・とも感じています。




なので・・・・・

講義では、



「 争わない為に・・・・」



つねに、自分以外の意見や、考え方に触れていただきながら、

他者との「 融和 」のポイントを探してもらったりしています。




一方で、生徒さんが、それぞれ社会に出た時に、

同業者さまたちから、



「 あいつとは、争いたくない・・・・」



・・・と、周囲に感じてもらう為の努力も必要不可欠だと思い、

おのおのの、オリジナリティの確立も目指しています。

簡単に言うと、



「 争わない為・・・に 」

= 「 争いたくないと思わせる存在への確立 」 + 「 周囲との融和の心の確立 」



・・・・そんな公式になります♪





いまの世の中、

「 争わない為に・・・ 」

・・・という、理想を掲げての勉強会や、サークルが多いのは、

人として、争いを避けて生きたい、、、という気持ちの表れなのだと思います。

でも、、、、

そのような、部会、サークル、勉強会において、

その周辺にいる人達が、



その思想に及ばない人や、

その思想とは違う人、、、



・・・を、排除しようとするコトも多いようです。





これは、人間であるからには、仕方のないコトだと思います。

キリストや、仏陀は、

崇高な思想を、世に伝えました。

でも・・・・

その伝えるという段階において、

受け取る側の価値観、思想が、その崇高な思想に変化を与え・・・・

純粋な思想では無いままに、いまに、伝えられている側面もあるかと思います。

何千年も前から、このようなコトが、繰り返されているのですから、

これは、人間の、「 くせ 」なだと思います。

なので、その部分に、フォーカスはしないんですけど、




では、なぜ?

そのようなコトが起きるのか?




・・・と、整理して感じてみると、

「 つたえる 」という行為において、

自分の身体を、活用して伝えるから、

どうしても、その体の匂いが、プラスされてしまうのですよね。。。。




近代のように、

録音の技術があり、

それを、そのままに、継承していけば、

ある思想を、生まれたままの状態で継承していけるのでしょうけれど、

それですら、受け取る側の状態によって、

変化したカタチで、「 感受 」されることもあるわけで・・・・

そのように考えていくと、

とどのつまり・・・・きりがないのですけど。。。(苦笑)





