みなさん、おひさしぶりです。
……って、もう誰もわたしのこと
覚えてないかもしれないけどっっ
気づいてここを覗いて下さった方、
どうもありがとうございます
さすがに一年放置しているのもなぁ・・・・・・
と思って、久々に更新してみました
1年間、Arcは何をしていたの!?
そうお思いになるのも、ごもっとも
これから、ゆっくり、話せていけたらと思います。
ちなみに今日は、お酒に酔った勢いで
「一年ぶりにブログに戻ってみるかぁ!!」
という勢いで来ちゃいました。
なので、
普段と少々、テンションが違います。
ちなみに飲んだのは、
今日、仕事帰りに買ったタンカレーです。
最初はトニック割り、
そして次にはストレートです。
ま、それはおいといて。
昔からのお友達は失望するかもしれないけれど、
私はこの一年、
poemなるものもverseなるものも
ほとんど書いておりません。
なので、すっかり書き方を忘れてしまっている状態です。
ただ、長編(というか、小説です)は
マイペースながらも書き続けていたので
創作からまったく遠のいていたというわけじゃないんですよ。
でも、これからは
日々の生活の中で感じたこと、
体験したこと、不思議に思ったこと、
・・・・・・などなどを、ここに、多く綴っていこうと思います。
そう、マイペースに、気まぐれに。
かなり独りよがりになるかもしれませんが、
気が向いたら、また覗いてくださいね
では、今日はこのへんで
これまた突然ですが。
諸事情のため
しばらくブログをお休みしようと思います。
いつも遊びにきてくださる方々には、
本当に申し訳ないのですが・・・(ノ_-。)
いつ復帰するかどうかは
まだ未定です。
もしかしたら・・・(:_;)なことも
考えられなくはないので、
そのときはまた
追ってご報告いたします。
わたしはここが大好きです。
でも、何もかも全てを欲張ってしまったら
私自身きっとよくない結果になると思ったので、
しばらくUPすることから離れることにしました。
でも。
たとえ更新が途絶えても
わたしは書くことを止めないでしょうし、
仲良しになったみなさんのところには
遊びに参りますので、
また一緒におしゃべりしましょう(‐^▽^‐)
『アンネの日記』。
ずっと読んでみたかったんだけど、
なかなか手に取る機会がなくて。
先日、図書館で見つけて、
今日、やーっと読み終わりました。
あー、長かったぁ・・・。
今回わたしが読んだのは、
2003年に文藝春秋から出された
増補新訂版です。
つまり、どういうことかというと。
『アンネの日記』が
彼女の父親の決断により
世に出されたのは、1947年。
それから今日までのこの日記はずっと、
短縮されたかたちで読みつがれてきました。
初版で削除されていたのは、
性への関心や母親への批判、
大人への反発心など、
アンネの心の中で
ひっそりと芽生えていた心情の部分です。
原作の日記にはそれらがみな、
赤裸々につづられていたことから
出版責任者であったアンネの父、オットー・フランクは
様々な配慮の後に、
読むのに不適切なところがない書物になおして
出版したといいます。
しかし時を経て、
彼女の完全自筆原稿を発表することは
何ら制約を受けるものではない、という
アンネ・フランク財団承認のもと
新版が公刊されることになったというわけです。
そういやこの前、
『アンネの日記』を読んでいたわたしに、
ウチの母が「こんなに分厚かったかなぁ?」と
首を傾げていましたが、
それはきっとそういうことだったんでしょう。
だけど世界的にすごく有名な作品だから
きっとみなさんも読んだことがあると思いますが。
あえて、ここで紹介させていただきますね。
ま、紹介というよりは、
わたし個人の感想みたいなものですけれど(;^_^A
アンネ・フランクといったら
「迫害されるユダヤ人」
「戦争の犠牲になった幼い少女」
というイメージがパッと浮かぶと思います。
確かに、そのとおりなんですけど、
この日記からは、それだけではない
「アンネ・フランク」というひとりの人間の
物語や思想が、ありありと伝わってきます。
例えば、愛情について。
「愛情とは、相手を理解すること、
相手を気づかうこと、
良しにつけ悪しきにつけ、
それを相手と分かち合うこと――」
例えば、幸せについて。
「どんな不幸のなかにも、
つねに美しいものが残っている。
それを探す気になりさえすれば、
それだけ多くの美しいもの、
多くの幸福が見つかり、
人は心の調和を取り戻す――」
そして、戦争について。
「戦争の責任は、
偉い人たちや政治家、
資本家だけにあるのではない。
責任は、
名もない一般の人たちにもある。
そうでなかったら、
世界中の人々は本当に立ち上がって、
革命を起こしていただろうから――」
閉ざされた隠れ家の中で
2年という歳月を過ごし、
収容所に連行された後
チフスにて15年の生涯を閉じた彼女。
わたしが15歳の時、
一体どれほどのことを考えて
日々を生きてきたのか・・・。
大人たちからは
「でしゃばりで、知ったかぶってばかり」と
ずっと批判されてきた彼女が、
日記にしか本当の思いを語れぬままだったこと。
そして、
「わたしがこれほどまでにかくありたいと願っている、
そういう人間にはどうしたらなれるのか」を
ずっと模索しながら生きていくのだろう・・・
という苦心を記した3日後に、
ドイツ秘密警察に連行されてしまったこと。
若く、未来も希望もある少女の命が
世間や大人の勝手な都合で踏みにじられたことが、
本当に無念でなりません。
ただ、彼女のこの日記が
現代までずっと残され、
多くの人に読みつがれてきたことが、
せめてもの救いだと思いました。
本当に世界中から知られすぎた作品で、
今更、こんなに絶賛しても遅いよ!
