2006-02-13 12:03:57
n.18 バックパッカーあがり 其の参
テーマ:バックパッカーあがり
前回の話(其の弐)から1年半ぐらい経った社会人2年目の冬、ある一つの“決意”をしました。
次の夏には(当時の)会社を辞めて、語学留学しようって。
この時は“決意”って、それほど重苦しいものでもなかったのかも。
だって社会人2年目になった頃から既に「お金が溜まったら、語学留学しよう」って決めていたから。
大学を卒業して食品メーカーに営業として入社した頃、とにかく3年は頑張ろうと思ってました。もともと、これといってやりたいことが見つからないまま就職活動して内定をもらった会社。3年働いてみて、続けたいと思えば残ればイイし、つまんないと感じれば他の道を考えればイイ、とにかく3年間は経験を積んでみようって考えていました。
と同時に、メキシコを卒業旅行して思い立ったスペイン語を始めてみようと。まずはNHK教育テレビのスペイン語会話を毎週欠かさずビデオ(この時はDVDはまだ一般的じゃなかった)に録画から。
社会人1年目は1年目らしく社会人としての洗礼をモロに浴びました。
学生気分が残ったまま就職してしまったから、社会の事情をよく知らなかった自分の甘さもあったせいか、とにかく辛かった。 しかも1年目にして、「この環境は自分には合ってない」って感じていたし、辞めてやろうって思ったことが何度あったことか・・・。
当時の上司や同僚の方々からは「こいつはすぐに辞めるな」って思われてたはず。
一応、負けず嫌いの性格が僕にもあったみたいで、なんとか今は耐えようって気持ちで1年目で辞めずに済んだのですが、スペイン語って存在が、ただの趣味で収まるものではなく、辛さを紛らわす為、又は当時の環境を変えるための重要なキーワードじゃないのかと錯覚(だったのか?)を起こしてしまい、余計に勉強しようと思ってしまったのです。
毎週のNHK教育テレビでは物足りないと感じ、次に始めたのはNHKラジオのスペイン語会話。これを毎日MDに収録して、営業車で移動中に路上に停めて聞いてました。この営業車、ケチっているせいででAMラジオしか聞けないものだから、MDウォークマンとスピーカーは持込み(笑)。それでも物足りないと感じて、1年目の冬にはスクール(恵比寿スペイン語学校)に通い始めました。
社会人2年目になった時には冒頭でもお伝えしたとおり、現地で語学留学しようって気持ちが出来ていて、 仕事に対しては「留学の為の資金稼ぎ」と完全に見切りをつけていました。
「社会人3年目が終わる頃には、一年間留学できる充分な資金を貯めてやる。」
そーすれば、入社した時の「とにかく3年は頑張る」って目的も達成できる事になるし。
そーして貯金の為に生活をケチろうと始めたのが食費節約。外食は最低限にしての自炊、昼は自作弁当。飲み物はコンビニや自販機では一切買わずに家で作った麦茶かアイスコーヒー。
この時の僕は食品の営業マン、スーパーへの顔出し(下ネタじゃなくて)が大事な業務になるわけだから、食費節約には持って来いの仕事をしていた訳で、しかも僕の大口の担当にディスカウントスーパーがあるものだから、店に視察という口実で訪れては、安売りの食品を段ボール一杯になるまで買いまくって、営業者のトランクに載せて会社に戻ってました。料理っていうのを覚えたのもこの時でしたね。
それ以外にも1年目から2年目にかけて覚えたのは
運転 → ドライブと車中一人カラオケ(よく唄ったのはブルーハーツ)
首都圏の道 → 寄り道と昼寝場所
Excelの使いこなし → 家計簿をつけ始めた
うーん、仕事から学んで、仕事に還元出来ん事ばかり覚えちゃいましたね(笑)
まぁ、そんな2年目だったので、1年目より多少は気楽に仕事は出来ました。気楽ではありましたけど、こういうのって仕事を楽しんでるんじゃなくて、仕事から逃げているんだなって心のドコかで感じいました。金が貯まれば辞めるって前提で働いているにしても、社会人4年目になる時までは一年以上あるのに、こんな仕事に還元してない事ばかりを続けるのは自分の為にはならないのじゃないかっていう不安。そんな不安と「3年は続ける」という入社当時の目的とが心の中で天秤でゆらゆら左右に傾きながらも、釣り合いを保っていました。<
そうして2年目の年の終わり頃、僕の大口の取引先での取引形態の変更の依頼がありました。
細かい事を書けば長くなるのですが、要は以前の取引よりもさらに面倒にやり辛くなってしまい、社会人2年目では対処できそうにない取引先になってしまったのです。
まだ社会人2年目のペーペーに高レベルな取引先を持たせるのっては非常にイイ経験になる・・・
なんて、既に仕事に見切りをつけていた僕にはとても考えられるはずもなく、モチベーションが下がる一方。入社して一年以上経っているのに相変わらず仕事には嫌々モード全開、でも仕事内容は高度化していく。
不安と入社当時の目的との天秤は消え去り、自分が全く望んでいない環境の変化に消沈したまま、正月休みに帰省しました。実家に帰ると、仕事がなく落ち着いてしまい、余計に悩みが大きくなっていきました。
そして気がつけば、実家のPCからネットで留学情報を検索している自分。
悩みに悩み抜いた挙句に開き直ったのか、「3年は続ける」って変にこだわっていたものがすっ飛んだ瞬間でした。
