桐野夏生『I'm sorry mama 』

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思うに。
移動する道すがらというのは本屋で目移りするのに似ている。行き先はわかっていながら、その道中を愉しむような。

『ローズガーデン』は表題作はともかくとして、その他の短編では我らが村野ミロの世俗への落ち着きっぷりがどうにも気に入らず。狂言廻しはそれくらいでなくてはならないのだろうけれども。

なので、どうにも凶悪なおんなのはなしを読みたくもなったわけだ。

とはいうものの、読後感はそうも悪くない。ピカレスク・ロマンがいつだって魅力であるように(あの魅惑の折原マヤ!)、この、うつくしくもなんともなく、むしろ醜悪で同情の余地がないはずの松島アイ子という女が終盤、一気に人間味さえ帯びて見えてくる小説世界の妙に、充分2時間あまり遊べた。
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宮部みゆき『理由』

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宮部みゆきでいつも驚くのは、中学生くらいの子の心理描写が巧みなことだ。凄惨な事件の頻発するミステリでは、得てして子どもの存在は書き割り的になりがちなのだが、この作品でもそれぞれの子どもや若者の在り方が、生き生きと嘘臭くなく立ち上がってくる。

その分もっとも犯人と言える人物の心理はわかりにくいままで、これは、ほかの人物が書き込んであるのと対象的に、わかりづらくすることでこの重奏のような物語の中心部の闇を強調させているのだとしたら、なんとも技巧的だ。

子どもの書き方を見た編集が(或は本人が?)『ブレイブストーリー』を書かせたのかも知れないな、なんて。これは映画が思ったより薄味だったので印象にあまりなかったけど、原作を読んでみようか。
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最近広島へもよく帰るし、広島のこともよく考えているせいか、

広島弁のスイッチが容易に入る。


ので、これは全編脳内リアル広島弁吹き替え状態。

いわゆる激動の戦中のひとびとの暮らしを、

ひとびとの暮らしの目線で語る。


それだけに、そこに普通にある悲劇が際立つ。


普通の悲劇を、普通にしまいこみながら普通に生活することが、

その時代の普通であった。


嫌じゃねえ。

戦争はいやじゃねえ。

その時代の、ひとびとが、

そのまま素直に自分にも重なってくるのは、

自分がずいぶんと素直になったのか、

素直にしてくれる作品なのか。

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前に、山口美央子について検索していてたどり着いたあるサイトで、

『あぶな坂HOTEL』をほめていらしたので、書店で見かけて早速購入。


こういった出会いには、いい出会いがあることも少なくない。



けど、だ、



あんまり自分にはしみるものがなかったな。


タイトルから想像できるように、モティーフは中島みゆきの『あぶな坂』。

主人公あるいは狂言回しの藤ノ木由良は、どことなく中島みゆきを感じさせる

長身黒髪の落ち着いた美女。(あたしは『xxxholic』も思い出しましたがね)


萩尾望都は優れたストーリーテラーで、

短編作品に漂う文学の香りときたら濃厚。(長編は言うまでもなし)

軽妙なタッチを狙った作品だと、それはそれで

軽めの短編小説の香りがするのでありますよ。


で、本当に素晴らしい短編集だったのだけれども・・・・・。



今のあたしに、作られた物語は必要ない、ってことなのかしら?



あたしは萩尾望都の書く、どうしようもない中年男性のどうしようもないやるせなさを、

こないだものすごく久しぶりに読んだ『訪問者』で深々と味わって、

できたらそういうあたりを読みたかったのかもしれないな。

この作品集の男性は、どいつもこいつもそれなりに結構けなげである意味かわいくて、

やるせなさ、とはちょっと無縁そうだったからさ。


うちに実家にあった『トーマの心臓』を持って帰っている。

『訪問者』の味わいが、自分が年をとってかくも違うのならば、

その本編とも言えるトーマはもっと違って読めるのかもしれない、と期待している。


『ポーの一族』は結構どうでもいいんだよな。

『スター・レッド』と『百億の昼と千億の夜』が好き。

『残酷な神』とか『半神』とか『モザイク・ラセン』とか、

課題図書系は未読も多い。

子どもが独立したら、部屋を奪って本を集めようかなぁ。

←そんなに遠い話じゃない。5年くらいで出て行くんじゃないか?