という感じなのですが・・・。
でも、一度は目にしたことがあったとしても、
昔と今ではきっと
感じることが違うと思います。
機会あれば、ぜひ
手に取ってみてくださいね(*^.^*)
「あれ」
起きたての、彼女の左の頬を見るやいなや、俺は声を上げた。
「なーにぃ?」
まだ寝足りないとでも言いたげな大欠伸をしながら、彼女は尋ねる。
「ここ、腫れてる」
あくまでも平らに、そして限りなくうっすらと盛り上がった部分を、俺は人差し指の先でそっと押した。
空気の入れ替えにと、しばらく窓を開けていたせいだろうか。
ちょっと気の早い蚊が迷い込んで、彼女の血液を少し、拝借したらしい。
「・・・ホントだ」
鏡で確認するなり、彼女は低い声でそう唸る。
「もう蚊が出てきたなんて」
ヤダヤダ、とか虫刺されの薬どこだっけ、とかひとりごちながら、さっきまで二度寝しそうな勢いだった目をぱっちりと開け、あちらこちらを探し回っている。
「そんな必死にならなくても、すぐおさまるだろ」
何気ない俺の一言に、彼女はかっと目を剥いた。
「ダメ! すぐ薬塗らないと、あっという間にかゆくなっちゃうんだから!」
そしてそう叫んだ後、「ただでさえ、顔刺されるなんて有り得ないし」と付け足す。
「そんなもんかぁ・・・?」
取り残された俺は、一応、彼女のあとを追ってみる。
戸棚や小物入れを次から次へと覗いてみるものの、お目当ての塗り薬はなかなか見つからないらしい。
「あっれ~?」と困惑気味の声を上げながらも、彼女は諦めることなく探し続ける。
朝一番のコーヒーを淹れながら、俺は黙ってその様子を見守っていたけれど。
「もういいじゃん。アロエでも塗っといたら?」
とうとう見かねて声をかける。
だけど、返ってきたのは少し苛立ったツッコミだった。
「うちにアロエなんかないでしょ!」
「・・・そうでした」
「そんなことより、一緒に探してよ」
彼女のお願い、というか命令に、俺は「ハイハイ」と返事しながら適当にその辺をいじってみる。
「・・・ないな」
2人がかりで探しているのに、どうにもこうにも見つからない。
「ま、とりあえずコーヒーでも飲んで、落ち着こう」
俺が促すと、彼女はしぶしぶカップに手を伸ばした。
左手で、刺された部分を引っ掻きながら。
俺は、熱々のブラックコーヒー。彼女は、ちょっとぬるめのカフェオーレ。
珍しく無言の彼女は、やっぱり左頬が気になる様子。
「掻いたら痕になるぞ」
「わかってるもん」
だから早いとこ薬を塗りたかったのに、と彼女は不貞腐れる。
俺は苦笑いしながら、彼女のそういう子供っぽいところも可愛い、と思う。
「蚊なんて、嫌い」
出し抜けに、彼女はそう吐き捨てた。
「そりゃ、好きな奴はそうそういないだろうな」
どこか他人事みたいな俺の言葉に、彼女はやたらむきになって、どうしても俺の共感を得ようとする。
「人の血吸って生き延びようとするなんて、図々しいと思わない?」
「まあ、それも生存するための手段だしな」
「そりゃね、イソギンチャクとヤドカリみたいな関係だったらわかるわよ。
だけど、あいつらは、あたしたちに不快な思いをさせてまで
自分たちがおなかを膨らませているのを、まるでわかっちゃいないのよ」
あいつら、という表現に、どこかなじみ深い者に対する敵意を感じた。
彼女の台詞はきっと、食物連鎖の頂点に立つ人間だからこそ言える主張だ。
もし、インパラがライオンに向かってそう主張したら、「何ほざいてんだ」とひと思いにかみ殺されるだろう。
「まあ、さ。 あいつらも、叩き潰されるリスクを背負ってまで、
こうしてやって来てんだからさ。
もうちょっとお手柔らかにしてやれよ」
時間が経って、さっきよりも腫れがおさまってきている。
だけどまだ、丸く浮き出ているのがわかる。その部分を、俺は慰めるように突いてみた。
彼女はなおも「かゆい~!」と駄々をこねるものの、だんだん落ち着きを取り戻したようだ。
「薬、新しいの買っとこうな」
「うん」
微笑む彼女の顔を見て、やれやれ一件落着だなと思った途端。
「でも、血を吸うのはメスだけ、っていうのが
何かまた許せないのよね・・・」
オンナの厳しい指摘が、再び俺に苦笑いをさせた。
