昨日今日と、気が付けば、


「見返してやる」

「このままで終わるものか」

「見返してやる」



そんな、どす黒い気持ちの昂ぶりが

胸の奥で渦を巻いて、

どろどろと。


ああどろどろと。


何を見返すというのだ。

誰を見返すというのだ。


それははっきりわかる。


わたしを嗤った者たち。

嘲笑った者たち。

軽く見た者たち。

陰でささやいた者たち。

あからさまに棘のある言葉を投げた者たち。

手を上げた者たち。


そんな者たちの残像におびえないですむ、

そんな自分にならねばならないと。


ならねばならないと。

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かつて関わったことのあるひとの、組織の、

もちろんそれは自分にとっていい終わり方をした相手ではないのだけれど、

そういった相手の不幸せを願っている自分を見つけた。


それは、きっと、自分に満たされないものがあるからなのだろうと思う。


今のわたしを見たら、ある種のひとは「何不自由ない」と思うだろうし、

そうでない種類のひとは「平凡で取るに足らない」と思うだろう。


ひとがどう思おうと、自分の中に、そんな黒々とした思いがあるうちは

私は満たされてはいない。満たされてない自分を認めろ。逃げるな。


そんな、間違った方向にこころを向けるくらいなら、

自分の手を動かせ。

前を向いて、進む方向を見つけろ。

Wordを開いて、ワークブックをこなせ。

漢字を書け。


今できることを、とりあえずやるんだ。

それしかない。

それしかないだろう?

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うまくやれない・・・・。


これは目下懸案の嫁姑・再度の引き取り同居問題のことではありませぬ。


普通に、人間関係ね。




前はあたしは、

「自分は嫌な雰囲気を持った人間で、暗くて奇妙でひとに嫌われるたちなのだろう」と

自分のこと思っていて、

お願いですから、嫌って下さるな・・・、とばかり思っていました。


しかし、

そうでもないんじゃないかな、と思うようになり、

前思っていたことは、我ながら悪質な思い込みだなぁ、と思うようになりました。


そして、普通に、ひとと付き合ってるつもりなんだけど・・・


これが、うまくいってる気がしないのです。


例えばサッカースポーツ少年団の保護者、要は母たちとのかかわり。


例えば、この間みなさん、中学校の体操服の採寸に行くのに、

誘い合ってお行き遊ばしたらしいのだけど、

あたしは誘われてない。


例えば、卒業後、サッカーのちょっとエリート?コースに進む同級生がいるらしいのだけど、

その話があたしには最近まで聞こえてこない。


みんなと話をしているのに、話が見えない。



まあ、その原因は、わかる。


もともと「今度の参観日、何時ごろ行く?」「何着ていく?」なんて話を振る方ではなく、

それに乗るほうでなく、早い話がトイレにみんなで行くタイプではないのだあたしは。


もともと、人の噂話に興味がなく、その場にいない人の話がはじまっても、

たいした相づちは打たないたちなのだあたしは。


そんな人をわざわざ誘おうと思わないだろうし、

そんな人に人の噂話は振るまい。



そういえば、今も苦く思い出すのだが、

小学校での人間関係、あたしは非常に苦痛だった。

なぜかははっきりとはしないけれども、

傲慢な言い方をすれば、話が合わず、

無理して合わせて、「うまく行ってる」と思い込めば、

裏で陰口を叩かれていたことを知ったりした。


大人になっても、育児情報誌製作で出会った・・・友人と思えるつもりだった人が、

「あなたを今売り出してあげてるのよ」なんて口にして感謝を要求されて

(わたしは同時にフェミニズムの活動にもかかわっていて、

当時とても発言の機会をいただいていた、

そのことを言われたのだと思うのだけれども)、

そんなつもりではないと申し上げたら罵倒された・・・ってこともあった。


こころを開かないのがよくないのだ、と思って、

思ってることを感じたままに話すと、

変わった人だと言われ。

でも、まあ、前述したとおり、こころを開くこと自体が、ちょっと怖い。


怖いのだ。深くかかわるのが。

自分だけが満足していることに、後から気づかされる。


ここを読んでくださってるひとは、きっと、この文章に通じるものや感じるものが

あってくださるから読んでくださってると思うし、

感じない人や、反発を覚える人は、きっとスルーしてると思う。

そういうことがわかってるから、あたしはここに言いたいことを書くし、

言いたいことしか書かないし。


ここがなかったときには、誰かにわかってほしい一心で、やたら饒舌だった。

自分が、自分が・・・だった。

それは醜かった。

誰もわたしの言うことは、聞いてなかったんじゃないかな。


今は、ここがあるから、もう、誰も聞いてないことをじょぼじょぼ垂れ流したり、

垂れ流すために飲み会で箍をはずしたり、ってもうしないですんでいるけど。


それでも、

仲良さそうに、

そう、まるで小学校のお友達同士のように

(それはまさに小学校のオトモダチの相似形。

同じ小学校区に住んでる。子どもが同学年。それだけの縁。

同じ小学校区に住んでて同級生、それだけの縁でオトモダチだったあの頃とまったく一緒)

