こちらは目を疑うべき話( )の続編となっております。

当然この、広い世界の片隅で とのリンクも続いております→Possible world~ある物語~




 諷雫は、厳密には『二人』いる。
 一人は、この世界に元々いるフーナ。もう一人は、全く異なる次元にあるアルシエルという世界から異世界同士を繋ぐ『道』を辿ってやってくる諷雫。
 どちらも同じ肉体を共有し、お互いを自身と考えているので本人達は悪影響はないと考えている。そもそもアルシエルの諷雫は悪意を持って所か自発的にこの世界に来るわけではないし、逆にフーナが夢という形で諷雫の世界―アルシエル―を見ることもあるらしい。
 ただ、アルシエルの諷雫の存在は周囲の認知に多大な影響を与えるということは彼女に関わる者にとっては大きな問題で、その最たる例はサポートパートナーとの交流だ。
 この世界のフーナも当然自身のサポートパートナーがいることを理解しているし、サポートパートナーもフーナのことをマスターだとわかっている。それなのに、アルシエルの諷雫がいない場合どうしてかお互いうまく出会えないらしいのだ。
 偶然入れ違いになる、待ち合わせしても何故か緊急事態などになってしまう、マイルームにいてもお互いに気づかずに別の部屋にいるなどざらにある。
 アルシエルの諷雫がそれについて友人達に相談した所、
『そりゃ、その世界のフーちゃんは二人と出会える可能性がないじゃん』
 とにべもなく言われてしまった。
『ツバキくんはあの防衛がなかったら出会えなかったし、あれでフーちゃんが目立っちゃったのは詩のせいじゃん。マンルーンちゃんに至ってはクーちゃんいなきゃ絶対会わなかったし』
 クーちゃん、別の世界ではクーアと呼ばれる存在は本来この世界には存在しない。異世界に迷い込む諷雫を助ける為なんやかんやしてこの世界に依代を用意してそこに入り込んで動き回ってるだけである。
「そのせいで僕達はこの世界だけのマスターと会えないと?」
「え、でもマスターはマスターでしょう?」
『うーん、まあ運命的なもの? アルシエルのフーちゃんが皆を引き合わせた原因だから彼女がいないと運命的に出会う可能性がぐっと下がっちゃってるのさ』
 くーちゃん越しの通信を利用した言葉だったのでマンルーンと椿も聞いており、ある程度アルシエルの諷雫の存在を理解している二人は諷雫共々納得するしかなかった。
 そして運命的なものとやらはフレンドに対してもあてはまるらしく、例えば放浪者と名乗り人外な強さを発揮するヴァントという青年もアルシエルの諷雫でないと滅多に出会えない。彼が目をかける原因となったのは詩を謳える諷雫だからだろう。
《マスター!》
 だから、今回の事件では遠く離れた惑星にいたフーナは駆けつけることができず、またアークスシップへ戻ってからもサポート達と碌に連絡が取れず、事態の深刻さを知ったのはアルシエルの諷雫の精神がやってきた時だった。
《マンルーンちゃん、大丈夫でしたか!?》
《ユキナミさんが、ユキナミさんが――!!》
《――え?》
 そしてその時には、事態は収束を見せ始めていた。
「これを」
 収束が終息へと変わる前に。
 全ての事象の意味と願いを記録し、命すらも演算に含んで可能性に数える空想図(マターボード)。
 シオンと名乗る女性から手渡されたそれは、いつもの如くただ青く輝いていた。




目を逸らしてはいけない話



 過去にされたユキナミという少年は、よく笑う子でした。
 女性よりずっと色白で、喜んだり興奮すると頬の紅潮がよくわかる明るい子でした。
 冒険が大好きで、戦いも好きな子でした。
 でも他人との交流も大好きで、時には他人同士を繋げる不思議な子でした。
 生きていれば、きっと多くの人と輪を築く子でした。
 生き残っていれば、更に多くの可能性を生み出す子でした。
 生き残るより、大切なものを守ろうとした子でした。
 でした、でした、でした。


