2012-02-11 14:02:47

シンプル

テーマ:YOGA

先日、飲食店で食事をしていると隣の席に一人のサングラスを中年の男性が座りました。


昼間からお酒を飲み、一人で何かぶつぶつ言っています。


食事も終わり、上着を着て立とうとすると、


‘おー、パタゴニアか、僕、パタゴニア大好き、

昔、ロッククライミングをやっていたから知っているよ。

パタゴニアは命がけのメーカーなんだよな’


と私の上着をみて隣の男性が言いました。


少しだけその方とお話をして出たのですが、


改めてパタゴニアはたしかに命がけのウェアだよなと思いました。


様々なアウトドア・スポーツで限界に挑む人の為に、


そのシーンで生き残れるよう、自らの経験を盛り込み作られたウェアだからです。



そんなパタゴニアのある製品の説明にこんな言葉があります。


「『完全』とは取り去るものがなくなったときに達成される」



そして以前にも書きましたが、


パタゴニアのイヴォン・シュイナード氏の著書にも下記のお話が紹介されています。


「敷き砂利の美しい庭に対して


‘粗粒の砂を敷きつめた一角に、近くの小川で拾った石が三つ捉えられて

『心を揺さぶる力強い印象と調和』を醸し出していますね’


と賛辞を送ったところ


‘庭は未完成です。

三つではなく、ただ一つの石だけで同じ印象を与えられるようになってはじめて完成するのです’


と答えた。」



この『完全』『完成』の理念は、ヨーガと全く共通すると感じるのです。


取り除くものがなくなったところが最終境地であると。



下記はあるドラマで作られた銀行の頭取と政治家のやり取りのシーンです。


「頭取が庭を観ながら


‘大臣、あそこに置かれている石は見事な石でございますね。

この庭を引き立てる何とも云えぬ印象を残します’


それに対し大臣は


‘いやまだあと大きな石が2つ足らん’


それに対し頭取は


‘大きな石が二つでございますか、なるほど’」



利益が絡んでしまうとつい余計な贅肉が付いてしまう面白いお話です。




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2012-02-03 11:28:31

自由

テーマ:YOGA
今年初め、お正月に『利休』という映画を観ました。

利休とはもちろん茶人‘千利休’。

「わび茶」を完成させた茶人として歴史上に名を残した人物です。

「わび茶」とは、書院などで行われた豪華な茶の湯に対し、

四畳半以下の茶室を用いた簡素な茶の湯のことを指すそうです。

利休が用いた茶の道具も、自らがデザインした粗末な茶碗だったり、

簡易なものだったりもしたそうです。

そんな利休に時の天下人‘豊臣秀吉’は派手好みの性から、

黄金の茶室を作るよう利休に命じました。

その命に逆らうことなく利休は黄金の茶室を完成させました。

その仕事をみた利休の弟子は、師の利休に不服を申し出ました。

「なぜあの黄金の茶室を造られたのでしょうか?

 あの豪華絢爛な茶室は、師の茶道とは正反対のものなのではないでしょうか?」


そんな弟子の非難に対する師の返答は、

「私は、あの黄金の茶室も他の茶室もどうしても異なったようには見えないのだよ。

 あの黄金の茶室に入るとこれもまたとても心地の良い空気が流れているのだよ。」


だったそうです。


私は、この利休の言葉に本当の「自由」をみた気がしました。

聖典『バガヴァット・ギーター』でもクリシュナはこう教えを説いています。

「黄金も土塊も等しくみなさい」


こう聞くと通常は、土塊を黄金と同じくみようと努めがちです。

しかし本質は、「黄金も土塊も同じくみえる」なのです。

弟子は、土塊を道の完成としてみていたところ、

利休は、道の完成を黄金や土塊にはみていなかったのです。


自由とは、外から何も制限、強制されないことではなく、

自身の心に制限、際限なく、

そして比較なくものごとを受け入れることをいうのではないかと感じました。

自由を得て初めてヨーガは完成すると言います。

この映画を観ていて、

利休の姿にヨーガとの共通をみた気がしました。


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