BLOG de けんか

些細なことで起こるけんか。
でも何度けんかしても、同じ数だけ仲直りすれば
ずっとしあわせでいられるはず。
それを信じて今日も、明日も、けんか


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これは30年以上前から続く話です。
ジョンとポールという2人がいました。


ジョンは硬派で強靭な面をも持つけれど、実は心優しい人。社交的でないし、不器用だけど筋の通っている人。容姿はいいのにどこかあか抜けない、そこがまた魅力的でもあります。

ポールは抜群のセンスを持ち、目立ちたがりでやんちゃ、でも育ちのよさが伺え、甘えん坊でもあり、社交的で、かわいがられやすい人、そつがなく、いろんな人たちと仲良くなれる人。


そんな2人が出会って、意気投合して、裸一貫から事業を始めました。最初の数年こそ、全然うまくいかなく、ともに苦労をしたのですが、お互いに共通の夢をかなわせるため、貧乏を気にせず好きなことに熱中し、熱中するがあまりに時々衝突はするものの、まわりの人になだめられながらも、2人で素晴らしい作品を作り上げていきました。作品の発表をするのはジョンの役目、でもその作品のプロデュース担当はポールの役目でした

その後だんだん2人の作品が世の中に認められ、あっという間に頂点に立ちます。ただ、2人で作った作品なのに、立場上、どうしてもジョンのほうが注目されていきます。ジョンは成功が自分だけ力じゃないこともわかっていたし、ポールの力が大きいことも十分わかっていたにもかかわらず、ポールは、ジョンが注目されることに不満がありました。


そしてビジネスが大成功を収め、今後もかなり期待されているにもかかわらず、2人は別々の道を進むこととなりました。発表の場では「別々の道を行きます」といいポールを見つめるジョン、そんなジョンから目を離し後ろを向いてしまうポール。あまりにも急だったため、いろんな憶測がとびかい、支持者を一時的に混乱させました。でも結局真実は本人達しか知らないことだろうし、本人達もはっきり語ろうとしないまま。

ただはっきりしているのはポールが言い出したってことだけ・・・
ジョンは最後の最後まで反対していたということだけ・・・・。


それから20年以上の年月がたちました。ポールもジョンもそれぞれ新たな事業を立ち上げ、2人とも成功しています。にもかかわらず、2人で作り上げた商品の価値は当時よりも上がり、20数年たっても彼らを支持する人たちから「また一緒に組んで、すばらしい作品つくりあげてよ!」という声が絶えません。2人がどんなに頑張って、単独でいい作品を作っても、常に「当時の作品」からの呪縛から逃れることはできず、それぞれにもがき、悩み続けたものでした。


ポールは、いろんな場所で当時のことを語り続け、ジョンのことを「永遠の恋人」と言ったり、メディアを通じてジョンとのことを語ることも多いです。ジョンは逆に当時のことについては沈黙を守っていました。当時の作品の事も、仲間だったポールの名前すら公の場所で言うことは20年間ほとんどなかったのです。


そんなころ、ジョンが当時の作品の個展を開くことになりました。ポールと作り上げた当時の作品を自分なりにアレンジしたものの発表。それを聞いたポールは公の場で「ジョンを責めるもりはないけど一緒にやりたかった。どうして声をかけてくれないのか」というような発言をしたからまたまた彼らの支持者の間ではこの話題でもちきりに!ポールがかわいそうだとか、ジョンは自分勝手だとか、せっかくだから一緒にやってほしいなどなど。

それから半年以上たった先日、ジョンはこんなことを言っていました。
「当時のことを話さないのは、別に当時のことにこだわっているわけではない、決して恥ずかしいと思っているわけではない。確かに誰にも触れさせたくないというか、自分も触れたくないっていうかそれはあります。別れるときにいろいろありましたからね。でもそれに対して負けてたまるか、なんとか負けまいとしてあがいてる姿が向上につながったから決して悪いことだけではない」と。


わたしはジョンもポールも好きなので、自分なりに両方の思いを勝手に解釈してみました。2人の発言や行動から、その裏に隠された何かを分析してみようと思いました。

思うに2人とも当時を愛していた気持ち、そしてそれを愛する気持ちは今でも同じなんだと思います。大きくなりすぎたゆえお荷物となっていた当時の呪縛を乗り越えようと、何十年かかって努力してきたのは確かです。でも今でも愛情を持っているのは変わらないはずです。今まで頑として当時の事について語らなかったジョンも、時々ではあるけれど当時のことやジョンのことも語っていたポールも、一緒に作り上げた作品、そして一緒にすごした時間を大切に思っている気持ちは同じだと思います。

おそらくポールは後先考えず、思ったことを口にしてしまっているのか。自分の思うまま素直に、どんな影響を与えるか、波紋をよんでしまうのか考えず、女々しくもある発言を簡単にしてしまうくらい、いつも頭の中に当時の思い出があるんでしょう。それだけ大切にしているんだろうし、愛情をもっているんだと思います。

逆にジョンは愛していたからこそ、大切だからこそ、簡単に口にするのを拒み、負けまいともがいて戦ってきた。その不器用さが時にはポール支持者からまたその他の支持者からも時として反感をかっていたんでしょう。それでも誰に迎合するわけでもなく、言い訳することもあえてせず、自分の中で大切に思い続けた事実

2人とも一緒に作り上げた「作品」を愛していた、そして今も愛していることに変わりはない。愛情表現の方法が違うだけで気持ちは同じなんだと思いました。


うーん、果たして本当にそうかな???


ここまで考えていて、何だかなぁ、しっくりこない自分の分析。
本当に2人はいまだに当時のことを、お互いのことを、愛して尊敬しあっているんだろうか?