 どうしようもない過去形、断ち切られた進行形、消された現在形、塞がれた未来系。
 これは昔になった彼のお話の、後の物語。
 多くの人が涙を流して、堪えて、こぼして、でも受け入れるしかなかった。
 アークスの仕事は死と隣り合わせ。防衛戦で誰も死なないなんてあり得ない。たとえ、どれだけ強くとも、優しくとも、親しくとも。
 死は平等だ。
 でも、今回の襲撃は果たしてそうだったんだろうか。

 空想図はいくつもの可能性を諷雫の元へ集め、新しい可能性の未来を紡ぎ出す。新たな未来を描く為に必要な情報、プロセス、即ち点が青い盤へと表示され、持ち主である諷雫がそれらを拾い集めて線とすることで集めた可能性が描き出す歴史を現実へと具現化する――過去へと干渉する為の詩が諷雫の中に生まれるのだ。

「しかし妙な襲撃だった」
 そんな――可能性を広げる為に過去に隠れた真実の欠片も拾い上げる――新しい空想図の導きで会ったのは、知り合いの男性アークス。かなりのベテランだが、今回の襲撃は思い出してもおかしなことばかりだったらしい。 

「市街地であれダーカーの狙いはフォトンを操るアークスのはずなのに、昨日のダーカー達はイタズラに一般人に襲いかかっていたような印象だった」
 基本的に市街地襲撃での一般人の被害が甚大になる主な原因は建物の倒壊や火災らしい。ダーカーの群が一般人を執拗に襲うというのはほとんどない。
「妻は武器制限でアークスと一般人の区別ができなくなったからじゃないかというが、やはり違和感が拭えん」
 普段と違う戦闘で、ダーカーも混乱してフォトンを操る資質がわずかでもある者を襲ったということか。いや、どんなに武器制限がされていてもやはりフォトン行使の為の訓練している者としていない者では全く違う。
 なら、何故一般人を襲ったのか。
「それで、アークスの皆さんの動きはどう変わりました?」
「どう、とは?」
「んー、やっぱり、一カ所に留まる感じですか?」
「確かに、それも原因だったかもしれん。ただ留まらざる得なかったのは、安全地帯へ人々を避難させる為の転送装置が動かなかったことが大きいな」
「転送装置が?」
「うむ、乱暴な転送はおろかアークス本部との通信も出来ない状態でな。回復するまで避難区域へ避難させつつ応戦という形になってしまった」
「それは、普段とぜんぜん違いますね」
「避難誘導は通信官や後方支援部隊が行い、アークスは戦闘に専念する。その形が完全に崩されていたな」
 結果、アークスは戦闘と避難誘導の二足の草鞋で躓くことになった。
 ――そして、多くの命が失われた。
「ありがとうございます、トラヴェルガーさん」
「いやいや。それで、その、ソラシズク殿」
「はい?」
「あやつは大丈夫だっただろうか? かなり激戦地にいただろう」
「……」
「あ、いや、『今回』は本当に偶然だ! 妻と子と一緒に市街地に行っていてな」
「…………」
「確かに市街地にいるのは確認したが、尾行とかそういうことは『今回』全く考えていなかったのだ!!」
「『今回』は、そうだと信じておきます」
「距離を取らんでくれソラシズク殿ぉ!!」

 ちなみにソラシズクとは諷雫の名を意味のまま発音したもので、彼女の世界では似たような名前が多すぎるので区別する為に使うあだ名である

 ストーカー容疑者から距離を取った諷雫は、展開される空想図にあった点が線を繋ぎ、次の点へと至るのを確認した。 基本的に空想図が手元にある場合は指示に従って移動するが、次に連なるべき点は最初から行く予定だった場所だ。
 襲撃から一日経っても目を覚まさない、リユイの病室。
 そこには、諷雫のサポートである椿達もいる。



