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2017-01-14 13:03:43

青春18きっぷ part 1 ~夢の向こう側~

テーマ:活字のWolfman Jack

西田佐知子 “くれないホテル” 


年末年始の帰省中で、ちょっと印象に残った母との何気ないエピソードがありました。 

『関口知宏のヨーロッパ鉄道の旅』というテレビ番組があって母が好きらしいんです。 

朝ドラの次の番組なので、僕も出勤前に付けていまして 
嫌いではないし、見れば面白んだけど、 
身支度とか、ゴミ出しとか、洗濯を仕掛けたり、雑務をしながらなので、 
全く心を置いていなくて、大抵は見ているような見ていないような、 
僕の中をスルーして通り抜けていく番組の一つでした。 

ところが母はどうやら録画までしているらしいんです。 

「これがそんなにいいのか?!」 

空気を吸うくらい無味無臭な番組じゃないのかと母に言ったら 
僕の想定にはない意外な答えが返ってきました。 

「なんか、この子、ひろしみたいだから。」 

ええ?! 

なんと母は勝手に関口知宏さんに僕を投影していたようです。 

顔は似ていないけど、話し方とかテンポとかリアクションが似ていて、 
緊迫した雰囲気がなくて、ずっと自然体でいるとの事。 
おしゃれじゃなくて、全く飾り気がなくて、少年らしさが残っていて 
知らない街に行って色んな人と接して、 
音楽や絵画などビジネス的ではない方法で表現する事に長けていて 
しかも鉄道の旅が好きだと。うーん、彼も俺も褒められてるのだろうか… 

その場で調べたら、関口さんは鉄道マニアでないけど 
鉄道に乗っての旅が好きだと書いてあった。 
まさに僕がそれだ。僕も車両の事は全く無知、無関心。 

だからと言って母親が西田佐知子似というわけではないんですけどね。 
母が僕に対してそう思うのは僕の弟とのコントラストもあるんですよ。 

今回の帰省で弟に初めて会った時、キャメル色の皮ジャンを着ていて 
値段を聞いたら3万円台と言っていました。 
自分は身に着けているもののトータルで一万もいかないぞ。 
古着とか買ってるし、先日買った黄色いニット帽は新品だったけど274円だった。 
フォト 
今年で3度目となる青春18きっぷの一人旅。本当に慣れてきました。 

各駅停車の旅には特徴的な現象があります。 
それは階段を使って連絡通路を通るケースが多い事です。 

時には3分という乗換時間のために、我々青春仲間は一斉に電車から飛び出し 
重たいキャリーバック手に持って階段を駆け上り、また駆け下り 
次の電車に飛び乗るという光景は風物詩でもあります。 

このように降りたホームと同じ島に次の電車が待っている事は少なく 
別のホームへ行くケースが9割方なんです。 
それはニ島しかない小さな駅でも十以上乗場のある大きな駅でも。 

普段通勤などで使っている電車の連絡は、お客さんの効率を考えて 
大抵同じ島の対抗乗り場に電車が待機しているものです。 

青春18きっぷもある目的地に向かって一方向に進んでいるので 
そうしてくれるだろうと思っていたら、違ったんですよ。 

東海道線といえど、東北本線といえど、山陰本線と言えど 
現代は長距離移動のお客さんのために新幹線や特急列車が用意されています。 

その昔はこう言った上級列車も少なく、各駅停車で長距離走もありましたが 
現在は30分~2時間くらいの短い区間の往復が主流です。 

となると、終点に到達した列車は次に反対方向に折り返す必要があるため 
上り列車なら下りホーム、下り列車なら上りホームと、 
対抗ホームに到達するのが常識となっています。 

効率化社会ですからね。各駅停車で遠くに行こうなんて変わり者の 
青春マイノリティーにはそんな配慮はありません。 

しかし還暦を過ぎた人でも利用できるこのシステムにあえて青春っぽいものが 
あるとすれば、この連絡通路を渡るドタバタ感でしょう。 
僕らはお互いに交流を深める事はしないのですが 
しかし同じ動きをする事で絆みたいなものはお互いに感じます。 

また、東海道本線のような幹線で一斉に行動していた青春仲間達も 
滋賀県の米原駅辺りで一人二人と違う方向にバラケて同志が少なくなっていく切なさ 
逆に東京に向かうときは自分一人で出発して少しずつ青春人員が束になってゆく感じ。 
それがこの旅の醍醐味でもあります。 

