2009-12-17 19:50:35
愛のカタチ
テーマ:Nine Lives我が家の問題児クロちゃんは、トイレじゃない場所に平気でオシッコをする。所謂マーキングというヤツだ。他の子達は、トイレに関して面倒をかけることなく、比較的お利口にしているのだが、高待遇で、しかもソコソコ賢い筈のヤツがマーキング行為を繰り返すのだ。
ワガママで独占欲が強く、膝に乗っかるやいなや、クンクンをし始める。そして、他の猫の匂いがすると途端に落ち着きを無くして部屋をウロウロし始め、部屋の入り口付近でシャーっとマーキングしやがる。
外で楽しく飲んで帰り、迂闊にも香水の移り香を残して帰宅したところ、キーっとなってお皿を投げちゃう奥方みたいな、嫉妬に狂うイタリア女みたいな猫である。愛されている飼い主である事を喜ぶべきなのかしら…。
ハナシはころりと変わって、、ランバダを聞きながらナタデココを食べるみたいに半端な古臭さの、今更どうでもいい映画を観た。「失楽園」 …失楽園=川島なお美=勘違い女。という記憶が薄らインプットされていたんだけど、あれはテレビ版だったんだね。映画は黒木瞳だったのか、、
どういう風にどーでもいいのか、どうせタダだし、観ておいてもいいだろうという事でざーっと観たが、感想というか、謎がたった一つだけ。それは、「どうして心中するわけ?」だ。
妻子ある男と夫持ちの女、お互いを縛っていたそれまでの生活が崩壊したならしたで、過去に見切りを付けて、満を持して再出発だと云う事で、より一層、愛を育む事だって出来るだろうに、何故かそうはしない二人なんだよね。
自分達は墜ちたのだ、という認識が激しく強いくせに、肉体的な快楽追求は継続して、より高みに登ろうとする。性愛が真実の愛だと主張したいのなら、継続して構わんだろうし、誰が何と言おうがおかまい無しでなければ嘘なんじゃないのかなぁ。なのに、短絡的ともいえる情死で幕を閉じる。
お互いの愛の確認は二人の間で成立すれば済む行為なのだと思うのだが、何故かコイツらは絡み合って死ぬというパフォーマンスをして誰かに見せびらかそうと画策して死んで行く。歪んだコンビ愛ですか?エロ事の究極は死なの?なんだ、この異常な感覚。
原作を読めば、もっとその辺りを納得させて貰えるんだろうか?読む気も無いんだけどさ…
作者、渡辺淳一の性癖というか、彼が夢見る理想のエロスを描いたつもりなんだろうけれど、世代差なのか感性の差なのか、いまいちワタシには理解の出来ない事が多すぎた。
ゲーテが描いたヴェールテルは叶わぬ愛に失望して死を選ぶ。そういうのはわかるんだ。けど、幸福の絶頂っぽい位置に居るにも関わらず、死という選択をチョイスするのって、牛丼にみそ汁ぶっかけて、生卵を入れてかきまぜて、紅ショウガいっぱいと七味いっぱいトッピングして、一気に頭からかぶるみたいに中二病的シュールだ。豪快に食べるために準備したんだろうに、なぜ喰わないんだよ。みたいな。
それから、今に始まった事じゃないんだけど、黒木瞳がわからない。彼女は一体何なんだろう?演技がもの凄い達者な風にも見えない。絶世の美女とも言えない。派手でもない、むしろ地味な顔。幸薄そうにすら見える。露出度が高い役者なので、あ、また出てる。というカンジで色んなドラマで見かける。いつもいつも違った役どころを演じているんだけど、どれもこれも役にハマっていない風に見えるんだ。
12色とか24色セットの色鉛筆とかクレヨンに入っているクロみたいに、確かに色は色なんだけど、他の色達のように色環を作れない。色のハーモニーから除外されているような浮いた存在。まったく黒木だけに、、wってヘタな漫才師みたいな事いってもアレだな。。
「ママさんバレーでつかまえて」と「リアルクローズ」この二つのドラマで黒木瞳が見られるけれど、どっちもヘン。黒木瞳がヘンだという前に、両方とも、特に関西テレビ制作のリアルクローズの方はドラマ自体がヘンなんだけどさ、、
なんかヘンだなぁコレ、、と思わせるモノに大抵、黒木瞳が登場してる事に気付いたのでした。








1 ■ヴェネチア
ブラノ島に「ガットネロ」というシーフードの美味しいレストランがあるって聞いて、現地集合した友達3人と食べに行ったのを思い出しました~♪