 リユイの病室は通い慣れた場所で、口頭の案内のみでたどり着けた。

 ノックをしようとして、しかしリユイが寝ていることを思い出して止める。隣に立つ少女と頷き合って、そのまま入室することにした。

 柔らかな光に整頓された部屋には、少女が三人と黄色い鳥がいた。
「マスター……」
 入り口近くに立っていたマンルーンが控えめな声を出す。それは病人を気遣うだけでなく、彼女自身も消沈しているからだと諷雫には思えた。
「遅くなってごめんなさい」
 そっと帽子越しに頭を撫でれば、彼女は唇を噛みしめていた。まじめな彼女のことだ、きっと今回のことでも責任を感じているのだろう。
 酷い戦闘だった筈だ。武器は使えず、本部と連絡も取れないという状況でよく生き残ってくれたと思う。
 でも、頑張ったねと言ってはいけないことも諷雫はわかっていた。
「フーちゃんやっほー」
 ベット横で紙パックのジュースを飲んでいたリリィが軽く手を振ってくる。その顔が少しだけ赤いのも、ジュースにしては大人の香りがやけに強い気がすることも気にしてはいけないことだろう。今この状況においては。

「こんにちは、リリィちゃんとラピピちゃんも来てたんですね」

「ぴっ」
「ついさっきだけどねー」

 短いやり取り、けれど誰も彼もどこか疲れている気がする。いつも通りにしようとして、どこかうまくいかない。気丈であろうとするマンルーンも、大人なジュースで無理やりテンションを上げようとするリリィも、泣きそうな顔で敬礼をするラピピも。

 きっと、自分自身も。

 ベットに横たわる少女の寝顔を伺う。緑の患者服で頭に包帯を巻いたリユイは、目を覚ます様子はない。色白の肌に諷雫より銀の色合いが強い髪、元々色素が薄い印象だったが今は病的な白さに見えてならない。
「……っ」
 諷雫に気付いたかのように、かすかな声が発せられる。慌てて耳を近づけてみるが、それは音になる前に空気に溶け、目を覚ます様子もない。

(どうしましょう?)
 リユイに会うこともまた、空想図の指示にはある。だが、まだその点へ至る線は生まれていない。
 なら先に、既に出ている複数の点を『経験』しなければならないのだろう。
「椿君は?」
 諷雫と共に心配そうにリユイを見守っていたマンルーンに尋ねれば、どこか戸惑ったような顔をされた。
「っ、椿なら今は用事で――」
「マスター?」
 素晴らしいタイミング、流石シオン。
 内心でそんなことを思っているとは露とも見せず、諷雫は振り返った。

 黒い服の手足のバランスを考えれば長身の、しかし諷雫より背が低い青年がいつの間にかいた。
「椿君、どこか行ってたんですか?」

「ちょっとだけ用事で。でももう終わりました」

 純粋な疑問だったが、椿は困ったように苦笑を返した。横や後ろと比べて長い前髪のせいで見えにくいのに、表情がはっきり見えるマンルーンより感情がわかりやすいのだから不思議だ。
 あまり詮索されたくないのだろう、諷雫は目的に移ることにした。

「そうですか。なら、早速で申し訳ないですが」
「ええ、報告ですよね。隣の部屋も一緒に借りておいたので、そちらで。マンルーンさんはこちらでリユイさんと酔っぱらいさんの方よろしくお願いします。ラピピも静かにね」
「え、でも」
「酔っぱらいってなにさー、こんなのジュースレベルだって」
「ぴぃ」
 本当に優秀な子である。こちらの意図をどんどん汲んでくれる。しかし酔っぱらいという単語は出して欲しくなかった。
「マンルーンちゃん、今はリユイちゃんの傍にいてあげて下さい」
「……そうですね、わかりました」

