随分と遅くなってしまったが、先日、同じ会社に所属するアメリカンフットボール部の試合を応援に行った。恥ずかしいもので、実は入社10年目にして初めての観戦となる。今までアメフトに全く興味が無かった訳でもないし、チームが強いとか弱いとかに関係なく、ただ単に行く機会が無かっただけの話なのだが、実は今回の観戦が自分や所属するチームにとって非常に強い危機感、というか、我々が置かれている現実、というものを目の当たりにする事になった。
今回観戦した鹿島ディアーズとの一戦は、アメフト創部以来初めてとなるFINAL6
への進出掛けた重要な一戦だった。ウィークデーのアフターファイブで且つ東京ドームで行われる事もあって、試合会場には会社帰りと思われる弊社の社員が多数詰め掛けており、ドームは結構な盛り上がりを見せていた。もともとアメフトはアメリカの4大プロスポーツの一つでもあり、エンターテーメント性があって観る方も結構楽しめる。ルールが複雑であったり、時間の経過がマチマチであったりと、日本のスポーツ文化にマッチしない側面もあるが、個人的には日本でも十分ポピュラーなスポーツと認知されてもおかしくないポテンシャルを持った競技だと思う。日本で主催されているアメフトリーグも、置かれている状況は決して芳しくない。いや、悪い、といった方が正しいか。社会人リーグとして企業スポーツに認知されながらも、ここ数年の不況でチーム運営が行き詰まり、クラブチーム化したり、互いのチームが合併したりと、先行きは非常に不安定である。おおよそ所属する選手は、平日は会社のイチ社員として一般社員と同じように働き、主に休日を利用してチームの練習に参加するのが基本らしい。スポーツとしての特性もあるが、基本的に休日だけを利用して活動する個人やチームには限界がある。勝利を義務付けられた選手達は、日々の仕事のストレスやプレッシャーから開放される時間や余裕も無く、トレーニングに明け暮れる。競技スポーツを趣味やストレス発散といった同じレベルで線引きできない理由はそこにあるのだ。
結果は残念ながら、我がビッグブルーは前半拮抗しながらも、後半早々、自分達が犯したミスをきっかけに相手に得点を重ねられ、試合巧者である相手に終始ゲームの流れを支配され敗れてしまった。しかしこれでFINAL6への道が絶たれた訳ではないそうだ。是非次節以降もこれまでの勢いを生かして是非頑張ってほしい!
で・・・、肝心な部分の我々が感じた強い危機感、なのだが・・・。
今回のアメフトを観戦して感じた事
アメフトを応援する社員達との一体感。
BIGBLUEのアメフトに携わる人達のすべてのホスピタリティの充実さ。
本質的に「応援する」側「応援される」側、双方の相互理解。
我々が入社した当時、ラグビー部は会社から「強化スポーツ」として認知されていたものの、本当の意味での「強化」がなされていなかった時代であり、ラグビーがあるとは言え、仕事にも責任を持って取り組むのがごく普通であった。それは誰に教わるものでもなく、自分達が置かれた環境や諸先輩の方々の行動が模範となり、自ずと自分をそうさせていたのだ。「与えられた仕事に責任を持つ」、という事は、必然的に自分に与えられた仕事を全うする為に必要なスキルや経験を積まなければならない、と考えるが妥当である。それには周りの方々の理解や協力を仰ぐ必要があり、やがてそれが周りの人とのコミュニケーションや信頼といったものを生み出す一つの要素として成り立ってくるのだ。
今我々が直面している現実は、悲しい事にそういった事が非常に希薄になりつつある、という事だ。「強化の代償」と言ったらそれまでかも知れない。本来競技そのものの強化を考えた時、我々選手にとって絶対的に制約されるものが「時間」である。強化に対するハード・ソフト面の整備は我々選手の役割ではない。もちろん与えられた環境に対しある一定の結果を出す事が我々選手としての義務であり責任である。しかし、本来は企業に属する社員であり、日々の仕事をして報酬を得るサラリーマンである事に違いないのだ。近年、ラグビーもオープン化、プロ化の流れの影響で、ラグビーだけで報酬を得るような環境も一部では整いつつある。頻繁に選手がチーム間を移籍する事が当たり前の時代になってきている。良い、悪いは別にして企業人として「ラグビーで結果を出す事」だけが我々に与えられた使命や仕事である、という偏った考え方に傾倒しつつある事に非常に強い危機感を感じた。
限られた「時間」の中で一体何ができるのか、何をすべきなのか。
先に「強化の代償」かも知れない、と書いたが、それは結局自分達自身への言い訳に過ぎない。すべては己自身の責任であり、恵まれた環境や支援に甘えすぎた部分もあるだろう。どんな環境に置かれようが、自分の果たす責任、役割、義務を常に念頭に置かなければ、自分本来の仕事を失うだけでなく、人間関係に最も必要とされる信頼さえも失う事に成りかねないのだ。今一度自分の周りを見渡し、自分にできる事は何か、自分が必要とされるには何をすればいいのか、真剣に考えてみるのもいいのではないだろうか。