これはただ単に昔の2人を崇拝していたわたしたちの理想であって、まわりの支持者が「そうあってほしい」と都合よく理由付けしているだけであって、実は彼らの発言の意味はもっと別のところにあるんじゃないのか?それとも言葉そのままでシンプルなんじゃないか?そうやって考えると面白いようにつじつまがあっていくんですよ。

ポールの、当時のことを話したり、ジョンの名前を出したりする行動は、むかしの栄光にすがっているだけだし、ジョンの支持者をも味方につけたいという現われ。ひとりでもやっていけると確信し、別れたのにもかかわらず、ジョンのカリスマ性あってのポールだったのかもという疑惑が自分自身の頭から離れず(決してそんなことはないんだけど)、ジョンの名前を出すことで話題を集めようとしている策略。

結局ジョンに嫉妬していて、いつまでたってもジョンの呪縛から抜け出すことは出来ない。「ジョンを責めるもりはないけど一緒にやりたかった。どうして声をかけてくれないのか」は結局まわりの同情を得ようとする、そんな作戦だったようにも思える。

最近はツイッターもはじめ、たくさんのフォロワーさんも得て、新しく彼を支持する人たちと交流し、「俺は優しい人、紳士的な人」ってイメージを与えようとしているけど、結局すべてがまやかしのような気がする。たとえば紳士を気取った素晴らしいツイートを100個しても、そのうちの1個がそういう女々しい内容だと、「やっぱりね、すべてはいいイメージを与えるための計算されたことなのね。」と思えてならない。

もちろん人間は誰も完璧ではなく、ずるい部分も持ち合わせているのが普通だと思う。その狡さ、女々しさがポールの魅力であることも事実だし、彼にも素晴らしい部分はもちろん数え切れないほど沢山あるし、新しい事業を成功させる才能はジョンに負けないくらいある。それなのに、なぜかジョンのことを話すポールには、彼をそういう行動に走らせてしまう女々しさ、ジョンをいまだに思い続けるいじらしさが、彼自身の評価を下げてしまっていることに本人は気づいていないようなんです。


そして反対にジョンの場合、公の場に出ることを極力避け、自分の作品のみで自分をアピール。当時のことに対して一貫として沈黙を守り、余計なことは一切言わない。ポールの支持者に批判されても、昔の2人を崇拝する支持者になんといわれようとも、批判が出ることを承知したうえで、それを受け入れる覚悟をして、自分の正しいと思ったことをやる。自分が悩みぬいた末に出す決断なら、たとえ間違っていてもいいと信じ、自分にウソを付かない人。まわりが彼に与えるイメージを気にしない、裏表のない人。

「当時のことにこだわっているわけではない、決して恥ずかしいと思っているわけではない。誰にも触れさせたくないというか、自分も触れたくないっていうかそれはあります。別れるときにいろいろありましたからね。」

この発言の真実は、

「まったくいつまで過去の話してんだよ?俺がこだわってるって?あの事業は頑張った結果認められたから恥ずかしい過去ではないけど、もう20年以上前の話だぜ。それに、俺が味わされた悔しい思いも知らんくせに、元メンバーも部外者も勝手なこと言うな!俺も思い出したくないんだ。」

なんていう本音が見えたような気がします。


正直、え~?25年も前の事、いまだに根に持ってるの?とかなり驚きましたが、逆に「もううんざりだぜ」って毒づいている正直な意見、評判をさげてしまいそうな発言ですが、筋が通っているから結局彼らしいな・・・と納得し、ずっと我慢していたんだね~とせつなくなってしまうんですよね。


ちなみにもうおわかりかと思いますが、わたしは基本的にジョンの支持者です。
でもね、同時にポールのことも人間らしくて憎めなくて目が離せないのも事実なんです(笑)なんかわたしに似ているんですよね。自分がどう思われたいか計算して行動してしまったりする。。。そんなとこ、人間臭くて子供っぽくもあり、ついつい仕方ないなあと思いながらも放っておけない存在です。

果たしてまわりの支持者の願うような日はくるのでしょうか?

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先週、子供たちが寝た後にYouTubeでこんなものを見つけました。

ちょっとこれ、かなりお勧めなんです!

実際は子供用の絵本なんだそうです。
でも子供だけじゃなく、というか正直、子供にというより、大人とって、心に響く素晴らしい内容です。
わたしがごちゃごちゃ言っても仕方がないのでリンク張っておきます。





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アメリカ東海岸沿いの州を襲ったハリケーン・アイリーンから1ヶ月たちました。

わたしの家の前のストリートが水で覆われ、半数の家が浸水被害を受けました。我が家も地下室に30センチ強の浸水があり、セントラルヒーティング、湯沸かし器、洗濯機、乾燥機、ソファセット、テレビが浸水しました。地下室の水をバケツリレーで出す作業も、泥をかき出す作業も、地下室の大掃除も、「東北地方の被害に比べたらこんなの全然大丈夫!」と言い聞かせながら夫とともに汗だくになりながら働き、電気が復旧しないなか、子供たちと、キャンドルライトで冷凍庫のアイスクリームを食べつくすアイスクリームパーティもしました。

しかし、湯沸かし器などの電気製品を点検してもらうために電力会社にお願いしたのですが、

「お宅の洗濯機も乾燥機もモーターが下に設置されてるタイプだからもう直せないし、セントラルヒーティング、湯沸かし器なんかは一度水につかったら取り替えないといけないっていうルールがあるから、全部廃棄処分ですね。」と言われ、すべての電気製品、設置費、パイプ修理の見積もりが、15000ドル(120万円程度)になり、「こんなの全然大丈夫じゃない!」と思いなおしました。住宅保険に連絡して査定に来てもらうと、「こういう状況の時は上限2500ドルしか出せません」と言われ、全然足りないじゃない!てことでアメリカ政府に頼る計画を立てました。

