『自分の葬式の夢』と『息子がはじめて一人でオシッコをした日』
テーマ:ブログ「あー、よー寝た!!」と思って起きたら、まだ深夜1時・・・
「もうちょっと、寝よ」
ここから自分の葬式の夢が始まりました。
うたた寝のような、2度寝独特の感じの中、非常に感動的な葬儀が進んでいきます。
そして出棺前、山口百恵の『さよならの向こう側』でフィナーレを迎えた会場は感動の頂点に!!
目が覚めると、自分の葬式の夢に感動してちょい泣きの状態 f^^;)
そこから波及して、どんな葬式をしたいかを詳細にわたって考えました。
30分ぐらい、布団に横になりながら考えたと思います。
その時、ふと思いました。
「これや!!」って。
自分が死ぬ時に誰に参列してほしいのか、どれくらいの人数の人に見送ってほしいのか、何を残したいのか、何を残したくないのか、みんなに一番伝えたいことは何か、自分の家族にどういう言葉で見送ってもらいたいのか、等々…
命の終わりは自殺でもしない限り自分では決めれませんが、どんな葬式をしてもらいたいかは自分で決める余地が大いにあります。
極論かもしれませんが、毎日朝起きた瞬間死ぬ準備をしていれば、自分の望む死に方に近づけるんじゃないかと思うんです。
で、思った訳です。
「自分の悪いところを改善するより、死ぬ準備を毎日した方がエーやん」って。
私は何か目標を達成できなかった時、
「なんで俺はこんなこともできないんだろう?」
と自分を責めてしまう傾向にあります。
で、達成できない要因はいつも同じような事です。
1位 → 深酒
2位 → 午前様
3位 → 遊び過ぎ 全部一緒ヤンケ!!(`Д´)/(^_^;)ゞ冗談はさておき、能力やスキル不足といった努力で改善できるものではなく、目標達成できない本質的な要因(=欠点・性格)はそんなに簡単に改善できないと思います。
最近耳にして印象に残っている言葉で、
『利己を減らすな、利他を増やせ』
という言葉があります。
この一文、自分の欠点の改善策を考える時間を、そっくりそのまま他人の為に自分ができる事を考える時間に変えろ、という解釈はできないでしょうか。
私が考えた自分が望むお葬式というのは、生きている間にどれだけ他人の為に自分が尽くしたかの集大成です。
利他的な生き方無しに私の成仏は無いという事であり、
逆に利己にのみ私が生きてしまったら、死んでも死にきれずその辺をウロウロするという事になります

お葬式の夢が非常に膨らんだ朝でした。
今日はいつもより充実した一日になりそうです(^^)
追伸:昨日は息子の初ひとりオシッコという、超めでたい事があったのでこのお葬式の話と何か関連するんじゃないかと思っていたのですが、今のところ見つかっていません。