以上、2002年末までのお話。続きはまた今度、其の四で・・・いつか。
次の夏には(当時の)会社を辞めて、語学留学しようって。
この時は“決意”って、それほど重苦しいものでもなかったのかも。
だって社会人2年目になった頃から既に「お金が溜まったら、語学留学しよう」って決めていたから。
大学を卒業して食品メーカーに営業として入社した頃、とにかく3年は頑張ろうと思ってました。もともと、これといってやりたいことが見つからないまま就職活動して内定をもらった会社。3年働いてみて、続けたいと思えば残ればイイし、つまんないと感じれば他の道を考えればイイ、とにかく3年間は経験を積んでみようって考えていました。
と同時に、メキシコを卒業旅行して思い立ったスペイン語を始めてみようと。まずはNHK教育テレビのスペイン語会話を毎週欠かさずビデオ(この時はDVDはまだ一般的じゃなかった)に録画から。
社会人1年目は1年目らしく社会人としての洗礼をモロに浴びました。
学生気分が残ったまま就職してしまったから、社会の事情をよく知らなかった自分の甘さもあったせいか、とにかく辛かった。 しかも1年目にして、「この環境は自分には合ってない」って感じていたし、辞めてやろうって思ったことが何度あったことか・・・。
当時の上司や同僚の方々からは「こいつはすぐに辞めるな」って思われてたはず。
一応、負けず嫌いの性格が僕にもあったみたいで、なんとか今は耐えようって気持ちで1年目で辞めずに済んだのですが、スペイン語って存在が、ただの趣味で収まるものではなく、辛さを紛らわす為、又は当時の環境を変えるための重要なキーワードじゃないのかと錯覚(だったのか?)を起こしてしまい、余計に勉強しようと思ってしまったのです。
毎週のNHK教育テレビでは物足りないと感じ、次に始めたのはNHKラジオのスペイン語会話。これを毎日MDに収録して、営業車で移動中に路上に停めて聞いてました。この営業車、ケチっているせいででAMラジオしか聞けないものだから、MDウォークマンとスピーカーは持込み(笑)。それでも物足りないと感じて、1年目の冬にはスクール(恵比寿スペイン語学校)に通い始めました。
社会人2年目になった時には冒頭でもお伝えしたとおり、現地で語学留学しようって気持ちが出来ていて、 仕事に対しては「留学の為の資金稼ぎ」と完全に見切りをつけていました。
「社会人3年目が終わる頃には、一年間留学できる充分な資金を貯めてやる。」
そーすれば、入社した時の「とにかく3年は頑張る」って目的も達成できる事になるし。
そーして貯金の為に生活をケチろうと始めたのが食費節約。外食は最低限にしての自炊、昼は自作弁当。飲み物はコンビニや自販機では一切買わずに家で作った麦茶かアイスコーヒー。
この時の僕は食品の営業マン、スーパーへの顔出し(下ネタじゃなくて)が大事な業務になるわけだから、食費節約には持って来いの仕事をしていた訳で、しかも僕の大口の担当にディスカウントスーパーがあるものだから、店に視察という口実で訪れては、安売りの食品を段ボール一杯になるまで買いまくって、営業者のトランクに載せて会社に戻ってました。料理っていうのを覚えたのもこの時でしたね。
それ以外にも1年目から2年目にかけて覚えたのは
運転 → ドライブと車中一人カラオケ(よく唄ったのはブルーハーツ)
首都圏の道 → 寄り道と昼寝場所
Excelの使いこなし → 家計簿をつけ始めた
うーん、仕事から学んで、仕事に還元出来ん事ばかり覚えちゃいましたね(笑)
まぁ、そんな2年目だったので、1年目より多少は気楽に仕事は出来ました。気楽ではありましたけど、こういうのって仕事を楽しんでるんじゃなくて、仕事から逃げているんだなって心のドコかで感じいました。金が貯まれば辞めるって前提で働いているにしても、社会人4年目になる時までは一年以上あるのに、こんな仕事に還元してない事ばかりを続けるのは自分の為にはならないのじゃないかっていう不安。そんな不安と「3年は続ける」という入社当時の目的とが心の中で天秤でゆらゆら左右に傾きながらも、釣り合いを保っていました。<
そうして2年目の年の終わり頃、僕の大口の取引先での取引形態の変更の依頼がありました。
細かい事を書けば長くなるのですが、要は以前の取引よりもさらに面倒にやり辛くなってしまい、社会人2年目では対処できそうにない取引先になってしまったのです。
まだ社会人2年目のペーペーに高レベルな取引先を持たせるのっては非常にイイ経験になる・・・
なんて、既に仕事に見切りをつけていた僕にはとても考えられるはずもなく、モチベーションが下がる一方。入社して一年以上経っているのに相変わらず仕事には嫌々モード全開、でも仕事内容は高度化していく。
不安と入社当時の目的との天秤は消え去り、自分が全く望んでいない環境の変化に消沈したまま、正月休みに帰省しました。実家に帰ると、仕事がなく落ち着いてしまい、余計に悩みが大きくなっていきました。
そして気がつけば、実家のPCからネットで留学情報を検索している自分。
悩みに悩み抜いた挙句に開き直ったのか、「3年は続ける」って変にこだわっていたものがすっ飛んだ瞬間でした。
以上、2002年末までのお話。続きはまた今度、其の四で・・・いつか。