アメリカ合衆国連邦緊急事態管理庁(Federal Emergency Management Agency of the United States、略称:FEMA)は、大災害に対応するアメリカ合衆国政府の政府機関で、洪水、ハリケーン、地震および原子力災害を含む、その他の災害に際して、連邦機関、州政府、その他の地元機関の業務を調整することを請け負っており、家屋や工場の再建や企業活動・行政活動の復旧にあたって、資金面からの支援を行います。

今回のハリケーンは久しぶりの本土上陸で、たくさんの州にわたって被害がでたため、政府も緊急でFEMAに資金提供をしました。うちも早速オンラインでFEMAに申請書をだしたのですが、なんとその2日後、被害の査定に行きたいのですが・・・・とFEMAに雇われた専門の調査員が家にやってきました。30分くらい写真をとったり、被害状況をメモしたあと、「じゃあ数日後にFEMAから連絡入りますので」と。

なんとその3日後には、義援金が5000ドル、銀行に振り込まれてきました。もー、びっくりですよ。FEMAにリクエストを出してからたった1週間のうちに、お金が振り込まれたんです。ま~、総額カバーには全然足りないけれども、あまりの速さに、アメリカ政府をかなり見直しました。

そういう現状を見て疑問に思うのが、東日本大震災の義援金ですよね。

わたしもNYの日本領事館を通じて寄付をしましたが、メディアの情報によると、あれから半年もたっているのに、赤十字に世界から集められた寄付金は、まだまだ効果的に使われているとは言えないようです。災害の規模が全然違うため、たしかに比較することがおかしいのかもしれませんが、日本を助けたい!と寄付をした純粋な気持ちがどんどん踏みにじられているような気がして、とても残念に思います。赤十字や他の組織がこんなんだと、「どうせ寄付したって何に使われるのかわかったもんじゃない!」と思う人が増え、まだまだ必要なのにかかわらず、寄付をしなくなる人が増えてしまうのも避けられないですね。

そんなとき!

こんなニュースが飛び込んできました。

『氷室京介:東日本大震災復興支援チャリティライブ収益金及び寄付のご報告:
収益金寄付総額:6億6922万940円
震災の甚大な被害を受けた岩手、宮城、福島の三県に、2億23073万646円ずつ均等に配分し、信頼できる代理人を通して、福島、宮城、岩手の各県庁舎を訪れ、皆様から頂いた想いを各県知事に託してきました。』


福島では、「義援金」および「東日本大震災ふくしまこども寄付金」に使用
(福島県 佐藤雄平知事より)
まずは、被災なさって非常につらい状況でいる皆さん、そして、次の福島を担う未来の子供たち、そういう育成に使わせてもらったらありがたいなと思います。

宮城県では「寄付金」として、県が行う災害復興対策事業(産業復興、地域医療復興など)に充当
(宮城県 村井嘉浩知事より)
義援金は、被災者の皆様にそのままお渡しするお金とさせていただきたいと思います。寄付金は具体的には、津波で流されてしまった、個人の民間の病院、診療所、福祉施設こういったようなものを再建することに対して国の補助率が非常に低いものですから、それの上乗せという形で補助金等を乗せて支援するということに使わせて頂こうと思っています。

そして岩手県では「いわての学び希望基金」(津波・震災孤児等の支援)として活用
(岩手県 達増拓也知事より)
今回の大震災で、子どもたちの親御さんが亡くなってしまい、子どもたちが残されたケースがかなりありまして、岩手県では「いわての学び希望基金」という、親御さんを失った子どもたちに奨学金を出していくための基金を作ってありますので、そこに活用させて頂きたいと思います。

そして彼本人からのコメントも発表

『あの日のライブは、便宜上、氷室京介チャリティライブと銘打ったイベントではありましたが、実際は参加してくれた一人一人の “ 気 " を集結させた、"We Are Down But Never Give UP" という一つの集合体だったように思います。その中で自分は単に歌う担当に過ぎなかった、という認識でいます。

震災から約半年が過ぎ、被災地とそれ以外の地域の方々との間にも、徐々に意識のズレが生じてくる頃かと思います。これからもマスメディアの皆さん方を中心に、コメントを出せる立場にいる僕らも一丸となって、両者の距離を縮める役割を担っていけたらと思っています』



そうなんです、わたしが6月に日本に帰国してまで(笑)
参加した復興支援チャリティライブの結果報告が届いたんです。

なんだか本当に胸が熱くなり、心が震えました。

この人って本当に強い、ブレていない信念を持った、器の大きな人なんだなと。そしてチャリティをかなり経験されている人なのではないかと思いました。

自分の購入したチケット代金、たった7800円ですが、それが誰に渡って、どのように使ってくれるのかを明確にしてくれるということは、こんなにもわたしの心を満たしてくれるものだったのか、自分の小さな思いが誰かのためになってるかもしれないという現実が、こんなにも安らいだ平和な気持ちを生んでくれるのかということ。本当に「寄付してよかった、ニューヨークから参加出来てよかった」って100%純粋な気持ちでなんの迷いもなく感じられたことが、何事にも変えがたい幸せな気持ちを生んでくれました。

あー、これがチャリティの醍醐味なのね~。
そして、寄付金の行方が発表されることにより、自分がどんなふうに力になれたのかがはっきりし、『こういうふうにちゃんと使われているのなら、また寄付をしてもいいな』と、今後も息の長い寄付を続けていこうという活力になりました。

