私がNTTドコモに行く時は、NTTにて課長に呼ばれ廊下でドコモに行ってくれないかと言われたのです。
ドコモでは本社直属のオペレーションセンターに配属されました。
担当は東京都内の設備保守でした。
本社は虎ノ門でした。
森ビルの貸しビルです。
東京都内は交換機がアナログが10台程度とデジタルが1台でした。
携帯が伸びて行く頃です。
その内課長が東京都内にデジタル交換機を70台置くとの話が出ました。
その頃の自社ビルは十条と四谷の2つでした。
70台はと言うと貸しビルのフロアを何箇所も借りてそこに置いて生かしていきました。
生かす時には夜間作業で基地局を切り替えて行きます。
連続の夜間作業が発生して行きました。
担当者はと言うと素人の人を派遣で雇っての事です。
交換機を知らない彼らを使うのも大事な時とか故障の対応とかは全部自分が負いました。
夜間作業で生かして行くと故障も多発して日曜日でも呼び出しです。
社員には携帯電話を持たせていましたが理由は呼び出しです。
休日に課長からの電話に出ない人も多くいました。
夜間作業も朝会社に行って夕方休んでから12時過ぎに作業開始です。
電話会議にて次々に現場に指示が来て寝る事は出来ません。
次の日の夕方までかかった事も多くありました。
交換機は生かしてそのままでは無く維持メンテが必要です。
交換機のプログラム入れ替え等やデータ更新・追加や故障等多義に渡ります。
その頃はまだFOMAは無くPDCと言われる2世代携帯の時です。
交換機は1台と言っても大きな入れ物の架が30位になりますし場所を取ります。
切り替えには一旦基地局を停波(電波を止める)してから線で切り替えていきます。
切り替えの前に生かす時には付帯試験など多数の作業が発生します。
一晩で4台からの交換機を生かす事もざらでした。
その頃は主任になり前線にての作業を黙々と続けていました。
交換機を生かす作業が収まりかかった頃にパケットの導入が始まりました。
先行導入は東京です。
FOMA・Xiも東京から全国に広がる様になっています。
パケットの導入には改良パッケージの搭載・入れ替えと基地局に装置の追加が発生しますしパケット網に入るのに新しい装置を導入して交換機からつないでいきます。
交換機の入り口にてパケットのネットワークと別れていきます。
FOMAも交換機の入り口にてパケットネットワークと分離しています。
パケットネットワークにはiーModeセンターがつながっています。
初期のiーModeセンターは羽田のビルにありました。
現在はと言うとセキュリティ上の為辞めたとはいえ言えません。
高度のセキュリティがあるのは聞いてましたが入った事はなかったです。
初期のiーModeセンターにはバックアップセンターは無かったのですがパケットが広がるうちに出来ました。
設備が一段落すると各県に自社ビルが立ちました。
本社も溜池山王の駅の所です。
子会社も前の赤坂国際ビルに殆どが入りました。
会社も大きくなってと感嘆した物です。
ドコモに行った時には大星社長だったのが立川社長(現在会長)になって変わっています。
大星社長は国から章をもらいました。
大星社長は会長になり立川社長がとNTTからの社長が入って来ます。
立川社長は工学博士で宇宙開発事業団の会長などもやっています。
巨大NTTには偉い人達が沢山いますし国から章を毎年誰かがもらっています。
私達末端には届かない何かがある様です。
私が辞めたのは48歳の時です。
技術の前線にいることが辛くなっての事です。
大きくなったドコモの将来を見ていきたいと思います。


