阪神大震災

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あれから、16年。

早いなぁ。。。



ちょうどあの日、下から突き上げられるような衝撃で目が覚め
その直後のゆっさゆっさと家が揺れるのを「早く止まって~」と祈りつつ
怖くて、身動きできなかった。何もできなかった。

よく、揺れを感じたら、火を消して、窓を開けて、とか言われるけど
あんな衝撃にあったら、なかなか行動に移せないものだと
今でも思う。




その日は、いつものように、出勤したものの、途中で電車は何度も止まり
地下鉄は動いていなかったので、2駅分歩いて会社にたどり着いた。
その途中で、壁にヒビが入ってるビルや、どこかのビルからはがれた
壁面のコンクリートを横目に。

会社があるビルも、壁にヒビが入っていて、エレベーターも停止。
7Fにあるオフィスまで階段で行くと、
ほとんどの人が電車が止まっているから出勤できてない。
出勤していたのは、
私のように遠方か、自転車で来れる距離に住んでいる人のみ。


この時も、まだ、事態の大きさを把握してなかった。
今のように携帯電話が当然のようにあった時代じゃなかったので、




会社で、出勤していた人たちとニュースを見て、呆然。

神戸が燃えていた。

黒い煙をもうもうとあげて、炎が燃え盛っていた。




あの衝撃は、かなり大きかった。


絶句、とは、本当にこのことだった。




翌日、同じ部署で神戸に住んでいる人の安否がわからず
同僚2人と、岡本にあるマンションに様子を見に行く事になった。

3人で、持てるだけのペットボトルの水を持って。

もちろん、電車も途中の西宮までしか通じてなくて
西宮から岡本まで、えっちらおっちら歩いていった。

そんな道中、あちこちで水道管が破裂して、水が出っ放しになっていたり
地面が盛り上がったりして、歩きにくかった。

そして、行く途中で目にする崩壊した建物。

ある10階建てくらいのマンションの1階が、ぺっちゃんこになっていた。

4階建てくらいのマンションは、まるで、建物がお辞儀をするように
倒れていた。

テレビで見るより、衝撃的だった。
まるで、映画のようだった。映画のような悲惨な現実。



その時、神戸在住の会社の人には、結局会えず、
マンションの部屋の前にペットボトルを置いて帰った記憶がある。
斜めになっているマンションに入る事は、少し恐怖だった。

その人は、その時は体育館に避難してたそうで、家族とも無事だった。


その日、帰りに事務所に電話しようと公衆電話からかけると、
ずっと、話中。
実は、どうも回線がかなり混んでいたらしく、
東京の事務所に電話して、内線で、大阪につなげてもらった。










その後、2年後くらいから、神戸はマンション建築ラッシュになった。
当時、マンションのモデルルームにパソコンを設置する、という
仕事をやっていたこともあって、
毎日のように神戸方面に行っていたこともあった。



今では、震災があったことなどなかったかのような建物ばかりで
身近な人を震災で亡くした経験もない私のような人間にとって
ついつい、あの悲惨さを忘れてしまう今日この頃だけれども
この日が近づくと、新聞やニュースで特集が組まれる。




でも、この地震の経験、
関東方面の人には、なかなか伝わらない
と、思う。

東京に転勤したのは、震災から約5年後、まだ揺れに敏感だった。
席の後ろを誰かが通って、少し床が揺れたくらいで、

「じ、地震っっ!」

と、言うと、周りに、笑われた。


本当に地震が来た時も、すごくおびえていたけれど
周りは、平然としていた。


たぶん、関東の人は、地震に慣れっこになってるような気がする。



自然現象による災害は、人の手では止められない。
オーストラリアの水害や、ブラジルの水害もまたしかり。
自然のパワーに脅威を抱くだけ。






1月17日は、地震で亡くなった方に哀悼の意を表し
そして、自分勝手ではありますが
健康で無事、生きている事に感謝する日でもあります。



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