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尊敬するブログのある記事からいろいろ考えました。

アメリカの大学を卒業し、1年間のインターンを終え日本に帰国した27歳の頃、日本企業や外資系企業の採用試験を受けたり面接を受けたりすることがたくさんありました。当時のわたしは、日本でも短大を卒業し、一部上場企業にも就職していた、アメリカの大学に編入し卒業できた、アメリカの企業でも1年間働いた経験あり、ってことで、今から考えると恥ずかしいくらい、どこから来たのか意味不明の、ゆるぎない自信を持ち、数々の面接をこなしたんですが、他の多数の留学経験者の例に漏れず

「留学経験で生かしたグローバルな視野を持って・・・」

なんてことを、穴があったら入りたいくらい恥ずかしいことを、若気のいたり?で語っていた覚えがあります。


当時は企業のグローバル化とか、そういうのがはやっていたので、外国で暮らす=他の文化を体験する=グローバル なんて思い込んでいましたが、学生の分際で体験したグローバルなんてものは、授業の進め方の違いや、生活習慣の違い、友達づきあいの違い、とか、8歳の息子でも知ってるようなレベルでした。


それから十数年たち、今でも本当の意味のグローバル化を語れるほどの知識は増えていませんが、日本人は宗教に対してのグローバル化は天下一品だと思います。実際、宗教に対しての深い知識がなく、いいとこだけをつまんで、漠然とした雰囲気でしかしらない他宗教、どちらかといえば理解して受け入れているというよりも、
何にも知らないくせに受け入れているという印象ですけど、わたしはそれが素晴らしいと思います。鈍感になっていい分野だと思います。


日本の宗教はむつかしいです。
日本全国にいろんな神様を祭る神社が数え切れないくらいあって、仏教と神道が混在していて、神話の中にも、働き者の神様がいるかと思えば、怠け者の神様もいたりします。神様によって役割が違い、学問の神様、商売繁盛の神様、子孫繁栄の神様などなど、わたしは合理的でいいと思いますが、クリスチャンの夫からしたら「冗談でしょ?」の世界です。

実際、日本の宗教って何だろうと疑問に思って調べてみたことありますが、本を読むたびにわからなくなり、夫を含めたアメリカ人に「日本人の宗教」についてうまく説明することが出来ません。


でもひとつだけ確実に言えるのは、日本は多神教で本当によかったということです。
おかげで他の宗教に対して否定的な気持ちはあまりないですよね。だからこそ、クリスマスも普通に楽しめるし、イエスキリストに対しても、他の宗教に対しても、嫌悪を示す理由がない。怠け者の神様だっているんだもん、いろんな神様がいておかしくないわ、なんてお気楽な考え方を出来るのも素晴らしいことだと思います。これこそ、グローバル化ですよ!この柔軟さ、ちょっとしたいいかげんさ、誇りを持っていいと思います。


世界のどこを探しても他をみない、多人種、多宗教が混在するこのニューヨークでさえ、宗教に関しては頭の固い人が多いのには本当に驚きです。何度も言ってるように(笑)夫はキリスト教ですが、イスラム教、ユダヤ教と同じく、排他的で唯一神教のため、イエスキリストを救世主と認めた人だけが天国に行けると思っています。いくら素晴らしい人でも、キリスト教を信じないと天国に行けない、逆に言えばどんな悪い人でも、自分を反省し、罪を認め、神様に許しを請えば天国に行けると考えています。

彼らの考え方によるとわたしは天国には行けないそうです(笑)


夫の立場上、時々教会に行きますが、人種差別はよくない、性差別もよくない、職業差別だってよくない、学歴差別だって、国籍差別だって・・・あらゆる差別はよくないと教えられているのに、なぜか宗教による差別はOKなんですよね。牧師さんが「仏教を信じていては天国に行けません。イスラム教を信じていては天国に行けません」なんていってしまうんです。そしてその言葉に賛同する多くの人たち。世界宗教人口1位のイエスキリストが差別してるんですもん、そりゃ世の中から差別がなくなるはずがありません。


過去にもいくつかの宗教戦争があります。
ヨーロッパの十字軍や同じキリスト教内の宗派争い、911の理由となったといわれる、イスラエルとパレスチナの関係、またユダヤ教・キリスト教・イスラム教の聖地であるエルサレムを巡っての争いなどなど。

確かに自分の信じるもののために戦うことは必要なことなのかもしれません、が、特別な宗教を持たないわたしにとっては、人を救うための、安らぎを与えるための宗教だったのはずのものが、いつのまにか権力争いの原因になってきている現実を見ていると、それなら宗教さえなくなれば世界は平和になるのではないかと、どうしても思えて仕方がないんですよね。

ただ、彼らの名誉のために言っておくと(笑)信じるものを心に持った人たちはブレることなく強く、かつ安らいでいます。また、恵まれない人へ分け与えることの出来る精神、助け合う精神は素晴らしいものがあります。
チャリティがとてもさかんで、子供の頃からチャリティに参加する機会を与えられ、生活の一部にしていく方法も素晴らしいと思います。


夫が時々冗談で「君はいつになったらクリスチャンになるんだ?」って聞きます。

「キリスト教がどんな人種も国籍も宗教も差別しなくなったら、キリスト教徒でないわたしの両親、兄弟、親類すべてが天国にいけるようになったらね。」

なんて答えていますが、わたしが生きている限りありえないことですね(笑)


