女は口づけよりも綺麗な約束欲しがる ~シニシズムのレストラン~ |  CHOCOLATE YELLOW 

女は口づけよりも綺麗な約束欲しがる ~シニシズムのレストラン~

沢田研二 “憎みきれないろくでなし”


僕が通っていた小学校は1学年に2クラスあった。あの時、僕のクラスは2年1組だった。

授業の合間の短い休憩時間になると、教室から飛び出しては、
隣のクラスの男子とよくいがみ合っていた。
「バカ!バカ!アホ!アホ!」と。

本当はお互いに顔がニヤけていて、結局楽しんでいるのだけど。

ある日、僕らは2年2組を一撃する強力な武器をみつけた。

それは、ジュリーの“憎みきれないろくでなし”だった。

「2組=憎み」でリンクしているばかりか、最後に「ろくでなし」が付いてくる。
口撃としては最高のものを手に入れた。ジュリーが2年1組の味方をしてくれたのだ。
それを最初に言った時の誇らしげな我が軍の表情と言ったら。

相手は「うるせー!いちくみ~!」というが、「いちくみ」に続く言葉が出てこない。

しかし、圧勝したところで
我々はすでに違うステージに行ってしまった事には気付いていなかった。

それは勝った方も負けた方も面白くなかったのだ。
つまり同等に綱引きしているところに楽しさがあった事を知らなかったのだ。
やがて、風化したように僕らのイガミ合いは自然消滅した。

そしてあの時もう1つ僕らは気付いていなかった。
それは良くも悪くも社会の縮図にも似ているって。


僕はあの当時から、“勝手にしやがれ”よりも、
“憎みきれないろくでなし”の歌の方がずっと好きだった。
それは短調と長調の違いが大きかったが、それ以上に音楽も面白かった。

“勝手にしやがれ”は歌メロに重点が置かれていて、歌謡ヒットのど真ん中にいたが
“憎みきれない~”は「昨日は」「昨日で」「どこかに浮かれて」と
ちぎっては投げる歌メロ。それもホーンやギター、コーラスなどのサウンドの間に
歌が存在していた。つまり、視点が物凄く分散される感じが好きだった。
あの当時小2でありながら「今風(70年代風)だ」って思っていた。

歌詞も“勝手にしやがれ”のようなウェットな情念はなく、
ドライで心が薄い感じもまた嫌いではなかった。
その中でずっと気になっていたフレーズがあった。

「女は不思議だ。口づけするより綺麗な約束欲しがるものなのか。」

主人公が疑問を投げる事により…

女 = ( 口づけ < 約束 )

…という方程式が決定事項として話しが進んでしまっている点だ。
それが正しいかどうかという確認の余地がなく通り過ぎてゆく。

当初は気付かなかったが、「彼女は~」と言わずに
「女は~」と切り出している点に一般論としての説得力を持っている事もあるだろう。
仮に一般論ではなかったとても、この歌の主人公みたいに、
なんとなく簡単に女を手に入れる事も出来るし、簡単に別れる事も出来そうな人物なら
主人公の付き合える範疇の同系列の女性を
彼の主観で「女」だと言い切るのはありなのかもしれない。

とにかく歌の世界は箱庭だから、
その中で完結さえしていれば、どんな理論も通用するのだ。

ジュリーは80年代になると、バンドのメンバーも作家もガラッと変わり
骨太なリードギターのサウンドと共に、退廃的で暗い影を落としたような
ブルースな主人公の人物像は薄くなり、時代に沿って明るくなってきた。

その中で一番興味深いコラボレーションが佐野元春だった。

“彼女はデリケート”、“I'm In Blue”、“Vanity Factory”、“Bye Bye Handy Love”など
元春さんのレパートリーとしても有名なこれらの曲は全部最初にジュリーが歌い
元春さんは全てセルフカバーで後から歌っている。

グラムロックとフォークロックくらい差のある二人だが、この両者のバージョン共に
それぞれにしっくりと来ている点が凄い。どちらが好きなんて選べない。

そうだ。あの当時は2人とも、50代、60代になる姿など全く頭に描けなかった。

余りにもカッコよかったのでジュリーも元春も、適当な所でスパッと
隠居して姿を見せないでいて欲しいとすら思っていた。

そして、ついに、その年齢が来たのだ。

しかし60の誕生日を迎えてからの2人のコンサートにはそれぞれ行ったが
実際はあの頃と何も変わってはいなかった。

ジュリーは変わり果てた容姿がよく指摘されるが、
それでも僕の目には変わってない部分の方がずっと飛び込んでくる。

元春もそうだ。
それは彼のコンサートのアンコールの最後の言葉に集約されていた。

「35周年だとか、60歳だとかいうけど、僕はお祝いなんかしない。
 だってそれはただの数字だから。」

そのセリフがまた昔と変わっていなかった。

“Young Bloods”は20代の元春だから良かったのかと思ったが
今歌う“Young Bloods”も“Young Bloods”のままでい続ける。
むしろ、今20代の誰かが歌った方が違和感を感じる。