違う世代、違う職業、違う目的地…でも、この切符を買ったという共通点で 
一般の人とは違う僕らだけの何かがあるという事は間違いないんですよ。 

早見優“渚のライオン” 


出発は12/24。クリスマスイブでした。 

本当は品川から4:00の始発で向かいたかったのですが、 
風邪で声が出なくなりまして、無理をしちゃいけないと朝10時出発に変更。 

大体9時間で行ける大阪に泊まる予定だし、ローカル線ではなので、 
手持ちのタブレットでその都度調べながら行きました。 
3年目の余裕。今までで一番ラフに進めました。 

大阪に到着すると閉店一時間前の丸福珈琲店(阪急うめだ本店)に行きました。 
東京にも渋谷東急とかいくつか丸福はあるのですが、やはり少し味が違うんですよ。 
この大阪の味は、僕がずっと待ち望んでいた、シャリっとしたコーヒー。 
そしてホットケーキも東京では味が違いましたが 
僕が幼いころから親しんでいたものが出てきました。 
この本当の味はもしかしたら10年以上振りだったかもしれません。 

フォト


さて青春18きっぷの旅は帰省だけで片道17時間半でして、 
片道に48時間も時間を取ると時間の余裕が取れますので毎年寄り道をしています。 

一昨年は兵庫県の須磨海岸、それと熱海。去年は舞鶴と石巻。 
そして今年は岡山県の姫新(きしん)線にある中国勝山駅に行こうと決めました。 
そこは何かあるわけでなく、誰にも共感されない場所ではありますが 
幼い頃からの僕の漠然とした願望でもありました。 

僕が幼い頃一番好きだった路線がありました。鳥取県中部にあった「倉吉線」です。 
有名な観光地があるわけでもなく、絶景があるわけでもなく、
それとは真逆の魅力があったからです。

人生で倉吉線に乗ったのは3回だけ。 

1回目は幼稚園くらいだったと思うけど機関車に乗って記念写真を撮りました。 
昭和49年に蒸気機関車が廃止になったらしいので、 
もしかしたら父親がその記念に連れて行ってくれたのだと思います。 

2回目は1983年。中二の時にクラスメイトと3人組「オゾン」を結成。 
1人は学級委員で、もう一人は生徒会長と頭のいい二人。 
僕は「のび太くん」と呼ばれていました。なんで僕を加えたのだろうか。 

この3人で共同で夏休みの自由研究をやろうと計画しました。 
鳥取県東部を生徒会長、西部を学級委員。そして僕は鳥取県中部。 
それぞれ分担して主要駅を回って写真を撮り1日の乗車数などを聞き込みました。 

機関車に乗った幼稚園の時は断片的な車内の記憶しかありませんでしたが 
この夏休みの事は忘れもしません。 

列車の窓の金属フレームに片腕を置いて流れる風景と揺れを感じていた感触が 
今も残っています。ウォークマンで“渚のライオン”を聞いていて 
当時は黄色より好きだったピンク色のイヤホンのコードだった事まで覚えています。 

そして初めて来た倉吉線の終点「山守駅」も忘れられない風景でありました。 
それはミステリアスな場所でした。 
大抵ローカル線の終点駅は一つの街になっています。 
当然ながらその終点に行く目的のために作られる事を想定しているから。 

ところが山守駅を降りた時、無人駅で片側ホームしかなく、改札もなく 
周りはお店も何もなく、茂みの中だったんですよ。 

車両を降りると運転手以外には僕一人しかいなくて、 
ただ蝉が鳴き、風が肌をくすぐり、遠慮なく陽射しが焼きついていました。 
今自分はどこにいるんだろう…。何のためにここを終点にしたのだろう…。 
その時の何とも言えない気持ちが、今日までずっと続いていました。 

普通終着駅には車止めというのものがあります。こんなプチ銀河鉄道みたいな。 
フォト 
ところがこの山守駅はそれがなく、線路はその先も続いていて、 
それこそ茂みの中に消えていくように見えなくなって行きました。 
僕はそっちの方まで歩いていきたかったけど、残念ながら10分程度の停車で 
乗った電車は折り返し発車するため、この場を去らなければなりませんでした。 

家に戻って父親に聞くと、どうやら倉吉線は当初人形峠を超えて 
岡山県の現在の真庭市まで延伸する計画があったそうですが、頓挫したそうです。 

Godiego “銀河鉄道999” 