そうやって考えてみると、世界中、ひとつだけ平等なのは、お金持ちも貧乏人も、男も女も、アラブ人もアメリカ人も、異性愛者でも同性愛者でも、キリスト教徒も仏教徒も、「100%誰もが死ぬ」ってことだけなんじゃないかと思います。

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今、わたしのまわりにいる、とっても対照的な2人の女性について考えさせられています。



ひとりはわたしの大切な94歳の祖母
そしてもうひとりは夫の大切な母親67歳



先日の帰国の一番の目的は祖母のお見舞いでした
「もうそんなに長くはないらしい」という父の言葉を受けて
お葬式で帰国するくらいなら、元気なうちに会って話がしたいという理由で

急遽帰国を決めました。滞在中はほぼ毎日、1時間から3時間程度、病院に行き、

昔話や、子供たちの話、戦争中の話をたくさんしました。



ふっと話が途切れるたびに
「もういつ死んでもいいのに、お迎えが来ない。
おじいさんも迎えに来てくれないし、早く死にたい」と言っていました。



祖父が地方議員をしていたため、後援会の人たちからもちやほやされ、
とても社交的で友達も多く、海外旅行にも何度も行き、いつもおしゃれをしていた祖母
6年前に祖父が他界したあと、友達も次々に亡くなって、寂しくて仕方がないんですね。
病院には毎日5人の子供のうち誰かが訪れますが、正直病院食もおいしくないし
退院できる見込みもないし、生きている楽しみがない祖母です。



そして義母


2年前に奇跡的に卵巣がんを克服したのにもかかわらず
今度は肝臓に転移が見つかって3ヶ月、いわゆる末期がんです
余命は数ヶ月かも・・・
といわれていますが抗がん剤治療をはじめて3ヶ月たち、日に日に弱ってきています。



正直、抗がん剤治療の辛さを考えると、そんな辛いことをせず
残された時間を安らかに楽しくすごせたほうがいいのでは?と
私も夫も思っていましたが、彼女にその気はなく、
だめならだめで死ぬことは怖くないけど、諦めるわけにはいかないと強気の彼女



告知のときも、ずっと彼女の主治医を勤めていたドクターが
とても辛そうに、半分涙を浮かべながら告知をしたのですが
そんなドクターに「わたしの命はあなたの手にかかっているんだから
そんなめそめそしている暇はないはずよ。あなたはとても才能のある医者で、
わたしは何も心配してないわ、それに死ぬのはわたしであなたじゃないわよ」と
冗談をいいながらドクターを励ます義母でした。



どうやったらここまで強い精神力を保てるのでしょうか?


心配する子供たちや親戚に対して、自虐的な冗談を言い逆にみんなを励ます義母
ドクターも「義母は医学的に説明不可能な状態ですよ。がんは確実に存在しているのに、
血液検査の結果は末期患者とは思えないくらい、良好な数値。
彼女の強い精神力のおかげとしか考えられない」ということらしいです



この義母、決して幸せな人生を送ってきたわけではありません。
7人の子供を抱え、自分の夫は浮気ばかり、お酒のんでばかりで家に寄り付かず
ひとりで7人を育ててきたような人です。金銭的にも決して楽な生活だったわけでありません。



自分の息子とその奥さんが離婚するなどの騒動のときは
決して息子の見方をすることなく、いつも義娘に対してでも中立な立場をとり
両方を支えてきた人です。おしゃれなんてする暇もなく、友達よりも
家族のつながりを大切にし、相変わらずどうしようもない彼女の夫の世話をしてきた人生



7人も子供がいると、ひとりやふたりは未だに自立できない子供がいるものですが(笑)
彼女も他の例に漏れず、定職につかずフラフラしている子供のことを
いつもいつも心配して自分の状況の方が数倍辛いのに、手を差し伸べています。
だから子供がいつまでたっても自立できないのよ!という私の意見は差し置いて(笑)



いろいろな修羅場をくぐってきているため、精神的に強いのでしょうか?
それとも信仰心の強さなのでしょうか?
本当に「神様は乗り越えられない試練はあたえない」とでも信じているんでしょうか?



人の幸せ度数なんて人それぞれで比べられるものではないことはわかっています。
ただ、現実にもうすぐ他界してしまうだろう二人の、
まったく異なる人生のスタイルや、バックグラウンド、そして死に対抗する姿勢の違いを見て
わたしだったらどうするのかな?
どっちの人生のが幸せなのかな?なんて考えてしまう今日この頃です



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今月はじめ、ひとりで日本へ帰国してきました


結婚して11年、一人で日本へ帰国したのは初めの年1度のみ、
あとは夫と一緒だったり、子供たちと一緒だったり、家族総出だったりで
毎回毎回慌しい日本滞在でしたが、今回は9日間のみでしたが、
ゆっくりと時間が流れて、癒された滞在となりました。
3人の子供(8歳、2歳半、1歳)との留守番を、快く引き受けてくれた夫に大感謝です



今回の帰国はメインが二つ
94歳の祖母がもうあまり長くないらしいため、最後に会いたかったこと
これはまた後日報告するとして・・・・・



そして二つ目のメイン
氷室京介の東日本大震災復興支援チャリティライブに参加すること

『KYOSUKE HIMURO GIG at TOKYO DOME
“We Are Down But Never Give Up!!”』。



そもそも彼を始めて意識したのは1986年、わたしが高校1年生のとき
近所のロック&パンク大好きな栞ちゃんに無理やり誘われて参加した
ライブイベント”Rock Wave 86” のトリを飾ったのがBOOWYでした


