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2018-02-22 22:19:57

彼の声 2018.2.22 「政党の組織形態」

テーマ:ブログ

voice-125

 何らかの利権に関係した集団である企業や
メディアや官僚機構ではなく、一般の民衆が
政治を利用して何ができるかというと、特に
社会の中で有力な地位や立場を占めていない
場合は、個人としては相手にされないのかも
しれないが、だからと言って特定の利権に関
係した集団に加われば、その集団の一員にな
るだけで、集団の意向を政治に反映させるよ
うな成り行きにしかならず、個人の考えや意
向を政治に直接反映させることはできないの
かもしれないが、政治自体が特定の個人の考
えや意向を行政に反映させるために活動して
いるわけでもないだろうし、社会全体が平和
で暮らしやすい環境になるようなことを行う
のが政治の目指すべき目的だと言えるのかも
しれず、それでは具体性が乏しく漠然としす
ぎているかもしれないが、建前としてはそれ
ほど間違っているとも言えないだろうし、建
前としてならそれでも構わないのかもしれな
いが、そういうところから社会の中で実際に
生じている特定の利害関係のレベルまで下っ
ていくと、たちまち対立や軋轢に直面してし
まうわけで、具体的な政治活動としてはその
ような対立や軋轢を生じさせる利害関係を調
整して、敵対している双方から妥協を引き出
すのが役割だとも言えるわけで、それを問題
の解決を目指す試みだとみなすと、妥協から
得られた結果からは程遠い目標となってしま
い、実質的には何も解決していないのに、事
の幕引きが図られるような成り行きに落胆す
るしかないのかもしれず、だから解決を目指
すというよりは妥協点を模索するぐらいが、
せいぜいのところ政治ができる精一杯の活動
とみなしておいた方が、あまりにも現実離れ
した理想主義に陥らずに済むかもしれないし、
それは決して終わりのこない努力にしかなら
ないだろうし、現状に対処するための連続的
な行為となるのではないか。またそれは制度
として整備されているものの、活動内容が固
定されているわけでもないだろうし、絶えず
行政とそれを取り巻く様々な勢力の間に立っ
て、そこで生じている問題について交渉を行
う役割があるわけだから、またそれ自体が政
党として様々な勢力の中の一つとして活動す
ることにもなるわけで、当然そうなると政党
特有の集団としての利権も生まれてきて、そ
の利権を死守するための活動もやらなければ
ならないだろうし、そういうところから一般
の民衆をないがしろにするような風潮も出て
きて、他の利権団体との連携や癒着を優先さ
せるような成り行きになってくると、実質的
には仲介的な立場から踏み込んで行政機構の
一部となってしまうのかもしれないが、制度
的にそのような官僚化を避ける手立てはない
だろうし、政党として他の様々な利権団体か
ら距離を保って中立的な立場を取るのは難し
いのかもしれないし、組織的な集団の特性を
避けて政治家個人の独立的な立場を維持する
のも制度的には困難となっているのかもしれ
ないが、そこで政党としての形態と政治家個
人のどちらの立場を優先させるというよりは、
集団的な特性とは相容れない面を個人が保っ
ていないと、集団の利権が優先されてしまう
傾向となってしまい、そうなると個人の立場
が集団内でなくなってしまうわけで、それも
集団内での力関係や派閥などの形態にもよる
のだろうが、政党が集団的な組織形態を優先
させれば他の利権集団と変わらなくなること
は確かなのではないか。

 政党も組織的な集団であるからにはそうい
う面があることは確かだろうし、それがなけ
れば政党とは言えなくなってしまうのかもし
れないが、政党を他の利権団体から区別する
ような特性として、何よりも民主的な体裁を
保った方がいいだろうし、それには上意下達
的な指揮命令系統を伴った組織形態ではなく、
親睦団体的なゆるい組織形態である方が集団
内で民主的な対等の関係を保っていられるだ
ろうし、それとは逆に議員の間で序列や役職
による権力関係などを導入してしまうと、途
端に民主的なあり方が失われてしまい、それ
が民主的な政治制度そのものを変質させてし
まうのかもしれないし、議会などでも議員個
人よりも政党としての集団行動を優先させる
ような風潮が根付いてしまうのではないか。
そういう意味で議員個人がいつでも政党に対
して異議を唱えることを認めて、また異議を
唱えたからといって、政党から排除されたり
追放されたりしないようにすることも必要だ
ろうし、そんなあり方が民主的な政治制度を
保つ上で重要となってくるのではないか。ま
た政党という集団内に罰則を科すような独自
の規則や決まり事を設けないことが、政党の
官僚化を防ぐ上で有効かもしれないし、政党
としての集団的な意向よりは政治家個人の立
場をできるだけ尊重することが、選挙で候補
者個人に投票する形態の制度に適った対応で
はあるわけだが、それに対して政党に投票す
るような選挙形態も国によってはあるわけだ
から、そうなると政党が官僚的な組織形態で
あろうと構わないことになってしまうのかも
しれないが、それでも議会で討論したり発言
するのは議員個人であるだけに、どうしても
集団の意向よりは個人の主体的な主張や意見
を述べることの方が人の興味を引くわけで、
民衆は別に官僚的な通り一遍の答弁を期待し
ているわけではないし、個人の意見を遮って
組織的に示し合わせて強引に多数決に持ち込
むようなやり方には不快感を覚えるだろうし、
そこで演技ではない普通の話し合いが行われ
ていることの方が、少なくとも好感を抱くの
ではないか。というか普通に議論して討論し
てほしいだろうし、例えばディベート的な戦
略や戦術を駆使して不自然なやり方で勝とう
としてしまうと、肝心の内容が歪められてし
まうのではないか。結局そういうところで顕
著になってくるのは、利害の対立になってく
るだろうし、それも集団としての利権が絡ん
でくると、個人としての良識や節度を超えた
ところでなりふり構わない強引さが出てくる
わけで、そうなると相手の言っていることに
聞く耳を持たず、まるで法廷闘争のような弁
護士と検事の対決が演じられてしまい、そう
いう制度的な物言いに終始しだすと普通の会
話や対話が成り立たなくなってしまうわけだ
が、やはりそうなってしまう背景としては集
団の利害が絡んでいるわけで、議員個人の立
場としては言えない部分があるから不自然な
答弁になってくるのだろうし、そういう面は
内閣の閣僚などになると特に顕著になってき
て、下手なことを述べてしまうと責任を取ら
されて辞任する羽目になってしまうわけだか
ら、そうならざるを得ない面があることは確
かだろうが、それでも暴言や失言などが問題
視されてしまうわけだから、意識していても
実際に下手なことを述べてしまう実態がある
わけで、そこが集団や制度に個人が拘束され
ている場であることが、かえって不必要にそ
ういう発言が問題視される成り行きを招いて
いる実情があるのではないか。

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2018-02-21 21:19:12

彼の声 2018.2.21 「損な役回り」

テーマ:ブログ

voice-125

 宣伝も政治活動には含まれるだろうが、経
済活動に逆らうような政治活動ができるかと
いうと、民衆の支持を得られる範囲内ならで
きるかもしれないし、例えば環境破壊によっ
て人の生命が脅かされているといった危機感
を煽るような形で民衆の支持を得ようとする
行為は、経済活動によって環境が破壊されて
いるという理由から政治活動が行われている
ことになるだろうし、また環境破壊の中には
自然破壊も含まれ、その中で動植物が絶滅の
危機に瀕しているといった人以外の生命が脅
かされていることもあるわけだが、そのよう
な場合でも全面的に経済活動に逆らうという
のではなく、保護された自然環境を観光目的
に利用するといった折衷案が模索されたりも
するわけで、そこで何らかの形で人の活動を
想定すると、当然のことながらその中には経

