伯母の死 | 地球へ途中下車

伯母の死

95歳の伯母の訃報が届きました…。
最期は老健施設で、老衰死だった、とのことです。

これで、15人いた、父・母のきょうだいとそのお連れ合いのうち、(若いときに亡くなられた方は別として、あくまでも会ったことのある伯父(叔父)と伯母(叔母)で)……現存しておられのは3人となりました…。

この伯母は、妻にとって、妻の姉妹や従兄妹にとって、特別な存在で、子どもの頃、特別にお世話になった「オバチャン」でした。

つまり、父が生まれて育った生家の跡取り、父の一番上の兄さんのお連れ合いで、
私たちが子どものとき、お盆や正月に、いわゆる家族そろって、お墓参りに行く、「田舎に帰省する」という、その「田舎」の家で、甥っ子や姪っ子たちを迎えてくれた女性が「オバチャン」なのでした…。

そしてこの「田舎」は、父が子どもの頃に、すでに相当な農村へき地でしたが、私たちが帰省する頃も、立派な「田舎」でした……。

1960年代は、ほぼ、自給自足生活でした。
のみ水は山からの湧き水をひいたものを溜めて使い、台所は、薪で火をおこすおくどさん。お風呂は、同じく薪で焚き、下駄を履いて、底の板が浮いてこないように押さえながら入る五右衛門風呂。(←子どもにはムリ)

トイレはもちろん肥やしにするポットン、家の家屋からずいぶん離れた外にあり、しかも電気がないので、いちいち大人についてきてもらって、中に入ったら懐中電灯を上から照らしてもらう、という、毎回、肝だめし。さらに中に入ると板に四角い穴があいているだけで、下が丸見え…しかも、その四角が、小さな子どもが跨ぐには、あまりにも大きすぎる…余裕で落ちられるサイズですけど…毎回、もし落ちたらどーするんだよ?と不安に…。

深い山のなかにある集落の共同墓地は土葬で、お墓参りにいくと、新仏さんを埋めた新しいお墓の場所は周辺の土が盛り上がっている(座棺なので、高い)。従兄妹が「危ない!そこ、近づかんほうがええで。そのうち、棺桶が腐って、ガサッと土が落ちるんやけど、そのとき、そばにいると土のなかから、死人に足を引っ張られるんやて」と。

……。

こわい。

こわすぎる。
……。

だけど、だけど、
毎年、お盆に行くと、そこには目を見張るような濃い緑に、生き生きと咲く花たち、野菜はスーパーのモノとは別物のように色もツヤもしっかりブキブキで、そこらじゅうに大きな虫がいて、冷たく清らかな水、せき止めた川で魚と共に泳ぎ、夜には「空にはこんなにたくさんの星があったのか…」と驚くほどの満天の星が輝き、冬には家の前でかまくらをつくり…、真っ暗な谷間を飛び交う無数の光のホタルの源平合戦に遭遇したり…、
…とにかく都会育ちの子どもである妻にとって、それは見たことのない奇跡の景色の連続で、間違いなく異世界、絵日記のネタにこと欠かない、パラダイスなのでした……。

子ども時代に、そんな、日本の古き良き「田舎」暮らしが体験できたことは、ほんとうにラッキーで、幸せなことだったと思います…。

都会っ子に、そんな貴重でかけがえのない「夏やすみ・冬やすみ」体験を支えてくれのが、伯母だったのでした…
(つづく)





昭和30年代、家族で帰省。
(子どもが2人だったときは、スクーターに一家4人乗りしていたらしい…)



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