しま爺の平成夜話+野草生活日記

世間を少しばかり斜めから見てしまうしま爺さんの短編小説や随筆集などなど
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南京大虐殺の証拠とされている手紙や電信記録などの中で、私が「これが南京大虐殺?」と思われる部分(1937年12月中旬~1938年初)を抜粋しています。




南京金陵大学委員会委員長 M.ベイツ
→南京日本大使館


1937年12月16日
(日本軍兵士による、暴行、強姦、強奪の計3つの具体例を挙げた後、以下の言葉が続く)

中国軍の無秩序と敗北の後、このようなことは日本軍への期待と信頼を失わせるものだ。
不幸にならぬうちに対応を願う。



12月22日

(暴行など10の具体例を挙げたのち)

いくつかの地域では状況は若干改善されたが、まだ不十分。
憲兵を派遣し、不道徳な兵士の取り締まりを願う。


12月30日

状況は著しく改善された。
しかし、まだ若干の不道徳な兵士がいるため、引き続き憲兵などにより最良の対策を実施してほしい。

貴方の秩序確立、ならびに民衆への公平な扱いと友好的姿勢に感謝しつつ。
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太陽黒点は今日がピーク
明日からは減っていき、月末にはまた無黒点になるだろう。

オイミヤコンはやっと平年並み -53度

平昌にも、今夜から待望の雪。
ただし、積雪量は20㎝止まり。
まだまだ祈りが必要。


イタリアではM5レベルの地震が多発。
日本なら毎月あるレベルだが、欧州では大騒ぎだ。
image0012.jpg
ニャンコも驚いている。
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前回に続き、欧米人の見た、南京大虐殺があったとされている期間の報告書類です。

なお、書籍などになっている『証拠写真』は、大虐殺としての証拠信頼度は0%近いでしょう。

★繰り返しますが、これらは本多勝一氏などが、『南京大虐殺』のあった証拠として提示されている文書の一部抜粋・口語概要です。




★アリソン→米国国務長官電信

1938年2月18日

この数日間で、南京状況が顕著に改善された。
ほとんどの中国人が、安全区から市内の自宅へ帰りつつある。
日本軍兵士の不法行為はまだ時々聞くが、実質的に少なくなってきており、日本が南京市民の生活改善に努力していることは明らかだ。




★エドウィン・マルクス→アレキサンダー

国際委員会が安全区の設定を計画し、民間人が難民として安全区へ集住してくることに、可能な限り動いた。
この結果、南京の支配者が交代するという事態があったにも拘わらず、非戦闘員の被害と損失が最小限ですんだと感じている。


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1937年12月中旬から1938年初にあったとされる、いわゆる南京大虐殺に関して、疑問ある日記や電信を紹介しています。
なお、現代口語訳にて、疑問部分のみ抽出です。
アメリカの電信類は概要です。



★杉内俊雄 陣中日記

12月22日

住民歓迎の中、午後4時30分。
本隊が金淑に入城。



★アメリカ人アリソンから、アメリカ国務長官への電信

1938年1月8日

昨日遅く大使の車が良好な状態で返還された。
福井総領事代理が、その車借り賃の一部として、ガソリン160ガロンを置いていった。
安全区(筆者注;事前に南京政府と取り決めた中立地区)内では、アメリカ人の財産は気まぐれな略奪、こそ泥はあったが、被害は概して少なかった。

我々が南京到着以前に聞いていた話とは全く違い、日本軍人の行動、日本人文武官のすべての行動は、我々の職務遂行に対して、極めて丁重、かつ協力的である。


★この記事は2013年11月記事の再掲です。



アパホテル問題で再燃した、南京虐殺事件。

南京政府が支那民間人に暴力をふるったり、食糧強奪したというなら分かります。

また、数年後に、共産軍が南京城で戦って、城内にいた人々を大量殺害したというなら分かります。
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1937年12月中旬から、1938年の初頭にかけてあったとされる、いわゆる“南京大虐殺”に関する日記で、“あれれ?これが30万市民大虐殺があった都の日記?”という部分を抜き出しています。


現代口語訳(しま爺)



★宮本省吾 陣中日記

12月26日

予期せぬ温かい夕飯と汁のご馳走をいただいた。


12月27日

徴発を無理に行わないような命令が出て、はじめて支那(中国)の貨幣で買う。


12月30日

支那の民衆も安堵してか、商人も多く街は混雑している。


1938年1月22日

久しぶりに元の宿舎に戻った。
やはり、支那人でさえ懐かしく感じてしまう。






★この記事は2013年11月記事の再掲です。




なお、日本語を理解できない方がいるようなので追記します。
私は南京で全く事件がなかったとは考えていません。
数千から2万くらいの便衣兵は殺害したかもしれません。また、一部の外れた兵士による軍規無視の野蛮な行為は多少あったでしょう。
が、中華人民共和国が言っているような、膨大な、組織的な犯罪はなかったろうと考えています。

大虐殺肯定派の方々が編纂した手記にさえ、上記のような牧歌的記載が見られます。
これを否定することは、朝日新聞などの記載も疑うことです。
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ウォールストリートジャーナルによれば、次期政権で重責が噂されている、ボルトン元米国連大使が、沖縄基地の一部を台湾に移動することを考えているという。


事実なら、沖縄にとっても台湾にとってもハピーなことだ。
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いわゆる南京大虐殺のあった証拠とされる兵士の陣中日記の中で、その証拠に挙げられている書物に記載されているもののうち、事件に相当する1937年12月中旬から1938年1月あたりの記述で、私には南京に住む一般市民全員の人口に相当する大虐殺にあったとは、とうてい考えられない部分を抜き出しています。