男のくせに髪の毛長くて、化粧していて、ぴったりした皮パンツはいているような
彼らを見て「きもちわるーい」なんて思いましたが、BOOWYの歌はとてもかっこよくて
その後、このバンドの歌を何度も何年も聴きつづけることになりました。




そのバンドが解散して23年、
解散後も氷室京介のライブには時々帰国時期が合えば参加していたのですが
今回、全曲BOOWYを歌うチャリティライブを東京ドームで行うことを発表したのが4月
収益金100%を被災地に寄付するという一大イベント




外国に長く住んでいると、
日本のいい部分悪い部分すべて含めて日本のことが益々好きになります
日本の中にいると当たり前に感じていたことも、
外に出てみて初めてその「良さ」がわかるっていうんでしょうか



震災後、アメリカにいるのがもどかしくて、何かしたい、何か役に立ちたいって思い、
子供たちの学校で寄付集めをお願いしたり、
いろんな団体が主催する復興イベントに参加したりしました


それでもまだ何か出来ることはないかと模索していたときの、
この復興支援ライブの発表
きっとロスに長く在住している氷室さんも同じような気持ちなんだと・・・




ただこの発表後、BOOWYファンから、かなりの反対意見もありました
BOOWYは氷室ひとりのものじゃないから、BOOWYをやるならBOOWYのメンバーと!
チャリティは立派だけど、やるなら氷室京介の歌でやればいい!などなど




残念だけど、どんないいことをしても、それを批判する人は必ずいるもの
100%賛成してもらえることは不可能に近いと思います
もちろん反対意見にきちんと耳を傾けるのは大切なことだと思います。
でも、まわりの批判や反対意見を気にしていたら何も出来ません
彼は反対意見や批判が出ることを承知し、そのすべてを受けとめる覚悟をして、
自分の正しいと思うことを実現させた、心の芯から強い人、
自分に誠実な人なんだなと思いました。




このライブのレポートは他の氷室&BOOWYファンに任せるとして(笑)



わたしが感じたのは・・・・・・



今回のGIGでは、BOOWY時代の氷室に再会できたというより、
10代だったときの自分に再会できた素晴らしい時間となったような気がします

社会に対する不満もありながら、それでも自分の可能性を、
未来を信じて疑わなかった、そしてどんな些細なことにも
夢中になれたあの頃に、戻れたのではないでしょうか


昔は大切にしていたのに、時間が経つにつれて忘れてしまっていた
宝物を見つけてしまった、そんな気持ち



大人になって、社会に出て、子供を持って、
知らないうちに精神面でも落ち着いてしまっていたけれど、
10代のときに何度も聴いた曲が流れると、興奮し、一緒に歌って、
柄にもなく、曲に合わせてジャンプしたりしちゃって、
まだまだ自分の中に、こんなにも気持ちが高揚するパワーがあったのかと、
大人気なく、はしゃいで大声で一緒に歌えちゃう自分がまだまだいたことに、とても驚きました


おそらく2日間のGIGに参加した11万人の多くは、
30代後半から40代後半になる、今後の日本を背負っていく大人達です

そんな大人達がみんな20数年前の自分に戻り、
あの頃の自分を思い出し、あの頃に持っていたパワーを思い出し、
希望を思い出し、とても大きな元気をもらえた、
よし、まだまだ自分たちは大丈夫、必ず日本を復興させてみせるぞ!
っていう力をもらった時間となったことと思います



現在進行形の氷室京介としてのライブでは、
昔の元気だった自分たちを思い出せるライブにはならない、
だからこそ、敢えて全曲BOOWYの曲でのライブだったのかと・・・・



ライブの途中、津波を思い出させるようなファンのウェーブがありましたが
ヒムロックも言ったように、このパワーが波となって日本全体に広がっていくといいですね


チャリティは風化させないよう長く続けられることが理想
でも、外食の回数を減らして、とか、買いたい物を我慢して
寄付することはとても素晴らしいけれど、
そういう何かを犠牲にしての寄付は長く続けることは難しいと思います


それならば今回のような、楽しんでチャリティをする機会があれば、
一回でも多く寄付する機会が増えますよね


主催者側も楽しんで、寄付する側も楽しめて、
それが被災者のためになるのであれば、
こんな素晴らしいことはないと思います

わたしもこの先も長い支援を、
心は近い、遠きアメリカからしていきたいと思いました

そんな素敵な夜でした


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連日の東北地方太平洋沖大地震のニュースを見ながら
被災者の中にも子供がたくさんいるんだろうなぁと気になっていました



東京に住む義妹と話したときも、8歳になる甥が
すごくいろんなことに神経質になっていると聞きました。
学校からの帰り道で地震を体験し、
家に帰ってきてテレビで津波が襲ってくる映像をライブで見たり、
毎日何回も襲ってくる余震に怯え、
何度も何度も「津波がくるの?」とか「東京がなくなるの?」と
聞いてくるんだそうです。夜もなかなか寝付けず、
何かを思いつめているような表情をしているそうです。


そんなとき、正義の味方ウルトラマンがTwiterでみんなを応援するメッセージを発信



「じしんがつづいてこわいかもしれないけれど、おとうさんやおかあさん、
まわりのおとなのひとのいうことをきいていれば、だいじょうぶ。
きみのことは、ぼくや、みんながまもるよ。きょうはゆっくりおやすみ」



絶妙のタイミングですね。
スーパーヒーローからのこんなメッセージが
たくさんの子供たちを勇気付けてくれることを願います。



それにしても被災者の方々の苦労を考えると胸が痛みます。
不安と恐怖で精神的にも体力的にもダメージをうけているにもかかわらず
命のあることへの感謝、前向きな姿勢の方が多くて本当にこちらが
勇気付けられてしまいます。