誤植のシンクロニティ

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正解は「バブル」。


こないだの、「みだらに山を切り崩す 」以来、

なんだかよく誤植を発見する。

先日なんか、新聞で発見した。

ボランティア、がボランティンアになっていた。


ワープロやパソコンの普及で、単純な誤植は減ったと思ってた。

以前は、固有名詞の多い新聞のテレビ欄の、しかもアニメのサブタイトルなんか

まさに誤植様(ここで「様」がつくのは、どう考えてもVOWの影響であろう)花盛り。・・・の君たちへw

水嶋ヒロはいいねえ。いやいやいや。それはさておき。

今はもう無いアニメ専門誌『アニメック』には、毎号誤植様のページがあって、

あたしは毎月マラを抱えて・・・って、マラはついてないってば、ハラを抱えて悶絶したものであったよ。


新聞の編集デスクコラム(河北新報ね)によると、パソコン、ワープロで記事を書くことによって、

人名の取り違えとか、そういったミスは逆に増えているようなんだけど、

単なる「誤植」は減ってるんじゃないかな。

新聞雑誌、手近にあるものはとりあえず読む自分の習慣からするとそう思える。


ところが、ここのところの誤植様遭遇率の高さよ。

一体どうしたのであろう。

今年はわたしずいぶんと本を読んでると実感するのであるけれど、

なんかへんな気がする。



これは、何かの啓示なのであろうか。

って思ったのが、タイトルのわけ。

でも、何かの啓示ったって、何の啓示なのだ???



我ながら、『脳噛ネウロ』で大人買いまで後35秒


・・・・かと思っていたら、



『 銀 魂 』 に 行 っ ち ゃ い ま し た 。



もう一度言おうか。



『 銀 魂 』 に 行 っ ち ゃ い ま し た 。



信じられない。

自分がジャンプコミックスをレジにもってくなんて。

集英社よ?集英社。

集英社の手先?自分?いや、単に食いものにされているだけじゃん。



とにもかくにも。



8巻まで所有。


しかも古本じゃない。新品ですよ。


『幽白』も『スラムダンク』も、もちろん『ネウロ』も買ってないのに。



ま、そこまで惚れたってことよね。


銀さん♪



あいてててて。なんかあたし今痛いこと言ったぞ。

まーまー話半分に聞いておくれ。わはははは。


いやしかし、主人公萌え(←ちょっと違)は初めてだわ。

幽白は蔵馬くん、スラダンは花道以外w、ネウロは弥子ちゃん・・・

ウテナでは樹理さま、シャンペンシャワーではジョゼ、

お気に入りキャラは数々あれど、主人公はたいていどうでもよかった。


(あ、初めて、ではなかった。厩戸王子と狩野都はいまだに好き)


で、大抵の原作付き作品では、アンチアニメ派なのだけど、

銀魂はそうでもない。原作とアニメ、同時進行で入ったからだな。

なので「声が違う」「演出が」などと、またまた痛痒いことを言わなくても済む。

声もいいよ。演出も、くだらないパロディもいいよ。

なんでもOKの、ふところの広い大人になれたよよかったよ。


3巻まで買ってうっとりねっとりしていたところで、

年下の、まっすぐな目をしたお嬢さんから

お遊びのお誘いがあって、

『銀魂』まみれのカラオケで遊んだよ。


第二期OPの『遠い匂い』がなんだか、

あー、わかるわかる、と思っちゃったあたしは。

何番目かのED『修羅』に、血迷っちゃったあたしは。



ユアスタからの帰り、地下鉄の座席に三人並んで

銀魂一心に読んでた親子連れはあたしたちでした。


うひょーい、はづかしーい♪

たまんなーい。




ようやく上のムスコが、彼によく見える本棚に放置しておいた

『バッテリー』に気がつき、手を出したが最後、がさがさと読破して、


「おかあさん、次はないの次は?」


あたしも手にしたとたん切羽詰って、近場の小学校の図書室から借り出しちまったので

うちにはないんだよ、というと、張り切って自分の卒業した小学校の図書室に・・・・・


弟を遣わしていたw見事なパシリである。


が、春に映画化した余韻か、甲子園の真っ最中だったせいか、とびとびにしか

書架には残っておらず、そうなるとやたらに


「続きが読みてぇ!」


と騒いでいるわけです。2巻は本屋で買ったけどな。

コンプリートにはお小遣い足りないらしい。

ブリーチなんぞ買うからだ。



とまあ、前振り。なげぇなげぇ。



で、我が家でなにげに話題のあさのあつこなので、

つい書店で新刊の帯に「本当に書きたかった作品です」という言葉が踊っていて、

それじゃあ、と購入して(罪滅ぼしのように?『バッテリー』3巻も買い。

だけど、バッテリーってのは、昨年のハンカチ王子とか、今年のノムノムくんとか

そっち系の話題ととっても相性がよさそうで、うすら恥ずかしくもある)


