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水墨画を楽しもう

2012-01-06 00:36:35 テーマ:水墨画
 水墨画はその名前の通り、水と墨の芸術です。水墨画に使う道具は少なく、水と墨以外に筆と紙があれば、水墨画を手軽に始められます。これは書道と同じです。
中国には「書画同源」という言葉があります。漢字は象形文字でしたので、もともと描かれた絵でした。また、書と絵の制作上の考え方も同じです。例えば、一本の線を描くとき、滑らかできれいな線より、味のある線を描いた方が面白みがあることがあります。面白いのは、あまり訓練を受けてない人のほうが味のある線を描くことがあります。練習をつんで運筆に慣れるとかえって堅苦しい面白みのない線になってしまったりします。その場合、もう一度初心の状況に戻る必要があるでしょう。「拙」から「巧」になり、また「拙」に帰えれと言われるのは、水墨画また書道の一般的な考え方といえます。
「巧」を追求しないということは、対象をそっくりに描かないということを意味します。例えば、お皿の絵を描くときに、その丸い口を遠近法できれいな楕円形を描くより、歪んだ楕円を描いた方が水墨画では面白かったりします。また、テーブルの上に置いたお皿の丸い底を直線で描いてもよいのです。このような描き方は西洋絵画に慣れた人にとっては少し抵抗があるかもしれませんが、古代中国の人々は違和感なく、それを楽しんでいました。子供も同じように絵を描きます。子供は側面から見た汽車を描き、それを真上から見たレールに乗せてしまいます。ある意味で、水墨画を描く心構えは子供の描き方と似ています。東西を問わず、子供のように世界を感じ、世界を描こうとする画家も多数おります。
子供の絵には光や影は存在しません。水墨画も本来は描く対象の光や影は表現しないのです。しかし、写真を見て絵を描く人は、写真に写った光や影をそのまま画面に描こうとします。これは水墨画の本来の姿ではありません。写真に束縛されて自由に絵を制作ことができなくなるからです。
さて、水墨画は主に二つの方法で対象を表現します。一つは、対象の輪郭を線で表現する方法です。これは「鈎勒法」(線描)と呼ばれます。例えば、石濤さんのこの菊の絵(図1)は、菊の花びら一枚一枚を輪郭線で表現しています。もう一つの表現法は、「没骨法」と呼ばれ、対象の輪郭線を描かないで、形を墨の塊で表現する方法です。菊の葉っぱは「没骨法」で描かれたものですが、葉には陰影や輪郭線が一切なく、形自体もはっきりしていません。対象の光と影を描かないことで、墨の濃淡などを自由に作り出せているのです。
物は誰でもその物をイメージできる普遍的な姿を持っています。水墨画は対象の個別性より普遍的な姿を決まった描き方で表す事が多くあります。この描き方が定着すると型ができます。昔から、中国水墨画を学ぶ人々は、まず先人の絵を模写し、その型を覚えます。その後それらの型を自分の絵の構図に合わせて応用します。例えば、蘭は葉が基本的に3枚1組で、決まった交じり方で描かれ、沢山の葉があっても基本形を積み重ねて描いてゆきます。山水画の場合も山や木などに決まった描き方があって、山の質感を表現する「皴」(しゅん)の方法は十種類以上もあり、描こうと思う自然の山の姿に合う「皴」の型で描きます。
若しかしたら皆さんは、このような描き方をしたら誰が描いても似たような絵になってしまうのではないかと思うのではないでしょうか。確かに、昔の中国水墨画家達は互いに学び合い、学ばせてもらった画家の名前を自分の絵の上に明記する慣習もありました。著名な画家の名前を書くことで、自分の絵の正統性をアピールする意味合いもありました。ですから自分なりの絵画の型を作り出せない画家は優れた画家となる事はできませんでした。
複雑な対象をわずか数種類の型にすることは、ある意味で絵を学びやすくさせます。型が自在に描けるようになったら絵画の制作は、画面の上でいろんな型を様々に組み合わせることに専念すればよいのです。これは将棋やチェースに似ていますね。各駒にはそれぞれの役割があって、駒を一定のルールに従って動かして遊びます。水墨画も決まった駒(木や岩のパターンなど)を画面構成のルールに従って画面の上に並べて遊びます。この遊びは一人でもできますので、古代中国人は「琴、棋、書、画」を同レベルの高尚な趣味として楽しんでいました。
将棋やチェースで遊ぶように水墨画制作のルールを知っておけば、画面に置く諸要素の秩序と調和を考えて誰でも水墨画を描くことができるのです。ただ、絵画のルールは、画面の諸要素が将棋やチェースのように一定ではありませんから明確な言葉でそのルールを説明できません。しかし、水墨画は西洋絵画に比べて定型化された描き方がありますし、描き方も美的に定型化されており、日頃の修練で習得されていれば、自然に絵画制作のルールを理解できるようになる筈です。水墨画は、初心者でも「絵心のない」と思っている人でも上達しやすいといえます。
水墨画の画面構成は、西洋画と共通点も多いですが、一方、中国水墨画では「気」というものが求められ西洋画との根本的な美意識の違いといえます。中国文化の多くに「気」という概念があるといわれますが、その真の意味は「中国人」自身でも理解する人は少ないでしょう。言葉で「気」を説明するのはとても難しいのですが、水墨画において「気」とは画面上のすべての要素がまとまり、ある統一体として感じさせる力といえます。「気」が理解できれば、絵画制作のルールが身についたといえ、ゲームを楽しむように絵を楽しんで描けるようになるでしょう。
古代中国では水墨画は文人画とも呼ばれました。文人とは主に科挙試験に合格して官僚になった人たちで、彼らは公職の傍ら趣味として書画を楽しんでいました。文人たちは全ての時間を絵に注ぎ込むことはできませんので、水墨画はだんだん簡潔なスタイルになり、短時間に一気に仕上げることも多くなりました。簡単な画面を内容豊かに見せるため、文人たちは身についた他の教養、即ち書や詩を画面に書き加えるようになりました。こうして水墨画は高められ画家の地位も向上してゆく一方、普通の人でも気楽に水墨画を描いて楽しめるようになって来ました。
水墨画は対象の写実的な追求から離れたことで、こころの表現を重視するようになりました。多くの場合、水墨画に描かれた対象は画家が自分の心を表現するためのモチーフであり、画家の精神が絵にどのように表現されているかが評価されます。
そのようなこともあり水墨画家は、題材を選ぶにあたって象徴性のあるものを選ぼうとします。例えば、竹の節は節操の象徴であり、なかが空である竹は、虚心の同義語として好まれよく描かれました。そのため、竹は描き方も型がたくさんあり、初心者が入門の練習材料として竹は格好の題材となっています。
ところで水墨画を学ぶことは、新しい教養を身につけることだけではありません。知らず知らずに新しい世界観が形成されます。光や影をもつ世界は変化し続けますが、本質的な変わらない部分は心深く沈殿し、水墨画はそれを描き出そうと努めます。身の回りの世界を細かく観察続けることで、普段何気なく過ごした世界は新しい姿に見えてきます。禅語に「日々是好日」という句があります。絵を描くことは、まさに「日々是好日」を自ら体験し、また実践することなのです。

