12月あたりに再びこちらのブログに舞い戻って、
振りかえるもクソもあったもんじゃない気もしますが。


冬は、実家の事情でしょっちゅう広島に帰っていました。
ホテルから実家の用事に通う、という日々もありました。
自由でよかったw
広島の街の冬の匂いは懐かしかった。


春先の話は、割愛。


BAで行われたACLの試合に2回も行けたのはよかったな。


今年も普通に遠征に行きましたw
移動時間というのは、なんだか素の自分に戻れるようで好きなんですよね。
だから、これからも行きたいし、行ければいいな。


春から夏にかけて、ネット関係の悪意に飲み込まれそうになって
厳しい時期がありました。
夏はホントに凹んでた。


どうしてそんなことに振り回されるかというと、
自信が無いからで、
人の目に映る自分の姿に汲々としてしまうという持病が
結局わたし自身を苦しめていたということだと自覚しております。


自覚したからって、そんななかなか修正できないだろうけど、
それでも無自覚よりはいいはず。


夏といえば、テレビに出ましたwwwww
テレビ局様のお財布で大阪にも行ってきました。
そのこと自体もとっても楽しかったんだけど
(でも悔しいのさ。5年後にリベンジなのさ!)、
(児玉清さんのカッコ良かったこと!)
何より嬉しかったのは、ずっとお会いしたかったKさんに
このことを理由にお会いできたこと。
春に、これまた長年の念願でお会いしたかったLさんとも
お会いできて、この夏の日にもかけつけていただいたのも、
その後のごった煮みたいな飲み会も楽しかったです。

あんな、わけのわからない集まりなんかそうそうないでしょうけれども、
またKさんにもLさんにもお会いできたらと思います。
ホントに、ホントに。


人のご縁というのは不思議なもので、
会いたいね、と何度も言いあっていても、
どうにもご縁がすれ違う方や、

ふとしたきっかけとか偶然で、
もう一度ご縁の温まる方もおいでです。

それが、お互いのつむぐ言葉で引きあうのなら、
…椎名林檎はかつて、
「太陽、酸素、海、風。
それで十分だったはずでしょ?」
と、歴史の上の言葉なんかいらないと歌いましたけど…
わたしは、まさかその言葉がいつか残酷な刃となろうとも、
やはり、言葉があってよかった、と思うのだと思うのですよ。


猛烈に脱線しましたが。


秋口から、次の目標を決めました。
それは今させてもらってる仕事の、わたしからすると延長戦上にあるもので、
もっと早くに挑戦しておけば、と思いつつ、
やはり動機がある今でないと、目指せなかったものかな、と思っています。


昨年は、年末に駆け込みでビジネス実務法務検定2級と3級取って、
なんとか「一つステージを上げた」感で年を越しましたけど、
今年はそれがないなw
だけど、進んでる感はあります。
これですよ、これ。
止まってられない。


ここにはリンク貼ってませんし、
ここにつなげる気は全くないのですが、
twitterで会話させてもらってる方も増えました。
断片的な情報が、フォローしているほとんどのみなさんの属性上
サンフレッチェ中心で流れて行く中、
それ以外の気になる言葉にも目が開かされたりしています。


あらためて自分の欲張り振りに気がつきつつ、
欲張りさんは、それ以外の生き方はできんのよ、などと開き直りつつ、
きっと、来年も芳醇なわたしを目指して。


みなさま、お世話になりました。
来年もどうぞよろしく。

よいお年をお迎えください。









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子に学ばせる。

「子供は大人の言っている事を聞いて育つのではない...大人が何をしているのかを観て育つのだ...」

これは、今期でサンフレッチェ広島FCユースの三矢寮を去られる稲田稔寮長の教えです。


わたくしもそれなりに人の親をやっとります。

いつのまにか、上の子なんざ高校生です。

ここに文章を書き始めた頃は、子どもふたりとも小学生だったのにびっくりだね!


さて。

本日は個人面談だったりしたわけです。
残念なことながら、成績の芳しくないあたりが面談のメインテーマでした。

逆に言えば、他には何も問題ないなんて凄いね!
うちの子立派!
いい子!
素晴らしい!

よそで言えないからここで言う!