談笑しているみなさんの姿をみると、


それは心からのお友達なのかどうなのか

それは本当にこころから楽しくてそうしているのか

もちろんわからないけれども、


その中に入っていけない、入っていっても、

穏やかな笑顔で、たまにつまんない冗談を言ってるだけで

うまくフィットしてないようで気持ちが苦しいあたしは

なんだかとてもうらやましい気持ちになる。


どうなんだろう。

彼女たちがそこで歓談しているその世界があたしには共有できないことは、

あたしには何か別のものがきっとある、ということなのだろうか。

それを見つけようとしてないから見つかってないだけなんだろうか。


週刊誌では物足りないから、図書館の蔵書から本を借り出して読むような、

ただそれだけのことで、

週刊誌がおもしろいと思ってるひとをうらやましいと思うことがナンセンスであるように、

一緒にトイレにいけるひとがうらやましいと思うのはナンセンスなのかもしれない。


それでも

それでも、


あたしは、うまくやれてない気持ちになるのよ。


小さい、

とても小さいことだと思うわ。


だけど、

大きな世界やなにかとても大きなものと共鳴してられるような

そんな素敵な日々を(時間を?体験を?瞬間を?)、

今のあたしは見失ってるし、そもそもそんなこと幻だったんじゃない?とも思っちゃうし、

そんなものほんとにあるのかしら、って思ったときに、


目の前のことをうまくやれないって、自分の出来の悪さにげんなりしてしまうのよ。


あ、それから、せっかくいただいたコメントにレスできてなくってごめんなさいね。

こんな最後に書いちゃってアレなんだけど_| ̄|○

いつも、励まされて読んでます。


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年賀状

今日といってももう昨日だけど、わたしは一足先に仕事納め。

なので、いままで放ってあった年賀状を今まで書いていた。


幼稚園の役員をやっていた時には、

結構役員同士の接触が密だったこともあって年賀状は多かった。

その前の、フェミだの情報誌だのやってた時も多かった。


ここ数年は、減少の一途であった。


なぜか。


それは自分が嫌いだったからである。

てか、凹むともれなく「自分なんか存在しないほうがいいのではないか」と

思いつめるような人間が、


「今年もよろしくお願いしまーす」


なんてこと賀状に書けるか?

書けないだろ?

書けても欺瞞だろ?

自分も相手も騙してる、そんな気持ちで、

年賀状書きは、結構潜在的憂鬱な作業であったことなのだよ。


なので、


自分から出すのは控えめに。

来たのも、返事は気が向かなきゃ出さない。


みたいな。


そして、自分が嫌い、といったことと同時に、

自分がみっともない、とも思っていたんだよね。


美醜、ではない。

いや、ないといったら嘘になるけれども、

この場合媒体はハガキだからね、そこまでその部分で思い詰めやしない。


要するに自分の身をおいて居る場所が、

わたしにとって不本意で不本意で。


専業主婦、という立場が。


だから、近況、書けやしないですよ。

むりやりひねりだすと、子どものことばっかりだったりして。

「ああ、これは、もう子どものことしか脳内にない状況なのか」

と、自分でもがっかりしたりして。


昨年は、それでも、次の年もきっと生きてる、と思えたので

結構平静に年賀状がかけました。ブラボー。


そして、今年。


「しがないパート勤めのおばちゃんです」


なんて近況報告をしながら、

それでも、卑屈じゃない自分がいるのよ。

フルタイムのひと、専業主婦のひと、

そしていろんなわけがあってパートのひと。

ううん、フルタイムのひとにも、専業主婦のひとにも、それぞれ理由がある。

あたしは一生懸命やってる。

あたしは、自分に、これっくらいの努力くらいは課したかったんだ。


そんなことを、年賀状書きながら、気づいてみたりする、深夜。


大丈夫。

明日もちゃんと起きられるよ。

あたしはそんなにやわじゃないもの。

やってみて気がつく自信なのよ。



こころの奥、なんて言ってないで、もう、嫌なことは嫌、と言っちゃう。

嫌でもやってくる話なんだもの。


昨夜、遠方に住んでいる夫の親が、転倒して入院しました。

そろそろ、また、こちらにお引取りすることを考えなくてはならないかなぁ、と思うのです。


実は、6年半前から5年前までの一年半、一緒に住んでいました、夫の両親と。


そりがあわないことはなはだしく・・・・。

特におかあさまと。


食べ物も違う、言葉も違う(ものすごく方言が強くって、わからないのですよ)、

考え方も違う、男尊女卑!!!