済活動も含まれてくるわけで、人が活用可能

な環境であればそこに経済活動が入り込んで

くると考えていいのではないか。そしてその

中で政治活動の対象となるのは、法整備を伴

うような成り行きだろうし、そうなるとさら

に行政の活動も付随してきて、公的な法律や

制度に基づいた社会空間がそこに出現するこ

とになり、その空間を行政が管理統括するよ

うなことが行われるわけだ。そういう意味で

政治活動には行政的な管理統括の空間を作り

上げるという目的があり、それが環境保護活

動であっても保護の対象となる区域を行政が

管理統括するように導くのが政治の役割とな

るのだろうし、それが公的な管理のレベルで

あれば企業が私的な利益を追求するのとは性

質が異なるわけだが、もちろん何らかの条件

を付けて企業の経済活動を許可することもあ

るわけで、その条件というのが自然環境が破

壊されない限りでということになるだろうし、
それに関して必要な法整備を行なって法律に
基づいた制度を機能させて行政による管理統
括が行われることになるわけだ。そうやって
政治と行政との連携が成り立つ限りで平和が
保たれて、その管理統括が行われている地域
で人々が安全に安心して暮らせることにもな
るわけだが、その中でも当然のことながら違
法行為も必要に応じて行われて、それを行政
の治安を担当する部門が取り締まることにも
なるわけで、行政による違法行為の取り締ま
りが有効に機能しない限りは、そこで暮らす
人々の安全も脅かされてしまい、そういうと
ころで人々が行政に依存してしまう成り行き
や体質が生じてくるわけで、そういう面を考
慮すると違法行為自体が人々が行政に頼るき
っかけをもたらしていて、別に行政による管
理統治が完全に機能して違法行為が生じない
ということであれば、人々も行政のありがた
みがわからないことになってしまうのかもし
れず、ある程度は違法行為が行われて人々が
それによって被害を被っている状態があった
方が、人々が行政を頼る必要が生じてくるわ
けで、そういうところがわざと違法行為を野
放しにしているわけではないにせよ、結果的
にそういう状況があるからこそ、行政による
管理統治の理由も生じてくるわけで、要する
に人々の暮らしに政治が介入してきたり行政
の管理統治が行われたりすることが、必ずし
も人々の全面的な同意によって成り立ってい
るわけでもなく、そこに法整備や制度を機能
させる口実が生じるから政治や行政が介入し
てくるわけで、その口実を何が作っているの
かといえば、人や集団の私的な利益の追求に
よって争いが起こるからだと言えるわけだが、
その私的な利益を追求する集団に政党などの
政治勢力や行政の官僚機構も含まれてくると、
さらに事態が複雑化してきて混迷の度も深ま
るのではないか。

 結局そこでは公的な社会空間を政治と行政
が連携して管理統括するということだけでは
済まない事態が常に生じているのであり、政
治も行政もそれを担う政党や官僚機構のレベ
ルでは私的な利益を追求する集団となってし
まい、社会勢力として他の勢力と争ったり連
携したり癒着するような関係を構築してしま
うわけだから、そんな状態になってしまうこ
と自体が公的な空間を公的な機関が管理統括
するという制度を破綻させているわけで、そ
の原因を作っているのが集団による経済活動
なのだが、経済活動が行われないと集団が成
り立たないし、誰もがどんな集団も経済活動
によって私的な利益を追求を行なっているわ
けだから、その辺で公的な制度と矛盾してき
てしまうわけで、ある意味では矛盾している
のが当然と言えるわけだが、そんな矛盾を認
めながらも公共の利益を優先させないと功利
主義がはびこって社会が荒廃してしまうのだ
ろうし、しかも経済活動自体が功利主義的な
活動であり、利益を求めないわけにはいかな
いわけで、そんなわけで公共の利益を優先さ
せようとするのは損な考えであり、実際に公
共の利益を訴える人たちはいつでも損な役回
りを演じる羽目になってしまうわけだが、社
会の荒廃を防ぐにはそんな人たちの存在が欠
かせないし、誰かが損な役回りを引き受けて
くれないと、利益を得るためには手段を選ば
ないやり方が横行して、競争や争いが激化し
て平和な状態が崩壊してしまうのだろうし、
そうならないように法律や制度によってやり
過ぎや行き過ぎが是正される仕組みが機能す

ればいいのだろうが、集団の中には法律や制

度自体を自分たちに有利になるように作り変

えようと画策している勢力もあるわけで、そ

れが政党や官僚機構と連携していたり政党や

官僚機構自体が自らそんなことを画策してい

る場合さえあるわけで、そこでも集団的な勢

力同士で争いや競争や連携や癒着が生じてい

るわけで、そういうところで民主的な制度が

機能していれば、民衆が主導権を握れる可能

性が出てくるのだが、民衆の中でも主流を構

成する層が安易でお粗末な宣伝や煽動に感化

されて、ポピュリズム的な政治勢力やそれと

連携する官僚機構やマスメディアなどの意の

ままに操られるような状況となってしまえば、

主導権を握るどころではなくなってしまうの

だろうが、そういうところで少なくとも民衆

の側が安易に徒党を組んで一つの勢力とはな

らない方がいいのかもしれず、メディアを通

じてなされるどのような宣伝であろうと煽動

であろうと、すぐに特定の偏った傾向に傾か

ないで是々非々の態度を保持すればいいのだ

ろうが、その是々非々の基準というのがわか

りにくいのだろうし、何が悪くて何が良いの

かを判断する基準を何かが決めてくれないと

判断できないというなら、そこで役に立つの

が公共の利益という概念になるのではないか。

それを簡単に言えば特定の集団の利益となる

ことがはっきりしているようなことには賛同

しなければいいのだろうが、どうやってそれ

を知ることができるかとなると、それに関し

てメディア上ではびこっている著名人の類い

の意見に無批判に従うようだとまずいだろう

し、そこでも特定の集団の利益を代表するよ

うな人の意見には賛同しないようにすればい

いわけで、そういうところでも損な役回りを

引き受けているような人の意見を尊重した方

がいいのではないか。その逆に利益を誘導す

るような人の意見に従うと、その人に利益が

もたらされることになるわけで、要するにそ

ういうのは詐欺的な利益誘導である場合が多

いのではないか。

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2018-02-20 21:07:28

彼の声 2018.2.20 「倒錯した認識」

テーマ:ブログ

voice-125

 メディアを利用した宣伝の中で悪質なもの
にはデマや煽動が含まれるだろうし、それに
よって民衆を意図的に誘導できることは確か
だが、実際にうまくいったとしてもそれは一
時的にとどまるだろうし、年がら年中デマや
煽動ばかりだと民衆の方でも飽きてくるかも
しれず、そういう部分による影響は世の中の
ほんの一部に限定されるようなものかもしれ
ないが、民衆の方でもデマや煽動を信じると
いうよりは、それが政治的な主流派に味方す
る側からもたらされるものなら許されるとい
うことであり、体制側を支持するものであれ
ば多少のデマや煽動の要素を含んだ宣伝は大
目に見てもらえるのが世の常なのかもしれず、
しかもそれを受け取る側がその種の宣伝をあ
からさまなデマや煽動だとは感じない場合が
あるだろうし、宣伝内容にもそれなりに確か
らしい部分も含まれていて、そういう部分を
含んでいるからこそ民衆がその手の宣伝を真
に受けるわけで、その手のものは事実を含ん
だフィクションとも言えるのかもしれず、実
際に世の中に出回っている偏った意見を含ん
だ主張などはほとんどがその手の範疇に含ま
れるといえばその通りであり、別にそれは驚
くべきことでもなく、普通に暮らしていれば
誰もがその手の主張に出くわすだろうが、も
しかしたらそれは枝葉末節なことなのかもし
れず、世の中がおかしくなった原因を政治の
せいにしたい向きはそういうところから批判
の根拠を求めようとするわけだが、それも一
面ではそうかもしれないが、別の面から捉え
ればそれは二次的な原因となってしまうのか
もしれないし、政党などの政治勢力やそれと
連携しているメディアなどが、苦し紛れの宣
伝としてデマや煽動を利用するような状況と
なっていれば、その苦し紛れな状況を招いて
いる何かが他にあるのかもしれず、しかもそ
の何かが一つだけではなく、複合的な要因が
積み重なったり錯綜していたりして、その結
果として苦し紛れに民衆を誘導するような情
報を流してその場しのぎのようなことをやる
必要があるだろうし、そんなことをやってい
る時点ですでに末期的な状況とも言えるのか
もしれないが、その末期的な状況というのが
意外と長続きする場合もあるだろうし、もし
かしたら全世界的にはもはや政治制度そのも
のが機能不全を起こしていて、実質的には現
状に対して何一つ有効な手立てを講じられな
いでいるのに、それをごまかすためにメディ
アと結託してさも何かやっているように装う
のが精一杯なのかもしれないのだが、考えて
みれば民主的な政治制度が世界的に主流とな
ってきた過程において、民主主義の理想の実
現を阻む要素として常に資本主義経済が障害
として立ちはだかってきたと同時に、資本主
義経済の発展が民主的な制度を成り立たせて
きたのも事実であり、両者は相反する方向性
を持ちながらも相互に補完し合う面もあって、
切っても切れない関係を構成しているのに、
うまく噛み合うことはなく整合性を保てない
わけで、そこから様々な不合理や不具合が出
てくると同時に必要不可欠な要素でもあるの
だから、それらの矛盾した面を止揚するわけ
にはいかないのであり、それらの間でその場
しのぎの調整を行わないとおかしくなってし
まうから、制御できない面があるにも関わら
ず制御しようとして、結果的に苦し紛れのご
まかしをやらざるを得ないわけだ。