(あら?)
 渋々だが頷いてくれたことに、諷雫は違和感を覚える。椿も諷雫もリユイの面倒を頼んだが、要はマンルーンの疲労を考慮して休ませたいだけである。普段なら彼女もそれを察して大丈夫と言って無理をするし、今回もどう言えば納得するかと少し悩んでいたのだが。
(やっぱり、それだけショックだったのでしょうか)
 今回のことはサポート二人にとってかなり精神面で負担が大きいのだろう。これは後でしっかり話を聞いた方が良さそうだ。いや、今少し聞くべきだろうか。
「マスター、こちらです」
 迷ってる間に椿に促されてしまい、諷雫は後ろ髪をひかれつつも隣の部屋へと移動した。そちらは以前同様
機械の多い、ここが隔離病室ということをつい忘れてしまう様相が保たれていた。
 もう一人も部屋に招き入れ、防音性のある扉が完全に閉まる。瞬間、
「マスター!!」
 諷雫の腰に黒い犬が抱きついてきた。
「マスター、無事でよかったです!」
 否、犬みたいになついてくる椿だった。しっぽがあったらブンブン振ってるんだろうと容易に想像出来る位諷雫の無事を喜んでくれている。
 しかし、そんな彼の様子に諷雫は苦笑を浮かべる。
 彼は昨日、市街地襲撃の真っ只中で激戦に巻き込まれ、ユキナミが目の前で光となって散るのを目撃したはずなのだ。
 隣室に残してきたマンルーンを思い出す。目尻に赤い跡を残していた彼女もまた、その現場に居合わせたらしい。比べるべきではないかもしれないが、やはり彼女の様子の方がこの場では自然に思えてならない。
「椿君達も怪我が少なくて何よりです。ほっぺ、大丈夫ですか?」
 気になっていた頬のガーゼにそっと手を伸ばすが、長い前髪の毛先ごと彼自身で擦る形で暗に拒否された。ちょっと残念である。
「ここの人は大げさなんです。いつもと同じ位の怪我なのに」
「それはいつも気をつけて下さい」

「ごめんなさい」
 サポートパートナーの中では長身な体が叱られて猫背になる。普段通りだ。

 他の者のように無理をしている様子は欠片も見えない。
 普段通りで、安堵も悲しみも覚えてしまう。
『あれが彼なんだよ』
 ――知っている、知ってた。
 彼は優秀なサポートパートナーだ。
『マスターを優先し、マスターの為に動く。サポートパートナーはそういう種族なんだ』
 ――それでも、泣いていて欲しかった。
 ユキナミは知人で、リユイは友人だったはずなのに。
『フーちゃんの世界の犬ってさ、服着る? 僕らの世界ではね、ご主人様達の趣味で着せるんだ』
 ――傷ついて欲しくないけれど、悼んで欲しかった。
 どうしてこんなに普段通りに振る舞えるんだろう。
『体温調節の為なら良いけどさ、やっぱり犬にとっては窮屈なんだよね。結局違うイキモノなのに、人間と同じことを強要するってなかなかの暴力じゃないかな?』
「マスター?」
 本当は。
 本当は、諷雫はサポートパートナーを持つ気はなかった。フーナは多少あったが、諷雫は受け入れてくれる肉体があるとはいえ異邦人、もしもの時の責任の点で大きな問題があった。
 そんな中での彼と諷雫のパートナー契約は一つの実験だ。失った街の代わりを得て終末を回避する為の、救済実験。
『フーちゃんだって、レーヴァテイル辞めるって出来ないでしょ? それと一緒』
 でも、自分は果たしてそれが出来てるんだろうか。
「椿君は、私のこと好きですか?」
 『あの人』の願いを、叶える手伝いになれているんだろうか。
 突然の質問に、軽快さすらあった椿の口が一瞬閉じた。けれど、すぐに笑みを浮かべていた。
「――勿論、『マスター』のこと大好きですよ」
 甘い言葉は、夏の通り雨みたいだった。



