2011-07-30 19:50:05
被災地を撮る
テーマ:ブログ
@生きるという事
↑写真の解説をしよう。
2008年8月5日の午前5:34分に撮影した写真だ。
場所は北海道のオコタンペ湖。
湖のド真ん中に生える一本の樹木の写真だ。
「木」というものは、通常土から生える。
しかしだ、色々な条件を克服し立派に太陽に向かって伸びたこの木を見たとき、
人間に、何かを訴えているのではないかという思考が俺の頭の中をグルグル。
考えてみてくれ。
五体満足に、何不自由なく育ったはずの人間が、病み、疲労を訴え、最悪の場合、自ら命を絶つ。
しかしこの「生命の樹」は、偶然にも水面下にたどり着いた樹の赤子が、酸素もない、友達もいない
そんな中で、水分に含まれる微量の酸素を吸収し、太陽の光で光合成し、やっと水面に顔を
出せた。
やっとだ。
大量の酸素と太陽の恵みを数年かけて得た樹は、写真のように
細いが、意思を持ち、見るものに何かを感じさせ、誰が剪定したわけでもないのに、
見事な咲きっぷりじゃないかよ。
湖面に生える一本の樹だから友達もいないだろうけどさ、
そこにカヌーで訪れた俺がこの樹の友達だ。
友達は教えてくれた。
「最後に綺麗な花を咲かせる為に、今は辛抱しろとね。」
なかなか現代の人間ってやつは、俺を含め、金に先走ってダメだ。
水面下を無視している。いわば「キミ麻呂」だよ。
解決策として一番いい方法はね、家出だよ。
いつまでも父母の元にいたのではね、マジで腐るから人間が。
今日の本題、「被災地を撮る」について少し。
ここからの文章にはゴヘイ、その他の表現も含まれるかもしれないけど、
被災された方々、お許しください。
被災地への撮影の話は何度かあった。
しかし、おれは、行きたくないんだ。
撮りたくないんだ。
写真を撮り続け、人の心に触れるようになってからなんだけど
怖いのよ。
それと、奇麗事をたれるとさ、
ただ、被災地を撮りに行くという行為が俺にはダメなんだ。
被災地をなんだと思っている?
俺がね、被災地を撮りに行くくらいなら、散水車をレンタルして水を3トンくらい運んであげたほうが
まだ、為になる。
被災地は、「被災地」という観光地じゃないんだ。
被災地を救援したというステータス的な考えも横暴している。
いや、確かなモノもあるんだそこには。
何日前だっただろう、被災地救援に行った人に写真を見せられた。
その写真は、瓦礫にうもれる街、その中に一軒だけ無事に残っている家が幻想的でよかった・・・
いやいやいや!!!!!馬鹿か。
何しに行ったんだ?
絵を撮る為にいったか?
どこに行っても聞くよ最近は。
「俺、被災地にボランティアに行ってきたんだよね~」
「えぇ~!!!すごーーーい」
海外旅行かよ・・・・。
おれはね、撮れないな。
撮れないんだよ。
無意味なシャッターはきりたくない。
ただしかし、被災地の人々が、これ、この現実をアンタ、世界に報道してくれってんなら
それは、おれ、命をかけて撮影するよ。
そこにツナガリがあるからね。
ごめん・・俺には強すぎて撮れない・・・・。
GOTA




