 しかしそうであるとしても実際に政治制度
が社会の中で機能しているわけだから、それ
を利用して何かをやろうとする勢力が政党を
はじめとして必ず現れるわけで、それが社会
の中で無視できない勢力を形成していること
は確かであり、しかもそのような勢力に他の
様々な勢力が関係してくるわけで、他の行政
や企業やメディアなどの勢力とともにある面
では競合関係を築いていて、別の面では連携
関係や場合によっては癒着関係まで生させて
いるわけだが、もしかしたらそれはどこまで
も表層的な関係であり、資本主義経済の中で
経済活動を促進させるような働きが常に期待
されている限りで、それらの関係が成り立っ
ていると言えるのかもしれず、そこでは経済
活動の邪魔をするような作用をできるだけ取
り除くようなことが行われていて、たとえそ
れが民主主義の理想を実現させようとする運
動であっても、経済活動を阻害するような面
があればそれは抑え込まれる成り行きになる
のだろうし、そうでなければそれらの勢力の
利害が一致することはないのではないか。そ
ういう意味でそれらの勢力は経済活動から利
益を得ていることになるだろうし、経済活動
に依存しているからそれらの勢力を保ってい
られるわけで、経済活動に連動することでし
かその活動も成り立たず、だからしばしば経
済至上主義になってしまうわけだが、そこか
ら民衆に害をもたらす作用も生じていること
も確かだが、民衆の方でもそれらの勢力と同
じように経済活動に依存することでしか生活
が成り立たないわけだから、害をもたらす部
分は政治や行政を通して是正してほしいとは
思う反面、経済活動そのものをなくしてしま
うわけにはいかないのは当然であり、経済活
動から何らかの弊害が生じてくるものの、経
済活動そのものは継続させることは大前提と
してあるわけで、そこで妥協の策としてでき
るだけ弊害の少ない経済活動に政治や行政の
力でしていけばいいのだろうが、それは政治
勢力や行政の力ではできない部分があるのか
もしれないし、できないなりにも何とか対応
しようとはしている面もあるだろうし、実際
に対応しているつもりであり、政治と行政が
連携して経済のかじ取りをやっていることに
はなっているはずなのだろうし、現状でもそ
れなりの成果を上げていることにもなってい
るのだろうが、それを批判する側から見ると
いつも不十分であり、常に危機的な状況だと
捉えて批判がなされる場合が多いが、その危
機的な状況というのも実際に経済活動が途切
れることは未だかつてなかったわけだから、
ではどういう状況が危機的な状況なのかが疑
わしく思われてしまうわけだが、そういうこ
とを総合的に判断するなら、たぶん資本主義
的な経済活動自体が自律的に成り立っていて、
それに依存しているのが政治や行政などに関
係する勢力であり、依存しているにも関わら
ず制御しているとは言えない面が大きいだろ
うし、そこに主従関係を設定するならば、主
人であるのが資本主義的な経済活動であり、

それに対して従属的な関係を構成しているの

が政治や行政などの様々な勢力なのではない

か。それはそれ以前のアンシャンレジーム的

な体制も結局は農業に依存して成り立ってい

た面が大きいだろうし、そういうところで人

の意識が政治や行政から醸し出される権力に

幻惑されている面があるわけで、逆に先入観

として軍事力を備えた国家体制が主人である

という倒錯した認識も芽生える原因にもなっ

ているのではないか。

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2018-02-19 21:34:46

彼の声 2018.2.19 「産業の転換期」

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voice-125

 人は情報を入手しているだけでは生きてゆ
けないし、現代的な社会形態の中で人が糧を
得て活動するには産業全般の興隆が欠かせな
いが、政治も行政とともに産業振興を促すよ
うな成り行きが主な活動となるだろうし、そ
ういう面で政治が産業界と連携するのは資本
主義経済の中では当然の成り行きであり、ま
た一般の民衆の方でも何らかの産業に従事し
ていたり、それと関係がなければ生活してい
く糧を得られないわけだから、現代文明の影
響下で暮らしている範囲内では政府の産業振
興政策の恩恵に与っているわけだが、その一
方で企業形態から経営する側と労働する側の
対立も生まれて、産業振興の中で労働環境を
悪化させる要因が生じていれば、それを政治
的な働きかけを通して是正させようとする運
動も起こるだろうし、そういう面で政治活動
として産業振興と労働環境の改善という必ず
しも相乗効果や比例効果を期待できない調整
を迫られるわけで、そのどちらを優先させる
というよりは、産業振興を期待する側と労働
環境の改善を期待する側のどちらも納得でき
るような政策が期待されてしまうのだろうが、
それが相反する面があるだけに無理な相談な
のかもしれないし、そういうところで政治的
な活動の限界が露呈するわけだが、結果的に
両者の期待には添えないかもしれないが、妥
協的な政策に落ち着く成り行きにはなるだろ
うし、また企業形態も様々にあって労使の単
純な対立には発展しないケースも多いのかも
しれず、特に多国籍的な事業を展開するグロ
ーバル企業だと、分業体制の中で経営的な中
核を担う部分では労働環境が良好だが、末端
の下請け的な部門では労働環境が過酷になる
傾向もあるわけで、経営の中核を担う部門ば
かりが集中している先進諸国では労働時間も
比較的短くて賃金も比較的高く、労働者の待
遇も比較的良い可能性があるだろうが、それ
と比較して末端の下請け的な部門が集中する
国々で働いている労働者は、低賃金で長時間
労働を強いられている人が多ければ、先進諸
国で政治活動によって労働環境を改善させて
いるしわ寄せが、末端の下請け的な部門が集
中する国々に及んでいる可能性があるわけで、
そういう面でも政治活動に限界があるわけで、
それは行政活動にも言えることかもしれない
が、政治も行政も国家の枠内での活動が優先
され、他の国にまで口出しすれば内政干渉に
なってしまうだろうし、しかも産業の面で優
位な立場にある国が不利な立場にある国を搾
取している面もないわけではないし、自国民
であれば労働者であっても経営側で活動する
人であっても自国の産業を優先するように政
治に要求するのだろうが、その一方でかつて
は国際的な労働者の団結を訴えるような共産
主義的な活動の試みもあったわけで、それら
の全てが無用な対立を招くわけではないとし
ても、少なくともそういう単純な対立関係を
梃子にして規模が大きく広範囲な連携を築く
には、国家の枠内で活動する政治も行政も邪
魔をしてくるだろうし、情報革命以後の世界
で全世界規模で情報網が張り巡らされている
中で、従来の常識からは思いつかないような
活動が求められているのかもしれず、もしか
したらそれが実現しても産業を振興する側が
主導権を握っている主要なメディア上では話
題にすらならないかもしれないが、かえって
派手な話題とならない方が何らかの成果をも
たらす可能性が出てくるのかもしれない。