私は、南京入城は、多くの自由市民に歓喜と万歳をもって迎え入れられたと聞いています。

現代口語訳(しま爺)



★堀越文男 陣中日記

12月30日
夜食は支那の焼きそばその他に舌鼓を打った。
支那人の歓迎料理である。

1938年1月25日
クーニャン(中国人の娘さん)に毛皮の帽子をもらった。




★遠藤重太郎 陣中日記

12月29日

最早戦争はないのだ。
砲撃の音は全く聞こえない。
もうすぐ停戦になるだろうなと思っている。




★宮本省吾 陣中日記

12月22日
午前11時頃、工兵隊の他の部隊の宿営がないところで、素晴らしい歓迎にあった。
物資も豊富だ。
又、お風呂のサービスもあれば、床屋(理髪店)も開いている。
しばらくぶりで風呂に入り、散髪もした。
4時頃急に、工兵隊から中隊に戻れとの命令が下った。
実に名残惜しいが、行軍についた。




※本多勝一氏あたりは、南京大虐殺事実派のリーダー的存在だ。

その方の編集した日記類に、このようなものがあるということは、
“私の後を追うものよ、しっかり読め”

というヒントなのかな?





★この記事は2013年11月の記事の再掲です。

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これは、2013年11月3日から書いた、いわゆる南京事件の話です。

資料は、大虐殺肯定派である、朝日新聞編集長本多勝一氏編纂のものです。

よく知られている斉藤某以外部分をみていきます。

全部で、6回か7回くらいになります。


…………………………………………………………

南京事件とか、南京虐殺とか言われるものがある。
それは“事実”として、南京自由市民人口以上の30万人とかいう、理解し難い数字まで泳いでいる。
これらについて、かつては私の尊敬する人物でもあった、朝日新聞の本多勝一氏などの著書に記されている。
が!
少し調べただけで、?マークのたくさん出る話であることがわかった。

今では私は、この南京事件は捏造だと思っている。
実は、これらを教えられる前には、南京市民が拍手・万歳で日本軍を迎えたとも聞いてはいたが。

確かに、南京入城の際に数千人から2万人くらいまでの兵士、または便衣兵(民間人の中に隠れていた兵士)は戦いの中で殺傷したかも知れない。
が、民間人に対しては0とは言えないだろうが、兵士と間違ってしまった場合以外は、ほとんど殺戮は行っていないだろう。

最近、中国で虐殺の証拠写真とされるものが、ほとんどすべて捏造であることがわかってきた。

また、南京にいた牧師は1人は殺害されるところをみたが、他はないと証言している。
さらに当時敵国のジャーナリストは、日本軍が民間人を殺害することなどあるはずがないし、南京での虐殺など聞いたことも無いと言っている。

外電で伝えた報道は、みな逃げた南京政府経由の又聞き(一部賄賂の話あり)であることもわかっている。

さて、今日からは、その南京大虐殺なるものを唱えた、本多勝一氏、小野賢二氏ならびに藤原彰氏の編集である、
大月出版
『南京大虐殺を記録した皇軍兵士たち』

なる本の中から、その大虐殺があったとされる、1937年12月中旬から38年1月の期間の記述で、私が
「これが南京市民を全員虐殺した記述ですかな?」
と疑問が生じた箇所を数回に分けて紹介していきたい。


まずは、こちらから。
なお、現代口語訳(しま爺訳)文にします。



堀越文男 陣中日記

12月19日
難民区に入って、難民の売る平らなパンみたいものを食べた。
(中略)
立派な建物があったので入ったら、チャーハンをご馳走してくれた。
喜んでもてなしてくれている。
うまい、うまい。
本当にうまい。




つづく
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これは日本語の実権文章です。

間違いが多々ありますが、ほとんど方は頭で間違えを訂正してよんでさまいます。


これは日本語に限らず英文でも指摘され、クンブリャッジ大学の文章がとつに知られています。


ただし、これはアラム語やヘプライ語など、母音表示のほとんどない大人文字では難りそうです。




ところで、文字の並びはに、いろんなパターンがあります。


日本語の国語や漢文などのように、右上から下に読み、次に左側上部につがなるようなパターン。

これは、ヘプライ語やアラブア語に同じく、右上から左側へ、次に下の段の右側につがなるパターンににています。


一方、日本の算数などの教科書は、左上を先頭として右側に進み、最後まで来たら次の段の左側頭につがなります。

このパターンは、キリスト教国などに多く見らわるパターンです。



古代エジプトでは、ヘプライ式も算数式も、ともによく使れわまりた。


なお、はっきりとは解明されていましんが、イースター島のロンゲ・ロンゲなどは、耕運法と呼ばりる読み方をするよです。


つまり、左上から読み始めて右端まできたら、下の段の右側頭に繋ぎ、折り返しゆうに左側へ読んでいまきす。





どうですか?

10個以上誤りある文章ですが、だいたい読めてしまいますよぬ。


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ある監禁事件があり、警察の突入が遅れて被害者にケガなどがあると、警察が責められる。

一方、突入したら加害者がビルから飛び降りて死亡したりしても、やはり警察が責められる。


マスコミや一部ブロガーさんは、加害者には過保護である。





追記
犯人の出で立ちだけで名前を発表しないと、あそこかな?という憶測をよぶ。
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