つまり、それは完全に佐野元春のものでしかない。

佐野元春 “ダンスが終わる前に”


今年の1月の半ば頃に萬屋店主さんにお誘い頂き、元春さんの
ツアーファイナルの初日である3/26に東京国際フォーラムに行く事になった。

僕がその前に行った元春さんのコンサートは20年以上も前。1992年だった。
『See Far Miles Tour Part 2』のファイナルの横浜アリーナ。

このツアーが「Part 2」と名付けられているからには、当然「Part 1」がある。
ただし「Part 1」とは表記されずに、ただ「See Far Miles Tour」と呼ばれていた。

この最初のツアーには伴うアルバムというのがなかった。
大抵ツアーはアルバムが出て、半分はそのプロモーションのためにあるものだが
ちょっと異例な感じで、新作なしでのツアーだった。
“ジュジュ”とか“99ブルース”とか“新しい航海”とか、それまでの集大成というか。

そして僕が見に行った「Part 2」は
いよいよアルバム『Sweet 16』を引き下げてのツアーだった。

大好きだった“ボヘミアン・グレイヴヤード”がその時のライブで聴けて
物凄く嬉しかったのを覚えている。

『Sweet 16』は90年代を代表する人気アルバムだった。

では、話を1990年代に。

1990年代で洋邦問わず好きなアルバムを3枚を挙げろと言われたら…
もちろんビーチボーイズの関連でいうと『サマー・イン・パラダイス』はもちろん
ブライアン・ウィルソンが『イマジネーション』とか『オレンジ・クレイト・アート』とか、
あと"駄目な僕"のサントラもあったし…でもそれじゃないんだよな。

洋楽はベン・フォールズ・ファイブのファーストアルバムが大好きだったし、
99年に出たボーイ・ジョージの『The Unrecoupable One Man Bandit』は
あのネームバリューをしても賞味期限が切れたようで、
ついに国内盤は出なかったが、物凄い名盤だった。

『Doop』も『クリスマスエイド2』も楽しかった。
エイス・オブ・ベイスの『Flowers』も良かった。

邦楽はコンピレーションで『Winter Gift Pops』を思い出す。
そう、杉-松尾コンビのものは全部良かった。BOXにピカデリーに。
ピチカートとL-Rとすかんちに関しては全部最高だった。
サザンだって軒並み良かった。

…だけどベスト3というと、違うんだなぁ。
やっぱ、僕はアイドルのものが物凄く楽しめた。明るいし、楽しいし。

一番好きだったのは鈴木蘭々『Bottomless Witch』だった。


音楽の前にジャケットアートが最高に可愛かったし、楽しかった。
絵的にも音的にもイメージとしてはワチャワチャとにぎやかな雰囲気もあるが、
これは正真正銘、蘭々の「歌もの」でもある。

90年代は変なR&B趣味のボーカリストが増殖して、
上手いというよりクセが強い人が出ただけで、
人を感動させる事を置き去りにして、変な方向に進んでいた。
「自分の事見て!見て!」ってタイプの歌手ばかりだった。

そんな中、蘭々は素直に、本当に上手いなぁと思った。
2ndアルバムでは本作とは全く違う世界の作品なのに
蘭々はその楽曲の歌手になっていた。
作品が主役で自分はメッセンジャー。いつも楽曲に寄り添っていた。

アルバムは昭和時代の筒美さんが提供した曲のカバーと
蘭々のために筒美京平先生が書き下ろした曲が混ざり
昭和テイストでありながら90年代風のR&Bな音が混ざって、
今は何時代なのか全くわからないのに、でも何時代でもいいから
ここにずっといたいと思わされる特別な空間だった。
特に最後の4曲の怒涛の流れは圧巻で楽しいけど
一貫して感傷的なムードに包まれているのが一番の魅力。


二番目に好きだったのが、Mi-Keの『太陽の下のサーフィン・JAPAN』。


ほとんどの歌詞が日本語に訳されているし、ミュージシャン的意義のありそうな
アレンジでもなく、アイドルに歌わせるチープな感じの仕上がりに思われるだろう。
特にブライアン・ウィルソンの熱心な信者さんだったら、これは冒涜以外の何物でもない。