 それに関して世の中で主流となっているメ
ディア的な宣伝の裏をかくというよりは、そ
のような宣伝効果を期待する向きからは外れ
た活動が求められているのかもしれないが、
それは産業振興などの政策とも相容れない活
動となるかもしれないし、それと連動して連
携しつつ対立するような労働という活動形態
をもなし崩し的に変えるような可能性も含ん
でいるのかもしれず、そうなると政治とも行
政とも無縁な活動となってしまいそうだが、
たぶん労働に対しても人の労働を利用して利
潤を得る企業形態に対しても、作用反作用を
生じさせるような活動であり、場合によって
はそれは活動しない活動とも呼べるのかもし
れないが、そのような活動は主に消費と呼ば
れる活動には確実に含まれている要素だろう
し、生産でも流通でも販売でもそれらの過程
の中で抵抗を構成する要素となっているだろ
うし、そこから利益を出にくくする作用を生
じさせるのではないか。それが一般的に言っ
て節約という要素なのだが、それを肯定的に
呼ぶなら倹約とも呼ばれるわけで、それに関
連して無駄を省くということが何を意味する
のかというと、企業を経営する側が経費を節
約すればそれだけ利益に結びつくかもしれな
いが、消費する側が倹約を心がければ商品が
売れなくなることを意味していて、そうやっ
て消費者心理が冷え込むような成り行きにな
ってしまえば、いくら産業振興を促しても消
費が伸びなければどうしようもないわけで、
それは人々が商品宣伝を真に受けないように
なることも意味しているのかもしれないし、
何か消費することに魅力を感じられないよう
な風潮が世の中に蔓延すれば、そうなる可能
性が出てくるのかもしれず、その可能性がど
こから生じるのかといえば、その本を正せば
情報過剰で宣伝過剰なメディア環境に行き着
く可能性があるのかもしれないし、現状では
そんなことはあり得ないと思われるかもしれ
ないが、果たして現状が微妙な均衡の上に成
り立っているようなら、何かのきっかけで一
気におかしくなることがあり得るわけで、そ
れとも底堅い消費に産業が支えられているよ
うなら、やはりそんなことはあり得ないこと
になってしまうわけだが、世界的な経済情勢
の先行きを占えるような確かな指標が現状で
どれほど出揃っているわけでもないし、そん
なことはわからないと言ってしまうのが妥当
なところかもしれないが、その一方で情報革
命を支えた情報処理技術が全般的に大規模集
積回路のようにエネルギーの節約傾向を象徴
する技術なだけに、またロボット技術や人工
知能などの技術も人的な労働力の節約を目指
す技術だろうし、何かその辺で今後思いがけ
ない逆転現象に直面する可能性がないとは言
えないだろうし、結局今ある現代文明という
のが産業技術によって支えられているのだか
ら、その技術の傾向や方向性の変化が顕著に
なってくれば、文明自体も変わらざるを得な
いだろうし、現状ではまだ18世紀あたりか
ら続いている産業革命の延長上で資本主義経
済の拡大が続いていることは確かだが、いつ
かはその拡大が頭打ちになるか、あるいは別
の方向へ変わっていくのかもしれず、そうな
ればそれに伴って政治も行政もその活動内容
が変わっていくような成り行きとなるだろう
し、現時点ではそのような転換期がいつやっ
てくるのかわからないだろうが、たぶん大半
の人々が気づいた時にはすでに産業の転換期
を迎えているのかもしれないし、別にそうい
う変化に乗り遅れても自業自得だから構わな
いのかもしれないが、なるべくなら早めに気
づいた方がそれへの対処もやりやすいのでは
ないか。

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2018-02-18 21:03:23

彼の声 2018.2.18 「共犯者の立場」

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voice-125

 20世紀末の情報革命以後の世界で何が世
の中に普及したかといえば、それが情報端末
であることは誰もが承知していることかもし
れないが、その情報端末から入ってくる情報
量も以前とは比較にならないほど多くなった
ことも確かかもしれず、それによって便利さ
を実感している面はあるものの、一方でその
情報に振り回されて主体的に思考したり行動
できない面も顕著になっているのかもしれな
いし、良い面と悪い面の両方があるようにも
思われるのだろうが、そんな中でも人は自然
と世の中の状況に順応しようとするだろうし、
実際にそれなりに順応しているから普通に生
活できているわけだ。そして気づかないうち
にそれまで当たり前のように思っていたこと
からずれた感覚を当たり前のように感じてい
るだろうし、注意して考えてみないと世の中
が様変わりしていることに気づかないわけだ。
しかもそれに気づく必要もないだろうし、気
づかないのが当たり前のようにも思われるわ
けだが、たぶん政治に関しても昔と今とでは
できることが変わってきたのかもしれず、今
の世の中で実際にやっていることが政治的に
できることかもしれないし、別にそれで支障
がなければ構わないわけだが、果たして政治
の場でやらなければならないことを、現状で
政治的な主導権を握っている勢力が実際にや
っているように思われるだろうか。現状を批
判的に捉えている人たちにとっては当然やる
べきことをやっていないと思われるだろうし、
彼らにとってやるべきことは実際に主導権を
握っている勢力がやらずにおろそかにしてい
ることになるわけだが、なぜそれができない
かといえば、それに関して何らかの理由や原
因があってできなければわかりやすいのだが、
これといって理由も原因も見つからなければ
謎になってしまうだろうし、そういう謎な部
分が多いほどそれへの対応もわからなくなっ
てしまうのではないか。またそのような理由
や原因を無理にこしらえようとすると、想像
力を働かせて何か陰謀論的なことを述べなけ
ればならなくなる場合もあり、話の中でフィ
クションの度合いが大きくなってしまうのか
もしれないが、無理に理由や原因を探したり
こしらえるのではなく、ありのままの現実と
してできないことを認める必要があるだろう
し、それに対する批判とともにできないこと
をやるように要求しなくてもいいのかもしれ
ないし、やろうとしてもできないのかやれる
のにできないのかはわからないが、ともかく
実際にできないことがあるのは事実として普
通に受け止めるしかなく、そんなことを踏ま
えた上で現状を分析してみるしかないだろう
し、そのできないことが社会にどのような影
響を及ぼしているかを考察してみたらいいの
ではないか。実際に現状を批判的に捉える人
たちはそういうことをやっているはずであり、
それらの人たちの言説や主張にはそういうこ
とが述べられていて、それを一般の民衆がど
う受け止めるかで多少なりとも政治情勢に影
響が及ぶだろうし、世の中が変化するにはそ
ういうところからの影響も何らかのきっかけ
をもたらす可能性があるのではないか。また
そうであるとしても、人々が気づかないとこ
ろで思わぬところから変化するきっかけが生
じることがあるだろうし、その一つが前世紀
末の情報革命であったことも確かなところか
もしれない。

 そんな情報革命以後の傾向としては情報過
多で宣伝過多な面があり、そこで何かをやっ
ているとともにやっていることを宣伝するこ
とに比重が移ってきて、大したことはやって
いないのに大げさに宣伝するから、そこでさ
も重要なことが行われているように思わせる
ような演出が施されているわけで、そんな演
出を真に受けた民衆が宣伝に踊らされて、情
報を操作している勢力の餌食となってしまう
のだろうが、別に餌食となっていても生きて
いるわけだから、いいように利用されながら
も普通に生活できている限りで、それらの勢
力の支持者となっているわけで、その辺が従
来から言われているような搾取や奴隷状態と
は根本的に異なるわけで、それらの人たちに
は危機感を煽るような脅し文句は通用しない
わけだ。その代わりの役どころとして適合す
るのが共犯者という立場なのかもしないし、
そうなるとますます支持者であることはやめ
られないし、下手に批判しようものなら批判
する人たちが逆にそれらの人々から非難され
ることにもなるわけで、そういう意味で宣伝
が人々の意識に及ぼす効果は絶大で、民衆を
自分たちの共犯者に仕立て上げてしまえばも
はや利益を共有しているわけだから、逆に功
利的には支持しない理由すら生じなくなって
しまうのではないか。たぶんそれは資本主義
経済がうまく機能して物質的に豊かになった
というよりは、情報過多であることの方が意
識の中で豊かさを実感できるということであ
り、現実には他と比較して大して豊かな生活
を満喫しているわけではなくても、日々情報
端末からもたらされる洪水のような情報に接
していると、それだけで頭の中がいっぱいに
なってしまうから豊かであると感じられるの
かもしれず、実質的にそれは豊かさの幻影の
ようなものかもしれないが、感覚として豊か
だと感じられてしまうのだから、やはりそれ
は幻影などではなく実感を伴った豊かさなの
ではないか。それを感覚の麻痺だと簡単に指
摘することはできるだろうが、誰もがそうな
らそれは麻痺ではなくなり普通の状態となっ
てしまうわけで、そういうところで情報革命
以後の時代ではそれ以前と時代と比べて豊か
さの程度や規模が縮小してしまっているのか
もしれないが、それは一般の民衆に限ったこ
とかもしれないし、時代の潮流に乗って金融
資産を飛躍的に増やして富裕層となった人々
なら物質的にも豊かになったことは間違いな
く、一般の民衆が情報だけの程度も規模も縮
小された豊かさに甘んじている一方で、それ
に反比例して富裕層の方が物質的にも過剰な
富を手にしたのかもしれないが、一般的に言
って豊かさというのはいくら実感しても物足
りないだろうし、過剰な富を手に入れた人た
ちはさらなる富を手に入れようとするだろう
し、物質的な富に飽きたら社会的な名誉を手
にしたいから慈善事業などに手を出そうとす
るだろうし、そうなると多少は貧困層にも富
がもたらされるのかもしれないが、それも全
ての貧困層に行き渡るほどの富でないのは明
らかで、富裕層の自己満足を叶えるだけの量
の施しが貧困層にもたらされるだけだろうし、
そういう行為からは何も解決しないのかもし
れないが、ともかく政治の場で主導権を握っ
ている勢力が世論や民意から支持されるだけ
の富や利益が一般に民衆にももたらされてい
ることは確かだろうし、だからこそ一般の民
衆も共犯者としての立場に甘んじていられる
わけだ。

