SSTとは、社会生活技能。いわゆるコミュニケーション技能訓練。

グループで雑談する時の会話術
1、グループでの雑談の基本的な会話術
グループでの雑談も、話し方は一対一での雑談と同じ。話し手の顔を見て自然に相槌をうつ。

2、話に入れない雑談の入り方
グループでの雑談では、相槌の上手さが重要。自分のタイミングで相槌出来たら、グループの他の人に合わせて相槌することが出来るようにすると、グループと一体感が感じられる。

3、グループ全体で参加出来る話題を提供する
グループで雑談する時は、みんなが参加出来る話題を提供することが大事。もし話題についていけない人がいたら、補足説明しながら雑談に参加する会話術も必要。

4、知らない人のグループと仲良くなるための会話術
知らない人のグループと仲良くなるためには、グループのひとりひとりと距離を縮めること。

忙しそうな人に話しかけるタイミング
1、少しだけ時間をくださいと言ってみる
2、相手が立ち上がったタイミングで話しかける
3、メモを残す
4、相手の様子を見てタイミングを計る

話しかける前に要点をまとめる
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二〇〇〇年春、函館新港に運ばれてきた覚醒剤。その量百三十キロ、末端価格にして約四十億円。”密輸”を手引きしたのは北海道警察銃器対策課と函館税関であり、「銃対のエース」ともてはやされた刑事だった。腐敗した組織にあって、覚醒剤に溺れ、破滅を迎えた男が、九年の服役を経てすべてを告白する――。
二〇一六年六月二十五日公開、映画『日本で一番悪い奴ら』(主演・綾野剛)原作。

「稲葉事件」とは?
日本警察史上、最大の不祥事が明るみに出た事件。2002年7月、北海道警察の生活安全特別捜査隊班長である稲葉圭昭警部が、覚せい剤取締法違反容疑と銃砲刀剣類所持等取締法違反容疑で逮捕、有罪判決を受けた。公判において、北海道警察による「やらせ捜査」や「銃刀法違反偽証」などが明らかになるとともに、北海道警裏金事件が2003年に発覚するきっかけともなった。
ヤクザとの共犯関係は、ヤクザに難癖をつけ暴力で威圧することから始まる。あとはヤクザと接触を重ね、ヤクザは警察の干渉を最小限にするため警察は相手の弱みを握って逮捕実績を上げるため、ヤクザと信頼関係を築き、ヤクザから取り引きの情報やヤクザに利益になるような仕事の情報を交換して逮捕実績を上げる。だがヤクザに信頼されるために情報提供者の犯罪を見逃したり、銃器押収ノルマを達成するためにヤクザから銃器を調達してもらったり、情報提供者に飲み食いや生活の面倒をみるために薬物や銃器密売に手を出すなどして、警察の一線を越えて悪徳刑事に堕ちていく過程を、銃器密売ルートを辿るために銃器密売をもちかける潜入捜査した時のエピソードやロシアでの銃器密売ルートを開拓して潜入捜査した時のエピソードを通して、ノルマを達成することを優先する警察の実績主義を炙り出した傑作ノンフィクション。




