ここ最近の女性の友人関係の中で学んだのは、女性にとって異性の友人はカウンセラー、財布、運転手などとして便利ではあるが恋愛の対象には成りえないこと、女性の意のままに動く人形以上の価値は求められていないこと。女性の気分次第によって、約束も友情の誓いも簡単に無かったことにされること。 どんなにアドバイスや悩みを打ち明け合って支え合っても、ちょっとしたスレ違いや相手が思ったようなリアクションじゃなかったら、積み上げてきた関係も簡単に無かったことにされる。

言葉や態度の上では友情を示しても、行動では決して表さない。

女性の移り気、不誠実、二枚舌を、痛感しました(^_^;)

やはり異性との間では、友人関係は成立せず、一方的に利用されるだけだと分かりました。

ましてや信頼関係をベースにした恋愛関係も、成立しないと分かりました(^_^;)
たぶん私は、もう異性との友人関係も恋愛関係も築けないと思います。

しょせん世の中は、条件付きの愛しかないと思います。
勘弁してくれ!
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島原の乱が収束して間もないころ、イエズス会の高名な神学者であるクリストヴァン・フェレイラが、布教に赴いた日本での苛酷な弾圧に屈して、棄教したという報せがローマにもたらされた。フェレイラの弟子セバスチャン・ロドリゴフランシス・ガルペは日本に潜入すべくマカオに立寄り、そこで軟弱な日本人キチジローと出会う。キチジローの案内で五島列島に潜入したロドリゴは隠れキリシタンたちに歓迎されるが、やがて長崎奉行所に追われる身となる。幕府に処刑され、殉教する信者たちを前に、ガルペは思わず彼らの元に駆け寄って命を落とす。ロドリゴはひたすら神の奇跡と勝利を祈るが、神は「沈黙」を通すのみであった。逃亡するロドリゴはやがてキチジローの裏切りで密告され、捕らえられる。連行されるロドリゴの行列を、泣きながら必死で追いかけるキチジローの姿がそこにあった。
長崎奉行所でロドリゴは棄教した師のフェレイラと出会い、さらにかつては自身も信者であった長崎奉行井上筑後守との対話を通じて、日本人にとって果たしてキリスト教は意味を持つのかという命題を突きつけられる。奉行所の門前では、キチジローが何度も何度もロドリゴに会わせて欲しいと泣き叫んでは、追い返されている。ロドリゴはその彼に軽蔑しか感じない。
神の栄光に満ちた殉教を期待して牢につながれたロドリゴに夜半、フェレイラが語りかける。その説得を拒絶するロドリゴは、彼を悩ませていた遠くから響く鼾(いびき)のような音を止めてくれと叫ぶ。その言葉に驚いたフェレイラは、その声が鼾なぞではなく、拷問されている信者の声であること、その信者たちはすでに棄教を誓っているのに、ロドリゴが棄教しない限り許されないことを告げる。自分の信仰を守るのか、自らの棄教という犠牲によって、イエスの教えに従い苦しむ人々を救うべきなのか、究極のジレンマを突きつけられたロドリゴは、フェレイラが棄教したのも同じ理由であったことを知るに及んで、ついに踏絵を踏むことを受け入れる。
夜明けに、ロドリゴは奉行所の中庭で踏絵を踏むことになる。すり減った銅板に刻まれた「神」の顔に近づけた彼の足を襲う激しい痛み。そのとき、踏絵のなかのイエスが「踏むがいい。お前の足の痛さをこの私が一番よく知っている。踏むがいい。私はお前たちに踏まれるため、この世に生れ、お前たちの痛さを分つため十字架を背負ったのだ。」と語りかける。
こうして踏絵を踏み、敗北に打ちひしがれたロドリゴを、裏切ったキチジローが許しを求めて訪ねる。イエスは再び、今度はキチジローの顔を通してロドリゴに語りかける。「私は沈黙していたのではない。お前たちと共に苦しんでいたのだ」「弱いものが強いものよりも苦しまなかったと、誰が言えるのか?」
踏絵を踏むことで初めて自分の信じる神の教えの意味を理解したロドリゴは、自分が今でもこの国で最後に残ったキリシタン司祭であることを自覚する。
マーチン・スコセッシが映画化した遠藤周作の傑作小説。

映画版では、ロドリゴとキチジローのキリスト教信仰を幕府の弾圧下で守りぬく中で浮かび上がる人間の強さと弱さを丁寧に描いていた。
原作では、何故江戸時代の日本にキリスト教が根付かなかったかを映画より詳しく描いている。
何故江戸時代の日本でキリスト教が根付かなかったか、それは当時の日本人が信仰していたキリスト教の神は日本人流に解釈した現世利益的なすがり殉教すれば苦しい現世から天国に連れていってくれる神と信じられていた。だから現世で生き残っていく時にキリスト教の信仰が邪魔になると弾圧下で思った信徒は、簡単に信仰を棄てる。
ロドリゴが踏み絵をする時に見たキリストは、西欧での誘惑をはねつけ強い意思をみなぎらせた神ではなく、全ての人間の弱さを受け止め救う神だった。
ロドリゴは、結果的に本当の信仰に目覚めたというラスト。
「私はお前たちの痛みや苦しみをお前たちと分かち合う。そのために私はいるのだから」
















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