「嫌! 嫌、嫌!」
 願ってはなかったけれど、椿の予想通りだった。
 小さな身体が光とともに霧散して、同時にリユイが暴走を始めた。
「下がって!!」
 呆然自失状態のマンルーンの腕を引く時には、投擲型テクニック武器『タリス』が五つ展開されていた。
 決してリユイを省みることなく、椿は走った。
 本来一人が使用できるタリスは一回の投擲につき一つ、それなのにリユイは条件付きだが五つを威力を下げることなく同時に使用できる。代わりに雑魚の一撃でも倒れる程に体力も守備も下がるが、単純計算で五倍の威力を出す彼女が暴走すれば椿とマンルーンの二人では骨も残らない。
 結果的には、距離を取るという判断は正しく、身の危険については杞憂だった。
「――ァァァァァ!!」
 喉を壊すような叫びに呼応するように羽の形をした武器の先から放たれた電撃は、全てリユイに向けられていた。
 ――そっちか!
「リユイ!?」
 マンルーンが振り返る、椿は彼女の腕を全力で引きつつ自分のタリスを投げる。精密機器のように正確な五撃は巨大な一撃となって、椿の回復テクニック『レスタ』の光を斬り裂いてリユイの頭部へと命中した。
 破壊と再生の光が世界を眩ませる。マンルーンが泣きながらリユイに駆け寄っていた。

 彼は、ただそれを見ていた。消えたのが諷雫でないことに心底安堵しながら。
「旧式のサポートパートナーはマスター死亡後の記憶の消去について選択出来ましたが、初期のタイプはほぼ全員が同じ選択でした」
 ――全員が、マスターのいない世界も忘れることも望まなかった。
 椿の中には箱がある。それは進まないといけない、変わらないといけないと言ってくる。
「その結果を重く見たアークスは、新式はマスター死亡によって記憶を強制的に消えるという形にしました。リユイさんはそれを知っていたから、あんな真似をしたんでしょう」
 ――それはサポートにとっては当然の選択で、でも戦力を失いたくないアークスという組織は望まないこと。
 でも彼は、進みたくなくて、変わりたくないと思っている。
「でも大丈夫です、重傷に近いですが死んでません。後は記憶消去が終わるのを待つだけです」
 ――忘れても、彼女は生きている。それなら下手に蒸し返すべきではない。
 なにより、椿は諷雫を危険に近づけたくない。
「それよりマスター、マスターの方は大丈夫でしたか?」
 ――だから、裏側なんて知ろうとしないで下さい。
 この夢を終わらせるわけには、いかないから。
 諷雫は、いつも以上に目尻を下げて椿を見つめていた。

