押井氏がアニメ製作で一貫して考えているのは、演出は映画的センスを反映させたいというものです。アニメーションだけでなく、色々な映画で蓄積されてきた映画的センスを出していきたい、というものです。それからキャラクターの描き方。男が男、女が女であるためには男と女の会話やからみが必要と考えているようです。
ラピュタなら、パズーがパズーであるためにはシータが必要になる。自分が英雄的にならなくちゃ、自分を強くしないと、一生懸命がんばろう、という感じになる。女のこの方もそういう男に会わない限り、自分を確認できなかったり。まぁ言葉使いの悪い女でも男の前では変わる、見たいなものかもしれない。それが裏表があると捉えるのではなく、女というものをその言葉使いの悪い子がどう考えているかというのが現れただけに過ぎない。それが自分を確認するという事だと思います。

続く・・・かな(藁
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宮崎氏が残念がっているのは「設定に興味を持つアニメーターが少ない」ということです。「残念な事に設定に興味を持つアニメーターって本当に少ない。基本的に関心を持つ分野がせまい。だから、ごちそうっていうとトンカツ描いちゃう(笑)。あわてて資料をさがしたって使いこなせるわけないのね」(アニメージュ85年一月号)といっています。普段からいろんな分野に興味を持っていれば、いざごちそうを描けといわれたとき、中華、フランス料理もかける、さらに貧乏という状況まで(つまり世界観)までイメージできるなら、ラーメンでさえごちそうになる。にもかかわらずいろんな分野に興味を持っていないため、みんなごちそう=トンカツというワンパターンかつ薄い発想になる。
「・・・庵野君たちもそうなんだけさ。いかにロケットが天空に上っていくかに夢中なのね。そんなことより、ロケットがあがっていくその足元にある家、その家の格好に興味を持つアニメーターがいないとね。背景のデザインを美術にまかせればいいというのはまちがいでね。全部をくっつけてやる人間がいなきゃだめなんだ。世界をつうりあげようとする人間が。」(同)と言っています。

また押井守も「持ち込んでくる若い人の絵はやっぱり似たような絵なんですよ。かっこいいロボットでね。背景がない。背景描いておいでというと、次にもってくるのは、どっかでみたような岩山みたいな町になっちゃう。比較物のない背景ではロボットの大きさがわかるわけないのに。」と不満をもらしています。
キャラクターと背景がくっついた、世界そのものをつくりたいという発想が大事になるようです。
カラのコップから水はとりだせない。それとおなじようにきちんとした知識や情報を集めていないと世界そのものをつくることはできないようです。


続く・・・かな(藁
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うる星やつらとかパトレイバーとか甲殻機動隊とかのひとですね。生まれは昭和26年だからもう50を超えている感じです。もともと子供のころから映画好きで東京芸大時代は一年間に1000本も映画を見たとか。大学卒業後はラジオの深夜放送のディレクターを経て竜の子プロに入ります。それまでのアニメーターは卒業後即アニメ業界に入ったりするのが多いですがその点ちょっと違う感じ。たまたま会社の前を通っているときに電話してそのまま面接して、採用、初日から絵コンテをか描いたみたいです。ヤッターマンとかガッチャマンをやってましたね。初期はギャグがおおかったみたいですね。

続く・・・かな(藁
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彼の作品は日常生活を描いたものが多いし、高畑氏自身も日常のなかの凝縮された瞬間を描くのが好きなようです。宮崎駿氏との対談で、宮崎氏が「子供たちに励ましになる作品を作りたい、雄雄しい主人公を描きたい(そこに凝縮された瞬間がある)」といったのに対し高畑氏は「凝縮された瞬間はきわめて日常的なところにもにもある
と思う。だからいわゆる雄雄しさには、ほとんど関心がない」と述べています。(アンメージュ81年6月号)
日常の凝縮された瞬間を見つけるのはセンス、それから努力もあるようです「さまざまな国でさまざまな生活様式がある。そこで人間はどんな生活を営んでいるのかを、いつでもできうる範囲で調べ上げる。・・・その結果こういう風に生きているのか、食べものはこう食べるのかがわかる」(同)と言っているように、しっかり調べてリアリティを画面に出すようにしているようです。つまり、イメージができている、ということです。そうなると世界がしっかりと作られるようです。