・・・・で、ですね。。

調和、、、って、

うつくしい調べを、もたらしてくれる事象に思うんです。

音楽でいうところの、「 コーラス 」。

いろんな声の色合いが、ひとつの曲を奏でることで、

奥行き深い、「 オト 」として、耳に届きます。





争わない社会のため・・・・・

・・・という、事象を目指すのであれば、

主張するのも、排除ではなく、融和の中において、



「 みんなと、一緒に。 」



・・・・そんな思想を、抱き続けることも大切な要素なのだ・・・・と。

ボクの中を通る、スピの感覚のままに、そんな風に、思います。





かの、マザーテレサに関しての、エピソードがあります。

それは、彼女の元に訪れ、



「 あなたのように、世界に愛をとどけたいのです 」



・・という人達に対して、

いつも、同じ言葉を、伝えていた・・・という、お話しです。

その言葉とは、



「 もし、そう思うのであれば、

あなたの一番身近なひとに、その愛を届けてください 」



・・・という言葉。





しかるに、

もし、「 争いのない社会 」の形成を目指すのであれば、

一番、身近な人との、「 争いをしない 」コトが、とても大切なようです。

身近な存在との、「 調和 」の先に、

その世界は拡がりをみせる・・・

・・・・スピの存在は、そのように伝えてくれています。




なるほど。。。

この記事は、スピの感覚のままに、書き記した文章を、

人である、ボクが編集しながら、記事にしています。

そのボクは、悟りを開いた高尚な人間ではありません。

でも・・・・

スピの伝えるコトは、自然の摂理を伝えている気がしてならないんです。




このブログは、

そのスピの存在が、書きなさい・・・というコトで書いているだけです。。

今回の記事が、誰かの元に届き、

今以上に、

「 争わない 」という事象の奏でる音に満ち溢れる社会になるための、

なにかしらの、キッカケになると嬉しいです♪。





最後まで、お読みいただきまして、ありがとうございました。

あなたに、心から感謝の気持ちを込めて。。。










こんにちは! 本村穂蓉です。

このプログは、

スピリチュアルに関して、勝手きままに思いっきり書いています。


γ(▽´ )ツヾ( `▽)ゞ



++++++++++++++++++++++++++++++++




無色透明♪・・・・見えない世界と、見える世界と。



・・・と、今回は、このテーマで書いていきますね。




まず、最初に、

見えない世界、見える世界、

この「 差 」は、どのような感じなのか?・・・と言いますと。



例えば、

カップルで映画鑑賞をした後の、感想に見えてくる事象に、

とても近いものがあるように思います。

同じ映画を鑑賞したとしても、

覚えているシーン、セリフは、それぞれの感受性において、違いがありますから、

もちろん、100%、おなじ感想というコトは、あり得ないのでは?、、ないでしょうか?

その「 違い 」のムード感が、

見えない世界、見える世界、の、「 差 」に近いです。




そして、見えない世界を、感じたい場合・・・・

多くの場合は、「 興味 」という感覚からだと思いますが、

ご自身が、


「 無色透明 」



・・・・の位置に、座するコトで、

見えない世界に、触れるコトができると、ボクは考えています。




では、

具体的に、「 無色透明 」というのは、

どのような感じなのか?・・・と、いいますと、


『 無 』


・・・の領域となることです。

ここでいう「 無 」の領域とは、

人としての、「 個 」の存在ではなく、

自然界の中に、すべて溶け込む状態を意味しています。




でも、

「 無 」になる、

・・・と、思った瞬間に、すでにそれは、「 無 」ではなく、

意識下の行動となっていますから、

意図せず、思わないままに、その領域に座することを目指さなければならないので、

チョイと、厄介な事象だったりするんです。




「 無 」というのは、「 無 」であって、

何もない状態。

でも、何もない状態を意識すると、

それは、すでに、「 無 」ではない。。・・・・という、感じの、お話しなんです。

ボク自身は、

霊的感覚を発生させると、完璧に、記憶がなくなります。

その状態でない限りは、

霊的感覚の領域にいない・・・・と判断しています。




今回の人生に於いて、

無色透明の人間様に、数人、お逢いしたことがあります。

霊視しても、何も見えない、感じない。・・・・そんな方々。。

見えない世界の標準言語である、



ゼロ・リミッツ。



ニュートラル。



・・・などのような言葉で、

その状態のコトを言う方もいらっしゃいますね。




無色透明になることのできる、その数人の、方々。

通常は、欲を持ち合わせている、人間の姿ですから、

無職透明のままに、過ごす事は現実的ではありませんので、

その状態には、ないのでしょうけれど、

その方々は、ある瞬間に、無色透明になることができる人達なんです。




その、ある時?・・・・・とは?

それは・・・・



「 利他的 」



・・・な、想いに溢れて、行動する瞬間の時。

、、、です。。です。





その瞬間の、「 集中力 」というのでしょうか?

「 利他的 」となる、心の芯の大きさなのでしょうか?