注:石濤(1642~1707)清時代初期著名な画家。山水画が優れ、書、詩と篆刻は堪能し、作品と画論が近代中国水墨画に莫大な影響をもたらした。

ロボット、エリアンと異星人

2011-06-02 20:36:46 テーマ:ブログ
ロボット、エリアンと異星人
芸術また哲学の主題から逸脱になりますが、もともとエリアンと異星人について興味を持っていたし、人脳と電脳のテーマの延長でこれを考えてみたいです。
認識行為は認識する対象とその周辺の情報を分け、比較、選択、そして再構築というプロセスで行われます。すべての情報は共通な座標で作られたため、情報は必ず共通点をもっています。共通と差別によって判断が行われ、これが思惟の基本となります。このような仕組みを電脳にも組み込むことができます。車と羊とテーブルを例にすれば、車と羊とは両方とも一つの個体の中に動く部分と動かない部分に分けられます。これは機械的に測定ができ、しかも、その部分の位置関係も測定できます。相似性によって分類すれば、車輪と羊の足が一つのカテゴリにすることができます。そして、個体は背景に対して動くときと動かないときあります。それに対しては、テーブルは自ら移動しません。すると、羊と車は相似性があって、テーブルとは明らかにも違うカテゴリになります。しかし、形状から見ると、テーブルの足と羊の足とは大変相似しますので、また同じカテゴリに分類できます。それぞれのカテゴリをネーミングすれば、名詞概念が出来上がります。このように考えれば、電脳でも概念を持つことができます。電脳の持っている概念の一部を外部に顕現させれば、言語の原型ができます。たとえば、羊と車とその空間的な関係をほかの概念から抽出し、それを自然言語に翻訳すれば、電脳が自ら発話することができます。ゆえに私は人工知能が将来は人間以上発達すると思います。しかも、このような知能は生物体に依存しないことができるので、自ら宇宙に漂流することも可能です。
宇宙中すべての知能はこのような仕組みで認識するならば、人類より進んだ文明はおそらく非生物文明でしょう。こう考えれば、UFOはただの航空機ではなく、生命体そのものの可能性が大きいですね。私は地球上に生物体のエリアンがいることを絶対信じません。ただし、興味深いのは、電脳にいかに感情的な要素を植え付けるかです。創造力は感情や情緒無きで語ることはできない。電脳をもつロボットは自分の有限性を認識して、精神と肉体両方の幸福を求めれば、はじめて創造性を持つでしょう。ただし、本当の肉体をもたないロボットにとって、擬似の肉体感覚は彼らの哲学の永遠のテーマになりそうです。