ただ僕は本家のビーチボーイズや
ブライアン・ウィルソンのアルバムよりこれが好きだった。
歌詞もよく聞いてみたらよく出来ている。

ずっと親しんできた“ファン・ファン・ファン”を、登場人物の女の子の方の視点から
歌ってみたり、原曲ではドラッグレースでライバルを蹴落とす“シャットダウン”の歌詞は
恋の駆け引きとして話がすり替わっているが、舞台がハイウェイやインターチェンジで
依然カーソングであり続けていて、尚且つ原曲のように主人公が勝利を収めるのではなく
主人公はむしろ白旗で終わりそうになっている。
ところが恋の駆け引きの場合、口説き落とされる事もハッピーエンドなので
結局は向かっているベクトルが一緒だったりする。

当てずっぽで英語を訳しているのではなくて、そのパロディの裏には
深いビーチボーイズへの見識と愛情を感じた。
実はチープに見せかけて面白い点が多かったのだ。

さらに“Fun Fun Funメドレー”と“Dance Dance Danceメドレー”の絶妙な繋がりも快感。
大切なのは選んでいる曲ではなくて繋げ方なんだって思った。

渡辺満里奈 “ダンスが終る前に”


三番目に好きだったのは渡辺満里奈『Ring A Bell』。


大瀧詠一さんのプロデュースで、ラストにはまる子ちゃんの主題歌“うれしい予感”も
収録されているが、好きだったのは最初の3曲。

1曲目の“金曜日のウソつき”は、能地祐子さんが作詞、萩原健太さんが作曲という
音楽ライター夫婦での作品で、大半がセリフなんだけど、これがメチャメチャ名曲。
サビのところクリシェでグッと感情を持っていかれる。

でも一番好きなのは2曲目にあるオールディーズ“You Belong To Me”のカバー。
そもそもは“イチゴの片思い”という邦題のついたナンシー・シナトラの曲だったが、
このアルバムでは“バッチリキスしましょ”という新たなタイトルになり、
歌詞も新たなものが付けられていた。

ここで最高にセンスが良かったのは歌い出し。「♪愛の~」から始まる歌は
原曲も「♪I Know~」と始まるので、一瞬英語で歌うのかと錯覚してしまうのだ。

そして、3曲目“ダンスが終わる前に”は、この2曲目の“ばっちりキスしましょ”を
踏襲した感じのロマンティックな曲だった。“夢で逢えたら”のコードリフがあったり、
“冬のリヴィエラ”、みたいな中間の独特なリズムも混ざって
大瀧サウンドまっしぐらだったが、歌詞だけはきわめて難解でユニーク。

 恋人たちのマンボ・ジャンボ
 瞳の中のハンプティ・ダンプティ
 悩ましげなヘルター・スケルター …こんな感じ。

誰が作家だろうかと思ったら作詞作曲に「佐野元春」と書いてあった。
「Holland Rose」ではなく、本名で。

満里奈さんの“ダンスが終わる前に”が好きだと言うと、
友人が僕の誕生日に元春さんのシングルをプレゼントしてくれたのだ。


この“ダンスが終わる前に”は元春さんが同年にセルフカバーしており
シングル“ヤァ!ソウルボーイ”のカップリングとしてシンプルなアレンジで収録されていた。

その時、だった。

遠い昔の記憶を思い出させる何かが僕のドアを叩いていた。

あれ…今、俺、何かがカチンと繋がったような気がしたけど…
でも、そのつながりの意図は一瞬にして途切れて空気の中に溶けていった。

なんだか悔しくて僕は満里奈さんの“ダンスが終わる前に”を繰り返し聞いてみた。
こんな気持ちに揺れてしまうのはこの曲せいだけじゃないかもしれないんだぜ。

そして数回目の時にようやく気が付いた。

現在は取り壊されてしまった古い北側の校舎での、いがみ合いが頭を過ぎった。

「バカ!バカ!アホ!アホ!」

そうだ、“憎みきれないろくでなし”だ!