とにかく、その瞬間に、無色透明の領域に、入られるんです。

それは、わずか、1秒にも満たない時間なんですけど、

その領域に踏み入ることができる・・・というコトは、

とぉーーーても、尊いコトですから。。

とにかく、ことばにならないくらいに、スゴイことなんです。




そのような方は、

無色透明の、「 種 」を保有しているので、

その種は、成長させるだけで、その領域が広くなっていきます。





例えば、

実際に、ある女性社長様は、



「 社員様に、どのようになってほしいのですか? 」



・・と、お聞きした際に、



『 ただ・・・・幸せになってほしいの♪ 』



・・・と、お話しくださいました。

その言葉を、お伝えくださった瞬間、

無色透明の、存在に変容したのが明確に分かって、

この方は、その種を保有している方なんだと。。。。





また、

著名なマーケッターの、ある方は、



「 お仕事をする上で、どんなポリシーを、お持ちなんですか? 」



・・・と、お聞きした時に、



『 どんなカタチでも、ただ・・・お役にたてれば・・・って思うんですよねっ” 』



・・・そんな風に、お答えいただいた時に、

キラリ!、、、と、無色透明な姿に。。





どちらの方も、そのような、無色透明になった瞬間に、

同時に、本人が感じないままに、

見えない領域から届くギフトがあるんです。

そのギフトは、

「 ひらめきの種 」だったり、「 ご縁の種 」だったり、

その時にすぐには芽生えないけれど、

なにかしらの宝物の種が、シュッ!!!、、、って、インプットされるんです。

それらの宝物は、本当の宝物。

この世で買うことのできない存在です。




だから・・・・

無色透明、、、という領域。

オススメなんです。

・・・というボク自身も、

その無色透明な時が、スピの時の記憶のないときであると想っているのですけれど、

それすら定かではないんですけどね(笑)




ま、ま、、

このブログは、スピの状態で入力。

人としての立場で、編集している記事なので、

チンプンカンプンな文章、内容であるかもしれません(笑)

でも、。。。書きなさい!!、、、って言うから。。。(笑)

。。。、また、書きますね。。いろいろと。。




今回も、最後まで、お読みいただきまして、ありがとうございました。

「 あなた 」に、心から感謝の気持ちを込めて。。






こんにちは! 本村穂蓉です。

このプログは、

スピリチュアルに関して、勝手きままに思いっきり書いています。


γ(▽´ )ツヾ( `▽)ゞ



++++++++++++++++++++++++++++++++





今回は、

言葉による、「 支配 」について。




占いや、スピリチュアルカウンセリングで、



「 あんたは、こうだからね! 」


「 こうしないと、いけないよ! 」



・・・・なぁ~んて、断定されたり、行動に制限をかけられたり・・・

そんな風に言われた経験ありませんか?



・・・・えと。。(笑)

ボクは、あります(笑)

「 某00の母 」という、お方に。。(笑)

*スピをオープンにする前に、流れで強制的に連れて行かれました(笑)





「 あんたは、こうだからね! 」


「 こうしないと、いけないよ! 」



・・・・なぁ~んて、断定されたり、行動に制限をかけられたり・・・

そんな風な事象を、スピの感覚でいうところ、

これを、「 言葉の呪縛 」「 言葉の支配 」といいます。





それらの、「 呪縛 」や「 支配 」の、言葉の中には、

ある種の、伝える側の意図が存在しているわけです。

その意図とは?

伝える側が、


「 言うコトを聞かせたい 」


・・・という意図・・・・デスデス。




では、

どうして?

言うコトを聞かせたいのか?

それは・・・・

自分のチカラを、「 認めさせたいから 」。。。です。





スピの感覚、霊的感覚を提供する側にとって、

ひとつの信念に基づいて発信しているであれば、

その感覚を「 信じている 」わけです。

その信じている感覚を否定して欲しくない、、、という欲求があるんです。




それと・・・・

受講者にとって、



「 なくてはならない存在 」



・・・・に、なりたい!・・・という思惑も存在するのですよね。

そうすることによって、ビジネスを成り立たせている人達もいるというコトです。




もちろん、それは、自由意志の生き方ですから、

否定も肯定もしません。

でも、ボクは、好きではないです。

むしろ、大嫌い!(笑)





