3年前に父親が78歳で他界した
父が亡くなった後、手続きの為に父親の生まれた場所の市役所から原戸籍を入手した
その原戸籍を見ると戸籍上、曾おじいさんが別の家系から養子に来ていたことがわかった
その別の家系の当主の名前が「松永久左エ門」と書かれていた
父親も僕も生まれたのは長崎の北部にある壱岐という島だ
その壱岐出身の人物に、昔電力王と呼ばれた「松永安左エ門」という有名な人がいる
生まれたところが一緒だという親近感から
「松永安左エ門」に関する本や自伝はたくさん読んでいたが
ひょっとしたら親戚かもしれないと、原戸籍をみて心が躍った
昔のことなので、結局親戚かどうかの真実は分からなかったが
もし、仮に親戚筋だったとしたら、とても誇らしい気持ちと
逆に今の自分が対比して恥ずかしいくらい不甲斐ないという想いが交差してしまう
そのくらい、本で読む「松永安左エ門」という人の一生は
妥協しない、揺るがない、信念を曲げない、まさに鬼のような人生を送っている
東京電力の原発事故についてニュースを見聞きするたびに
電力事業に大きく関わった「松永安左エ門」が生きていたらどんなコメントを
残すのだろうかといつも考えていた
昨日の日経新聞の「春秋」に「松永安左エ門」についての記載があった
<下記一部抜粋>----------------------------------------------------------
戦後、電力再編が紛糾する中、9電力体制に導いた人物がいる
「松永安左エ門」、電力王と呼ばれた業界の長老だ
「関東電力」のはずだった社名を「東京電力」にしたのも松永
戦前、松永は東邦電力を率いて九州から関西、関東へと攻めあがったこともある
東京で使った会社の名前が「東京電力」だった
自らの夢を、ちゃっかり新会社に託すしたたかさ
それにしても、松永にどうしてこれほどの影響力があったのか
戦前、電力の国営化や軍需利用の流れに真っ向から反対した
軍部になびく経済人を戒め、大蔵大臣の就任要請もすげなく断ったという
そうした一貫した態度が戦後に生きた気骨の人である
戦後の民営化の後には電力投資が必要と料金を7割も値上げさせた
わが道をゆく姿は「電力の鬼」ともいわれた
その松永は本紙の「私の履歴書」で、自らを「常に反対の側の面が目につく男」と評した
「順調のようでも波乱が潜んでいる」と
松永が存命だったら東電にどんなカツを入れただろうか
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昨年の夏、壱岐にある「松永安左エ門」記念館に立ち寄った
その卓越した未来感が全く今も通用するほど古臭くなく驚きの連続だった
物事の真髄を突き詰め睨みつけるような顔写真の残像は
今もはっきりと脳裏に焼きついている