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3年前に“引退”したスタジオジブリの宮崎駿監督を追ったドキュメンタリー『NHKスペシャル「終わらない人 宮崎駿」』が、11月13日に放送され、大きな反響を呼んでいる。
宮崎監督は2013年に長編映画からの引退を宣言したが、その後、長年あたためていた短編アニメ『毛虫のボロ』の制作に着手していた。手書きにこだわった宮崎は、若いスタッフとともに初めてCGを全面的に取り入れながらも、生命の動きが出せていない、こんなヘボならつくらないほうがいい、と懊悩する。番組はその模様に密着。このなかで長編アニメ制作への復帰意欲をみせた宮崎監督が、新たな企画書を鈴木敏夫プロデューサーにみせる場面もあり、放送後すぐ「はやおが引退撤回!?」「ジブリ復活か!」と新作に期待する声が溢れかえった。
だが、このドキュメンタリーでは宮崎監督の“復帰”の話題以外に、もうひとつ、世間の注目を集めたシーンがある。それは、ニコニコ動画をつくったドワンゴ会長でカドカワ取締役社長の川上量生氏と宮崎監督の対面シーンだ。
周知のように、川上氏はいま、カドカワやドワンゴという巨大メディアを率いている一方で、ジブリの鈴木敏夫プロデューサーに“プロデューサー見習い”として弟子入り。宮崎監督の息子・吾朗氏が監督を手がけたテレビアニメシリーズ『山賊の娘ローニャ』(NHK)のプロデュースも務めた。その川上氏が自分たちの会社で製作したCG技術をプレゼンしたのだが、宮崎監督はそのCGを観たあと、川上氏に向かってこう一喝したのだ。
「極めてなにか、生命に対する侮辱を感じます」
プレゼンで川上氏が「人工知能で映像処理するのはあちこちで発表されているんですけど、うちのほうでもこんなことやってますんで、みたいな説明です」と自信満々に披露したのは、人工知能で動きを学習させたという人体の動き。それは、“人間のような体つきをしたもの”が、頭部や背中を脚のように使って這いずるCGだった。
無言でそのCGを見つめる宮崎監督に対し、川上氏はこのように説明する。
「これは早く移動するって学習させたやつなんですね。これは頭をつかって移動させてるんですけど。基本、あの痛覚とかないし、頭が大事という概念がないんで、頭をもう足のように使って移動しているっていう。この動きがとにかく気持ち悪いんで、ゾンビゲームの動きに使えるんじゃないかっていう。こういう人工知能を使うと、たぶん人間が想像できない気持ち悪い動きができるんじゃないか」
そして、川上氏が「いちおう、こんなことをやってます」とプレゼンを終えると、しばしの沈黙のあと、宮崎監督が口を開いた
「毎朝会う、このごろ会わないけど、身体障害の友人がいるんですよ」
決して怒鳴りあげるようなものではなかったが、内側であきらかに怒りを抑えているということがカメラ越しでも伝わる言い方だった。
「ハイタッチするだけでも大変なんです。彼の筋肉がこわばっている手と僕の手で、こう、ハイタッチするの。その彼のことを思い出してね。僕はこれ、面白いと思って見ることできないですよ」
そして、川上氏とその部下のCG技術者たちに向かって、こう告げたのだ。
「これを作る人たちは痛みとかそういうものについてね、何も考えないでやってるでしょう。極めて不愉快ですよね。そんなに気持ちの悪いものをやりたいんなら勝手にやってればいいだけで、僕はこれを自分たちの仕事とつなげたいとは全然思いません」
「極めてなにか、生命に対する侮辱を感じます」
宮崎監督の真剣さに、押し黙る川上氏。カットが切り替わると、「あの、でもこれってほとんど実験なので」「世の中に見せてどうこうとそういうものじゃないんです」ととんちんかんな言い訳を始めるが、宮崎監督は実験かどうかの問題ではないというように、「それは本当によくわかっているつもりですけど」と突き放した。
当然だろう。ジブリといえば、戦争と差別を憎み、平和を希求する精神をもった制作集団。そしてなにより、宮崎作品や盟友の高畑勲監督の映画のテーマには、人間そして生命の尊厳が常にある。
それに対して、川上氏は得意気にプレゼンしたそのCGを「この動きがとにかく気持ち悪い」などと説明、あきらかに見せ物として嘲笑うものだった。そこには、人間や生命に対する敬意のまなざしが欠片もない。自分とちがう動き方・体の使い方をする人間を「気持ち悪いもの」としてバカにする行為は、差別そのものだ。宮崎監督が「身体障害の友人を思い出して、面白いと思って見ることできない」と言ったのも、そういうことだろう。人間の「痛み」をまったく想像せずに「気持ち悪い」といって嗤う。その川上氏らの非人間的な感覚を、宮崎監督は「生命に対する侮辱」と批判したのだ。
だが、本サイトでは以前から指摘してきたが、そもそもジブリと川上氏の思想は、根本的に相容れないものだ。たとえば、差別をめぐる考え方ひとつとっても、そうだろう。川上氏が創設した動画共有サイト「ニコニコ動画」には、韓国人や中国人に対するヘイトをばらまくような動画が多数投稿されており、川上氏もそれを容認してきた。しかも、2014年末にはヘイト市民団体「在特会」の公式チャンネルまで設立した。
さすがに「ニコ動はヘイトスピーチに加担するのか」と批判を浴び、翌年の5月には事前のアナウンスなしに突然閉鎖させたが、それでも川上氏はツイッターで〈日本社会のあるタブーへの議論のきっかけとしての社会的役割を果たした事実は認めるべき〉などと在特会を賞賛。当時、ドワンゴはカドカワと経営統合して一年足らずであり、本サイトは、社会的影響力のあるメディアがこうして差別思想を拡散していることを批判する記事を続けて配信。そして、川上氏の直接の師匠である鈴木プロデューサーに、川上氏の言動や「ニコ動」の差別助長の動きについて見解を聞くため、都内某所の路上で直撃したことがある。
そのとき、鈴木プロデューサーは本サイト記者の直撃に対し、「詳しいことはわからないのでコメントはできない」としつつも、差別的な言説は表現の自由の範疇か、「朝鮮人を殺せ!」という言葉はどうなのかと訊くと、人目もはばからず、「俺は、大っ嫌いです」と明言。差別扇動言説に対する批判を、個人的にではあるがはっきりと示した。
それは、宮崎、高畑両監督も同じだろう。これまで憲法9条の堅持を訴え、安倍政権の戦争政策にも痛烈な言葉で批判してきた両監督だが、それはやはり、戦争や差別が人間や生命の尊厳を踏みにじる圧倒的な悪であるという強い意識があるからに他なるまい。だからこそ、今回の『Nスペ』のなかで宮崎監督は、カメラが回っているところで、川上氏らのプレゼンを徹底批判したのだ。
しかし、気がかりなのは、こうして宮崎氏が直接、川上氏の“想像力のなさ”に対して痛烈にダメ出しをしても、おそらく川上氏にもドワンゴにもまったく響いていないだろう、ということだ。
在特会問題のときもそうだったが、彼らにとってすべての表現はただの「金儲けの商材」でしかない。宮崎に対しては面と向かって言わないだけで、心の中では「なんでそれがダメなの?」「このジジイ何言ってんだろう」とつぶやいているはずだ。
いずれにせよ、今回の宮崎監督の川上氏に対する苦言は、スタジオジブリとドワンゴはまったく相容れない存在だということを広く世間に印象づけた。同時に、川上量生という経営者が人間の痛みを想像できない人物であることも、あらためてはっきりとさせた。読者には、この問題をドキュメンタリーの一幕として片付けず、メディアやクリエイターはどうあるべきか、考えてみてほしいと思う。
(編集部)
宮崎駿がドワンゴ川上にブチキレたのは当然だ(リテラ)