「 スピリチュアルの使い手 」という方が、

有名な方も含めて、たずねていらっしゃるコトがあります。

それは、ありがたいことですけれど、

思いっきり、「 俗世 」の匂い、プンプン!!で、、お越しになる方も多いです。

その匂いプンプン!!、とは・・・・・




「 私が、スピリチュアルをしたいから、

スピリチュアルを受講したい人を探しています・・・・

どうしたら? 集客できますか? 」



・・・といった御相談から、




「 スピリチュアルを、なかなか、ビジネス化できないんです・・・ 」



・・・というモノまで。。。さまざまな御相談をいただきます。

なんだかなぁ~・・・って、その都度思うんです。

そして、もちろん、お伝えします。



『 双方にとって、その御縁が必要であれば、集客という意味では人は集まりますし、

そうでなければ、集まらないのですよ。 』



『 そもそも、それは、誰の為ですか? 』



・・・・そんな風に、お伝えします。

すると、

御相談しに来た方々は、

ご自分を、取り戻したかのように、



「 ・・・・ですよね・・・(笑) 」



・・・・と、おっしゃるんです♪






実のところ、スピのチカラというのは、

その人間を、「 ほだします 」。

そのエネルギーで、人間を包み込むのです。

だから、そのエネルギーに触れ続けていると、

酔っ払ったような状態になって、

自分の本来の思考が、理性の制御が利かなくなることもあるんです。

過度の私欲となっている事象を、

私欲ではない!・・・という理由付けを上手に、

自分自身にしてしまう・・・という意味です。




スピや、霊的感覚、見えない全てのチカラを、感じ、活用しようという人は、

基本、「 利他的 」な位置から、スタートする方も多いのだと思いますが、

お酒に対して、強くないと、酔いつぶれてしまう・・・そんな人がいるように、

見えないエネルギーに、強くないと、酔いつぶれてしまうんです。

そして、酔いつぶれた人は、泥酔状態となり、

「 利他的 」ではなく、「 利己的 」になります。

それも、過度の。。。です。





だから・・・・泥酔状態となった、酔いつぶれた人は、

無意識下のままに、

「 言葉の呪縛 」「 言葉の支配 」をしてしまうんです。





罪を憎んで人を憎まず・・・・

。。。と、高尚なる、お言葉があります。

もし、「 あなた 」が、

スピリチュアルや、霊感や、見えないチカラを活用している人に出逢った時に、

その人が発する言葉の中に、

「 支配 」や「 呪縛 」などに感じる言葉があるとしたら、

その行為は、「 美しく見えない 」はずですから、

その時は、


『 酔っぱらってらっしゃるのね~♪ 』酔っ払い


・・・と、、広い心で、接してみてくださいねっ””ラブラブ




そうするとね。

遠からず、きっと、あなた自身に良いコトが訪れますから音譜


今回は、

言葉による、「 呪縛 」、「 支配 」について。

・・・でした。



最後まで、お読みいただきまして、ありがとうございました!

ではでは・・・・(*^▽^*)






こんにちは! 本村穂蓉です。

このプログは、

スピリチュアルに関して、勝手きままに思いっきり書いています。


γ(▽´ )ツヾ( `▽)ゞ



++++++++++++++++++++++++++++++++





今回は、

スピの感覚からの、優しさの定義の探求です。

あくまでも、人の感覚ではないままに書いていくので、あしからず。(* ̄Oノ ̄*)。



優しさ

【一般的な優しさの意味】

1 姿・ようすなどが優美である。上品で美しい。
2 他人に対して思いやりがあり、情がこまやかである。

by 某辞典より




そもそも・・・・

優しさとは?、、、なんぞや??



・・・という位置から書いていくのですけど、

これは、「 ひとそれぞれ 」という他ないような、、、気がしてて。

例えば、

困っている人がいて、その人に対して、何かできないモノか?

