父・祖母の法要とお経
テーマ:k-taiスナップ&日記
今日、自宅にて、2001年初に他界した父の七回忌と、一昨年末に他界した祖母の三回忌を併せて法要(法事)を執り行わせて頂きました。親戚の皆さんも東京や大阪など遠方からお越し下さり、また、それぞれの葬儀の折は雪空の悪天候でしたが、今日は、日中、比較的穏やかで、よい御参りができました。
9時前にお寺さんが到着、三回の読経のあと自宅から数百メートル離れたお墓に参り、帰ってきてから、生前の故人を偲びつつ会食を済ませ、無事法要は終わりました。
ちなみに、我が家の宗派は浄土真宗なのですが、恥ずかしながら、父親が亡くなるまで、私、「お経」など詠んだことがありませんでした。40歳を前にしてようやく仏壇の前で 『正信偈(しょうしんげ)』 なるものを (ごく、たま~に) 唱えるようになりました。( 『正信偈』 とは、浄土真宗のエキスがつまった最も大切な偈文(げもん)で、この 『正信偈』 を朝夕お勤めし 『和讃』 を毎日六首ずつ繰り読みするのが浄土真宗門徒の日課とされているようです。)
これまで関心のなかったお経ですが、意味を考えながら文字を追うと、どーやらエエこと書いてそうです。例えば、お唱えするお勤めには、序文、本文、結文があるようですが、本文の最後の部分に出てくる言葉に以下のような一節があります。
願以此功徳 平等施一切
同発菩提心 往生安楽国
詠み方は…
がんにしくどく びょうどうせいっさい
どうほつぼだいしん おうじょうあんらっこく
ですが、意味としては、「願わくは、念仏を唱えた功徳をすべての人々に同じように分かち合い、同じように極楽世界に往生したいと願う心をおこし、共々に往生したいものである。」 だそうです。故人縁の者たちが集まり、祈りをささげるお勤め(読経)のエピローグ/結詞に相応しい言葉だと思います。
それにしても、月日の流れるのはホントに速い…。気がつけば、父親を最後に見送ってから、はや六年、朗らかなお婆ちゃんに会えなくなって、もう一年以上経ってしまいました。時間はけして止ってはいないことを実感します。法要(法事)のイチバンの効用は、残された者が過ぎ去った時の流れに気づき、「しっかり生きていかなイカン」と再認識することではないでしょうか?
生まれ来るとき、ヒト(赤ん坊)は泣き叫び、周りの者は大喜び、ヒトが逝くとき、周りは嘆き悲しみますが、本人の魂は安らかなのかもしれません。生きていくには苦しいこと、辛いことがたくさんあります。喋れない赤ちゃんは、ひょっとすると「こんなところ(現世)になんか来たくなかったじょ~」 と、泣いてるのかもしれませんし、もの言わぬ亡骸は、「あ~やれやれ、やっとオサラバできる!」と、せいせいした気分なのかもしれません。う~む…、永遠の謎です。でも未だに「エエことしたら天国行き、悪いことしたら地獄行き!」というシンプルな教えを信じておる私でございます。










1 ■食べすぎないようにとファミリーパック(中)にしたのに止まらなくて食べすぎちゃうんだ!
やめられないとまらない
カプリコ♪