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2018-02-17 21:28:59

彼の声 2018.2.17 「政治のエステティック化」

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voice-125

 現状の政治制度の中で何か肯定すべき面が
あるとしたら、それは何もかもがあからさま
になっていることかもしれず、そのあからさ
まな状態を肯定できるかといえば、否定的に
捉えて批判したくなる人が多いのかもしれな
いが、そういう人は制度そのものもさること
ながら、制度の中で主導権を握っている勢力
を批判することが多いだろうし、制度からそ
のような勢力が生じてきたことに関しては、
あまり事の成り行きを重視していないのかも
しれないが、特定の一つの制度ではなく複数
の制度が競合している中で、それらの制度の
入り組んだ関係を巧みに利用しながら、その
中で主導権を握った勢力が世の中で台頭して
くるわけだから、一つの制度の良し悪しや欠
陥をあげつらっても、そのような勢力への批
判には直接結びつかないのかもしれないが、
そういう意味で制度批判にしても制度の中で
主導権を握っている勢力に対する批判にして
も、なかなか説得力のある批判とはならない
のかもしれず、それでも現状に対する否定的
な認識が拭い難く実感を伴って抱かれてしま
うのだから、何かそれらを批判せざるを得な
い成り行きに巻き込まれていることは確かだ
ろうし、その中でおかしな点や許せない点を
指摘せざるを得なくなってしまうわけだ。そ
してそうした批判がメディアを通じて数多く
なされているにも関わらず現状が変わらない
としたら、たぶんそれは批判が無効となって
いるというよりは、批判が現状を継続させる
糧となっていると捉えた方がいいのかもしれ
ず、そのような批判を含んだ現状がそこに構
成されていて、批判自体が現状を継続させる
上でも有効に機能していると考えるべきなの
かもしれない。ならばそれでは批判としては
駄目なのかというとそういうわけでもなく、
むしろ歓迎されるような批判だと言えるだろ
うし、現状の中で主導権を握っている勢力か
らすれば、それらの人たちが批判してくれる
からこそ、自分たちの主導権が確保されてい
る状態が維持されている可能性が高ければ、
あえてそんな批判を抑え込もうとはしないだ
ろうし、それよりは批判されっぱなしの状況
を放置しておくことを選択するのではないか。
要するにそれも世の中の均衡を保つ上で不可
欠な要素と考えれば、自分たちにとっては否
定的な要素であってもあえて有効活用しよう
とするだろうし、もちろんはっきりとそれを
認識しているわけではなく、成り行き上そう
なっているだけかもしれないが、そうであっ
てもそんな成り行きに逆らう理由はないだろ
うし、自分たちにとって好都合な成り行きな
らそれに乗っていればいいだけだろうし、そ
ういう方面でも勘を働かせることが肝要とな
り、ある特定の面だけに着目してそれを基に
良し悪しを判断するのではなく、物事を総合
的に判断して取るべき態度や行動を決定すべ
きなのは当然であり、状況の全てが自分たち
に有利に働いているわけではないのだから、
状況の中で有利な面と不利な面を勘案して、
その中で現状を保つにはどうしたら良いかを
考えるときに、あえて放置すべきような要素
も出てくることは確かだろうし、その中の一
つが自分たちに対する批判の類いになるのか
もしれないし、言わせたい輩には言わせてお
けばいいと思えば、自然にそれで済んでしま
うような状況となってしまうのかもしれない
し、その辺で下手に反論してやぶ蛇な状況を
作らない方が得策だと考えているのではない
か。

 また政治が下手に首をつっこむべきでない
ことは世の中にはいくらでもあるのかもしれ
ず、政治制度の内部で自足している限りでそ
れ以外の現状から目を背けていられる可能性
も出てくるだろうし、できないことはやらな
い方がいいと考えるなら、そういう点ではあ
まり冒険せずに現状維持に努めていた方が無
難な場合が多いだろうし、そういう面では失
敗を恐れていることになるわけだが、それを
批判する人たちにはそういう姿勢こそが失敗
そのものだとも批判できるわけで、それは両
者の立場の違いだとも言えるわけだが、実際
に全てを行政機構に任せきりでも構わない場
合もありそうで、そうなると政治家の出る幕
がなくなってしまって、形だけは行政のトッ
プの大臣などを担っていればいいことにもな
ってしまうわけだが、制度的にもだんだんと
政治家が何もできないような制度となりつつ
あるのかもしれず、それは法整備としてその
ような改正が行われてきたのではなく、制度
の運用形態としてそうなってきた面があるの
かもしれず、また他の産業分野などでも大企
業などの寡占化が進むとともに企業を実質的
に管理運営する官僚機構の部分が肥大化する
傾向にもあるわけで、そういう傾向が行政機
構の中でもより一層強まってきているとも言
えるわけで、それを促進しているのが情報革
命以後に顕著になってきた情報処理システム
の格段の進歩と発展だろうし、行政的な手続
きがコンピューターの普及と高性能化によっ
て自動的に行われる部分が多くなってくると、
手続きの途中で人が口出しする余地がなくな
ってしまうわけで、そのほとんどが自動化さ
れてしまうとそれに関しては政治家が文句を
言えなくなりつつあって、政治家が行うよう
な議会での審議などの部分は全体のシステム
の中ではほんの一部となってしまい、ただの
外部から文句を言わせないための儀礼的な会
計監査のような役割しか与えられなくなって
しまっているのではないか。実際にそうなっ
ているとすればそれは政治制度の形骸化と言
えるわけだが、その一方で政治宣伝の部分も
肥大化が進んでいると言えるのかもしれない
し、それはソーシャルネットワーキングサー
ビスなどを手掛ける企業が愚にもつかない広
告宣伝ばかりの情報媒体を提供して詐欺的に
資金を荒稼ぎしている実態が、政治宣伝にも
波及しているのかもしれず、どうでもいいよ
うな些細で空疎な内容をまるで洪水のように
宣伝しまくったり、それが何の効果もないよ
うに思われるのだが、それがSNSやニュー
スサイトなどで日頃からその手の慣れ親しん
でいる宣伝と似通っているから不自然に感じ
ないのであり、そういうところで何かやって
いる感が醸し出されてそれを受け取る人々の
脳裏に情報の刷り込みが行われるわけで、そ
の実態は何でもないことかもしれないが、何
かをやっているように装うための技術ばかり
が発展して洗練されることになって、メディ
ア的にはそれが有効に機能して何となく違和
感なく人々の意識に溶け込んでしまい、そう
いうところで別にそれをわざわざ洗脳と称し
て非難するような成り行きにはならないだろ
うし、ある意味ではそれも世の中の情勢や状
況に対応したやり方だと言えるのかもしれな
いし、それが自然な活動だと思われる限りで
何となく支持されるような成り行きになって
しまうのではないか。それは政治の中身より
も外見に気を使っていることにもなるわけで、
政治のエステティック化とも言えるのかもし
れないが、批判する側もそれに対する有効な
言説を導き出せずにいるのではないか。

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2018-02-16 21:33:32

彼の声 2018.2.16 「見当違いの正しさ」

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voice-125

 特定の政党と行政の中の官僚機構が合体し
たあり方はそのような利権複合体への権力の
集中をもたらすのだろうが、それとは別の面
から見ればどちらの勢力でも主体性が欠如し
ていることを示しているのかもしれず、その
ような利権複合体の中で政党が主導権を握る
のでもなく行政の官僚機構が主導権を握るの
でもなく、両者の間に優劣を示す階層構造が
形成されておらず、どちらがどちらを制御し
ているのでも押さえつけているのでもないし、
お互いにお互いを利用し合っていることは確
かなのだろうが、少なくなくとも強烈な個性
を持った独裁者のようなはっきりとした核が
あるわけではないだろうし、権力の中枢があ
ってそこから必ず命令が下されるのでもなく、
形式的には組織的な指揮命令系統があるかも
しれないが、それが絶え間なく動作している
というよりは、確かに政党の方からも官僚機
構の方からも何らかの働きかけはあるだろう
が、それが決まり切った一定の手順を踏んで
おらず、その中で誰が働きかけを主導してい
るのでもないような事態が生じていて、要す
るにそこに権力が集中していることは確かか
もしれないが、特定の誰が権力を行使してい
るのでもないのに、結果的にそこに権力があ
るかのようなことになっているのかもしれず、
そうなっているから一見優柔不断に感じられ
るのかもしれないが、論理的な正しさなどと
は無縁で、外からいくら的を射るような批判
をされても内部で動揺など起こりようがない
ので、利権複合体が内部崩壊することはない
だろうし、確かに組織を代表する誰かがはっ
きりした主義主張をすることもあるのだろう
が、他のメンバーにとってそれは方便のよう
なものであり、そのような主義主張で組織全
体がまとまっているわけではなく、その主義
主張の内容が稚拙に思われるとすれば、外部
からそんな稚拙な主義主張などいくらでも批
判できることは確かであるにしても、内部で
もそう思われているとみなしておいた方がい
いだろうし、実質的に利権の共有でまとまっ
ているのだから、いくらリーダー格の人物が
お粗末な主義主張を唱えていてもそれほど問
題視されないのであり、かえってお粗末な人
物を周りが利用できるぐらいに思われている
かもしれないし、その辺が批判する側の思惑
とは合致しないところだろうし、たとえリー
ダー格の人物を批判して論破しても組織が崩
壊することはないだろうし、お粗末な主義主
張自体が組織内では織り込み済みの要素だか
ら、それをいくら批判されても痛くもかゆく
もないわけだ。そしてそのような利権複合体
自体がそれまでの歴史的な経緯を反映してい
ることは言うまでもなく、意図的にそうなっ
たわけではなくても何らかの試行錯誤を経て