一気に読破。




だけど、



だけど、


続きが気になる、引き込まれる物語であり、


かつ、


あらぶる自らの10代をひりひりと思い起こされる物語であるにもかかわらず、



読後感は非常に悪かった。



かくのごとく、ここにこうやって、吐き出してしまわねば眠れぬほどに。



ああ、ああ。

『バッテリー』がさわやかなのでだまされたよ。

いや、『バッテリー』とて決してさわやかではないな。

あれは装丁の勝利だろうか。

いやいや、だまされたなんて人聞きの悪い。


だまされたかったわたしもどこかにいたわけで。


力のある物語にも関わらず、多分もうわたしはこの本を開かないだろう。


ひとを“嫌う”ということ/中島 義道
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昨日から、これを読んでいる。

たいそうおもしろい。


人が人を好きになるのは自然、ならば、ひとを嫌うという感情も自然なものではないだろうか。


そういった指摘から、ひとがひとを嫌うことの諸相について、

わかりやすい哲学的アプローチで解説してくれている。


まだ読了してないのだけど、とにかく、この本に出会った僥倖をここに書き記したかった。


ひとを嫌う。


それは当たり前のことで、様々な要因でひとがひとを好きになるように、

ひとは、様々な、そして大抵は理由すらはっきりとはしない(させない)ままひとを嫌う。


ひとを好きになることは賞賛しておいて、ひとを嫌いになることは罪悪のように思い込む・・・

そんなことは、食べるだけ食べておいて排泄できないようなものだ、と作者は言う。


(ここに重要な追記:

自然に嫌う、ということは、わたくし自身も自然に他者から「嫌われる」ということである。

これを受け入れないとこの主張発想はただのエゴである。

正直、「嫌われることはしごく当たり前」という指摘は当然のことでありながら、

目を開かされた気がする。

従来の「嫌われたっていいじゃない?」という発想はやはりどこかしら

「嫌われるのはよくないこと、自然でないこと」という立場の発想のように思える)



あ~~~~~~。


あたしはすっきりしたぞ。


そして、ただ「嫌う」といったありかたで、嫌いなひとのことはただ嫌おうと思う。

それでいいのだ。

そしてそれは、なかなか高度な人生のテクニックであるようだ(←読了してないw)。


同居する義母のこと、この本を4分の一読んだところで夫に、

「ごめん、ごめんけど、義理のおかあさんのこと、あたし嫌い。

嫌ってもいいのだ、嫌うことそのものは自然だとこの本にも書いてあって、

あたしは本当にそうだと思ったんだ」

と言った。

夫は、

「嫌われる方が悪いよ」(←いろいろあったんです・・・)

と言ってくれたんだけど、その後またこの本を読み進めて、

そういうことを夫に言ったという行為は、

あたしの自己正当化にすぎなかったことがよくわかった!


それにしても、

嫌い、

ってことをはっきりさせて、

「ひとを、しかも義理の母親を嫌うなんて、とんでもないひどいことだ」

なんて思い込みを握りつぶすことが、こんなにすっきりすることだとは思わなかった。


嫌い嫌い嫌い。


それにはいろんな理由がやっぱりあって、

それは自分の中の混沌に直結している。


嫌いにもっともらしい理由をつけることは、

自分を一瞬ごまかして安心する行為だ。


ひとを嫌ってない、なんて思いこもうとするのは、

自分自身への偽善で欺瞞だ!


醜いあたし。

でも、

みんな醜さをひきうけて生きていくしかないのよ。


なんて素晴らしい世界?そうじゃない?


読み終えたら追記するかも。

『となりのネネコさん』

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本も買ってないのに、あれなんですが、

ネットを徘徊していて

(いや、実は年末にチャングムの誓いの総集編をちらっと見て、

お話がどうなるのか知りたくってあらすじをさがしていたんですよ。

そしたらこの作者の方のHPにいきついたわけ)、

あまりのおもしろさに、一気読みしてしまいました。


『となりのネネコさん 』←COMICのところをクリックすると読めますぜ。


いいな~、ネネコさん。


いろんなことを乗り越えてきた、そして多分まだなにかひきずってる、ネネコさん。

そんだけじゃなくて、ただただ漫画的にもおもしろーいネネコさん。


とってもいいです。応援したいぞ。


漫画といえば、『さくらん』と『働きマン1』を読みました。

続きが読みたいね。