もう、なにもかも嫌でした。

一生懸命、いいところを捜して、いいところを見ようとしていましたけれども。

だんだん、嫌になっていきました。


むこうも、きっとすごくガマンしていたのではないかと思いますけれども。


そして、一年半の後、同居は解消。

両親はもといた郷里にお帰りになりました。


それでも、長男が面倒を見るのが当たり前、と向うの親族も両親もそう思っていて、

いざとなったら、うちで、というのは暗黙の了解。


わかってます。

頭ではよくわかっているし、それが理不尽だということもわかってるし、だけどそれを主張したら、

わたしは「鬼嫁」とみなされることも、それに自分が耐えられないこともわかってます。


何とか回復していただいて、元気に余生を住み慣れた場所で過ごしていただきたい・・・


それがわたしの切なる願いです。

だって、こっちに来たって、誰も幸せにはならないよ。

それは一年半でよくわかったから。


まあ、むこうもあまり期待しないでおいでくださるに違いないけれどもね。


もう胃が痛い。

はなから心配してもしかたないけどねw



ローズウッドの精油をたらしたお風呂に浸かりながら考えていた。


心配しても、心配しても、なんとかなるものだ。


とりあえず、いままではなんとかなってきている。


今の中途半端にしがみつかずに、

自分の気分を盛り上げて、

できることをこなして前に進んでいけばいいんじゃないか。


困難ったって、本当の困難は、イヤも応もなしにおいでになる。

その時は、その時。


地球温暖化で、おまけにエネルギーの枯渇で、

猛暑で汗かいてもお風呂に入れなくなるんじゃないか・・・

なんて、今心配するのは多分神経症的なことで。


ローズウッドの木が乱獲で減っていることを、

ローズウッドの精油を買った後で知ったからって、

今あるオイルを使わないようにしてもしかたない。

今ここにあるローズウッドを、大事に、使う。


多分、おいでになる困難は、想像もつかないことかもしれないのだから。

想像したこともないようなことかもしれないのだから。


心配すんな。あたし。





発動!


なんてことはないはずの人間関係。

気持ちを許したつもりが、肩透かしに思える礼儀正しい態度。


わたしも、自己防衛のために馬鹿丁寧慇懃無礼をやらかすことはよくある。

だから?

相手の行動をバリアだと感じる。


もちろん、相手だって自分を守るのは当然で。


無理すんな、自分。

誰からもよく思われる、なんて無理なんだよ。



クスリが切れてから、やっぱそういう感情のふり幅は大きくなった。

だけど、それを飼いならして生きていく。

さもなきゃクスリと二人三脚だ。

戻りたくないんだろ?自分。

ならば、できる範囲で頑張れ自分。

あー・・・・はじまった・・・・・。


受話器から、耳を遠ざけたい気持ちに駆られる。


だけど、電話の向うのひとは、ご機嫌でいつものことばたちをまくしたてる。


「何か、資格とか取る気ないの?」

「あなたは才能があるんだから、それを社会に生かしたら?」

「わたしの知ってる○○さんはどこそこにずっと勤めてて・・・」

「どこそこのお嬢さんは、なにそれで活躍しているみたいよ。」

「××さんは40過ぎて大学に入って・・・」

「あなたには能力があるんだから・・・・」


げんなり。(瓢箪は千成りw)


このブログで、実家のこととかぼつぼつお話するうちに、

客観的に見たってうちより酷いだろう、と思われるご両親(或いは片方だけ)のお話を

耳にすることもあって、そんな方のことを考えたら、こんなこと愚痴にもなんないのだろうけど。


うふふ、一見、電話の向うのひと、ってーか、母なんだけど、ほめられてる、認められてるように

思うでしょ?大違いなのよ。

彼女にとって、わたしはいまだに、お勉強ができて、お行儀がよかった○○ちゃんなわけ。

自分の認めたい娘でないと、それは彼女の自慢の娘にはならないわけ。


それが証拠に、あんまり「やりたいこと」「夢」なんてまくしたてるから、


「わたしね、たまにインターネットに、つたないけどイラスト公開してたりするの。

そっちを一生懸命やるのも楽しいのよ。なにかにつながるともっといいけど。」


なぞと言ってみましたら、


「ふーん。」


だけで、完全スルーでしたw(つたないエロ本書きである、とカムアウトしてみたいものだw)