 椿は笑う。諷雫の表情に注視する自分に安心しながら。



 諷雫がやってくるほんの少し前。
「……では、少し席を外します」
「おっけー、いってらー」
 話し声に、マンルーンの意識は緩やかに覚醒した。
 清潔なシーツと慣れない薬品の臭いがまず鼻を擽り、頭を預けていた両腕と伏せる体勢で負担を強いられた首が違和感を訴えてくる。
「あ、マンルーン起きた?」
「……りりぃ?」
 それでも顔を上げれば、緑混じりの青い髪の少女と黄色い鳥が椅子に腰掛ける所だった。先刻までそこで情報端末をいじっていたはずの青年の姿は、ない。
「つばきは?」
 寝起きだからか、何かとても間抜けな声になってしまっている。ラピピが差し出してくれた水をありがたく頂いて喉を潤す。
「あー、なんか用があるのかちょっと出てくるって」
「用?」
 時刻を確認する。十五分程眠っていたらしいが、その間に何かあったのだろうか。
 普段なら、マンルーンは追いかけなかった。
「私も、ちょっと行ってくる」
 けれど、あんなことがあった後だ。椿本人は気づいてないだろうが、彼もかなり神経質になっている気がする。諷雫や本部への報告は分担したが、情報収集に根を詰めすぎていた。
 ――あいつはただでさえ体力ないんだから、少しは休んでもらわないと。
「ん、了解、いってらー」
 こういう時、リリィは度量を見せる。追求することなく、おおらかに見送ってくれる。いい加減とかどうでもいい訳ではなく、こちらを気遣ってくれているのがつき合いでわかる。
 小刀二振りを確認し、足音を殺して病室を出た。
 廊下はリユイを搬送した時同様、かなり慌ただしかった。
「ガーゼ発注急いで!」
「キャストさんの機械義肢(パーツ)届きました! 病室どこですか!?」
「デューマン・ニューマン用の麻酔どこやった!?」
 アークスは四種族で構成されている。当然、ここメディカルセンターはその四種族全てに対応した治療法を行わなければいけない。
 機械化によって丈夫な代わりに一度部位を破損するとパーツの再調整という意味で治療に時間がかかるキャスト、戦いやフォトン感知の為感覚が過敏な上脆いデューマンとニューマン、ヒューマンは全てが平均的で治癒は早めだが深刻な状態になればやはり集中治療が必要な訳で、どの種族もメリトもあればデメリットもあるとここにいるとよく分かる。
「おう、嬢ちゃん、君はケガとかないか?」
 そんな忙しさの中でもメディカルセンターの人々は気遣いを忘れない。筋肉隆々なヒューマン男性の言葉にマンルーンは首肯した。
「そうか、連れのバカは相変わらずケガを軽視しすぎだって叱られてむくれてやがったぞ」
「え?」
 一瞬イメージできなかったが、思い当たる人間は一人しかいない。リユイを連れてきた時、マンルーンが一緒だったのは一人だけだ。
「椿ですか? 彼は今どこに?」
「さっきまであそこの治療室にいて、ついさっき向こうの部屋に行ったよ」
「ありがとうございます」 
 礼を行って足早に進めば、見慣れた黒服の青年。そういえば治療と言っていたが怪我はどの程度なのだろうか。
 そんなマンルーンの心配をよそに、彼は慣れた調子で角を曲がった。声をかける選択もあったのに、椿の背中が他者を拒否しているように思えて、つい気配を殺して近寄っていた。

「ヴァントさん、どうかしましたか?」
 ヴァント。
 まず思い出すのは、青い髪と青い目。ボロい外套に大振りの剣を振り回す青年で、リリィのマスターに当たる実力者アークスだ。また、諷雫にも結構仕事の斡旋をしてくれていて椿とも結構情報のやりとりをしていると聞いている。
 ――なら、昨日の市街地襲撃のことかしら?
「……ええ」
 角の部屋には誰もいないのか、椿はこちらへ背を向けて通信しているらしい。
「虚空機関が防壁を強化して、ダーカー反応があったら即座に封鎖するように設定していたと」
 虚空機関(ヴォイド)。確かアークスの研究部の名称だった筈だ。
 アークスはフォトンとダーカーについて独占的に研究しているが、実際に研究や実験をした成果を新しい技術という形でアークスに提供しているのは殆ど全て虚空機関らしい。サポートパートナーも確か計画始動のきっかけは虚空機関だった筈だ。
「確かにダーカーに浸食されて操作されたり、操作が遅れてダーカーが街に広がるよりはずっと良いですからね。言い分は分かります」
 なるほど、そういうこともしているのか。マンルーンは一人で納得する。
 だが、そうした変更は本来前もってアークス本部――ひいては所属する者達にも連絡しておかなければならないはずだし、独断の結果解除が出来なかったというのはむしろ問題だ。
「虚空機関絡みなのでこれは表に出せないでしょうね」
 マンルーンは壁についていた手を知らず握りしめていた。確かに問題が発生したのは一カ所で、しかも直接的被害を受けたのは二人だけ。あの後周囲のダーカー反応を調べた椿によれば実際あそこに大量のダーカーが湧いていたのは事実であり、封鎖の役割を果たしたのも事実なのだ。