そうなっているわけだから、過去の失敗の反

省をそれなりに生かしているわけで、それだ

け批判勢力が過去の再来として危機感を煽る

ような過去の一時期の組織形態よりはそれな

りに進化しているのではないか。もちろんそ

の進化の方向がより独裁権力が強まるような

進化ではないことは確実で、権力を強めて独

裁色を濃くしなくても構わないような組織形

態が編み出されたわけで、それが民衆の幅広

い支持を集めるような成り行きを伴っている

のではないか。

 特定の主義主張を基としてではなく構造的
なまとまりとしての利権複合体が形成されて
いる場合、しかも特に自らの権力基盤の強化
を目指しているのでもなく、別にそれを目指
さなくても対抗してくるような勢力がいない
のだから、あとは単に構造的なまとまりを保
っていればいいわけで、そのようなまとまり
を保つ上で必要なのは組織内で下手に自己主
張しないことが肝要だろうし、それが主体性
の放棄につながるわけだが、あからさまにそ
うやっているわけではなく、外部に向かって
は自己主張しているように見せかけるわけで、
しかも自己主張の内容が簡単に批判されたり
論破されるようなことであり、要するに意図
してそうしているわけではないものの、わざ
と撒き餌のようにお粗末な自己主張を振りま
いて、批判勢力がその餌に食いついてくるが
ままにさせておくわけで、そうやって批判疲
れを誘いながらも、そんなことは意に介さず
に淡々と議会で多数決を行使しながら法案を
可決していけばいいのだろうが、その法案や
予算案なども別に斬新であったり画期的な内
容ではないだろうし、いつも通りの例年通り
の内容に終始して、それによって世の中の情
勢が変化して良くなったり悪くなったりする
わけでもなく、当然批判勢力は政府側の凡庸
な政策を批判して情勢が悪くなっていると主
張するわけだが、それが世論に響かないよう
になっているわけで、なぜそうなっているの
かといえば、それらの政策が世の中の変化を
もたらすような政策ではないから、現状が維
持されている限りで世論にも変化は起こらな
いだろうし、そうなっている時点で政治的な
行為が無効となっているかもしれないし、し
かも無効だからこそ何をやっても情勢の変化
は起こらないという逆説が成り立っているの
ではないか。要するにそれは形だけの権力の
集中であって、そこで何をやっても虚構的な
権力の行使にしかならないわけだが、その虚
構の作用に民衆が騙されて世論が反応しない
のではなく、民衆の方でも騙されている感覚
はないだろうし、実際に騙しているのでもな
く、権力のありのままの姿がそこに出現して
いるわけで、たとえそれが無為無策のように
思われても、そこで何かが行われているとい
う現実があることが重要であり、何かが行わ
れていることによって世の中の安定が醸し出
されているような物語を信じていれば安心で
きるのであり、無理に安心しようとしている
のではなく、実際に安心を実感しているから
何となくそんな体制を支持できるのだろうし、
それはその国の体制だけではなく近隣諸国の
体制との比較も影響してくるだろうし、全体
的な世界情勢の中でその国の情勢を考えてみ
れば、あまり贅沢なことは言っていられない
ような気になってくるのではないか。そうい
うところで民意も妥協を強いられてしまい、
また利権複合体の中でも妥協を強いられてい
るだろうし、誰もが遠慮してしまうからいく
らお粗末なことをやっても許されるような状
況が成り立っているのではないか。しかもそ
れで世の中の安定がもたらされていると信じ
ていれば安心できるのだから、それに関して
あまり物事を深刻に考える必要さえなくなっ
ているのかもしれないし、全てがそうやって
うまく回っていることになってしまうわけで、
それが悪循環とは到底思えないわけだ。

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2018-02-15 21:45:06

彼の声 2018.2.15 「批判の無効性」

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voice-125

 歴史的に事の成り行きを捉えるなら、民主
的な政治制度の確立と資本主義的な産業の発
展は同時に進行してきたことは確かだろうし、
両方の現象の間には緊密な連携関係さえ想定
できそうだが、その一方で行き過ぎた資本主
義的な利益の追求に歯止めをかける役割を民
主的な政治制度が担っている面もあるわけで、
そういう意味で民主的な政治制度は資本主義
的な産業の発展を必要としていて、それを利
用しているにも関わらず、時として資本主義
的な経済活動をある程度は抑えてそれに規制
を課すようなことも、政治と行政が連携して
やらなければならないだろうし、経済活動を
推進するか抑えるかのどちらを優先させるべ
きかということではなく、両方をバランスよ
く行わなければならず、そういう面が一般の
民衆にとってはわかりにくいところかもしれ
ないが、実際に政治や行政に携わる政治家や
官僚などにしても本当のところはよくわかっ
ていないのかもしれない。ただ世の中に不都
合や不具合が出てきてそれが経済活動に起因
するものならそれに対処しなければならない
だろうし、それが経済活動を推進しようとす
る対処なのかあるいは経済活動の行き過ぎに
歯止めをかけるような対処となるのかは、そ
の場の不都合や不具合の内容にもよるだろう
が、そのような対処がうまくいく時もいかな
い時もあるだろうし、うまくいかない時はま
た新たな対処が必要となってきて、そんなこ
とを延々と繰り返すようなことが政治活動や
行政活動となるのかもしれないが、たぶん制
度的にはそういう成り行きになって、そうい
うことしかできないとも言えるのかもしれな
いし、経済活動は行き過ぎても滞ってもどち
らにしても不都合や不具合が生じてくるわけ
で、そういうところで制度を管理運営する側
に求められているのはバランス感覚や調整能
力と言えるのかもしれず、制度的に規制を強
めたり緩和したりしながらほどほどの状態を
保っていくしかなく、政治活動や行政活動も
それ以上の何かを求めるようには制度的にで
きていないのではないか。それに関してはあ
まり問題を解決できるような幻想は抱かない
方がいいのかもしれないし、問題が経済活動
そのものにあって、そこには良い面と悪い面
の両面が表裏一体となって含まれていて、う
まくいっている面を伸ばせばそれに伴って弊
害も大きくなるだろうし、それに対応して弊
害を抑え込もうとすれば今度はうまくいって
いる面も縮小してしまうのかもしれず、そう
いう面をごまかしきれないのが資本主義経済
の特徴かもしれないし、そうであるから経済
活動を推進する側も批判する側も自分たちの
主張をいつまでも押し通すわけにはいかず、
それに関して一方的な方向への主張ではやっ
ていけない面があり、その辺で修正主義や折
衷主義のような意見にしてゆかないと、状況
から言説が遊離してしまって、述べている内
容がリアリティを失ってしまうのかもしれな
い。もちろん政治活動や行政活動は言ってい
るだけはなく、実際に何らかの対処をしなけ
ればいけないわけだから、経済活動を推進し
ようとして産業振興のようなことをやれば、
それを行うことに伴って生じる弊害を指摘さ
れたり批判されることになるわけで、また何
らかの規制を強化すれば、それに対しても規
制緩和を求める側から批判されるわけで、ど
ちらにしても弊害が出てくるし、それに対す
る批判もつきものとなるわけだ。

