ミツトヨ
世間の人は最近のニュースでタイトルの名前を聞くと思う。
でも知らないと思う。ぶっちゃけて言えばすごく精密な定規を作る所です。
自分は仕事でここの製品を使ってる。
だが、ニュースを聞いていると核爆弾を作る機械を作っている所、と紹介されている気がしてならない。
三次元測定器を使って、核爆弾は直接出来ない。
部品も作れない。作った部品が大きいか小さいか、ゆがみが無いか見るだけの機械。
原子爆弾に使われる放射能物質は、不純物を含んだ放射能物質を凄い勢いでぶん回してその勢いで底に沈んだものを取る。
放射能物質ってのはとっても重いので、ぶん回すと早く底に沈むのだ。
そのぶん回す事を遠心分離、などと難しい言葉で言うのだけれども、凄く早くぶん回す為に、ゆがみがあるとああっと言う間に壊れてしまう。
そのゆがみがあるかどうかを簡単に見る事が出来る機械なだけだ。
根性と人手があれば三次元測定器が無くても計る事が出来る。
確かに、核爆弾を作る為に間接的に必要なのは間違っていない。
ミツトヨのやったことは許されないし、それは償うべきである。
だが、上のような事をちゃんとマスコミは報道すべきではないだろうか。NHKすらセンセーションに走る。
冥王星の報道といい、科学的な事はきちんと誤解されないよう報道すべきだ。
でも知らないと思う。ぶっちゃけて言えばすごく精密な定規を作る所です。
自分は仕事でここの製品を使ってる。
だが、ニュースを聞いていると核爆弾を作る機械を作っている所、と紹介されている気がしてならない。
三次元測定器を使って、核爆弾は直接出来ない。
部品も作れない。作った部品が大きいか小さいか、ゆがみが無いか見るだけの機械。
原子爆弾に使われる放射能物質は、不純物を含んだ放射能物質を凄い勢いでぶん回してその勢いで底に沈んだものを取る。
放射能物質ってのはとっても重いので、ぶん回すと早く底に沈むのだ。
そのぶん回す事を遠心分離、などと難しい言葉で言うのだけれども、凄く早くぶん回す為に、ゆがみがあるとああっと言う間に壊れてしまう。
そのゆがみがあるかどうかを簡単に見る事が出来る機械なだけだ。
根性と人手があれば三次元測定器が無くても計る事が出来る。
確かに、核爆弾を作る為に間接的に必要なのは間違っていない。
ミツトヨのやったことは許されないし、それは償うべきである。
だが、上のような事をちゃんとマスコミは報道すべきではないだろうか。NHKすらセンセーションに走る。
冥王星の報道といい、科学的な事はきちんと誤解されないよう報道すべきだ。
しつもんチケット
見ていると、「実は夏ってのは野菜作りに向いてない季節なんじゃないか」と思う事しきり。
来年はオクラかなあ。
しかし近所の路地でオクラを育てているところがあるんだが、でかいねあれは。
なんか黒豆に実がつかない。
虫?がわいてたんでパイベニカをふきかける。
来年はオクラかなあ。
しかし近所の路地でオクラを育てているところがあるんだが、でかいねあれは。
なんか黒豆に実がつかない。
虫?がわいてたんでパイベニカをふきかける。
次に何を植えるか
というわけでホームセンターで散策。
タマネギの種が山のようにある。
ラピュタという名前に心引かれる。
が、黒い親指持ちの自分は苗を買おうと決めているんで、パス。
野菜の苗はこの時期にはあまりないようだ。
とりあえず、もう少し涼しくなるまで待つ事にする。とりあえず、まだ黒豆に花が付いてるし、バジルはちーとも大きくならないし。
トマト、ついにつぼみが枯れている。
物の本には「嫡芯して大きくなるのを防ぎましょう」などと書いているが、その必要全く無し。
タマネギの種が山のようにある。
ラピュタという名前に心引かれる。
が、黒い親指持ちの自分は苗を買おうと決めているんで、パス。
野菜の苗はこの時期にはあまりないようだ。
とりあえず、もう少し涼しくなるまで待つ事にする。とりあえず、まだ黒豆に花が付いてるし、バジルはちーとも大きくならないし。
トマト、ついにつぼみが枯れている。
物の本には「嫡芯して大きくなるのを防ぎましょう」などと書いているが、その必要全く無し。
無事
枯れていなかった。
給水番は効き目があるようなので、海外旅行にもいいと思う。2Lのペットボトルとか使えば。
冬にも使おうか。昼間水がやれないから、
外に置いておく→夜凍るので水が補給されない→昼間溶けて水が補給される
という事で。
給水番は効き目があるようなので、海外旅行にもいいと思う。2Lのペットボトルとか使えば。
冬にも使おうか。昼間水がやれないから、
外に置いておく→夜凍るので水が補給されない→昼間溶けて水が補給される
という事で。
買う人と作る人と
今実家に帰省中なのだが、田舎なので野菜が安い。
最近は高いそうだが、自分が母親と一緒に買い物に行ったとき100円でオクラ一袋が
売っていたがため母親が鬼のような勢いで購入していた。
手間など考えると、微妙な気持ちになるのである。
最近の野菜は、「私が作りました」という写真付きのものが多い。
消費者は生産者の顔が分かる。
信頼したり、うれしい気持ちになって買う人もいるだろう。
でも、生産者はどうだろう。消費者の顔は、生産者に届いているのだろうか。
身近なところの生産者(農家の親戚)でも、自分たちがお邪魔してしょうが漬けなど
お茶請けにもらって感激すると実にうれしそうなのだ。
そしててんこもりに野菜をくれる。
だが、普段は自分たちの顔は届かない。テレビにも映らない。新聞にも載らない。
食の安全について最近はやかましいが、買う側が、こちらの顔を生産者に届ける、
というのも「安全で、美味しい」ものを作り、食べることに役に立つのではないだろうか。
誰か知らないけど、誰かのために、という漠然としたイメージより、「こないだの
XXのトマトは美味しかったよ」と言った、具体的な誰かのための方が心を込めるのは
とても簡単なのだから。
後は野となれ山となれ(嘘)
という訳で、今実家。
野菜は、ペットボトルに紐をはめ込んで、毛細管現象で水を吸い上げ供給する
給水番なるものを買って、それでやってみることにした。
トマトは、結局プチトマトの大きさのしかも未だ完熟していないものを持って帰る
はめになってしまった。
さて、どうなることやら。