 ――でも、そのせいで。
「はい?」
 けれど、マンルーンが考えるより事態はもっと複雑だった。
「…………」
 長い嘆息は、合図だったのかもしれない。


「おかしいに決まってますよ」


 瞬間、世界が変容した。
「タイミングがおかしすぎる。何故急にそんな設定にしたのか、確かに市街地襲撃は増えてますが深刻な被害がここ最近あったかと言えばノーです」
 意味が、分からなかった。
「そもそも勝手にそんなことしても虚空機関に利益が出るとも思えません」
 でも、事実虚空機関がやったのではないのか。思わず飛び出して問いただしたかった。
「アークスからの設定変更依頼なんて当然ない」
 一体椿が何を言っているのか、何を言いたのか、マンルーンは理解したくなかった。

「裏の説明すら『何故防壁の設定を急に変えることにしたのか』を明らかにしていないんです」
 ――なら、何で。

 なのに、彼女の思考は止まることはなかった。
 封鎖は必要なことだった。でも封鎖されたのは一カ所だけで、被害を受けたのは二人だけ。
 ――なら、封鎖の狙いは。
 マンルーンは猫のように音もなく走り出していた。一分もかからぬ距離を全力で走り、とにかくリユイの病室に戻っていた。
「おかえりー」
 未だ目覚めぬリユイ、普段通りなリリィ、リンゴを食べるラピピ。
 数分前と変わらぬ光景に、安堵する。
 数分前まで安全と信じていた場所が決して安全ではないと、もう気づいてしまったから。
 封鎖の本当の目的も、二人を孤立させた意図も分からないけれど。
 ――とにかく、リユイから目を離さないようにしないと。
 それでも彼女は、自分の世界を守るべきなのだ。
 ――でも。
 眠る部屋の主へ視線を落とす。焼けた髪を隠すように包帯を巻かれ眠り続けるリユイへと。
 部屋の向こうは喧噪が止まないのに、病室はそれらを全て遮って静寂を保っている。けれどベットで眠る銀髪の少女が目覚めない理由はそうした周囲の優しさに安心してでは、ない。
「新式はマスターの死亡と同時に記憶が抹消されます。経験したことも全て消えてしまう素体の状態に戻す処置より負担は少ないですが、再起動の為に最低一日は眠り続けるんです」
 椿の説明によれば、管理の負担が減った新式には本人の意思など関係なく記憶を消すというプログラム的なものが存在するらしい。 
 つまり目が覚めれば姿は同じでも、リユイはマンルーンの知るリユイではなくなっているということだ。
 マスターが大好きで、賢いのに正直で、ちょっと怒りやすくて、でも面倒見良くサポートしていた少女ではなくなっているのだ。
 いや、例えマンルーンの知るリユイのままでも、もう元には戻れないのだ。
 リユイ以上に優しくて、おバカなのに指示は的確で、ちょっと頼もしい、リユイが大好きだった少年はもういないのだ。
 もう二人が共に戦う姿を見ることは、決してないのだ。
 マンルーンの世界は既に壊れ始めている。そして、止める術は彼女にはない。
 ――私は昨日、どうしたら良かったのだろう。
 思い出して一番に思うのは、やはり周囲との連携のこと。『作り物』が囮役をするなんて言っても納得してもらえなかったことがどうしても一番の原因に思えてしまう。
 周りを納得させられるだけの実力がなくて。納得させる以上に倒せていれば通信障害もすぐに回復できて。周囲のアークス達もすぐに方々へ散ることができて。そうすればもっと早く隔離された区域を発見できたはずで。
 たらればばかり。どうしようもない自分に泣きたくなる。
 泣きたいのは、リユイなのに。もう彼女は泣くこともできなくて。
「ぴぃ」
 ラピピが心配そうに声を出して、リリィがそれを制して、紙パックを取り出すことで何も気づいてないという風に振る舞ってくれる。
 二人の気遣いに乱暴に涙を拭うしか出来ない自分が、どうしようもなく情けなかった。



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