蚊と人間の戦いにまつわる
興味深い文献をみつけました。
読んでみたい方は、
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カントリーマアムをかじるとき
図書館で見つけた お気に入りの本を
読みながらうたた寝をするとき
そして なにより
待ちわびた あなたの帰りが
ドア越しに そっと伝わってきたとき
わたしの頬は
ひとりでに ゆるむの
車の流れをはさんだ 向こう岸は
ついさっき 赤信号になったばかり
横断歩道のギリギリ手前は
時計を気にする人間で すでにいっぱい
うんざりするほど 気忙しくて
うんざりするほど やっかいな
朝の ラッシュ風景
ところが おもしろいことに
ここでスクランブルした人間は
それぞれの場所で それぞれの日常を
それぞれの時間の長さで 再現し
夕刻には ほとんど
同じ顔を見ることもないまま
この交差点を 渡り
また 翌朝には
同じ時間に 同じ場所で
同じ顔に
もう一度 出くわす
それがAM8:00の交差点
夜空には またひとつ
星が ふえました
地上には 天使のティアドロップが
ひとしずく 降り注ぎ
それはやがて
あなたのこころの中に
ぽつんと 音を立てたあと
すうっと 染みこんでいきました
もう かなしくないですか
いいえ まだ かなしいですか
たくさん 泣いても いいんです
ただ この地で わたしが願うのは
どうかその 胸の痛みが
あなたの心を永遠に くもらせたりしませんように
あなたから永遠に 笑顔を奪ってしまいませんように
p.s.
この詩を 大切な詩の仲間に 贈ります
雨が続いています。
珍しくお天気いいと思ったら、
真夏みたいに気温高いし・・・。
風薫る5月はどこ行った?!
ところで、先週は母の日でしたね。
でも、みなさんご存知の通り
わたしはそれどころの状態ではなく、
お母さんに病院まで迎えに来てもらったりと
世話を焼かせっぱなしでした(T_T)
病院を出た後、一緒にランチを食べに行き、
「母の日だからおごるよ」
と申し出たものの、
「あなたの退院祝いなんだから」
と、丁重に断られてしまいました~。
だから、今年の母の日は
何もしてあげられなかったんです・・・。
母の日は、5月の第2日曜日。
そして6月上旬は、お母さんの誕生日。
母の日こそ何もしてあげられなかったけれど、
せめて誕生日には・・・!
と、今から意気込んでいます。
でも、何をあげたら
もしくは何をしたら
喜んでくれるのかなぁ~??
何度も母の日を経験しているにもかかわらず
未だに、迷ってしまいます。
ふと、お母さんに
「何かほしいものある?」
と聞いてみました。
すると
「ほしいものは何もない」。
ますます困ってしまう返事が返ってきました(-"-;A
遠慮もあるのかもしれないけれど
それ以上に、ホントにほしいものがなさそうな感じで。
「年を取ると物欲がなくなる」
みたいなニュアンスでしたね。
子どもからのプレゼントなら
きっと何だって喜んでくれるとは思うけれど。
やっぱりあーだこーだと考えあぐねてしまう
Arcなのでした。
そういや、父の日も
わたしのお父さんの誕生日も
同じ6月なんですよね・・・。
あー、こりゃ大変だ( ̄□ ̄;)
もし、
「これをあげたら喜ばれた!」
っていうのがあったら、
ぜひ教えて下さい!!
お父さん向け、お母さん向け
どっちでもありがたく参考にさせていただきます☆
愛しているなら とことんしがみつくべきか
それは だれにも わからない
そもそも 愛を理由にして
selfishを覆い隠そうとすること自体
まちがっているのかもしれない
でも やっぱり
口でははずかしくて とてもいえないけれど
「わたしは あなたを 愛してる」
空がこんなに青いから
いつもの黒シャツをやめにして
ペパーミントのサマーセーターに着替えてみた
ひたいをくすぐるアクア色の風に
そっと両目を細めてみる
よく冷えたミネラルウォーターでのどを潤したあと
ハッカのキャンディーをひとつ ころがしてみたら
ココロはおどろくほど透明になって
胸のつかえは何ひとつ すっと溶けてしまったの
そう 何ひとつ すっきりと