・・・と、助け舟を出すのも、人への優しさでしょうし、

同じ条件下でも、その困っている人に対して、

「 ほっておく 」ことで、その人の自立を助けるという観点でみると、

それも、優しさ・・・でしょうし。

人間であるからには、人が人に対して行う「 優しさ 」という事象に関して、

どれが?「 やさしさ?? 」、という定義づけは難しいのかもしれません。




このブログは、

『 バリ・スピ・ブログ 』ですから、

・・・・バリバリな、スピリチュアルの感覚のままに書いているという意味です。γ(▽´ )ツヾ( `▽)ゞ


そのスピの感覚のままに、「 優しさの定義 」について書いていくと、

「 やさしさ 」という事象は、車のハンドルのようなモノらしく、

車に、ハンドルが無いと「 ヤバイ 」状態になるように、

人間としては、必要不可欠な要素のようです。





実のところ、「 優しさの定義 」というのは、

その奥にあるようで、

「 ハンドル(優しさ) 」は、標準装備してしかるべきものだとして、

その「 ハンドル(優しさ) 」を握り締める「 加減 」が大切となり、



どんな想いを持って、そのハンドルを握るのか?


・・・・その「 想い 」が、おのおのの、

『 やさしさの定義 』の、ポイントとなるようです。


『 やさしさの定義 』 = 『 想いの、チカラ加減 』



。。。と、いう図式です。

もう少し簡略すると、




『 やさしさ 』 = 『 想うコト 』




・・・・でもアルというコトです。

・・・というコトは、

その事象に対して、「 想うだけ 」で、

それが、「 やさしさ 」となり、それに届くという意味なのでしょうね。





さらに、スピの感覚曰く、

「 想う 」という事象は、

あらゆる変化に対応できる事象らしく、

想いが強ければ、目に見えての優しさとなり、

想いが弱ければ、目に見えない優しさとなる。

でも、想いが強くアルとしても、

目に見えないような優しさに変換することもできる。

・・・というように、

自由自在に、自分の中でコントロールしながら表現できるモノのようです。




「 やさしさ 」 = 「 想うコト 」



スピの感覚は、このように伝えてくれました。

この記事を、書き終えて、今、人間の存在として読み返すに、

ボク自身、分からぬ箇所も、アルのですけれど、ココでは、

「 ボクは、つたえるのみ 」

・・・なので、まずは、これにて、この記事は終了としマース♪(笑)



今回も、最後まで、お読みいただきありがとうございました。

あなたに、心から感謝の気持ちをこめて。










こんにちは! 本村穂蓉です。

このプログは、

スピリチュアルに関して、勝手きままに思いっきり書いています。


γ(▽´ )ツヾ( `▽)ゞ



++++++++++++++++++++++++++++++++





【 神がかりの事象は、すべて美しい♪ 】



・・・・あ!????

ここ、宗教のサイトではありませんからね・・・・(笑)

ボク自身は、お寺の血を引いていますけれど、

基本、人が創った、どの宗派にも属してはいません。

ただ、「 自然 」を崇拝しているのは、確かですが♪




・・・と、今回も、勝手気ままに書いていきますね。

お付き合いくださる方が、いらっしゃるのであれば、とっても光栄です(m--m)





ここ最近、耳に届く言葉に、

「 うつくしさ 」

、、、という言葉のオトがあります。

この「 うつくしさ 」を、日々感じるコトは、

ボクにとって、神々しい事象に触れるコトでもあって、

朝焼けや、夕焼けの空が、ボクは好きで、

よく、写真をパシャリ!、、と、撮るのですけれど、

それは、「 自然 」への触れあい、さらには同化を感じられるからなんです♪




ところで、

あなたは、「 花 」を観察したことありますか?

ボクは、花の品種などは無知なんですけど、

ただ、花を見るのは好きでして・・・

その「 花 」のカタチを、よくよく観察してみると、

なるほどに、よく、創られているのですよね~♪

バランスも、色彩も。。

人は、このカタチを創ることなどできない、、って、思うんです。





たとえば・・・・

お魚で、「 カレイ 」という魚がいます。

砂浜に、埋もれるように隠れて過ごしている魚なんですけれど、

身体を砂の色に、擬似的にして、身を隠しているのです。



でもね・・・・・?

鏡がないのに????

どうして??

その色になることで、身を隠すことができるのか?

