もう改善の見込みのない患者の終末期医療において、日本では「胃ろう」が一般的。この胃ろうの中止を選択肢として考慮すべきという見解がやっと出された。
現在のように普及した背景には、医学的理由というより、経営面から入院日数を短縮したい医療機関が、まだ口から十分に食べることができない患者を早期に転院させるために胃ろうを作ったり、食事介助の手間や誤嚥のリスク軽減を狙う介護施設が入所者に勧めるケースが多いためだという。
実は私の父も、現代医療の勝手で胃ろうとなってしまった残念なケースに当てはまる。
私の父は食事養生が大嫌い。
好きなものを食べさせてくれ!というタイプ。
しかし、脳卒中となり、私が成人するまでは漢方を飲んだり、嫌々ながらも食養生や禁酒を続けていた。
それが、だんだん気が緩み、飲酒したり、大好きなお菓子や揚げ物を食べ初めてすぐに脳卒中が再発、再再発を繰り返し、とうとう若くして痴呆のようになり、入院。
病院では管理が楽な胃ろうを勧められたが、私たち家族は断固拒否し続けていた。
胃ろうにしないと生きられないような状態になってまで、長々と生きながらえる必要はないというのが私たちの考え。
人間らしさを失ってまで、長生きする必要はない。
それがある時、吐血し、検査のための一時的な転院を勧められる。
転院すると、また病院をたらいまわしになると、私以外の家族は断固反対。
実際に、それまで3か月おきに各地の病院を転々とさせられていた。受け入れてくれる病院を探すのが大変で、やっと受け入れていただいた病院だったのだ。
私は病院側の「絶対にこの病院へ戻してあげるから、検査だけ受けてほしい」という言葉を信じて、父を検査のために転院させることを了解した。
それが間違いだった。
検査結果は異常なしだったのに、胃ろうにしないと、元の病院は受け入れないと言い出した。
話が違うではないか!
胃ろうにしない!輸血もしない!と言ったときは、病院の医者から、「エホバかっ!」と屈辱的な言葉で吐き捨てられた。
あの医者の顔は二度と忘れないし、病院の対応にはあきれ果てた。
富山県の病院は本当に遅れていると思った。私の父が入院していた小矢部の○○病院は今でも通り過ぎるのも嫌。
結局病院へ受け入れていただくためには、胃ろうを選択するしかなかった。
胃ろうにした父親は、それからしばらくして、胃ろう患者に多い血管性疾患を発症し、亡くなる。
父を早死にさせてしまったのは、私の判断ミスと、今でも思っている。
あの時に検査転院を了解しなければ、間違いなくもう少し長生きしていたと思うし、胃ろうを受け入れる必要もなかった。
胃ろうに対し、私は特別の感情と嫌悪を抱いている。
一人でも私のようなつらい経験をする家族が少なくなってほしいと願う。