さよならは別れの言葉じゃなくて
再び会うための遠い約束。



一度忘れ果ててしまえば、
その日は存外早く来る。



そう思いたいわたしのなかの残り香。
そう思えないわたしのなかの埋み火。



しばらく混乱を愉しもう。
それ以外に、一体何が?



Psychological analysis.




わたしの名の誇りにかけて、ただ香り高く。
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こころの色。

なるようになる、という言葉と、
なさねばならぬ何事も、という言葉は、


多分どちらも真実だ。



爪を、塗る。

週末と、来週は、別の色。


爪の色は、こころの色?


そうかな。
そうでもない、かな。


これだけは決まってる。

とても綺麗に塗ろう。


爪の先にも、こころが宿る。
とくとくと脈打つ、こころが宿る。
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忘れないうちに。

昨夜、「中国でのビジネスに挑戦する人々」を特集したクローズアップ現代を家族で見ていた。

そこで、自分の道を切り開いていく人々を眩しく見ながら、

「ああ、わたしは保守的で安定を求めるから、
ああいう方たちみたいにはできないなあ。怖くて」

と言ったら上息子高1が、

「ホントにそうなら、資格取って開業とか考えないでしょ?
ずっと主婦してるんじゃないの?」

と切り返してきた。


あー、そーか。

わたしの中には、実はそういうチャレンジできる人への憧れや、
そういったことへのプラスイメージが大きく存在するので、
省みて自分の動けてなさとか情けなさとか、
そういったものばかりが目につく鼻につくのだ。


「おかあさん、テレビ出たりとか、遠征行ったりとか、
全然大人しく安定志向じゃないじゃん。」

あー、ご尤も。


いっこ前の日記ともかぶるけど、
セルフイメージって、外に出して見ないと誤差に気がつかないことあるよね。


他者の評価がすべてではないけれども、
自分が向いている方向がわかったりするんだよね。


ってなことで、憧れの方向へ、
アグレッシブな方向へ、
向いてみるのも一興なのかな?


いや、まだ怖いw


(しかし、経済的な安定を考えたら、自分に収入の道がある方が
配偶者の収入に頼ってるよりずっと安定で保守だと思うな。
このトシから挑戦するのがどうよ?ってことだけで。
ありたい自己であることが最も心の安定でもあるさね)




そして、最近つくづく感じるのが息子の成長。
自分の高校生の時分とか思い起こせば、
文章も書きはじめていたし、
ざわざわと自意識のざわめきの毎日を生きていた。

彼も、「おかあさん」としてわたしを見るだけでなく、
「おかあさん、というポジションのとある人間」として
わたくしを見るようになりつつあると言うことだろうか。

無邪気に
「たーたん、くき(訳:おかあさん、好き)」
と言ってくれていた一歳の頃ははるかはるか昔だ。

わたしは彼に、大事なものを与えてやれただろうか。
やれているだろうか。

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憑き物落ちる。

6月の関東同窓会の進捗状況が入ってきた。
今回、幹事学年なのでいろいろ大変なのだ。
記念大会なのでビッグネーム呼んで講演会するし。

遠方なので手伝えなくて心苦しい。
が、同期の面々に会えるのは楽しみ。

会場係でも受付でも宴会の盛り上げでもなんでもやりますとも。



そして気がつくのは、様々なわだかまりが消えていること。

執着も、羨望も。
果たして嫉妬も。


華やかな世界で仕事している風の同期も居た。
爆発的に美人になっていた(もともと整っていらしたけど)同期もいた。
くすんでいた同期も居た。
(まあ、同窓会にでてくるような人は、
人に合わせる顔がある、というか、幸せな人なのだよね。
トラブルを抱えていたり、不幸せな人はまず来ない)


わたしはいわゆるまあまあの学歴で、
在学中も、そんなに酷い成績でもなく
(中学生の頃はひっどかったけどねーwwwww)、
むしろいくつかの学科では人の記憶に残るタイトルホルダーだったりするんで、
しがない専業主婦生活が今まで恥ずかしくてならなかった。
それを揶揄されたこともあった。
(昔関わりのあった方がまさにそれを言った方で、
わたしはもう、彼女たちとはちゃんと関わる気はないのだ)


でも気がついた。

当時の彼女たちは、結婚して子どもがふたり、という、
いわゆる「クラッシックな女性の幸せ」を手にしていたわたしが
きっと妬ましかったのだろう、と。

女は、どんな生き方を選んでも、どこかで誰かに貶められ、
どこかで誰かに羨望される。


子どもを持っても持たなくても。
仕事を持っても持たなくても。
配偶者を持っても持たなくても。
恋人を持っても持たなくても。


彼女たちが、わたしに冷たい目を向けて、
あまつさえ鬱憤を言葉にしたのは、
わたしがもともと「言い返さない/言い返せない」からで、
そして、彼女たちは外に何かぶつけないとならなかったから。


許しはしないけど、理解はする。


ううん。


許しているのかもしれない。


ううん。


そんな羨望や嫉妬があったとしても、
そしてそれが羨望されるようなものではなかったとしても、
やはり、今立っているこの場所は、
今まで歩いてきた道のりの一番先であり、
自分がそれに気が付いてきたように、
彼女たちもそれに気が付いてきたのだ、と、

そう信じられるようになったということだ。


それは、前より少しは他者を尊重できるようになったということで、
寿いでよいのでありましょうよ。

変わりたい。

いつも思う。

変わりたい。

もっと無駄のない自分に。


ダメなわたし。

ホントに。

やりたいことばかりあって。

こうすればできる…ってわかってて。

できる、とまではいかなくても、
可能な方向へ近づける、ってわかってて。


だらだらぐだぐだ。


変わろう、と思ったら、ちゃんと変われるかな?