そもそも、そのような思考が存在しているのか?




カレイにしても・・・・・

カマキリにしても・・・・・・









身を、周囲の色合いに同化させるというコトを、

どのようにして、体得したのか?

・・・・って、そんな風に疑問に思うコト、しばしば。。。なんです♪(笑)



学者の方々は、


「 進化の過程で・・・ 」


・・・と、おっしゃるのは分かりますが、

その進化の過程での、それらの生物が、

周囲の色彩を感じて、この配色であれば、身を守れる・・・・

そんな風に、思うのだろうか?

・・・・って思ったりするんです(笑)





こんな感じで、自然について考え始めるとキリがなくって・・・(笑)

でも、感じたい!、、とも、思ったりして。。

そして、その思考の行き着くところは、

なにかしらの存在が創造した・・・・というコトに思えたりして。




なにかしらの存在が、創造した事象は、

すべてに、完璧なまでのバランス、色彩であるから、

それが、人の言葉で表現すると、「 神々しい 」というオトになるのかと。。




神や、創造主を、人間がどのように理解してきたのか・・・・?

そのコトを知りたい、、って思ったときがあって、

片っ端から、あらゆる宗教本を読み漁ったときがありました。

そこで知ったコトの中に、

イスラム教という宗教がありました。

イスラム教・・・

それを伝えたのは、「 ムハマンド 」という方。

イスラム教は、偶像崇拝を禁止していますから、

「 ムハマンド 」という方の、姿、カタチは、伝えられていません。





「 ムハマンド 」は、キリストのように、「 奇跡 」を通して、

人を魅了したわけではないんです。

天使からいただいたメッセージを、民に伝えたところ、その言葉が、


「 美しすぎる 」


・・・・くらいに、美しかったから、

コレは、人である、ムハマンドが言っているのではなく、

神の存在が、伝えている。

・・・と、周囲の人々は感じ、そして広まっていったのですね。





ここで言う、「 うつくしさ 」は、

イスラム教の聖典である、「 コーラン 」でも大切にされていて、

日本語や、英語などで訳された「 コーラン 」は、


『 コーランではない 』


・・・のだそうです。

「 コーラン 」とは、その言葉で書かれたモノ以外は、違うのだとか。

そのくらいに、

「 言葉の調べ 」の美しさを大切にしているというコトなのでしょうね。





仏教の、「 般若心経 」の最後の部分、



ぎゃてい ぎゃてい はら そう ぎゃてい



・・・・という節も、

サンスクリット語の、オトとして、

本来は、訳すことのできないモノとして、位置づけられていますしね。。。

古今東西、人の織り成す文化には、

なにかしら、「 うつくしき事象 」が、

深い意味合いとして存在しいているのかもしれません。





話が、それました(笑)

戻しますね。。




上記に書いてきたコトをまとめると、

美しさには、神のチカラが宿るのでは?

・・・・と、いまの、ボクは思っています。




なので・・・・

「 美しくアル 」というコトは、

神々しいエネルギーと同調する、または、同化するという行為なのだと思うんです。

ただ、ここでいう「 美しくアル 」というのは、

姿、カタチではなく、

「 美しく感じるコトのできる事象 」という意味です。

その感覚に照らし合わせて、日々、人としての生活を過ごしていくことが、

「 正しい 」とされる方向に歩めるのでは?・・・・と思います。





その行為は、「 美しさをともなう事象なのか? 」

・・・という、ある種、「 ものさし 」のように、

いつも、その視点で、物事を見つめるコトができると、

おのずと、あるべき今の、自分の姿になることができるのだ。。。。と、思うんです。





いまの、あなたの、「 思考・行動 」は、美しさをともなう事象なのか?

ホンノリ、、、意識してみると、また、新しい何かに気がつくかも?

・・・・・です。。です。。(*^▽^*)。





今回も、最後まで、お読みいただきありがとうございました。


・・・と。。ではでは。。。o(〃^▽^〃)o