今、母の近くに住んでいる妹が、非常に両親を困惑させる状況を作り出しているので、

遠くに居て安定し始めたわたしが、「母のお気に入りの安心できる娘」というポジションになっているのね。

だから、殊更に期待するのね。


かつてお勉強ができても、そんなの今のわたしにとって、なんの意味も持たない。

ティーンエイジャーの頃のわたしから、生きていくことへの希望を地道に剥ぎ取り続けた

原家族たちは、それをした自覚はない。

ただ選んだ大学。顔色を伺いながら進んだ進路。

わたしはわたしの「かつてあったろう可能性」みたいなものを考えると、

すでに干からびてしまっている口惜しさに襲われる。


そりゃ、みんながみんな、願う進路に進めて、才能を磨いて社会に参画していくわけじゃないさ。

大学だって、行きたくても行けなかったというひとは今だってたんといるはず

(そして母は、自分が大学に行きたくて行けなかったことを切々と語る)

(そのくせ、大学在学中になにかで口答えしたら、「えーえー、あなたは大学に行ってらっしゃるから

そんなふうに賢いのね」などと皮肉言われた。あたしに一体どーしろと?)。

ただ、母が、父が、口では何度も何度も言っていた、「お前を伸ばしたい」なんて言葉が

本来的な意味で使役されていたら、今のわたしは今のわたしではなかったかもしれない、とも思うわけで。


そう。あまりにも大事にされすぎて、わたしは幼児的全能感すらいまだにどこかで持っているような

気がするのだ。おそろしい、いや、うすら寒い。


母の望んでいるシナリオはわかる。


小さい頃から学習面で優秀だった○○ちゃんは、

結婚して立派な家庭を築いてもなお、努力怠らず家族のあたたかい協力も得て、

子どもの手がはなれたあたりでその知力wを生かし、

クレバーな職業、真面目で人から尊敬される職業について、

金銭面でも余裕しゃくしゃく、幸せな人生を送る。


そして、それを育てたのは、この母。

あなたが幸せなら、わたしは幸せよ。


あうううううう。

それは、自分自身の夢なんだろうな、母の。

だけど、そのシナリオを演じるには、たくさんのハードルを越えなくっちゃいけない。

そして母は、なにもしないで、・・・父に表面的にたてつかず、娘に父の不満を垂れ流し、

気分の浮き沈みは娘を殴ったり意地悪を言い、それでなんとか折り合いをつけて・・・、

現在に至っている。


今の、38歳のあたしですら、そのシナリオを演じようと思ったら、ハードルはいくつもあるのよ。

乏しい体力。

夫との交渉。

子どもを見守りたいという欲求との軋轢。

家事のクオリティとの折り合い。


その、くればーな職業、ってやつなんかじゃなくって、たとえばパートタイムで出たとしても、

これらの問題は浮上する。

だけど、それに直面するのはあたしであって、母じゃない。

(もちろん、それらの問題を母がやっつけて、あたしにレールを引いたとしたらそれはそれで

おっそろしく怖い。現代の恐怖だ。ホラーだ。おサイコだ)


そういう自己保身を感じてしまうので、

そういう自分への酔いっぷりを感じてしまうので、

そういう自分スケールから抜け出す気もない、つまりは会話になりゃしないことを感じるので、

しかもそれがあたかも、わたしのためを思って言うアドヴァイスの様相を呈しているので、


あたしは極端にエネルギーを奪われてげんなりする。


どうかすると、げんなりするどころか、現実との擦りあわせができなくなって、苦しむ。




母は、自分自身の人生を生きるべきなのだ。

気がつかないと、きっと一生そのままなのだろう。


ああはならない。

わたしはわたしを生きるのだ。

そうでなくっては、未来はないんだよ。



暴力

(暴力へのPTSDをお持ちの方や、フラッシュバックがおきそうな方は

この記事はお読みにならないでください。お願いします)













暴力を受けていた。

父に。そして母に。


わたしは子どもで弱かった。

やられるしかない、と思っていた。

自分が悪い子だから、そのせいだと思いつつ、

理不尽な気持ちは否めなかった。



かつてある男性に、「オレだってオヤジに殴られてたよ~w」と言われた時の

「どうして、そんなに軽く言えるの?」という疑問。

男の子を持ってわかった。

彼らは、そのうち大人の男になって、筋力を手に入れる。

だから、程度の差こそあれ、軽く感じるだけで済むひともいるのだと。


大人の女性になったけれども、素手では父は倒せない。

母くらいはきっと倒せるけど、老いかけた母にそれは卑怯。

父に仕返しすることも、そう思えばそのうちできるのだろうけれども、

それも卑怯。

凶器を使えば可能だけど、それもまた卑怯。


うらんではいないけど、

わたしの底の部分に、澱んで存在する黒いどろどろ。