それは“ダンスが終わる前に”のこんな歌詞から発信したものだった。

「口づけはいらない 変わらない約束だけでいいの」

時空を越えてジュリーと元春がまだコラボレーション。
20年の時を経て、あの方程式は繰り返された。

しかも“憎みきれないろくでなし”の主人公を脇役とした
女性の視点で描かれている時点でその方程式はさらに強化されている。

若すぎて何だかわからなかった事がリアルに感じてしまった。


では遅くなりましたが、3/26の東京国際フォーラムでの元春さんの
セットリストを紹介します。



Sugar Time
優しい闇
ジュジュ
Visitors
Come Shining
Wild Hearts
バルセロナの夜
すべてうまくはいかなくても
ポーラスタア
君を探している
希望
境界線
La Vita e Bella
バイ・ザ・シー
赤い月
私の太陽
東京スカイライン
ボヘミアン・グレイブヤード
レインボー・イン・マイ・ソウル
誰かが君のドアを叩いてる
ヤング・フォーエバー
星の下 路の上
世界は慈悲を待っている
ジャスミン・ガール
Young Bloods
約束の橋
Someday
Rock And Roll Night
New Age
アンジェリーナ

スターダスト・キッズ
Down Town Boy

グッドバイから始めよう
国のための準備
悲しきRADIO



元春さんがニューヨークに行く前の83年までの作品で一番好きなのは
“Sugar Time”だが、今回はなんと、1曲目にそれが来た!

そしてなんと今回も“ボヘミアン・グレイヴヤード”があったのだ。

今回は35周年ツアーとの事で、あのアレンジをガラッと変える元春さんが
ほとんどレコードのままのアレンジでやっていた。

とは言え、それは編曲の部分の話しで、元春さんの歌は現在の元春さん的な
部分もあった。例えば“ヴィジターズ”。

ガ・ガ・ヤ・キ・ガ・キエール・マー・デー

…と1シラブルずつ全部を強拍で歌う前代未聞の歌い回しはなくなり
レガートで歌われていた。その混ざり具合も面白かった。


アンコールの一番最後の曲“悲しきRADIO”を歌う前にに元春さんは
僕らがうすうす感じている疑問にあえて触れた。

この曲は楽しいのになんで「悲しき」という名前が付いているのか…と
作家が自ら冗談で疑問を投げかける。会場は笑いに包まれる。

でも全然これは疑問ではない。

オールディーズの日本語タイトルの定番は「恋は」「涙の」「悲しき」など。

悲しきに関しては…

悲しき街角(Runaway)
悲しき片思い(You Don't Know)
悲しきカンガルー(Tie Me Kangaroo Down Sport)
悲しき少年兵(Lonely Soldier Boy)
悲しき足音(Foot Steps)
悲しき雨音(Rhythm Of The Rain)
悲しきクラウン(King of Clowns)
 …などなど

つまり、これらのタイトルにありがちな言葉は、冠詞と言っても、枕詞と言ってもいいが、
そのものに意味を求めるものではなく、ブランド化されたパッケージと考えていいだろう。

この曲に登場する車のラジオから流れる音楽はどんなものか
それは大サビのところで具体的なアーティスト名が出ている。

ジーン・ヴィンセント
チャック・ベリー
リトル・リチャード
バディ・ホリー

それを踏まえるとここで、別の疑問が浮かんでしまう。

この歌がリリースされたのは1981年。
リスナーの多くは、現在か、あるいは元春のデビュー前(免許を取って以降)
ひとくくりで言うと「昭和50年代」と漠然と思えてしまう。
これは物語が元春の体験に近い場合。

しかしラジオで流れている音楽は上記の4人だったりする。
元春さんが生まれたのは“ハート・ブレイク・ホテル”が世に出た1956年。
つまり、実際の体現でないとも言える。

1980年頃のオールディーズチャンネルという可能性があるとしたら
サブ・カルチャーになったオールディーズがメインになるのは不自然だし
説明しなければならないものを歌にはしない。

つまりロックンロールが、この主人公のリアルなBGMだったとしたら
これは1950年代、1960年代を舞台とした架空の物語という可能性も出てくる。
パンプスもカーラジオもアメリカン・グラフィティにも登場するアイテム。

しかしさらに話を裏返すと、「おしゃべりなDJ、もういいから」という
元春からのメッセージが込められている。
これはフォークの方に多い、トーク中心のラジオ番組が流行っている
昭和50年代の風潮の1つであり、かつてのウルフマン・ジャックのように
音楽主体のDJの時代は終わってしまった事を憂うものでもある。

つまり、チャックベリーの時代は架空の物語というより、理想の世界であり、
変わり果てた現在の視点からのフラストレーションという事も言える。

そう考えるとどうだろう…。これは「悲しき」でもいいのではないか。

では、今日のお別れは僕の学生時代に盛り上がっていた
弄繰り回していたこのロックンロールのメドレーで!

Jive Bunny “That's What I Like”
Hawaii 5-0
~ Let's Twist Again
~ Let's Dance
~ Wipe Out
~ Great Balls Of Fire
~ Johnny 'B' Goode(Chuck Berry)
~ Good Golly Miss Molly(Little Richard)
~ The Twist
~ Summertime Blues
~ Razzle Dazzle
~ Runaround Sue
~ Chantilly Lace