(ホントは、サッカースポ少の時の母友で、
やはり素晴らしいお子さんをお持ちのお母様がいらして、
その人とは何ヶ月かに一回カラオケでハジケる仲なんだけど、
密室をいいことに親馬鹿大発表大会になる。
そこでも言える。貴重な場所である)


で、まあ、帰宅して息子に、成績上げよーね、という話をしたんですけど、
まあ、そんなん言われて「はいそうですか」って勉強するヤツはいないですよね。


で、冒頭の言葉に戻るわけです。


わたくし、例によって例のごとく、懲りもせず勉強中。
簿記じゃないけどね。


で、簿記じゃない、大学でも学んできてない分野だから、
なかなか手こずって、時々怠けちゃったり眠くなったりスパイダソリティアやっちゃったり。

そういうのって、つまりお子にも通じちゃうのではないかな。
時間を上手に使え、って口を酸っぱくして言うけど、
彼の逃げっぷり、楽への流れっぷりに、確かにわたし見おぼえがあります。


息子を学ばせようと思ったら、まず自分の姿勢なんじゃないか、などと、
面談の帰り道、考え考え歩いていました。


それにしても冬休みは、息子たちが好きにテレビ見たりゲームしたりするので、
わたしがFMとか聞いててもかき消されちゃう。
それだけが不満かも。

お昼ごはん?
たまには作ってもらいたいw




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映画を見てもうひとつ思ったこと。

…印象的な映画に出会うと、その場面場面を反芻する。
そうすると、最初見えてなかったことが見えてきたり。
時間を置くともっといいのかも。
もう一度観るのもいいのかも。

(「ラ・マン/愛人」は、何故か3回くらい観た。
何がよかったのか…なんてね。
何がよかったのかはよくわかってる)



わたしは「ファム・ファタール」
…いわゆる「運命の女」的な人物の出てくる映画が好きなのだけど、
そういう人物はまあ、すべからく美形で、
なので、自分とは対極にあると思っていた。

しかし、最近思うに、美貌の女だけが
ファム・ファタールたりえるわけではなく、
もしも、とある女に魅了された男が居るとして、
それはその女性の美貌だけに目が行っているわけではなく、
その男にだけ感じる、どうしようもなく魅かれる部分でもって、
その男のファム・ファタールだったりするのではないか、と。

映画や、一般の表現作品では、
それを受け取る相手にも共感されやすいという必要性もあって、
登場人物は美貌に設定されているのだよね。
そういう女が取りあいされる、というシチュエーションもあるしね。
もちろん、どんなファム・ファタールも、美貌に近しい女であろうことは
誰も反対しないと思うけど。

万人受けする美女でなくてもいいのかも…。
(内田有紀は美女だが!美女なんだが!)


でも、その女の美点を見つめる男のまなざしは、確実に女を磨く。
無意識であっても、女は磨かれていく。

わからないものね。
自分じゃ。
他者を引き付けることができる要素も、
或いは自分ではイヤだと思うところだったり。

だけど、わたしは素直になったかもしれない。
意外なこと言われても、あんまり反発しなくなった。
あ、そうなのか、と、不思議に目が開かれる感じにも似て。

(さすがに頓珍漢なこと言われたら、慈悲の笑みで誤解されておく!)
(トシ取るのも悪くないのよ!余裕ができるの!)
(好きなように思っていればいいわ、なんてね。うふ、冷たいね)
(誰にもかれにも優しくするわけないでしょ!)


これって、男相手にも言えるのかな。
わたしが見つめることで、わたしはその男を磨けるのかな。

わたしこそ頓珍漢なところを見ているのかもしれないけど。
自分に都合のいいところを、自分の都合のいい美点として。

それでも。
それでも。

エロスは関わり合うことで複雑に響き合う。

そうじゃないのかしら。

そこに介在する、まなざし。




それにしても内田有紀はよかったー。
あのろくでもなさ。
官能に真っ正直。

もちろんあれは
「それ以外の何かを知らないから」
に他ならない彼女の悲劇の一端なのだと思うけど。

内田有紀でなくても、真っ正直にはなれるさ。

それにしても、それにしたって、それはさておいて
……わかりやすい美貌になりたいものでございます。
結論そこかよ!
今まで言ったこと、なんだったんだよ!



どうか魅力をください。

見つめれば凍りつくほど。

YeahYeahYeah!
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こっちには、結構はばかる?話題を。

とにかく、冒頭主人公の二人がセックスばっかりしている。
あれですよ、大学生くらいの男子の、
覚えたらそればっかりしたくなるというか、してるというか、
ねえ、自分にも、相手にもw覚えがある方は少なくないでしょう?