そしてこの時、すでに倉吉線は廃止が決定していました。 
倉吉駅には「倉吉線廃止反対」との横断幕もありました。 

僕が3度目…最後に倉吉線に乗ったのは、再び父と一緒でした。 
1985年3月31日。倉吉線の廃止の日。 
でもそれはあの夏休みとは違っていて、全国から多くの鉄道マニアでごった返し 
10分間の停車時間はマニアたちの写真撮影に終始していました。 
それは山守駅が最も賑わっていた1日でした。 
みんながこの何でもない駅に心を寄せてくれた嬉しさと、 
この空間を独り占め出来なかった寂しさが入り混じっていました。 

廃止という事はここに線路を作る計画は失敗だったという事。 
同じ沿線はバスや車で充分用が足せたからだそうです。 

現在は倉吉線についてネット調べられます。 
僕はある日思い出したように検索して、益々虜になりました。 
そしてその時から沸々と湧き上がってくる思い…。 

あの山守駅の茂みの向こう側に行ってみたいという思い。 
僕の中にはまだ中二の夏休みのまま終わっていない自由研究の宿題が残っていました。 

倉吉線の本来の到達点は山守駅ではなく、岡山県の姫新線の中国勝山駅。 

大正11年に「改正鉄道敷設法別表第89号」で計画されるも 
太平洋戦争などの影響から停滞して、ようやく昭和49年に山守駅から中国勝山を繋ぐ 
計画が進み起工式まで行われたけど、そのわずか7年後の昭和56年に廃止が決定。 
高度成長期も終わり長引く不況の時代ですし、今でいうリストラだったのでしょう。 

しかしどんな計画も失敗する見積もりで立案をする人はいないわけで、 
これは実現出来なかった夢の一つだった事は間違いないでしょう。 
だから僕はその夢の向こう側に行ってみたいんですよ。 

僕はもしかしたら大正時代に企画した人の生まれ変わりだったりしてね。 

 


大阪を朝5時に出て津山に向かいました。しかしここで痛恨の計算ミス。 

実は5時に出発しなくても8時半に出ても到着が同じ時刻だった事が分かりました。 
途中の佐用駅で2時間近い乗り換え待ちがあったのを見落としてたんですよ。 
佐用駅よりももっと都心部に待機していた方がいいかと思い 
姫路に3時間いる事にしました。おかけで姫路城まで見る事が出来ました。 
姫路は本当に綺麗な街です。 



津山にはお昼に着きました。 
ここまで来ると道路標識や駅の案内に「鳥取」の文字が見えます。 

もうすぐだって感じなのですが、ここで鳥取方面には行かずに姫新線に乗り込みます。 
姫新線は岡山県の東西に伸びる再北端の路線で単線で各駅しかありません。 
ここから中国勝山までは1時間近く掛けて行きます。 

そしていよいよ、夢にまで見た、あの茂みの向こう側にたどり着きました! 

中国勝山は綺麗な駅ですし、街も櫓太鼓とかあって綺麗な街です。 
そして一番右の写真は公衆トイレなのですが、この感じは倉吉市と 
よく似ています。倉吉は公衆トイレでも有名ですから。 
やはり、真庭市と倉吉市は鉄道でつながるべきだったんですよ 

一時間程たっぷり散策して、再び津山に戻ってきました。 
津山では1時間半の乗り換え町、街を散策して、石垣しかない津山城を見ました。 
アーケード街のクリスマスツリーを見て、まだクリスマスだったと気づかされ。 

あとは因美線に乗って鳥取に一直線。 
もう30年位乗ってなかったのですが、岡山から鳥取の山越えはすごかった。 
上るときは急こう配をゆっくり上るので独特のエンジン音がするのですが 
下る時は物凄い勢いで降りてゆくんですよ。脱線するのではないかというくらい 
メチャメチャ怖い。ジェットコースター。なかなか電車で味わえないスピードです。 
そのドキドキのうちにいつの間にか県境を越え鳥取県にたどり着くんですよ。 

因美線の最初の鳥取の駅が那岐(なぎ)駅。那岐山という山がありまして 
高校の山岳部時代はここにキャンプした思い出がありました。 
当時はここで山陽地方のFMが聞けるかも…ってラジオを持ってきたりしてました。 

最後の乗り換え地智頭駅を経て、19:00過ぎに鳥取に辿り着きました。 
母がリアルな鉄道の旅をしてきた息子を迎えに来てくれてました。 

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