毎日おいしいご飯をつくって、
おうちのことまあまあできて、
ネットで遊んで映画見て…、

それだけじゃイヤなの。

欲張りなの。


抱負なんて、立派なこと言ってるけど、実行なんてなかなかね。

でも、それで自分を甘やかしちゃだめね。



甘いご褒美はいつでも欲しいけど。
そのためになら頑張れちゃうかも。

うーん、欲張り。

さびしがり屋なのさ。


だからこそ、存在感のある自分にならなくちゃ、
一生寂しがってるだけになるんじゃない?

遠くに、親一人。

連続での更新です~。
今朝からもう上の息子、蹴り始めって出掛けて行っちゃったんだよ~。

今年は初売りに興味なし。
いろんなものを色買い(もちろん紫!)するようになって、
福袋にも興味なくなったし。
でも、あの雑多で活気のある雰囲気は嫌いじゃないの。



さて。

母がひとりになりまして。
離婚じゃないけど。

初めてのひとりでのお正月。

寂しいようです。

昨日、ご機嫌伺いの電話したら、
1時間つかまっちゃいました。


あんまり寂しそうだから、
やっぱり帰ってあげればよかったかな、と思う一方、

ここを長くお読みになられてる方はご存知だと思うのですが、
わたしと母には確執があり、
母も一応は道理を知り、
わたしも許し譲歩するかたちでの修復を得ているのですが、
どうしても彼女と触れるとわたしは、
自分自身を大事に思えなくなり、
精神的に追い詰められてしまうのです。


今年も何回かは広島に一週間程度滞在することを考えていますが、
そのたびごとに苦しい思いをするのかな、と思うと、
気が重いものがあります。


さりとて、全部妹にまかせるわけにもいかず、
まかせたら感情にまかせた非難を浴びることは間違いなく、
それも気が重い…。


ようやく、「広島」へのネガティブな思いがなくなってきたのに、
難しいものです。


この間は、帰りにちょっといいことあったんでよかったんだけど、
上手に「イイこと」組ませて乗りきるしかないかな。

己は誰なのか2

とつとつと考えている。

この場所は、単に自分の思いを書く場所から始まっている。

途中でなぜかサッカーブログの様相を呈したが、
そのコンテンツはよそでやることにして現在に至り、
ここの避難所としてmixiを使っていたが、
そこも、サンフレッチェサポとしての自分のウェイトが大きくなりすぎて、
一体自分はダレナノヤラ。

エロティックなコンテンツは、
これまたあまりおおっぴらに出さないことにしたし。

まあ、それも自分なのだけど。

簿記がんばりますブログだったりもして、
それはまあ、頓挫してるのだけど別口で努力中。
そっちはそのうちリアルにつなげるつもりなので、
まさかここでは話ができない。

もちろん、それも自分。


サンフレッチェサポというわたししかご存知ない方や、
ここをお知らせしてないわたししかご存知ない方には…と、
誰に見せても困らないものまでご用意しちゃったりして、
なんてまあ。
なんて丸出し。
愛の丸出し。


Twitterはまあ、むしろ素に近いかもね。
まあ理屈っぽいこと。
リムりたきゃリムっておくれ。
なんかもうね。
人の数だけ使い方はあらぁな。


そして思うのです。

自分ってなあに。


いくら書いたって、理解はされぬ。
誤解はされども、誤読はされども。
ひとは、読みとりたいことしか読み取らぬもの。

それは知りつつも、それでもここから始まる何かを
わたしは希求してやまないのでしょう、と。


コアがほしい。
ゆるぎないわたくし。

人の評価とか、まなざしとか、
そんなものに依存しないですむわたくし。


そう希うことこそが、揺らいでいる証拠だよ。


己は誰なのか。


問い続ける。


人のまなざしも、期待も、付きつめてしまえば利用したい欲望も、
むしろ食い荒らせる猛々しさがあれば、何か違ってくるのだろうか。


そんなものあったら苦労せぬわ。


今更ながら、過去のあれこれを恨んでやまぬ。
普通の自信が欲しいよ。


己は誰なのか。

ここ2年くらいか。
サンフレッチェのサポである自分が、ネット上の比重を高めてきた。

Twitterでもmixiでも。

しかし、そこに納まりきらない自分も感じる。

そも、己を解体して腑分けして、
この臓物の働きはこうでござる、
この部位の色具合はああでござる、
そうして見せているだけではないのか。


その上、その臓物の色艶でさえ、
魅惑に見せようと、言葉によって装飾だ。


己は誰なのか。
それらをパズルにすれば、己が立ちあがって歩きだすのか。


装飾した臓物を、ああ、芳醇だと誰ぞ言ってくれると言うのか。


あさましやの。


それも業なれば。
エモーショナルなことまでTwitterに流すのはなんだか違う。

なぜだか200人以上もいるらしい、顔も知らぬフォロワーさんたちに。


いや、話したい相手はたくさんいるのさ。


でも、別に、かまってちゃんをやりたいわけじゃないからね。

届かせたいところに確実に届けばいいのだけど、

まあ、それは、そうだったらラッキーってことで。


言葉で伝えても、くちびるから出た瞬間に、

言葉は誤読される運命にあるから。


伝えた、って満足感?

それはまるでマスターベーションに似てるわ。


ひとり遊びに耽溺していく……。