人脳と電脳

2011-05-31 10:23:45 テーマ:
人脳と電脳
中国では、コンピュターのことを電脳と言います。電脳が発明以来その進歩は凄まじいです。しかし、ソフトウェアが複雑になり、計算速度が速くなったとしても、人脳のように創造する知恵を持つことに至ってない。それは、電脳の発展の方向性が根本的に違ったためです。では、電脳に人脳と同じ能力を持たせることが可能でしょうか?
ここでまず、人間と同じ能力を持つことは何を意味するかを考えましょう。生物学では生命の自己複製が生命体であることの目安です。この点では電脳は簡単にできます。そして、自己意識を持つことは知能の重要な指標になっていますが、これも電脳は初期設定で解決できそうです。魂のことはどうでしょうか?実に人間さえ本当に霊魂があるかどうかは証明できないので、電脳はそれを無視してよいです。では、電脳に宗教を持たせることができないか?これは電脳に対立する概念を自ら生成させる方法をつくれば、宗教のような信仰心を持たせることも可能と思います。人間はいつも対立する概念を持つので、現実、俗、生などの概念があれば、その反対概念として、虚無、神聖、死などの概念も生成できます。
問題は、人間の手入力した単語は真の概念ではない、高度な判断や推理などの思惟は不可能です。違う概念による判断は、必ずその概念の背後に共通な座標が必要です。電脳が人間と同じ概念を獲得するため、人間と同じように五感を持ち、対象から獲得した情報を自分の作成した座標で位置付けし、いろんな方法でインデックスを作成し、自ら情報を比較や選択が必要です。人間が獲得した情報はかならず時間と空間の情報がついています。時間と空間のインデックスはすべての情報を秩序よくつなぎます。時間的な順序は過去、現在、未来、空間的な位置は、離れ、接触、包容などの位置関係の情報が存在します。この概念の世界は私たちの世界観そのものです。概念で構築した世界観そのものは言語です。概念には各種のインデックスの情報があるため、一部の概念を抽出するだけで、特定の意味をさすことが可能です。たとえば、単語の順序の違いで意味も違いますが、この認識は赤ちゃんが持っていなくても、赤ちゃんは複数の単語を任意にならべて一つ特定の意味を表現します。赤ちゃんが、「リンゴ、たべる、私」と言うときは、これらの関係をきちんと把握してあるので、助詞がなくても、語順が間違っても「私はリンゴを食べます」を意味します。けっして「リンゴは私を食べます」を意味しない。どの民族の赤ちゃんも同じようにしゃべりますから、人類の言語は共通な構造を持っていることを意味します。このように考えれば、電脳に概念の世界を構築することができるなら、人類の共通言語が出来上がります。この共通言語を元に各国各民族の言語に対応させればよいです。
電脳に感情を持たせることも簡単です。一般的な感情はだいたい生物の能力と需要を基準にしています。バッテリーの残量によって擬似的な苦しい感情を設定することが簡単です。もっとも難しい感情は美的判断でしょう。実は、これも簡単です。私は美意識が知能向上のための報償系統だと説明してきました。知能向上にかかわる感情の設定が美意識にすればよいです。たとえば、好奇心は知を獲得するのに欠かせない心持です。新しいものに出会ったら、快感を生成させればよいです。そして、新しいものの情報を細かく分解して、その構造は秩序よく、相似性をもつ複数の情報グループがあれば、また快感を生成させればよいです。一定量の快感があれば美的快感にすればよいです。しかし、ここにまた一つ重要なことがあります。美意識は常に認識主体の能力にかかわっています。そこは、対象を把握するためにかかる時間、消耗するエネルギーを計算に入れなければなりません。ゆえに、電脳は自分の情報処理能力を認識しなければなりません。しかし、電脳の処理速度が人間よりはるかに超えるため、人間と同じ美意識を持つことは不可能です。無理に人間と同じように感情の仕組みを設定していると、電脳は2重人格になってしまいます。
そしてもっとも難しいことは、電脳に創造的な判断能力を持たせることですね。これも感情の設定に大きくかかわります。人間は思惟のとき、神経系統に常に感情の報償系が監視役になっています。自分の判断能力を超えると、嫌な感情が生じ、判断を別方向に進行させます。想像力と創造力はそこから生まれます。いまの電脳は計算にはまったく感情また情緒の介入がないため、人間のような知恵を持たせることは不可能です。人間の知恵は能力の有限性から由来します。万能な神様が存在するならば、人間のように喜怒哀楽の感情も持たないでしょう。

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