あの感じ、懐かしいよねえ。
今にして思えば可愛いものだ。

可愛げのある男はいいね。


そして、アルコール依存の描写。
かつて付き合いのあった人物、
相当ギリギリの状態だったのではないかと思った。


ヒロインの額子が、いい。
内田有紀が演じているのだけど、
テレビドラマでは最近、
かっちりきっちりデキる女の役ばかりしてる気がしてたけど、
この映画での奔放で蓮っ葉な謎のおねえさん、魅惑である。

足が綺麗だ。

めちゃくちゃな女なのだけど、大抵の女にはどこかしら
共感できるところはあるのではないかとも。
逆に言えば、このヒロインに共感できない女性には、
この映画受け入れがたいかもしれない。

めちゃくちゃだけど、人のせいにはしていない。
(簡単に言っちゃうと)運命がそれを明らかにするのだけど、
自分の行ったことで、ひとりの男が人生を狂わせた、
と、たったひとりで深く悔いている。
たったひとりで背負っている。



強気な女は、実は繊細でもろい。
弱そうな女は、その実したたかだったりする。

何が出るかは、サイコロの目と同じなのかもしれない。


ありきたりの、結婚して家庭を持ってああ幸せ、というものに、
納まりきらないかたちの巡りあい方をするおとことおんなもあるのだ、と。


普通の善良な男女は、そんな綱渡りはせずに、
ほとんどはこんな映画にすら目もくれずに
YAMATOやハリポタなんかを鑑賞あそばすわけだけれど、
一歩間違えば浪漫に食い荒らされても構わないと思うような
危険人物の素質を持つ「ばかもの」は、
こんな映画で、楽園の夢を見るわけなのだね。


受けてきた。
ヴォイストレーニングの体験講座。
グループレッスンに放り込まれたんだけど、
後半は単なる歌謡教室になってて笑った。
「雪の華」歌ってきたけど、スタジオでの個人レッスンに来いとか。

二階級特進か、それともカモに見えたか。
(その会場でのグループレッスンと個人レッスンがまずある。
スタジオに呼ばれることはなかなかないらしい。
一緒に受けてたおば・・・お姉様wたちが、
「あら先生、わたしたちとレベルが違うってことね」
なんて和ませて笑わせてくれた)

転調転調転調変拍子、みたいな超絶難易度の歌を歌いこなしてみたいという野望はあるんだ。

だけど、その先に何もヴィジョンがないので、向かう方向としては後回しかな。


今日で「枯葉」覚えた。完璧のぺきぺき。
でも、投影すべき人生の陰影がまだ足りない。
後10年くらいして、壮絶な色気を滴らせながら歌ってみたい。


別に、信州出身の新進新人歌手による新春シャンソンショー(←3回繰り返して言ってご覧?)、
などがやりたいわけではないけど、
やはり何かの舞台に上がりたい気持ちは、まだ、どこかに。


やっぱり芝居がやりたいのかな。
もう、流石に無理だろうけど。
だったら、3分間のドラマとしての歌ということもアリなのかな。


この胸のたけを表現したい、と切望するあらぶるわたくしが、わたくしの中に居る。
多分、居る。


それから、そのグループレッスンにいらした、おば…おねえさま達に、
「30代になられたばかりくらいかしら?」
なーんて言われちゃったーん。
若く見られるのは嬉しいぞ。



Twitterの方で、
「どうしてみんなクラシックを聴かないんだろう」
とつぶやいてらっしゃる方がいらした。

その部分に関してはわたしは啓蒙的ではないので
(そんなレベルでもないし)
(スタジアムに行こうよ!という啓蒙活動は絶賛展開中w)
そこまでは思わないんだけど、
うつくしいものに触れることに、自分からそっぽを向くのは
もったいないことだな、と思う。

それは、ここ数年で、自分が「何にでも触れてみよう」って思い始めたせいでもあるけれども。

(スタジアムに自分の意思で足を運ぶ体験、というのは、間違いなくわたしを変えたと思うの)


芹沢銈介美術工芸館というのが、東北福祉大学に併設されている。
この方は、静岡の方で、静岡に住んでいた時に芹沢銈介美術館に行って知った。
登呂遺跡の近くにあったような記憶が…。

こっちになんであるんだろう、と思っていたのだけど、
この方、仙台や鳴子温泉の風景を愛した方なのね。
そのご縁なのでしょう。

で、丁度よく、収蔵品展をやってそうなので、今度見に行こうかな、

非常に眺めのいい喫茶室もあるし、
その大学にあるレストランも自然食を出しているレストランみたいなので。

見に行った感想はきっと新設の方に書くと思うけどね。


綺麗なものに触れよう。
うつくしいと思うものに触れよう。
或いは、「危険」なものにも触れよう。

わたしはわたしを自分で創り出す。

多分、それしかないのだと思う。



いい香りとテクスチュアの化粧品。
日々のBGM。
耳にする言葉。
目にするかたち。

わたしの触れるもの。
わたしのうちがわをかたちづくるもの。


自分がけして言葉にしないいくつかの気持ちと混然となって、
わたしのなかで芳醇になれ。




んでね、ヴォイストレーニングの体験を受けることにしたよ。
磨きあげたい。

己は誰なのか2

とつとつと考えている。

この場所は、単に自分の思いを書く場所から始まっている。

途中でなぜかサッカーブログの様相を呈したが、
そのコンテンツはよそでやることにして現在に至り、
ここの避難所としてmixiを使っていたが、
そこも、サンフレッチェサポとしての自分のウェイトが大きくなりすぎて、
一体自分はダレナノヤラ。