 また経済活動を管理できる面と管理できな
い面があり、制度に従う面では管理できるが
制度に逆らう面では規制しなければならない
だろうし、規制を逃れる面を取り締まったり
すると、思わぬところから抵抗に直面するわ
けで、その抵抗の内容によっては規制を強化
したり緩めるような判断も迫られるだろうが、
強化するにしても緩和するにしてもどちらか
一辺倒というわけにはいかず、その場の状況
に合わせて判断していくと判断の一貫性や整
合性が失われてくるわけだが、そういうとこ
ろで制度が硬直化していると柔軟な対応がで
きなくなってしまい、うまく対応していかな
いと管理しきれずに制度の形骸化が顕著にな
ってくるわけで、そういう場合は制度そのも
のの改変や改革が求められるのかもしれない
が、結局は現状に対応した制度にするしかな
くなってくるのだろうし、そうでないと制度
そのものの効力がなくなってしまうのだろう
が、ではそもそも制度そのものがいらないよ
うにも思われてしまうわけだが、ある程度は
現状を現状のままに固定しておかないと、常
に変動して流動的な状況の中では一定の活動
が困難となってくるわけで、そういう意味で
は現状の中で一定の動作を成り立たせるには、
現状をある傾向や方向に固定しておくのに制
度が必要となってくるわけで、社会の中でそ
んな制度を管理運営する担い手である主要な
勢力の一つが行政機関であって、その行政機
関に対して民衆の側から働きかけるのに必要
な手段として政治制度があるわけだが、それ
も一つの制度であるだけに放っておくと世の
中の変化に対応できなくなって硬直化してう
まく機能しなくなってしまったり、制度を都
合のいいように利用したい勢力によって変質
させられてしまったり、気づいてみれば民主
主義の理想からは程遠い実態となってしまっ
ている可能性もあるのだろうが、たとえその
ようになっても社会の中でそれなりに機能し
ている面があれば維持継続していくわけで、
今度はそのような制度の歪みに対して批判が
される成り行きにもなるのだろうが、批判だ
けでは変わらないだろうし、実際に制度の弊
害を改めるような活動が求められて、それを
担うのが政治家であり政党だとすると、特定
の政党の下に世の中の批判勢力を結集するよ
うな意向も働いてくるのだろうが、そういう
ところで批判の正しさだけで世論からの支持
を期待してもその期待は裏切られるだろうし、
そこでも批判している制度がそれなりに機能
していて、その制度に従っている人が世の中
の主流を占めていれば、それが世論を担う多
数派を構成していて、制度の歪みを指摘する
ような正しい批判にはあまり反応しないだろ
うし、結局それらの人たちは制度によって構
成された人々であり、制度に依存している限
りで制度には逆らえずに制度の一部となって
しまっているのではないか。ではそういう状
況の中でどうすれば状況を変えられるのかと
なると、制度の形骸化を促すより方法はない
のかもしれないが、どうやれば制度の形骸化
が促されるのかもよくわからないかもしれな
いが、すでに制度の歪みが批判されているの
だからそれなりに形骸化を被っているだろう
し、世の中の主流派もその形骸化に対応して
変質を被っていて、その結果民主的な理想か
らかけ離れたことをやっている勢力を支持し
ているわけだから、そういう状況自体が制度
の形骸化そのものと言えるわけで、少なくと
もそのことは自覚しておいた方がいいのかも
しれない。

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2018-02-14 21:07:42

彼の声 2018.2.14 「自由と民主の融合」

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voice-125

 民主的な政治制度である議院内閣制と大統
領制には違いがあるが、それぞれの制度にも
国ごとに若干の違いがあるだろうし、中には
その実態が民主的でなくても民主的な政治制
度の体裁を保っている国もあるわけで、政治
活動が民主的であるか否かは制度の形態より
活動の内容や実態で判断すべきことかもしれ
ないし、では実際に政治活動のどのような内
容や実態が民主的であるのかは、国や地域で
価値観も生活習慣も異なる面があるから一概
には言えないことかもしれないが、欧米の価
値観からすれば民衆が自由にものが言えて、
政府を批判しても罰せられないような社会状
況になっていれば、一応は民主的な政治状況
になっていると言えるだろうが、たぶんその
誰でも自由にものが言えるということが政府
に対する批判を許していることになるだろう
し、そういうことを行うこと自体がある種の
政治活動なのかもしれないし、その自由にも
のを言っている人の中から選挙で当選して議
員になる人が出てくれば、結果的に民主的な
政治が実現していることになるのではないか。
しかも自由にものが言えても平和が保たれて
いる前提が必要だろうし、そこがテロや内戦
に明け暮れている地域との違いかもしれない
し、自由にものを言ったら殺し合いになるよ
うな状況だと欧米的な政治状況とは少し違う
だろうし、もちろん欧米でも場合によっては
そうなってしまう面もないわけではないだろ
うが、建前としてはなるべく暴力で物事を解
決するのは避けて平和な状態を保とうとして
いるわけで、ともかく民衆が自由にものが言
える最低の基準として政府を批判しても罰せ
られず、しかも平和な状態が保たれているこ
とが民主的な政治状況が実現されている最低
条件なのではないか。そしてそこから政治活
動として政治主導で行政を管理統括できて、
行政の不具合や不都合な面を修正したり改変
できるような権限を民衆の中から選ばれた政
治家が持つことができれば、一応は民主的な
政治が実現していることになるのではないか。
そういうことができるにはまずは行政上の悪
い点を批判できなければならないだろうし、
批判しても罰せられなければそれが世の中の
世論として広まる可能性が出てくるわけで、
そうなれば批判している人たちが政治家でな
くても、民衆の支持を得るために政治家が世
論の味方となれば改革の機運が高まるだろう
し、そうやって行政上の悪い点が改まるよう
な成り行きになれば、結果的に民主的な政治
が実現していることになるわけだ。またそれ
が行政上の悪い点でなくても、こうすればも
っと良くなる点を指摘するような提言も民意
を背景として出てくるかもしれないし、そう
いう点を行政に生かそうとするのも政治家の
仕事となるだろうし、それが可能となるには
やはり社会の中で誰でも自由にものが言えて、
その中から説得力のある主張が政治の場に反
映されるような仕組みが確立されていけばい
いわけだろうが、やはり仕組みとなるとすぐ
に制度が思い浮かぶだろうし、どうしてもそ
のような制度を構築しようとする機運が生ま
れるのかもしれないが、どうもその辺で安易
に制度の構築を行ってしまうと後からその制
度が融通の利かない硬直した仕組みとなって
形骸化して、そこから当初は想定していなか
った弊害が出てくるのだろうし、そういう意
味で功利的で安易な制度の構築よりは情報の
自由な流通の場を確保する方が優先されるべ
きなのかもしれない。

 もちろんそうなれば悪貨が良貨を駆逐する
ような成り行きも想定できるだろうし、まと
もな意見よりも感情的で煽動的な主張の方が
猛威を振るって、結局はポピュリズム的な政
治勢力が実権を握ってしまうと、自由にもの
が言える環境が簡単に破壊されてしまうのだ
が、その辺もすぐに制度的な規制を施そうと
して、融通の利かない硬直した対応が主流と
なって、結局はそうなっても自由にものが言
える環境が破壊されてしまうわけだが、どう
やっても余裕のない反応や対応に至るような
ら、制度による縛りが出現してしまう成り行
きになってしまうだろうし、相手が隙を見せ
たらすぐにその隙を突いて利益を得ようとす
る功利主義の精神が資本主義の発達とともに
世の中の主流となっている実態があるのだろ
うから、それは仕方のないことかもしれない
が、たぶんそういう功利主義精神の持ち主や
企業に利益を独占されても、自由にものが言
える環境は守るべきかもしれず、他者に対し
て不寛容な人たちにある程度は利益を奪われ
ても寛容な精神で接してゆかないと、不寛容
な人たちのペースに引きずり込まれていって、
気がつけば功利主義の虜となっているのだろ
うし、そういう人たちの狙いは自分と同じ水
準に他者を引きずり下ろしたいわけで、そう
やって自分たちの活動しやすい環境を徐々に
広げていく戦略なのであり、果たしてそうい
う下衆な環境が世の中の全ての人たちにとっ
て生きやすい環境なのかというと、どうも不
快さばかりが募ってくるのかもしれないし、
確かに勝つのはそういう人たちなのかもしれ
ないが、そうまでして勝ちたいのかというと、
それほどまで勝つことに価値を見出せるよう
な世の中なのかと思うだろうし、そういうと
ころで手段を選ばずに政治的にも経済的にも
主導権を握ろうとする人や集団について行け
ない気がするなら、ほどほどのところで主流
から外れておくべきかもしれないし、過度に
そういう方向で他者と競うのはかえって身の
破滅を招く危険性が高くなるのかもしれない
が、中にはそういう欲望に魅入られてしまう
人もいるのだろうから、それに成功するのは
ほんの一握りの人たちだろうし、かえって大
部分の人たちが身の破滅を招いてしまった方
が、それらの人たちが反省することで社会が
良い方向へ向かうことに期待したいが、身の
破滅を招いている状態というのが結構気づき
にくいのかもしれないし、実際に世の中の大
部分の人たちが生きて生活できていることに
変わりないだろうし、それが破滅だとは思え
ないのは当然であり、普通の感覚でもそれを
破滅とは言わないだろうし、ただ現状で成功
している人たちのようになれる可能性のなく
なった人たちがその他大勢の一般の民衆なの
だから、一般の民衆の感覚ではそれが普通の
状態であるわけだ。そうであるなら別にわざ
わざ不寛容な功利主義の精神の虜にならなく
ても生きていけることには変わりなく、そん
な精神の虜となっている人たちと競争する必
要もないわけで、それよりは自由にものが言
える環境を守って楽に生きることを考えた方
がよさそうにも思われるわけだが、資本主義
な価値観とそれを推進する広告宣伝メディア
に日々煽られているととてもそんな気にはな
れないだろうし、自然にそういう方面へと傾
倒していってしまう成り行きが世の中に生じ
ているのかもしれないが、それに対する確認
事項としてそういう方面で成功するのはほん
の一握りの人たちであることは踏まえておい
た方がよさそうだ。

