つばきの一色さんと脳腫瘍のこと。 | yasuennu のちょこっとブログ~

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看護師yasuennuのひとりごとブログ。
経験年数とか、もー、書けない!笑
看護あんまりカンケーなく、子どものことが多いです。

つばきの一色徳保さんの訃報から、

ずっとつばきの事を考えています。

 

いま聴いたら、絶対に泣くだろうなあと思いつつ、曲を聴いてやっぱり泣いたり。

 

つばきを知ったのはどうしてだっけ?とか、初めて行ったライブは何だっけ?とか、最後につばきのライブを観たのはどこでだっけ?

 

とか、

 

つばきをよく聴いていた当時のこと、ライブにも行ってた、その頃のことをよく思い出しました。


もうひとつは、

脳腫瘍という病気のこと。


私は、脳腫瘍はやっぱりキライだ。

(誰も癌を好きなんて人はいないと思うけど)

 

一色さんが脳腫瘍を発症されて、オペしてリハビリされて復帰されて、再発して、、、

 

悔しくてたまらないのはご本人、メンバーの方、ご家族の方々はもちろんだろうなぁ。

と思うけど、私も悔しかった。

脳腫瘍のこと、少しだけ知ってるから、悔しかった。

 

ギタリストが左手が動かないって、どんなにつらかっただろう。

ヴォーカリストが左半身動かせないって、

歌うのすごくすごく大変だっただろう。

呂律障害とか、あったんだろうし。

 

復帰ライブですくっと立って歌ってらした姿を動画で拝見し、

あれがどんなにスゴイことかって。


一色さん、とんでもなくリハビリがんばったんだなあって。


頭の病気ってADLがガタ落ちするので。。。

ADL、日常生活動作。

まずは、日常生活に対するリハビリ。

歌うことステージに立つことって、それ以上のことだから、

そこをやれるように、そこまで持ってってたって、

本当に凄い。

 

一色さんがblogでオペのことを書いてらした、

覚醒下でのオペの記憶とか

すさまじいなと、何度拝見しても感じます。

 

復帰後のライブ行けなかったですが、いつでもいつでも応援して祈っていました。

 

脳腫瘍の患者さん、関わった事あるけど、なんかもー、つらくて仕方なかった。

初めてのプライマリー持たせてもらった方は、グリオーマだったなぁ。

オペ中の迅速ではグレード3、でも先生的にはグレード4ではないか!?という感じだった。

オペ後に病棟戻ってきてすぐにエピってレベル落ちて、そこからの方が長かった。

ご家族の顔まで思い出せる。

結局、転院された後のことは分からない。

 

転移で脳に腫瘍があった若い方は腫瘍内科に転棟されて、その後が早かった。

転棟前のムンテラ後、部屋に戻る時に

迷走神経反射起こしてフラフラされてたのを後輩とキャッチして、すごく驚いた。

ショックだったんだろうなぁ。。。

転移性脳腫瘍も予後よくないもんね。

 

プライマリーでずっと持たせて頂いてて院内の看護診断の発表までさせて頂いた方は、転院されて1週間だったという事をご家族から聞いた。

確かグレード2、最初は。

再発繰り返して、結局入院されたんだった。

反応あって食べれてた人が、嚥下ダメになってくって、見ててつらかった。


退職する直前に関わった方は、

まだ意識がハッキリされてた時にご自身の今後をとても怖がっていらした。

目に見えて自分で出来ることが減っていって、そりゃあ怖かっただろうな。

もどかしかっただろうな。

グレード4だったから、やっぱり早かった。


とか。


そんなことばかり思い出す。


脳腫瘍って、徐々にレベル低下していくか

いきなり痙攣がおきてレベル低下しちゃうかのどちらかが多くて、

それでも他の臓器が結構元気だったりするので

レベル低下してからが長かったりする。


それが、まわりがつらいよなぁと見てて思うことが多かった。



今日はお別れ会だったけれど、行けなかったのでTwitterでサーチしてました。

行かれた皆さんが、どの様な様子だったのかツイートして下さってありがたいと思いました。

つばきのこと、一色さんのこと、誰かと話したいなあって思ってても話せる人がいないので、取りとめなく書いてしまいました。

 

一色さん、ありがとうございました。

7年間おつかれさまでした。

安らかにお休みください。

近しいまわりの皆さんも、おつかれさまでした。