宮崎駿氏は小説は好きな場面ばかり何十回も読む。そうすると映像が浮かんでくる、と言っていますが、高畑氏もしらべあげることでイメージをはっきりとさせているのかもしれません。
あまり細かいところまで調べるときりがないですが、画面にリアリティと凝縮された瞬間を出せる範囲まではしっかり調べる、そしてそれを画面に出す事ができる、
というのがセンスなのかもしれません。
だからアニメーターを目指す人はぜひ本をたくさん読むべし!(それも誰も呼んでないようなもの。種ってのはみんなが知らない種であれば独特の雰囲気が出るし)
そんなわけで人を喜ばせるのがうれしい、というタイプなのでそういった作品を依頼されるのでしょう。
しかし、エクセルサーガはすごかったです。原作は無視でしたもんね。
途中、ワタシンが何故かストーリーに絡んでくるし。
内輪ネタってことでなんかタイムボカンを思い出しました。
もともと小学校の頃は漫画家になりたかったようで、「面白いマンガを描いて日本中の人々を笑わせて、幸せにしたい」と卒業文集にも書いていたようです。授業中にも描いたマンガをクラスにまわしたりとしていたようで、もともと人を楽しませる事が好きな人のようです。それは彼のどのアニメをとってもいえそうです。味っ子が終わったあとは「笑ウせぇるすまん」と「おぼっちゃまくん」の仕事をすることになるます。ちょうどやりたいって思っていた仕事のようです。ギャグ志向っていうのはあったようで、「ギャグっていうより、仕事を楽しんでやりたかったっていうのが、まずあったんです、最初にやった「ミスター味っこ」が、ギャグあり、かっこいいのあり、いろんなものが入っている作品だったんです。その中で、やっぱりギャグをやってるときが一番面白かったんです。それとやっぱり、オレひとを笑わせるのが好きだったというのがどこかにあったんでしょうね。」(アニメージュ98年12月号)
といっています。その後、「はれぶた」の監督の依頼がきます。

続く・・・かも(藁
ワタシンです(藁「はれときどきぶた」とか「エクセルサーガ」とかギャグ路線を走る人ですね。結構はじけた事をするタイプの人です。監督としては「はれぶた」がさいしょですね。エクセルサーガでもそうですが(とくにあれは)暴走する感じがあるかもしれないです。でもそれが画面にパワーがあるなーって感じる部分ですね。ミスター味っ子で演出をします。


続く・・・かな(藁
その後パンダコパンダという作品を作ります。元気な少女ミミ子といっしょに暮らすことになったパンダ、コパンダの生活を描くものです。日常生活の中に、パンダコパンダがはいったことで、生活にちょっとしたファンタジーが生まれた作品です。これはヒットしませんでしたが、子供の反応がよかったようで手ごたえを感じたようです。その後、アルプスの少女ハイジをつくります。日常の中にある魅力をアルプスというリアリティのある舞台で表現したものです。その後母を訪ねて、赤毛のアンと作ります。
80年にはテレコムに移籍、じゃりんこチエやセロ引きのゴーシュをつくりまし。これは75年、日本アニメーションに在籍していた頃から6年をかけて少しづつ作ったものです。宮沢賢治の原作の雰囲気をうまく伝えています。さらに蛍の墓、
おもひでぽろぽろとなります。

こうやってみると人の生活をしっかりと描いタ物が多いです。

続く・・・かな(藁
高畑氏も宮崎氏と同じく東映動画出身です。4年後に宮崎氏が入社しました。仕事で出会う前に組合の活動で知り合ったようです。ただ組合の話しというよりももっぱら仕事の話が多かったとのことです。その後、東映動画が3年をかけて「太陽の王子ホルスの大冒険」をつくりますが、その演出を担当します。興行的には失敗して東映動画は長編アニメから撤退することになりますが、この映画で試した演出などは高畑氏の次の仕事にやくにたちます。人の生活を描いたり、村の祭りをリアルに描いたり、村の人の日常が描かれています。見る人が自分の体験と重ねて感情移入出来る作品を作る。原点はこの辺からあるようです。

続く・・・かも(藁