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2018-02-13 21:37:42

彼の声 2018.2.13 「制度への対応」

テーマ:ブログ

voice-125

 制度が持っている形式的な手続きや決まり
きった動作に人を従わせようとするのは、制
度を管理運営する側が制度の利用者にそうし
てほしいから成り行きとしてそうなってしま
うわけだが、それも一種の権力の行使には違
いなく、そこに利用上の規則として提示され
た決まりを守らないと制度を利用できなくな
るような措置を講じざるを得なくなるわけだ
が、そのような規則に制度を管理運営する側
の都合が含まれていることは言うまでもなく、
利用者がその規則を守っている限りで制度を
管理運営する側の優位は揺らがないわけで、
それを勝ち負けという判断基準で捉えれば、
制度の利用者が制度に従っている限りで、制
度を管理運営する側にはほとんど勝ち目がな
いとも言えるだろうし、制度の問題点はそこ
に集約されているように思われるのだが、だ
からと言って社会がそれらの制度で成り立っ
ているのだから、制度をなくすわけにはいか
ないのはもちろんのこと、人為的に特定の制
度をなくしたとしても、それに代わる新たな
制度が必要となってくるのは言うまでもなく、
もちろん使われない制度は自然消滅するだろ
うし、結局は利用者が納得できるような制度
に改善していくしかないが、制度に関する問
題はそういう方向にしか進展しないだろうし、
そうである限りはこれからも人々は様々な制
度の利用者であり続け、それらの制度が有効
に機能することで社会が実質的に存在するこ
とになるわけだ。その中で政治に関する制度
も社会の中でそれなりに機能している実態が
あるわけだが、一応はその利用者である一般
の民衆が政治に関する制度を有効活用してい
るかというと、実質的には民衆よりも政党の
方が制度を有効に活用しているだろうし、政
党の中でも実際に議会で多数の議席を獲得し
て主導権を握って政権与党を構成している政
党が、政治に関する制度を最大限に利用して
いることになるのだろうが、その場合は利用
者であると同時に制度の管理運営にも携わっ
ている面があるわけで、政府与党と呼ばれて
いる時点で政府を担っている行政機構も含ま
れていて、実質的には制度の利用者と管理運
営する側が一体となっていて、そうなれば確
かに制度を最大限に利用できるのも当然のこ
とだと言えるだろうし、別にそれが違法でも
ないわけだからそのこと自体には何の問題も
ないわけだが、その一方で制度の利用者であ
りながら、管理運営する側に利用されている
だけの一般の民衆の側にそのことから何か利
益がもたらされているのかといえば、世の中
の安定がもたらされていると考えれば政府与
党を支持している人たちはそれなりに納得す
るかもしれないし、政府与党の権力基盤が盤
石で揺るぎようがなく、その結果として社会
情勢が安定してそれなりに平和な状況が保た
れていて、そのおかげで経済活動も大した支
障もなく行えるような成り行きとなっていれ
ば、やはりそこから実質的な利益も得られる
から、そうなっている限りで政府与党への支
持は揺るぎないと思われるようであれば、少
なくともそう思っている支持者は利益を得ら
れていると思っているだろうし、実際に経済
的な利益を得られているから政府与党を支持
しているわけだろうが、その逆に現状に不満
がある人たちは利益を得られていないと思っ
ているかもしれないし、それどころか政府与
党やその政策のおかげで損害を被っていると
思っている人がいれば、その人も現状に対す
る不満の原因を政治状況に求めるのではない
か。

 結局は現状を肯定できる人はそこから何ら
かの利益がもたらされていると思えるだろう
が、現状を否定的に捉えている人の中にはそ
の理由や原因を政治的な状況に求める人も出
てくるだろうし、それに関して政府与党のや
っていることがおかしいと思えばそれを批判
したくなるわけだが、それをメディア上で批
判すればそれはメディアという制度を利用し
て批判していることになるだろうし、批判ま
でが何らかの制度を利用しないとできないわ
けだが、その批判が有効に機能するのかとい
うと、メディアという制度の中ではそれなり
に機能するとしても、それが直接政治に関す
る制度を揺るがすことにはならないかもしれ
ず、制度を揺るがすのではなく、むしろ制度
の中で批判が有効に機能して、場合によって
は政権交代などの制度上の手続きを促すよう
なことにでもなれば、そのような批判も政治
制度の中で有効に機能したことになるのだろ
うが、制度の中で機能することと制度そのも
のを揺るがせて、制度の改善を促すことの間
に差異があることは確かだろうが、その制度
が円滑に動作しているということは、制度を
管理運営する側の優位が揺るがずに管理運営
している勢力に利益がもたらされていること
を示しているとすれば、今後何らかのきっか
けで制度を管理運営する側の優位が揺らぐよ
うな状況にでもなるとすれば、それが制度自
体が危機的な状況を迎えたことにもなるのか
もしれず、そうなっている時点で制度の円滑
な動作が何らかの原因で阻害されていること
もなり、そうであるとすると、例えば政権交
代なども制度上は可能な動作であることは確
かだろうが、現状の政治制度ではそれが有効
に機能しない状況にあるのなら、すでに現状
の制度では政権交代をやりにくくするような
改変が施されているとも言えるだろうが、あ
るいはそれは制度的な問題ではなく中身の問
題で、実際に政権交代を実現するような政治
勢力が台頭してこないような状況となってい
るのなら、今度は政権交代可能な勢力を現行
の制度に合わせて構築することが急務だと主
張できるかもしれないが、それ以前に現行の
制度では特に政権交代する必要を感じていな
い人が世の中の多数派を形成しているとすれ
ば、別に政権交代できる政治勢力を構築する
ことが急務でも何でもないことにもなってし
まうのかもしれず、そういう意味で現状の制
度の中で優位な立場を築いている勢力にとっ
ては、特に自分たちを優位に導いている部分
を改変する必要は感じないだろうし、逆に改
変されてしまっては困るわけで、それよりは
さらに自分たちが優位になるような改変なら
大歓迎だろうし、結局制度的には現状で主導
権を握っている勢力が不利になるような改変
はやらないのが当然だろうが、ならば現状で
不利な側が自分たちに有利になるような制度
改変を求めても、現状で主導権を握っている
側にとってそれは出来ない相談だろうし、結
局は現状で不利な側が制度的な手続きによっ
て自分たちに有利になるような状況を作るこ
とは難しいわけだが、だからこそ制度上の手

続きや形式の問題ではなく、その制度を利用

する人たちの中身の問題だと言ってしまうと、
制度の利用者は制度から構成されてしまうよ
うな作用もあるわけだから、やはりそれでは
循環論となってしまうだろうし、だからと言
って形式も中身も両方が大切だと述べても、
では何をどうすればいいのかわからなくなっ
てしまうだろうが、ともかく制度もその利用
者も管理運営する側も恒常不変な状態を保て
るわけではないのだろうから、絶えずその変
化の機会をうかがって、その機会を捉えて制
度にもその利用者にも管理運営する側にも、
変化を促すように働きかけなければならない
のかもしれない。

http://www.koike-t.com/

 

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