息子さんと孫を津波で亡くされた男性がやっとつながった電話で親戚の方に
「それでも前向きに生きていかないといかん」と仰っていました。



おそらく都会に出て行った娘に
「パパもママも大丈夫だから心配するな。こんな状況だけど
悲観せず前向きに考えて生きていこうと思う。
だから○○も、前向きに頑張れ、な!」



地震から数日後に救助されたおじいさんが
「チリ津波も経験したから大丈夫です
また再建しましょう」と笑顔で仰っていました



何かが壊れるとそれを直してくれる人が必ずいます。

電気も水もガスも、今現場で必死に復旧作業をしている人がいることでしょう

自分たちの被ばくを承知で必死で原発を復旧させようとしている

東電の方々の無事を本当に願います

ありがとうございます





日本は素晴らしいです


日本はまだまだ大丈夫です



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そろそろ今年のバケーションを考える時期となりました。
昨年は次女の出産などなどあり、日本に帰ることが出来なかったので
今年は・・・と思っていろいろ調べ始めましたが
5人家族で日本へ・・・・となると飛行機代だけで5000ドルになるんですよね。
もちろんそれだけでは済まず、滞在費とか合わせると・・・・



考えるの放棄です



結婚して10年、昨年以外は毎年日本に子供たちといっておりますが、
日本にいくことになると、他の場所にバケーションとして行くことが出来なくなります。
行くことが出来たとしても3泊4日のJersey Shoreとか、ペンシルバニアとか・・・
親戚のいるシカゴやノースキャロライナ。



フロリダやカリブ、ハワイなどは夢となります。



共働きのくせにお金に余裕がない!



下の二人のデイケア代で毎月3000ドル超えるので、本当に働いても
働いても貧乏なわたしたちです。



まして家族が5人となったことで車も買い換えないといけません。現在車は2台所有していますが、1台を普通のSUVからミニバンに変えないと、息子の乗り場所がなくなってしまいます。今でこそ、何とか後部座席に3人縮こまって乗っていますが、次女が1歳になる夏には、チャイルドシートが赤ちゃん用から幼児用になるため、息子は荷台に乗るほか選択肢がなくなってしまいます。



ミニバンかぁ。。。。。


本当は嫌なんですけれど、いろいろ試乗した結果、7~8人乗りの大きいサイズのSUVよりも、やはりミニバンのほうが広くて子供たちの乗り降りが楽なんですよね。というわけで夏までに車を購入という大きなイベントもありで、Budgetを考えると、ますます日本への帰省は出来れば避けたいと思うこのごろです。



でも、やはり家族にも友達にも会いたいし、

息子の体験入学もさせたい。
入院している93歳の祖母にも会いたい。
弟の家に生まれた双子にも会いたい。



でも後々車の購入や帰省時のクレジットカードの返済とかで、金銭的に苦しくなるよりは、今年も帰省を我慢して、家族全員でフロリダやカリブに行ったほうがいいのかも・・・・・といろいろ考えているのですが、


夫が昨夜


「日本に行くの僕だけ我慢してもいいよ。一昨年も行ってるし。」といいました。
もちろん飛行機代一人分浮くし、夫がこないことで日本でのイベントも減ります。
友達とも何回も遊びに行けるし、両親もそんなに気を使うこともなく
ゆっくり孫や娘と過ごせます。




ただ、わたし一人で10ヶ月の次女と、怪獣2歳半の長女、8歳の息子を連れて
15時間近い飛行機の中や、移動が出来るのかどうか???


悩みは尽きません。


テーマ:

結婚って、もともとまったくの他人が共同生活を始めるわけですから

いろんな問題が派生するのは当然で、それを少しずつ乗り越えてこそ

絆が強くなっていくんですよね?


妥協して妥協してもらって、長い年月かけてお互いを理解してくのですよね?


年を重ねることで、すこしずつ分かり合えて、許しあってかけがえのない存在になっていくんですよね?


子供を共に育てることで、自分たちも成長していくんですよね?




なんて疑問ばかりですが・・・・・・・



我が家の場合、人種も国籍も宗教も育った環境も違う夫婦ですので

乗り越えていかなければいけない壁は少しばかり多かったような気もします。


それでもなんとなく、だましだましだったのか、うまくいっていたんです。

確か、「うっとーしいなぁ」「面倒くさいなぁ」ってことは多々ありましたが

それでも普通に夫婦をしていました。



8歳の息子のほかに、2008年に待望の長女が生まれ、

昨年の夏には次女も生まれて子供たちが3人になったとき、

家の中がすごく忙しくなって、普通は距離が縮まるはずだったのですが、

徐々に長くなってきているような気がしています。



たとえば毎日の食事



日本で生まれ育ち、日本食をこよなく愛するわたしと、

ニュージャージーで生まれ育ち、母がノースキャロライナの南部出身のため、

こってりした南部の料理で育った夫。

「今日、何が食べたい?」って質問の答えはまったく違うものになります。

それでも夫が自分の食べたいものを作ればわたしも食べるし、

わたしが自分の食べたいものを作れば夫も食べる、

そんなことを10年実行してきました。


外食に行くときも、今回はわたしの行きたい場所、

次回は夫の・・・・と譲り合い、妥協して、共存(笑)してきたのです。



ところが、現在、魔の2歳児の怪獣のような長女と7ヶ月の次女がいるため、

外食はほとんどせず、テイクアウトをするようになってから少し変わってきました。

夫がピザが食べたいといえば、私はピザなんて別にどうでもいいので、

じゃあわたしはチャイニーズとかタイレストランから、のように

別々の場所からテイクアウトして別々のものを食べることが多くなりました。


それからというもの、


わたしが白米を炊けば、夫は「僕はメキシカンライスがいいな」と自分で作り、

スペアリブがあれば、夫はバーベキューソースで、

わたしはおしょうゆとみりんとお砂糖で調理する、

ポテトサラダを作ると、夫はアメリカのマヨネーズで、わたしは日本のマヨネーズで!


