Chaconne in D minor Hélène Grimaud
思いがけず、よかった!
なんでも、まっさらな気持ちで向かっていくべきだなぁ、やっぱり。
言葉で捉えきれない世界。
言葉とその世界との狭間を描写すること。
芸術は、そこに存在している。
「スモーク」を観、言葉になりきれない生きることの形、
映画上で最初に語られた「スモークはつまり、魂のようなものかもしれない」
というセリフにならえば、「魂」にかかわってくるもの、
それが描かれていたため、「スモーク」は、小説的であり、心に残る映画なのだ。
やっと、レヴィ・ストロースを読む時期がきたように思う。
たしか、70年代に“野生の思考”ともてはやされていたけれど、
その意味、意義が分からなくて、構造主義はスルーしてしまった。
時を巻き戻して、今から読もう。
今や、興味津々だ。
つまり、
子供のころの、蟻の行列に魅入られて…長いことしゃがんで眺め続けたこと。
それから、蟻の穴に唾を垂らしたこと。
―‐手の中に捉えた小さな川魚の意外に強い生々しい力。
今考えれば、かなり貧相な笹の原っぱの隙間に感じていた、私一人の
“秘密基地”の匂い。
家の前のアスファルトの小さな坂の端に毎年生えてきたドクダミと、その匂い。
そのドクダミの葉を使って笛のように器用に童謡を吹いてみせた、毎年ドクダミの
咲く頃になるとやってきた行商の男。
なんの行商人かは覚えていない。でも、行商人であることは確かで、また、
行商人というのは、子供にとっては、どこか知らないところからやってくる、
一種の禍々しさを纏わりつかせた存在だった。
そうした感覚の全て。なにか、大事なものに触れていた感触の思い出。
「言葉」の網に掬いきれない世界を、レヴィ・ストロースの「言葉」は掬いあげてくれて
いるのではないかと…
突然、いま思い出した!
行商人というのは、シャボン玉液の行商人だった!
いかにもみすぼらしい姿の男の回りに、たくさんの小さなシャボン玉が虹色に光って
飛んでいたのを、ありありと思い出す。
不思議な時代だったなぁ!
大人の男が、シャボン玉を売って歩いていた、それを生活の糧にしていたなんて。
もちろん、儲かるつもりでやっちゃいなかったろうし、儲からなかっただろうし、それでも、そんなことでしか稼ぐ方法のなかった時代。
ゼッタイ「古き、良き時代」と、私は言わない!
でも、生きるということの手応えが確かだった時代。
そういう時代に、たまたま生まれ育った“幸せ”を喜ぼう。
●「スモーク」 なかなかよかった。
小説的だなぁ、と思って観ていたら、やっぱり原作があった。
アメリカ映画には珍しく風景に湿度があった。
●ランボー 久しぶりに今晩、いまのところ、だけど、泣き叫ばない。
このまま済んでくれるといいんだけど。
毎晩、1時間は、おしっこが出なくて、介助が必要。
時々、お母ちゃんも「疲れるよォ!」
●ブラームス Danse Hongroise n°1, Laurent Korcia とても私好み。
フニャついた演奏が嫌いなんだな。女っぽい、優しげな演奏。
激しく、ハッキリした、あるいは、野太いのが好みらしい。
それが、正しいのかどうかは、門外漢にはさっぱり分からないけど。
●「真実の行方」リチャード・ギア 辣腕弁護士、二重人格犯罪者を無罪に、
と思いきや…
ま、こんなところかな。
●「世界がわかる宗教社会学入門」
キリスト教部分が一番理解しやすかった。
イスラム教は、まったく知らないことが多く、その点が面白かった。
仏教は、詳しすぎて興味が削がれた。
同じ神を戴く、共に一神教のイスラム教とキリスト教なのに、なぜキリスト教に
おいては科学が発展し、「近代」を生み出せたのか。
ビザンチンの頃は完全にイスラム社会の方が文明は進んでいたというのに。
そこが一番面白かった。
宗教と思想とは、兄弟のようだ。
●「九月が永遠に続lば」(だったけ?)
つい読まされてしまうけど、ちょっと内容が、どーも、美しくないなぁ。
もう筋が思い出せない――というくらいのもの。
本屋大賞かなんからしいけど。
「ふがいない僕は空を見た」においても、登場人物たちは性的にハードに絡まり
あうけれど、少しも卑しさを感じさせない。
「九月」には、「ふがいない」の清潔感がない。
それは、「九月」における性的な設定が、一に筋立てのためにつくられている
せいだろう。
面白く進めてゆくための設定であって、「ふがいない」にあった人間としての
やむおえない関係として描かれていないのだ。
▲ランボー:12月20日 また病院。今月分と併せて2万円支払い。
今日、ロイヤルカナンPH‐0 500グラム入り注文。1万5千円。
その他の猫のロイヤルカナンPH‐1、到着。1万円。
お母ちゃんは、息も絶え絶え!だ。
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