今回宮崎駿がドワンゴ川上を批判したのは、気持ち悪いものを表現したことではなく、表現の中にただ気持ち悪いものを表現して面白がりたいだけという底の浅いものが感じられたからである。
日本のエンタメ業界には、ただ残酷なものを表現すれば良いという刺激を過剰に追い求める傾向が強い。
「ジョジョの奇妙な冒険」の荒木飛呂彦は、「優れたホラー映画は、少年少女が人生の醜い面や世界の残酷な面に向き合う予行演習には最良の素材」と言っている。
見る者がリアルだと怖いと思えるには、人間が残酷にならざるをえないリアルなシチュエーションと丁寧な心理描写が必要。
宮崎駿の映画で比較的残酷な表現が登場する「もののけ姫」「ハウルの動く城」などでは、例えば「もののけ姫」だとタタリのアザに苦しめられるアシタカや怒りによりタタリ神になる猪神の描写を通して、怒りや恨みで闇に堕ちそうになる人間の弱さや人間の中にある残酷さが丁寧に描かれたからこそ、アシタカやサンのヒロイックな行動が際立った。
宮崎駿がドワンゴ川上に突き詰めたものとは、ただ目先の刺激を追い求めるだけで、命に対する敬意を忘れがちなエンタメ業界の病理ではないかと思える。




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