というように自分のスタイルを貫くことが多くなったんです。

別にアメリカのマヨネーズでだっていいですよ、BBQソースだっておいしいですよ、

でもせっかくだから自分の好きなスタイルで食べたほうがおいしいので

手間はかかっても別々のスタイルを選択するようになりました。



結婚をうまくいかせる秘訣は料理だっていいますよね。
奥さんがおいしい料理をつくっていれば夫は必ず家に帰ってくるとかこないとか


たとえば会社や学校で嫌なことがあって、落ち込んで家に帰ってきた日に
お母さんの作ったあったか~~い味噌汁1杯

(うちの夫の場合はフライドチキンか?)が出てきたら、ほっとするし、

気持ちも落ち着くし、笑顔に変わっていくものなんだと思います。


明日も頑張ろうって思えるのだと思います。


家族で一緒に食べる料理は、幸せになる方法の一番簡単で重要なものなんですね。

そこでギャップが出てきてしまうということは・・・・・・・・



そうなると次にくるのは映画やテレビ

見たい映画やテレビの趣味も違うのですが、今まではなんとか一緒に見てきたのです。

でも最近は別々。子供が寝た後は夫が地下室にこもってスポーツ中継を見て、

わたしは自分のベッドルームでドラマを見るなど。


二人で過ごす時間が極端に減ってきているのです。



きっとお互いに疲れているんですね。お互いの存在に疲れているのではなく、

仕事と子育てと自分のやりたいことがありすぎて、疲れているんだと思います。

そして疲れているからちょっとの我慢、


たとえばアメリカのポテトサラダを食べることや、どうでもいいようなドラマを

一緒に見てあげることが、出来なくなってきているのだと思います。



私たち夫婦にはなんと生んで上げられなかった子供たちが8人もいます

我が家に生まれてきてくれた3人は、何よりも素晴らしい大切なギフトです。

そんな宝物の子供たちが、将来自分も両親が与えてくれたような

素晴らしい家庭を作って生きたいと思ってくれるような、家族をつくらなければなりません。



そのためにはやはり多少の我慢も必要なのかなと思いました。





テーマ:
昨年の暮れにSmartPhoneを購入してからというもの
NYCまでの通勤時間にお気に入りのブログを訪問することが増え
また久々に更新してみたくなりました。

昔から日記などつけたこともなく、育児のメモを残したこともなく
ブログも更新したいときにだけするという、熱しやすく&冷めやすい(B型)です。

前回の更新後すぐ、夫の義弟は生命維持装置の停止という
「幕引き」を家族の誰にも、辛い決断をさせることなく、安らかに亡くなりました。

その2週間後、義弟の生まれ変わりか?と思わせるような予定外の妊娠が発覚し、
去年の6月に4週間の入院のあと、帝王切開で少々未熟児の次女が生まれました。

1ヶ月程度早く生まれてきた次女は、心臓の壁がまだ閉じていないため、小児心臓外科に通ったり、脳の外側に水がたまっているため、小児脳外科に通ったりしていましたが、幸いすべて軽度なので様子をみるだけで大丈夫です。まわりの心配をよそに本人はとても元気に成長しており、生意気な8歳の息子や、魔の2歳児の長女と比べて、文句を言わないだけかわいいです(笑)



つい先日結婚10周年を迎えました。

3人の子供たちがそれぞれ自分勝手な要求を同時にしているときには
「いったい何考えていたんだろうね~?子供が3人だなんて冗談じゃないね」と夫と笑い合い
ぐっすり寝ている3人を見ているときには、充実感を覚えるという毎日です。


相変わらず、3人の母親になったというのに、わたしはまだフルタイムで働いています。
スケジュール的には大変きついのですが、仕事をしているときは「唯一の自分の時間」になっています。忙しいのが性に合っているため、それほど苦痛でもありません

システムエンジニアなので、仕事の内容はシステム設計、プログラミングも忙しいときには引き受けますが、正しく指示を出せば100%確実に従ってくれるシステムがかわいくてたまりません(笑)何度同じ事を言っても聞かない子供たちの相手をする中和剤になっているようです。

ただですね



夫婦間が微妙にずれてきているような気がします。いや、正直に言うと、ずれていたのはわかっていたんですが、何とかなると思っていたんですよね。ずれていても問題はないと。でも最近は今後も改善することはないんだろうなと、こればかりは仕方がないんだと開き直った部分と、でもこの先まだ長いんだからなんとかしなくちゃという部分と・・・・



ひとりになりたい・・・・って時々思います。

もちろん本気で考えているわけでもなく、
「ったく面倒くさいから逃げ出したい!」というただの現実逃避です。子育てに関して意見が一致しないため、子供が増えれば増えるほど面倒くさくなってくる結婚生活。長い年月をかけて何度もけんかしながら切磋琢磨して、共に人間として、親として成長するはずだったんですけどね・・・・。 お互いに自分が正しいと信じ、相手の意見を素直に受け入れる懐の深さ、そして心に余裕がないのです。子育てと仕事でいっぱいいっぱいで相手の気持ちを思いやれない自分たちがいます



自分のためにも、そして子供たちのためにも、明るく謙虚に笑顔を増やしていかないといけませんね。

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