石井光太著 『物乞う仏陀』(文春文庫)とポリティカル・コレクトネス
先週の日曜日、今週の日曜日と引き続いて、
石井光太氏の著作を読んだ。
『神の棄てた裸体-イスラームの夜を歩く-』(新潮文庫)と、
『物乞う仏陀』(文春文庫)。
世界各地を放浪するノンフィクション物で、
辺見庸氏の『もの喰う人びと』を彷彿とさせる名著である。
内容を、以下、ほんのちょっぴりご紹介したい。
***
インドのムンバイでは、
マフィアによってさらわれてきた乳児が
物乞いの浮浪者達に貸し出されるそうだ。
いわゆるレンタルチャイルドだが、
なぜ物乞いの人びとが、マフィアに金を払ってまで
乳児を借りるのかといえば、
乳児を抱いた物乞いのほうが、
そうでない物乞いに比べて、
人びとの同情を誘うため、
稼ぎがよい(つまり、喜捨される金が多い)からである。
さらわれてきた幼児は、
5歳になるとレンタルチャイルドを卒業する。
5歳を過ぎた子供は、人びとの同情を誘うのには、
大きすぎるからだ。
そこから先が想像を絶する世界で、
5歳を過ぎた子供たちは、マフィアによって腕を切り落とされたり、
目をつぶされたりする。
レンタルチャイルドは、物乞いのストリートチルドレンになるわけだが、
障害者の物乞いのほうが、そうでない者よりも
稼ぎが多いからである。
マフィアは、物乞いに稼ぎの一定割合を上納させるから、
物乞い達の稼ぎが多くなるよう、
彼らを障害者にしてしまうのだ。
***
この本は、このような日本にいては想像することさえ困難な現実を、
これでもか、これでもかと突きつけてくる。
むさぼるように読んだあと、しばし呆然とし、
その後、日本に生まれたこと自体が、
とてつもない幸運であることを再確認する。
それにしても、読みながら違和感を感じたのは、
著者が「乞食」という言葉を使用していることである。
編集者も関与しているわけだから、
「乞食」という言葉は、現在の日本では
差別用語とされていることは百も承知で
あえて「選択」されている。
現在の日本では、「乞食」は、「浮浪者」あるいは「ホームレス」
と言い換えられる。
しかし、家がない(ホームレス)ことと、食を乞う(乞食)こととは
異なる。
実際、著者の本には、粗末ではあるにせよ家を有する
物乞いというものも登場するのである。
「乞食」という言葉に強い違和感を感じた自分は、
「政治的に正しい」(politically correct)日本語を
使っているのだろうが、
言い換えられた言葉で
果たして本当に事実を表現し切れているのかどうか、
検証することもないまま、無自覚なまま、
ある一定の政治的・文化的立場を
受け入れてきたのだな、と感じた。