エロティックなコンテンツは、
これまたあまりおおっぴらに出さないことにしたし。

まあ、それも自分なのだけど。

簿記がんばりますブログだったりもして、
それはまあ、頓挫してるのだけど別口で努力中。
そっちはそのうちリアルにつなげるつもりなので、
まさかここでは話ができない。

もちろん、それも自分。


サンフレッチェサポというわたししかご存知ない方や、
ここをお知らせしてないわたししかご存知ない方には…と、
誰に見せても困らないものまでご用意しちゃったりして、
なんてまあ。
なんて丸出し。
愛の丸出し。


Twitterはまあ、むしろ素に近いかもね。
まあ理屈っぽいこと。
リムりたきゃリムっておくれ。
なんかもうね。
人の数だけ使い方はあらぁな。


そして思うのです。

自分ってなあに。


いくら書いたって、理解はされぬ。
誤解はされども、誤読はされども。
ひとは、読みとりたいことしか読み取らぬもの。

それは知りつつも、それでもここから始まる何かを
わたしは希求してやまないのでしょう、と。


コアがほしい。
ゆるぎないわたくし。

人の評価とか、まなざしとか、
そんなものに依存しないですむわたくし。


そう希うことこそが、揺らいでいる証拠だよ。


己は誰なのか。


問い続ける。


人のまなざしも、期待も、付きつめてしまえば利用したい欲望も、
むしろ食い荒らせる猛々しさがあれば、何か違ってくるのだろうか。


そんなものあったら苦労せぬわ。


今更ながら、過去のあれこれを恨んでやまぬ。
普通の自信が欲しいよ。


己は誰なのか。

ここ2年くらいか。
サンフレッチェのサポである自分が、ネット上の比重を高めてきた。

Twitterでもmixiでも。

しかし、そこに納まりきらない自分も感じる。

そも、己を解体して腑分けして、
この臓物の働きはこうでござる、
この部位の色具合はああでござる、
そうして見せているだけではないのか。


その上、その臓物の色艶でさえ、
魅惑に見せようと、言葉によって装飾だ。


己は誰なのか。
それらをパズルにすれば、己が立ちあがって歩きだすのか。


装飾した臓物を、ああ、芳醇だと誰ぞ言ってくれると言うのか。


あさましやの。


それも業なれば。

歌であそぶ。

受験生を抱える友人から誘われて、昼から歌遊び。

てんやわんやですよ
酒場でDABADA
カサブランカダンディ
麗人
色彩のブルース
楽園(平井堅)
球根
ふたり(大貫妙子)
JAM
恋人も濡れる街角


歌うのはスキ。

でも、割れ鐘みたいな伴奏は嫌い。

ま、ひとと行く時にはしかたない。


ひとりで行くのはハズカシイ、なんて昔は思ってたけど、
ある時あれはスタジオでの練習みたいなものだ、と言われて、
「あ、そーか」
と思った。

人前だったら、やっぱ上手く歌いたいじゃない?
ちょっとだけ、ちょっとだけなら自信あるんだもの。

ちゃんと練習にするためには、
エコーを切って、
マイクの音量を下げて、
そんで歌う。

音程と、ノドの使い方と、音の響かせ方を試しながら歌う。

そうでなくちゃ、練習にはならない。


で、最後の30分くらい、エコー効かせて歌うと、
ものすごーく歌がうまくなった気がして楽しい。


連想。

ひとつの固有名詞から思い出す次の固有名詞。

結果として昨夜から大貫妙子だ。


80年代、高校生時代に聞いていたあたりは、
思い出して聴くと、あの頃の自分が蘇る。


瑞々しい…。


でも、自分で言うのもへんだけど、
こころはそんなに変わっちゃいない。


黒のクレールのうつくしさと、
夏に恋する女たちの夢幻感に、
昨夜からそのまま夢だ。


思い立ったら、ふと聴ける、YouTubeのある世界はありがたい。
でも、アーティストが飢えたら大変だから、
ちゃんと恩恵の還元をしなくてはね。